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1  再会



 一定間隔でリズムを刻む蹄の音に合わせて、コトコトと馬車が揺れる。窓の外で通り過ぎていく風景を、ただぼんやりと眺めていた。


 道ゆく人々の声は活気に満ちていて、聞こえてくる会話につい耳を傾けてしまう。昼下がりの穏やかな風が街路樹の葉を揺らし、軒先の下に植えられた可愛らしい花々は、目に留めただけでみずみずしい香りが漂ってきそうだ。


 ここはブルトニア王国の首都、イグリス。荘厳に佇む王城を中心に栄えるこの都市は、古き都と言われるくらいに昔ながらの様式を模した建物が並んでいる。


 楽団でも来ているのか、遠くの方からは微かに楽器の音色が聞こえてくる。陽気な音の連なりとは反対に、わたしの心はひどく凪いでいた。


「不安かい? オルテア嬢」


 ゆっくりと首を傾けて、向かい側に座る人を見上げる。耳の下辺りまで伸びた深紅の髪に、切れ長の灰色の瞳。優し気な微笑を浮かべた同乗者と、ばちりと目が合った。


「クライド様、その質問はいささか愚問ですね。あなた様の弟君に嫁ぐ者が、不安を抱かないでいられると思いますか?」


 このブルトニア国内でも有数の大貴族、ヴィトランツ公爵家の次女。それが、わたしことオルテア・ヴィトランツだ。


 わたしは本日、目の前に座る深紅の髪を持つ男――クライド様の実の弟である、ユリウス様のもとに嫁ぐ。クライド様は古くから続いているアストール侯爵家の嫡男で、今日はどうしても外せない用事のあったユリウス様の代わりに迎えに来たらしい。


「たしかにオルテア嬢の言うとおりだ。しかしそのわりには、平然としているようだけど?」


 珍しいものでも見たような言い方だ。微笑を浮かべてはいるけれど、この人の視線はどうにも苦手に感じる。あまり感情が読めない。


「いまは家から出られた開放感の方が勝っているので、怖いという気持ちはあまりないのです」


 6年前に己の身に降りかかった悲劇のあとから、わたしは実家の屋敷で幽閉生活を強いられていた。しかし今回アストール家への輿入れが決まり、約6年ぶりに外に出ることができたのだ。


「なるほど。弟は少し変わっているが、噂ほど酷いやつではないから安心してほしい。いざとなったら私が盾になるよ」


 夫となるユリウス様は、悪い意味で有名人だ。過剰な加虐嗜好をお持ちで、お付き合いをした女性を何人も廃人に変えてきた、そんな噂がある。真相は分からないが、火のないところに煙は立たない、というのが現実だろう。


「はい、頼りにしています」


 にこりと作った笑顔を貼り付ける。

 弟を放置している時点で、この人も信頼はできない。しかし、いざというときの避難所があるかないかでは、心の持ちようが大違いだ。


 この先どんな現実が待ち受けているのか想像もできないけれど、わたしには残虐非道と言われる侯爵令息のもとに嫁ぐしかなかった。それが、ヴィトランツ公爵――お父様が、傷モノになったわたしの捨て場所として選んだ道だったから。


「それにしても、こんな森の中にお屋敷があるのですか?」


 会話をしているうちに、いつの間にやら随分と郊外まで来ていたようだ。

 気づけば道を行く人々の声は聞こえなくなり、木々の生い茂る小道を進んでいた。周囲に建物のないちょっとした森のような場所だが、道はきれいに整備されている。


「先々代の当主が狩猟好きでね、いつでも鳥を狩れるようにこんな場所に家を建てたらしい」


 苦笑しながら話すクライド様から視線を離し、窓の外を見る。葉擦れの音に混じって、歌うような鳥のさえずりが耳をくすぐり、わたしのふわふわとした癖のある長い黒髪をそよ風が揺らした。

