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ホーラン伯爵

「パトレシア、この花なんだけど」

「マルカケドさま、この花には弱いけれと毒があります。触ってはいけません」

 パトレシアと呼ばれた榛色の髪の少女は、マルカケドから可愛らしい花を奪うように取るとゴミ箱にさっと捨てた。

「パ、パトレシア」

 マルカケドが情けない声を出している。


「マルカケド殿下、カワイソー」

 そう言いながらニヤニヤ笑う男の頭を俺は叩いてやる。パトレシアの長兄クライブで俺の数少ない友人の一人だ。

「いってなー。可愛いだろ、あの二人」

 まあな、一生懸命好意を伝えようとしているのに全く伝わっていない様を見るのはとても微笑ましい。

「で、マルカケド殿下が()()()()()の離脱を宣言したって?」

 研究で部屋に籠っているはずなのに何故かいつも最新の情報を知っている。

「ああ、それで大人たちは大揉めしている」

 この国には二人、王子がいる。

 第一王子の俺と五歳下の第二王子のマルカケド。どちらを次期国王にするか、それぞれの派閥が水面下で恐ろしいバトルを繰り広げている。本人の意思など無視だ。

「マルカケドがパトレシアと婚約したいというのも通らない状態だ」

 クライブとパトレシアの家は、第一王子・俺よりの中立派だ。マルカケドの派閥は繋がりを強固にしたいため、派閥の娘との婚約を望んでいる。

「まあ、それはパトレシアに思いを伝えてからで」

 それはそうなのだが。

「パトレシアの方はどうなんだ?」

 クライブはニカと笑った。

「パトレシアは興味のないヤツには見向きもしない」

 じゃあ、マルカケドは脈有りと見ていいわけか。

「だか、それが恋愛でとは限らない。お前は俺の友達枠で認識されてる」


 パトレシアはいわゆる天才だ。マルカケドと同じ十歳で植物に関して学者と同じ、いやそれ以上の知識を持っている。その知識をいかして、クライブたちと作物の収穫量を増やす研究をしていた。

 そして、マルカケドも天才だ。五歳も歳が離れているのに俺と同じ授業を受け、俺よりも習得が早い。俺も人よりは理解力が早い方だが、マルカケドはその上をいく。だから、五歳も歳が離れているのにマルカケドと王位争いをする羽目になっている。まあ、お互い王位など面倒臭いと思っているが。


「兄上、僕は植物研究所の所長になりたいのです」

 マルカケドが王位争奪戦から離脱するのはパトレシアのためだ。マルカケドが王になったら、王妃になったパトレシアはゆっくり植物の研究などしていられない。それが理由だ。

「パトレシアが植物の研究に打ち込めるように、兄上、研究所を建ててください」

 マルカケドが所長になる施設を俺が作る。兄弟仲が悪くないように見せられる。実際、マルカケドとの仲は悪くない。

「分かった、分かった。研究所名は?」

 この話は何回もしているから、答えも知っている。パトレシアか絡むと天才の弟もポンコツになるのが可愛い。

「パトレシア植物研究所」

「違うだろ、パトレシア・マルカケド 植物研究所 だ」

 ボンと赤くなったマルカケドの顔がある。

「俺はそれしかつけない」

 ギギギィと音がしそうな動きでマルカケドがお願いしますと頷いた。


 マルカケドはパトレシアとの婚約をもぎ取った。

 俺は中立派筆頭の宰相の娘を娶り、可愛い弟のために王になるために頑張っていた。パトレシアの名を出せば、マルカケドの協力を得られる。俺は強力な腹心を手に入れたも同然だった。


 ある年、国に渡り人が来た。渡り人とは、偶然異世界からやって来る者のことだ。今回の渡り人は若い女性だった。カオルという名の黒髪、黒目の魅惑的な美女。

 俺は宰相の娘との間に一女を授かっていた。十七歳のマルカケドは愛しいパトレシアと()()婚約中だった。

 王太子の座は俺に決まりつつあったが、その渡り人で全てが狂い始めた。


 渡り人は恵みをもたらすと伝えられている。過去にこの世界に現れた渡り人は算術を教え、治水を整備し、下水道を整え、医学を発達させ、より豊かな生活になるよう様々な知恵をもたらした。魔法という不思議な力を自在に操る者もいた。

 だが、この国に来た渡り人はごく普通の人のように思えた。


 渡り人が来た年、収穫量が例年の倍近くになった。パトレシアたちの研究で出来た薬を前年使ったが、成果は出なかった。この年はその改良品を散布してあった。その成果が出たのだと、俺もマルカケドも思った。翌年はそれ以上の収穫量があった。持続効果を狙った薬でもあったため、数年様子を見ることになっていた。


 国には研究内容を随時報告はしてあった。だが、効いているのか効いていないのか分からない薬よりも恵みをもたらすという渡り人のほうが宣伝効果が高く分かりやすかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()

 この国に『実りの聖女』がやって来た


 その二つ名に飛び付いたのはマルカケドを支持する派閥の者たちだった。すぐに婚約者を渡り人に変えるべく動き始めた。

 だが、それはマルカケドが断固拒否している。

 渡り人は…、その二つ名を戸惑いながらも喜んでいた。恵みをもたらす存在でなかったことに落ち込んでいたようだ。そんな渡り人には悪いが、俺はパトレシア(くすり)の成果であると伝えた。やっぱりなーと渡り人は納得したが、国王を筆頭に『実りの聖女』として彼女を祭り上げてしまった。

