28 拝啓 大好きなあなたへ
――拝啓 ユリウス・リーエンベーグ 様
夏の日差しも落ち着き、だいぶ涼しくなってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
リーベでは王都よりも早く冬がやってくると聞いています。どうかお身体に気をつけて……
……なんて、堅苦しい話はやっぱりなし! 普通に話します。
冬が来ると、楽しみにしている月に一度の湖への散歩ができなくなるので寂しいです。
あの草原に立って、青い空を眺めるのが大好きなの。空はリーベと繋がっているから。
わたしも鳥のように空を飛んで、リーベまで行けたらいいのに。そしたら……あなたに会えるのに。
会いたいよ、ユリウス。
わたし待ってるから。ずっとずっと、待ってる。
だから、絶対に迎えに来て。
お願い……ユリウス。
今日もあなたを想っています。
――――オルテア・ヴィトランツ
「……もう、一年か」
手にした筆を机に置き、一息つく。
窓の外はすっかり夜の帳が下り、朧げな月が空に浮かんでいる。この薄月を、彼も見ているだろうか。
記憶を取り戻して、ちょうど一年が経つ。季節は止めどなく移り変わってゆくのに、わたし達の時間は止まったまま。
アストール邸でクライド様に襲われ、そのまま深い眠りについた。医者からは記憶を取り戻した反動で、脳が情報を整理するために休眠したのだろうと言われている。
3日後に目を覚ましたときには、身の回りの環境は様変わりしていた。
混乱するわたしに最初に声をかけたのは、優しい女性の声。
『オルテア、体調はどう? お腹すいてない?』
『ねえ、さま……? ここは……』
『ここはヴィトランツの屋敷にある、あなたの部屋よ』
『……わたしの?』
ベッドから上半身をお越し辺りを見回すと、見覚えのある家具が目に入る。この屋敷を出てからしばらく経つが、室内の様子は特に変わりのないままだ。
『姉さま、わたしどうしてここに? それに……ユリウスは……クライド様はどうなったの?』
『オルテア……本当に、記憶が戻ったのね』
姉さまはほっとしたような、それでいて哀しくて切ないような、複雑な表情を浮かべる。その顔を見て、このひとも全てを知ってしまったのだと悟った。
『記憶が戻ったこと誰にも言ってないのに、どうして……』
『ユリウスさんが言っていたの。意識を失う前に自分のことを呼び捨てにしたから、恐らく記憶が戻っているだろう、って』
『あ……』
そんな些細な一言で気づいてしまったと言うのか。わたしが6年前の事件を思い出したと知ったら、彼はどう思うだろう。
いや、そんなことよりも――
『姉さま、ユリウスは……どこ?』
嫌な予感とでも言うのか、胸の奥がざわざわして落ち着かない。早く答えを知りたいのに、耳を塞ぎたいような衝動が込み上げてくる。
眉間をしわくちゃにして問いかけると、姉さまは近くにあった椅子に腰掛けて、わたしの顔をまっすぐ見つめた。
『オルテア、ひとつずつ話すから、落ち着いて聞いて』
そうして最初に話してくれたのは、わたしがここに居る理由。
気を失ったあと、アストール邸には騎士団が押し入った。クライド様は殺人未遂の容疑で逮捕され、ユリウスも騎士団の軍馬を盗難した罪で拘束。
その後の取り調べで、ユリウスの口から6年前の事件の真相が明かされた。
クライド様は顔に大火傷を負ったものの、他にも様々な余罪の疑惑があり、現在も勾留中。アストールのお屋敷は騎士団が差し押さえたため、わたしは実家に返されたらしい。
であればわたしがこの部屋にいる理由は納得できるのだが、ひとつ疑問が残る。
『お父様は……わたしが戻ることを許してくださったの?』
血の繋がりがないことを思い出した今なら、お父様がわたしに憎悪を抱いた理由も納得できる。まさか王城で偶然顔を合わせた際に言っていたように、またここに閉じ込めるために連れ帰ったのだろうか。
不安げに問いかけると、姉さまはわたしの肩をそっと撫で、優しくほほ笑んだ。
『安心して、オルテア。あなたは間違いなく、お父様の娘だから』
『……え?』
姉さまはわたしの出自について知らないはず。それなのに……、どうして。
『結論から言うと、あなたが舞踏会で聞いた話はすべてお祖父様の虚言……嘘だったの』
『嘘……?』
『ええ。お母様はもともとお父様に奪われる形で、無理やりヴィトランツ家に嫁がされたらしくて……お祖父様はずっと恨んでいたのですって』
そんな……あれが、わたしがお祖父様とお母様の子供だと言うのは……全部、うそ――?