 息を大きく吸い込むと、青々しい葉の匂いが鼻孔に広がる。


「素敵な場所ですね」

「中心街から離れすぎて少し不便ではあるけど……たしかに、悪くはないかな」


 見えてきた大きな門を潜り抜け、それからまたしばらく進みようやく馬車が止まった。広い庭は植木や花壇よりも、きれいに刈り込まれた芝が大部分を占めている。


 先に降りたクライド様が手を差し出してくれたので、拒否するのも失礼だと思いそっと右手をのせた。


「お気遣い、ありがとうございます」

「礼を言われるほどのことではないよ」


 切れ長の瞳が細められ、美しい顔が綻ぶ。整った顔立ちのせいか、笑っているのにどこか刃物のような冷たさを感じてしまう。

 手を引かれるままに屋敷の扉へと歩き出すと、途中でやってきた使用人が、わたしの鞄を抱えて後ろから付いてきた。


 ここにきて、胸の奥がざわざわと落ち着かない。

 アストール家の屋敷に入ったら、もう二度と外に出られないなんて話も聞く。自分で思っている以上に、恐怖心があるのかもしれない。


 不安を押し殺すように胸に手を当て息を整えていると、扉の向こう側から焦りを滲ませた男性の声が聞こえてきた。


「落ち着いてください! オルテア様はじきに参られます……!」

「なら俺が迎えにいく」

「迎えなら既にクライド様が――」


 声が近づいてきたと思ったら、そのまま勢いよく扉が外側へと押し開かれる。


 急なことに反応できず扉にぶつかりそうになったわたしの手を、クライド様が横に引いてくれたおかげでなんとか回避できた。しかしそのせいでバランスを崩し、クライド様にぴったりと寄り添う形になってしまったけれど。


 屋敷の中から現れた人物は、驚いたような表情で大きく目を見開いて、わたし達ふたりを見ていた。その黒曜石のような深く輝く黒い瞳に、わたしのエメラルドブルーの瞳が映り込んでいる。


 耳に掛かるくらいの短い髪は金色が混じったような赤で、まるで夕日が沈む直前の空のようだ。身長はクライド様よりも僅かに高く見えるが、顔立ちはどこか似ている。


 鮮やかな赤から目が離せなくなっていたわたしは、頭上から聞こえた絞り出されたような声にやっと我に返った。


「ユリウス……?」


 クライド様の声に自分を取り戻したのは目の前の人物も同じだった。ユリウスと呼ばれた男は、茫然とわたし達を見ていた顔を一変させてこちらを睨む。


 ――この怖い顔をしている人が……わたしの夫になる、ユリウス様?


 人を殺せそうなほどの鋭い視線が、全身に突き刺さるようだった。恐怖からか、心臓がどくどくと嫌な音を立てる。

 動けなくなってしまったわたしの隣で、クライド様が僅かに動揺を含んだ声で言った。


「何故、おまえがここに……」

「何故? そいつは俺の嫁になったんだろ? だから迎えに来た」


 さも当たり前のことのようにユリウス様が答える。確かに言っていることは間違いではない。むしろ正しい。しかしどうしてか、ふたりの間にはピリピリとした空気が流れていた。


 少しでも動いたらこちらに火の粉が飛んできそうな緊迫感が漂うなか、隣からくつくつと喉を震わせるような笑い声が聞こえてくる。


「ふっ……くくっ、……そうか、わざわざ来たのか」


 わたしの手を握っているのとは逆の手を顎に当てて、ふむ、と納得したように呟いた。


 いったいなにが「ふむ」なのか全く分からない。説明を求めようと開きかけた口は、目の前から聞こえてきた地に響くような低い声によって遮られる。


「いい加減、離せよ」


 言うなりクライド様の手を叩き落とし、わたしの手首を掴む。そのままの勢いで引き寄せられ、今度はユリウス様の胸にぽすりと着地した。

 乱暴な動作とは裏腹に、ひとつひとつの動きはとても繊細で、しっかり抱きとめられたからか痛みはなかった。


「あ、あの――」

「縦と横、どっちがいい?」

「……え?」


 顔を上げたところで、黒曜石の瞳とぶつかる。質問の意味が分からず黙り込んでしまうと、眉間に寄ったしわがどんどん深くなっていったので、慌てて適当な答えを口にした。


「た、縦で……」

「縦だな。しっかり掴まってろ」

「え――……っ!?」


 次の瞬間お尻の下に両腕が回され、ふわりと身体が浮く。気づけば、子供をあやすような体制で抱きかかえられていた。


 ――縦ってそういうこと!?


 もし横と答えていたら、お姫様のように横抱きにされていたのだろうか。それはそれで恥ずかしいので、縦と答えて正解だったのかもしれない。どちらにしろ現状が最悪なことに変わりはないが。


「おっ降ろしてくださいっ!」

「黙ってろ」


 不機嫌そうな低い声はとても冷たく、大人しく言うことをきくしかなさそうだ。せめて落とされないようにと、言われた通りに目の前にある男の首に腕を回した。


「セルジュ、俺の部屋は使えるか?」


 ユリウス様の問いかけに、少し離れた位置に立っていた執事服を着た初老の男性が、一瞬クライド様の方へと視線を向けてから躊躇いがちに答える。


「……はい、いつでも利用できるように整えております」

「なら、そこに彼女の荷物を運んでくれ」


 そのまま返事を聞くことなく、ユリウス様は歩き出した。


 だんだんと遠ざかっていくクライド様に視線を向けると、その口角がゆっくりと吊り上がり、嘲笑うような低い声が紡がれる。


「今度は守ってやれるといいな、ユリウス」


 今のわたしには、その言葉の意味を理解することはできなかった。


完結まで毎日更新予定です。

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