20 懐かしい友(ユリウス視点)
馬の背に跨り、街中を進んでいく。緑の多い街並みはとっくに通り過ぎ、今は建物が溢れ返る中心街に差し掛かっていた。
俺は今、騎士団の本部へと向かっている。一昨日、兄に言われた要件を片付けるためだ。
オルテアを残して行くことに不安はあるが、体調が万全ではない彼女を連れ出すわけにも行かず、今回は一人旅になった。
「エルマをつけてきたから、大丈夫かと思うが……」
小さく溜め息を吐き出して、手綱を握りなおす。
屋敷から王都の中心街にある騎士団本部までは、馬車で約1時間、騎馬でも片道30分はかかってしまう。人通りの多いこの場所では、ほとんど速度が出せないのが原因だ。
早めに屋敷へ戻りたい気持ちはあるが、今は我慢するしかないだろう。
それにしても――
「あれは最低すぎた……」
ひとりになると思い出してしまう。一昨日の夜、彼女にしたことを。
どうしてあの様なことをしたのか。そう聞かれたら、抑えきれなかったと答えるしかないだろう。
傷痕を目にして、指先で触れた瞬間、獣が鎖を引きちぎって逃げ出したかのように、己の中の黒い感情が溢れ出した。
とっくの昔に、檻の中に閉じ込めて沈めたはずなのに、自分でも気がつかないうちに、獰猛な獣に育っていたらしい。
「やはり俺にも、あの兄と同じ血が流れているか」
彼女に再会した瞬間から、己に課した鎖なんてとっくに壊れているのだ。
6年ぶりに会ったオルテアは、とても儚げで、触れただけで折れてしまいそうで、初めて出会ったころの印象とは少し違っていた。でも時折見せる、ぱっと花が咲いたような明るい笑顔は、少しも変わらない。
おまけに年を重ねた分、少女のような可愛らしさと大人の色気が入り混じって、とても――……そう、とても魅力的なんだ。
「……何を考えているんだか」
激しい自己嫌悪に陥る。こんな時に、あの滑らかな白い肌を思い出しているなんて。
大きな溜め息を重ねて、やっと見えてきた騎士団本部の入り口へと向かった。
馬を停め建物に入ると、中では慌ただしい人の流れが窺える。非常時でもないのに忙しないこの雰囲気は、2年前に退団した時と何も変わっていない。
多少の懐かしさを感じながら通路を歩き出したところで、急に呼び止められた。
「……ユリウス? ユリウスじゃないか!」
隊服を纏った栗色の髪の男が、大きな声で名前を呼びながら近づいてくる。見覚えのあるその顔に、ぽろりと言葉がこぼれ落ちた。
「エド?」
「ああそうだ、エドワードだよ! 久しぶりだね、ユリウス!」
バンバンと遠慮なく俺の肩を叩きながら言ったのは、エドワード・ロンス。騎士団在籍時代の同期だ。
俺は目つきの悪さゆえ、初対面の相手には距離を置かれがちなのだが、この男は違った。持ち前の明るさで、入団初日から話しかけてきたのだ。
それからは友人のような関係にあったが、2年前に退団した日以来会っていない。
「君が突然騎士団を辞めて姿を消したから、本当に驚いたんだ。一度アストール家の邸宅も訪ねてみたけど門前払いにされてしまったし、そうこうしているうちに変な噂は流れるし。ああ、もちろん僕は信じていなかったよ?」
相変わらず、よく喋る。俺が何も言わなくてもひとりで喋り続けるのは、昔から変わらないらしい。
「そんな君が、今度はリーエンベーグ大公の後継になるときた。もう驚きを通り越して呆れたね。騎士団を辞めた理由は、リーベに行くことになったからなんだろう?」
腕を組みながら首を傾げてみせるが、こちらの返答を待たずにさらに話を続ける。
「しかも2年ぶりに王都に戻ってきたと思ったら、お次は盗賊退治。いやぁ見事だったね。あの死体、どれも急所を一撃だ。まったく君らしくて、ぞくぞくしちゃったよ」
「エド、その辺にしてくれ。急いでいるんだ」
彼の長話に悪気はないのは知っているが、これ以上道草を食うわけにはいかない。
仕方なく静止の声を上げると、エドワードは心底残念そうに肩を落とした。
「残念だけど僕も職務中だから、今日はあきらめることにするよ。それで、こんなところに何をしに来たんだい?」
やっと本題に入れそうで、ほっと胸を撫で下ろす。受付まで行く予定だったが、もうこの男に頼んでしまってもいいだろう。
目的を伝えてみると、エドワードは考え込むようなそぶりを見せた。
「……ふむ、おかしいな。襲撃事件についての聞き取りは、後日こちらから再度出向くことになっているはずだけど」
予想外の返答に、まじまじとエドワードの顔を見返す。
「どういうことだ?」
「どうもこうも当日君の屋敷を訪ねた際に、白髪の執事に言われたんだ。今は事件の直後で余裕がないから、5日後に再度来てほしいと。事件の担当者は僕だから間違いないよ」
ぞわっと、悪寒に似た何かが背筋を這い上がった。全身の毛が逆立つのと同時に、一瞬にして血の気が引く。
――まさか、
「ユリウス? 何かあったのかい? 急に顔色が――」
青い顔で動きを止めた俺を見て、エドワードは訝し気に問いかける。しかしその声すら届かないほどに、頭の中では大きな警鐘が鳴り響いていた。
「エド、悪い、俺の勘違いだったみたいだ。今日は帰る」
「え? あ、うん。じゃあ約束通り3日後にまた行くから、よろ――」
最後まで聞かずにその場を後にする。来た道を引き返して、駆け足で馬に乗り込んだ。
「くそっ、やられた!」
湧き上がる怒りのままに馬の腹を蹴ると、俺の焦りに呼応するように走り出す。
一時でも、あの男を信用したのが間違いだった。そういう奴だと知っていたのに。
恐らく湖での襲撃自体が囮で、初めから俺とオルテアを引き離すことが目的だったのだろう。この瞬間のために、兄はわざわざ盗賊をけしかけたのだ。
オルテアと別れてからすでに1時間近く経っている。ここからどんなに急いでも、屋敷に着くには30分はかかるだろう。
「最悪だ」
市街を抜けるまでは、どうやっても速度は出せない。だが、のんびりしているわけにもいかない。
逸る気持ちを抑えることもせず、騎士団の門を飛び出した。