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17 幼き日の記憶



『オルテア、今から私が言うことをよく聞くのよ』

『はい、お婆さま』


 しわの刻まれた指先でわたしの手をそっと握り締めながら、ひとりの女性が話し出す。その真剣なまなざしに、小さな手でぎゅっと握り返した。


『神様はね、一生に一度だけなんでも願いごとを叶えてくれるの』

『ねがいごと?』


 こてりと首を傾げたわたしの質問に、お婆さまは大きく頷く。


『そうよ。ほとんどの人はね、小さな頃に細やかなお願いごとをしてしまうでしょう? 例えばほら、甘いお菓子をおなかいっぱい食べたいだとか、かわいいぬいぐるみが欲しいだとか』


 子供であれば誰でもする、当たり前のような願い。それをひとつひとつ並べていく。


『神様はその人が初めて天に願ったことを、一度だけ必ず叶えてくれるの。だから、神様への願いごとは大切にとっておきなさい』


 これは、わたしの記憶。

 頭の奥底に仕舞い込んだ、幼い頃にお婆さまと交わした約束。


 絶対に叶えてほしいことを見つけたときに天に願いなさい、とお婆さまは言っていた。

 どうして今、この会話を思い出したのか。何か大切な意味が……?


 ゆっくりと瞼を押し上げる。見えてきた天井は、見慣れた彼の部屋。


「……夢?」


 懐かしい夢を見た。6年前のことは全く思い出せないのに、幼い頃の記憶の断片を拾い上げるなんて。


 わたしはもう、一生に一度の神様への願いごとを使ったのだろうか。お婆さまの言っていたことが本当かは分からない。けれど、もし今願うのだとしたら、ユリウス様のそばでずっと平和に暮らしたいな……


 真っ暗な部屋で、薄ぼんやりとランプに照らされている天井を見つめながら考えていると、ふと違和感に気づく。


「あれ、どうしてわたしこんなに汗をかいて――あ!」


 やたらと服が身体に張り付いて気持ち悪いと思ったら、全身が汗にまみれていた。その現状にやっと昼間の出来事を思い出す。


「そうだわ……湖で襲われて、それから熱を出して……」


 その後の記憶は曖昧だが、どうやら無事にアストールの屋敷まで戻ってきたようだ。なんとなくだが、お医者様らしき人に身体を触られて、薬を飲んだ記憶がある。


 あれからもう何時間も経ったのだろう。時計の針はもうすぐ日付を越えようという頃合いで、今が夜も深い時間だということが認識できた。


「ユリウス様、今日は別の部屋で寝ているのかしら」


 室内には自分ひとり。いつも彼が寝ているソファはもぬけの殻だ。


「それにしても、気持ち悪い……」


 熱のせいで、相当な量の汗をかいたようだ。服も湿っているし、できれば身体を拭いて着替えたい。

 しかし、こんな時間にエルマさんを呼ぶのも気が引ける。夜当番のメイドなら起きているだろうが、部屋にはエルマさん以外は入れないように言われているため、それも難しい。


「……よし、ひとりでなんとかしよう!」


 ぐっと拳を握りしめ、ベッドから立ち上がる。すぐ近くの机に置かれていたお水をごくりと飲み干し、浴室へと向かった。


 ひとりでの入浴は困難ではあるが、不可能ではない。この左手は力は入らないけれど、軽いものならば持つことはできるのだ。


 なんとかなるだろう、そう意気込んで約1時間、やっとのことで浴室から出られた。


「疲れたけど、さっぱりできてよかったな」


 一人でも着られるような、頭からすっぽり被るネグリジェをエルマさんが用意してくれたので、着替えは楽だった。


 しかし、大変なのはここからだ。水を吸って重たくなった、この長い髪の毛をどうにしかしなくてはならない。

 ある程度は浴室で水を絞ってきたが、それでも毛先から水が滴り落ち、今も床を濡らしていた。


「浴室も汚してしまったし、あとで謝らないと……」


 そう呟いた瞬間、カチャッという鍵を開ける音が聞こえて、扉が開く。

 部屋に入ってきた人物は、浴室の扉の前で茫然と佇むわたしを目にして、ぴたりと動きを止めた。それから驚いたように目を見開いて、一言。


「……起きてたのか?」


 慌ててこくこくと頷く。首を振ったことで、さらに雫が床へと落ちていった。


「ひとりで風呂に入ったのか?」

「はっはい。こんな時間なので……ごめんなさい、ユリウス様のお部屋を汚してしまいました」


 まさか部屋の主人が戻ってくるとは思わず、慌てて謝罪する。ユリウス様はこちらへとまっすぐ歩いてきて、わたしの顔を覗き込んだ。


「部屋は掃除すれば済むことだが……体調は?」

「熱はもう下がったので大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

「いや、よくなったのならいい」


 安心したように口元を綻ばせる。なんだか今日は、彼の笑顔をたくさん見ている気がする。とても贅沢な日だ。

 嬉しくなって、ついつられて笑みを漏らす。そんなわたしの耳に、予想外の言葉が届いた。


「ほら、拭いてやるから座ってくれ」



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