『オルテアが産まれてすぐお母様が亡くなったこともあって、お祖父様はあなたのことをあまり良く思っていなかったみたい。だから自分と同じ色の瞳を持つあなたを、復讐のために利用したのだと言っていたわ』
頭の芯がくらくらする。
確かにわたしのエメラルドブルーの瞳は、両親のどちらとも違う色だ。恐らくお祖父様の家系の色が出たのだろう。
『瞳の色だけでお祖父様の話を信じるのもお父様らしくはないけれど、事件の直後に耳にして、正気ではいられなかったのかもしれないわね……』
姉さまの言うとおりだ。あの厳格な父が、お祖父様の言葉を簡単に信じるはずがない。
きっとこれも……神様の悪戯。わたしの願いによる弊害、そう考えるのが自然かも知れない。
『……でも、どうしてそれを姉さまが?』
『ふふ。あなたの結婚が納得いかなかったから、殴られる覚悟でお父様を問い詰めたの。それからお祖父様のところにも行って事実確認もしたわ。最初は否定されたけど、今度は殴る覚悟で詰め寄ったら嘘を認めてくれた』
わたしのために、姉さまがそこまでしてくれたなんて。
お祖父様の嘘に踊らされて、舞踏会の日にクライド様から渡された薬を飲んでしまったけれど、もしわたしが口にしていなければ、姉さまが犠牲になっていたかもしれない。
だから、後悔はしていない。あの日あの場にいたのがわたしでよかったと、心から思う。
『お父様は、今はあなたに合わせる顔がないと言っているから、少し落ち着いてから話してみてくれる?』
『うん。ありがとう、姉さま』
その後、父とは和解した。憑き物が落ちたかのような優しい顔に、安堵感から泣いてしまったけれど、わたしが落ち着くまでお父様は背中を撫でてくれていた。
そんな嬉しい出来事も、もう一年前の話だ。今はこうして、ヴィトランツ家の自室で変わらない日々を過ごしている。
窓から入り込んでくる夜風に肩を震わせながら、書き終わった手紙に封をしたところで、扉を叩く音が聞こえた。
「オルテア様、入っても宜しいですか?」
「どうぞ」
許可を出すと、メイド服に身を包み、金色の髪を後ろでひとつにまとめた女性が室内に入ってくる。
「やっぱり、まだ起きてらしたのですね。夜は冷えるから、せめて窓を閉めてくださいと申し上げたのに」
「ごめんなさい、エルマ。でも窓を開けた方が、月がよく見えるから」
アストール邸で世話役を担当してくれていた彼女は、現在はわたし付きのメイドとしてヴィトランツ家で働いている。
お父様には得体の知れない人間を公爵邸で雇うわけにはいかないと言われたが、わたしに負い目があるからか、最終的は認めてくれた。
「ちょうどいいところに来てくれたわ。この手紙、明日出しておいてくれる?」
「分かりました」
手紙を受け取ったエルマは、宛名を見て困ったようにほほ笑む。
「……もう、一年ですね」
「……ええ」
「ほんと、ユリウスったらいつまで放っておくんですかね」
エルマの言葉に同じように苦笑を浮かべ、あの大好きな赤を思い浮かべた。




