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25 記憶を取り戻した先に



 記憶の波が押し寄せる。

 あの日、わたしはクライド様の手から落ちたナイフによって、左腕を切り裂かれた。


 あれは事故だ。それは間違いないことなのに、ユリウスは自分を責めていた。無理やりわたしから兄を引き剥がそうとしたからだと。

 確かにもっと冷静に動いていれば、別の未来があったのかもしれない。けれども、全ては結果論だ。


 あのままではユリウスはきっと己を責めて、責任を取ろうとするだろう。そうでなくとも、アストール家が責められるのは間違いない。


 だから、咄嗟に願った。

 正義感が強くて、優しくて、でも少しだけ不器用な、そんな大好きな人の未来を壊すわけにはいかない。彼の将来を潰したくない。


 神様は、とても残酷だ。

 願いは確かに叶えられた。


 わたし一人が屋敷に幽閉されることになり、ユリウスは責任を負うこともなかった。

 恐らく生死を彷徨っている間に、なんらかの形でお父様にわたしの出生の秘密が知られたのだと思う。だからお父様はわたしを穢れた娘だと言い放ち、部屋に閉じ込めた。


 あの事件がどう処理されたのかは分からないが、アストール家は関わっていないことになっている。きっと全て、神様のいたずら。わたしの願いを叶えるために、ユリウスを守るために、神が仕組んだこと。


 でも……その結果、わたしがユリウスに嫁ぐことになるなんて。


 ……神様は、本当に残酷だ。

 きっといまも、すぐそこで見ている。


 この深紅の髪をもつ男に、組み敷かれたわたしを。


「クライド様。あなたは……わたしが怖かったのですか?」

「……ほう。同じ状況においやられて、思い出したか」


 強いアルコールのせいなのか、急に記憶が戻ったからなのか分からないが、頭がガンガンと響くように痛む。気を抜けば意識を手放してしまいそうだ。しかし、今はこの男の前で弱みを見せてはいけない。


「ああ、そうだ。怖かったよ。君があの日のことを思い出して、公爵に真実を話せば私は終わりだ。だからどうにかして君を手に入れて、消す必要があった。そのために私がどれだけ犠牲を払ったか」


 そんなことをしなくても、事件の真相が表に出ることなどもうなかったのに。だってそれが、わたしの願いだから。


「わたしを殺したら、全てをなかったことにできると?」

「どうだろうな。ユリウスは黙っていないだろうが、あれももうリーベの人間だ。今さら蒸し返して、アドルフ大公に迷惑をかけるようなことはしないだろう」


 それはユリウス本人にしか分からないが、神様が見ているとしたら、きっと彼にとって不利な状況にはならないはず。なら、わたしに出来ることはひとつ。


「あなたがわたしを殺して、全てをなかったことにできるなら、受け入れます。その代わり、わたしの死にユリウスは関わっていないことを証明してください」

「己の命よりも、弟をとるか」


 彼の未来を壊したくない。それが、6年前からのわたしの願いだから。


「面白い女だ。正直、殺すのが惜しいよ」

「早くしないと、ユリウスが戻ってきますよ」

「そうだな。君が泣き叫んで、命乞いする姿を見られないのが残念だ」


 ギラギラと鋭く輝く銀色のナイフが目前に迫る。刃に映り込んだ自分の顔に、表情はなかった。


 これで終わる。

 ユリウスを解放してあげられる。

 もうわたしのことは、忘れて。


 ぎゅっと目を瞑った。


 黒に染まった世界はとても静かで。

 聞こえるのはクライド様の息遣いだけ。


 このまま襲い来る頭の痛みに任せて、意識を手放してしまおう。

 ……そう思ったのに、途切れかけた思考は強引に引き戻された。室内に響き渡った、轟音によって。


 それは、何かがぶつかり、壊されるようなけたたましい音。


「なっ!?」


 驚きと動揺を含んだクライド様の声が、すぐ近くで聞こえた。同時に、素早く床を蹴るような足音が近づいてくる。

 失いかけた意識をなんとか繋ぎとめて、重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。黒の世界に白い光が差し込み、やがてそれは赤へと変わる。


「なん、で……」


 信じられなくて、信じたくなくて、カラカラに乾いた口から声がこぼれた。目に映ったのは、わたしの願いとは程遠い光景。


「ユリ、ウス……?」


 ぽたり、と赤い雫がわたしの胸元を濡らし、白い服にじわじわと染みが広がっていく。クライド様が振り落としたはずの銀色の刃は、大好きな人の左手によって受け止められていた。


「あの時も、こうすればよかったんだ」


 力強く刃を握ったユリウスの手から、ぽたぽたと鮮血が滴り落ちていく。


「そうすれば、君を傷つけずに済んだのに」


 血のにおい。ユリウスの。

 彼が傷つくことなど、望んでない、のに。


 神様、どうして――


 疑問に答えてくれる者などいるはずもなく。

 どうか夢であってほしいと、薄れゆく意識の中でただひたすらに願った。



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