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11 お出かけの準備



「湖……ですか?」

「ええ。この屋敷の裏手から続く森林の先に、湖があるんです。よろしければ、気分転換に行ってみてはいかがですか?」


 登城した日から、もう10日ほどが経つ。リーエンベーグ領への出立の時期はまだ決まらないらしい。

 もうしばらく退屈な毎日が続くかと思いきや、なんだかんだで充実した日々を過ごしている。


 エルマさんは毎日のように話し相手になってくれるし、ユリウス様も鍛錬のとき以外は殆ど部屋にいてくれる。


 さらに最近は日課に犬の散歩が増え、アストール邸の庭の中をユリウス様とふたりで歩くようになった。本当は敷地の外まで行きたいのだが、わたしの体力では、犬を連れて外を駆け回るのは無理があると嗜められてしまった。


 否定できなかったので大人しく頷いたが、旦那さまは少しばかり――いや、だいぶ過保護なようだ。最初の頃に比べて、特にここ最近は拍車がかかっている気がする。


 そんな状況なので、わたしの行動範囲はいまだにアストール邸の敷地内だけだったのだが、見かねたエルマさんが湖に遊びに行ってみてはどうかと提案してくれたのだ。


「あの……旦那さま」


 ひらひらと夜風に揺れるカーテンのそばに置いた椅子に腰かけて、ソファへと視線を向ける。わたしたちの会話が聞こえていたのか、開いていた本から顔を上げたユリウス様が口を開いた。


「行きたいのか?」


 行きたい。単純に外に出たいという気持ちもあるが、それ以上にふたりでデートというものがしてみたかった。わたしだって一応、そういったものに憧れはあるのだ。

 こくこくと首を縦に振ると、ユリウス様は考えるようなそぶりを見せたあと、分かった、とだけ頷いた。



 あれから2日後、万全の準備を整えたわたしは、今にも踊り出しそうなほどのわくわくとした気持ちを押さえて、屋敷のロビーにいる。

 絶対に無理をしない、体調が悪くなったらすぐに帰る、という条件付きで湖デートが決まったのだ。


 ユリウス様はエルマさんに頼んでおいたお弁当を取りに行くと言って、厨房へ向かった。彼が戻ってきたら、いよいよ出発だ。


 早く来ないかと廊下の先を見つめていると、待ち人よりも少し暗い色をした赤が目に入る。あの深紅の髪は――


「クライド様、おはようございます」

「おはよう、オルテア嬢。今日は出掛けるのかな?」

「はい。森林の先にある、湖まで行ってきます」


 にこりと笑いかけられて、本日の予定を口にする。


「なるほど。だからそんなに不思議な格好をしていたのか」


 わたしの頭からつま先までをじっくりと目で追って、クライド様は腕を組みながら納得したように頷いた。

 この人が不思議な格好と言ったのには訳がある。今日のわたしは、一見したところ男装と思われるような出で立ちをしているからだ。


 上は男物の長袖のシャツに、下は足首が見えるくらいの長さのズボン。ヒールのない歩きやすい靴を履いて、長い髪の毛は襟首の辺りでひとつに纏めた。もちろん、この格好には理由がある。


 屋敷から湖までは馬車が通れるような道がないため、徒歩か騎馬で行くしかないらしい。徒歩は体力的にも無理があるが、わたしは馬に乗ったことがない。そのため、今回はユリウス様と同じ馬に乗せてもらうことになった。


 スカートでも馬には乗れるが、歩き回ることも想定して、このような格好になったのだ。


「その服……見覚えがあると思ったら、ユリウスが以前着ていた服か」

「分かるのですか?」

「分かるよ。他人の服装や髪型の変化に気づくのは得意な方なんだ。弟がよく着ていた服だから覚えている」


 クライド様の言う通り、いま着ているものはユリウス様が学園の中等部に通っていた頃に着ていた服だ。スカートしか手持ちがなかったわたしに、「これなら残っているが……」とクローゼットの奥から引っ張り出してきてくれた。


 中等部と言えど、その頃にはすでに今のわたしの身長を軽く超えていたようで、袖やスボンの裾、それから襟元など、どうしても大きすぎる部分はエルマさんが手直しして、なんとか着ることができた。


 ユリウス様は新しい服を買うと言っていたが、わたしはこれがよかったので、無理を言ってエルマさんにお願いしたのだ。


 快く引き受けてくれたエルマさんとは反対に、ユリウス様は複雑そうな顔をしていた。それは服のお直しが終って試着した際も同じで。始終眉間にしわを寄せて、いつもの怖い顔でずっとわたしを見ていた。


「似合っているよ。可愛い……というよりは、元気いっぱいなお嬢さんという感じだけれど」

「ありがとうございます。ユリウス様は何も言って下さらなかったので、やっぱりわたしには合わないのかと思っていたのですが……」

「はは、弟は素直じゃないからね。好きな女性が自分の服を着ていたら、男は誰でも喜ぶものだよ」


 クライド様の言葉に、一瞬思考が停止する。


 ――好き? ユリウス様が、わたしを?


 たしかに大切にされているとは思う。けれどもそれは、わたしが成り行きで彼の元に嫁いだからで。噂とは違って本当はとても優しい人だから、そういうふうに扱ってくれるだけで……


 王城に行った日から疑問に思っていたけれど、どうしてわたしはアストール家に買われたのだろう。

 妙な噂の立ってしまったユリウス様に、自ら嫁ぎたいという女性が現れる可能性は低い。そのため、女を金で買ったのだと思っていた。果たしてそれは真実なのか。


 そもそも、どうしてそんな噂が広まってしまったの……?


 思考の渦に飲み込まれかけていたわたしを、クライド様が掬い上げる。


「それじゃあ私はそろそろ行くから。湖、楽しんできて」

「――あ、はい」

「それと、気を付けてね」

「気を付ける?」

「最近は、いろいろと物騒だから」


 そう言い残し、クライド様は自室のある方へと歩いて行ってしまった。

 残されたわたしは、入れ違うようにやってきたユリウス様を目に留めて、何故か張りつめていた空気ががほどけていくような安堵感を感じた。



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