 可哀想に…。


 そして、事件が起こってしまった。

 マルカケドは隣国へ外交に行っていた。俺は、王都から少し行った街で騒動があり鎮圧に行っていた。

 王宮で行われたお茶会で、渡り人に毒が盛られた。犯人は渡り人を殺すつもりだったのだろう、報告書にあったのはかなり強い毒の名前だった。その場にパトレシアが居たから、渡り人は助かった。植物の知識があるパトレシアは、渡り人の症状から毒を特定し解毒剤を早々に作ることが出来た。

 だが、犯人はパトレシアとされた。パトレシアが婚約者の地位を守るための自作自演だと。


 俺は国王にもう一度調べ直すように何度も進言した。パトレシアは犯人ではない。それにもしパトレシアの自作自演なら、もっと弱い毒にするはずだ。解毒剤が間に合わず死んでしまったらもとも子もないのだから。

 国王は俺がパトレシアの無実を訴えれば訴えるほど、俺の関与も疑うようになった。俺がパトレシアと渡り人の相討ちを狙ったのではないか、と。何故、そんな疑いをかけられるのか分からなかった。

 渡り人もパトレシアが犯人ではないと国王に伝えていた。お茶会でパトレシアは近くにいなかった、毒を仕込めるはずがない、と状況も正確に伝えてもいた。

 渡り人の証言も意味を成さず、パトレシアは犯人として処刑された。国に戻ったマルカケドの目の前で。


 国王は俺の力を削ぐように俺を支持する者たちに厳罰を与だした。もう俺に王になる力はない。

「クライブ」

「我慢しろ。今、何かしても負けるだけだ」

 妹を殺されて悔しいはずのクライブに止められる。

「それにお前、マルカケド殿下と戦うのか?」

 俺が今奮起すれ(たて)ば、旗頭にされるのは弟のマルカケドだ。マルカケドとは戦いたくない。それにそもそ王になろうと決めたのはマルカケドとパトレシアのためだった。


 義父になる宰相からも諌められた。

 今事を起こしても勝機の欠片もない。悪戯に国内を荒らすだけだと。

「殿下にはしていただきたいことがあります」

 国王は罪人(パトレシア)が作り出した物を使わないと決めた。実りの聖女がいるのだから必要ないと。

「パトレシア嬢の研究を続けてほしいのです。あれはいずれ国のためになります」

 それは、マルカケドのためになるだろうか?


 俺は臣籍降下させられ、ホーラン伯爵位と不毛の大地を授けられた。俺は禁足も命じられ、国王の許可がないと領地から出られないことになった。


 領地に赴く前日にマルカケドが俺に会いに来た。憔悴した様子が痛々しかった。俺はパトレシアを助けられなかったことを謝ることしか出来ない。

「兄上、僕は許せない」

 マルカケドは口角を上げながら俺に言った。その目は笑っていない。

「だから、王には兄上がなって。僕はパトレシアを見殺しにした民も許せない」

 背中に寒気を感じながら、俺はあれだけは伝えないといけないと思った。

「渡り人はパトレシアが犯人ではないと言った。パトレシアが毒を入れるはずがない、と」

 マルカケドは驚いた顔をしながら、そうと笑った。

「兄上、しばらく我慢してて」

 

 宰相から書類が届く。パトレシアの家族をホーランで保護すること、マルカケド王太子命でホーラン領内でパトレシアの研究を続けること。ホーラン領だけパトレシアの種と薬が使うことが許された。


 ホーラン伯爵になって五年経った。宰相からの手紙で国内の収穫量が目に見えて落ちてきたのがわかる。パトレシアの薬が切れたのだ。実りが戻ることはない。

 やはり、渡り人は実りの聖女ではなかった。祭り上げられた彼女は可哀想だが俺には何もすることが出来ない。

 収穫量が落ち、物資の不足に伴い物価が上がっていく。貧困が広がり、不平不満が増えていく。

 不穏な噂が飛び交うようになった。


『聖女暗殺未遂事件は、聖女の自作自演』

『王太子殿下は収穫量を増やすやり方を知っているのに教えない』

『実りの聖女は偽者』

『王太子はお金がないから税金を上げようと考えている』

『聖女は買い物ばかりしている』

『王太子の剣は血に染まっている』


「面白いことになってんぞー」

 クライブの言葉に俺は眉を寄せる。民が奮起し内乱が起きそうになっているのに、何が面白いのだ。

「匿名で食料が配られているらしい」

 ほぉー、奇特な人もいるものだ。

「民はお前だと思っている」

 俺はびっくりした。そんなことをする余裕などまだない。

 ホーランの地は貧しかった。最初、パトレシアの研究が続けられるか心配するほど貧しかった。領内で消費できない余剰分を他国に売ることで潤ってきているが、まだ何も出来ないほど貧しかった。


「カラクリが分かった」

 同じように領内から出れないはずのクライブが情報を持ってくる。本当にどうやって仕入れてくるのやら。

「お前の宰相(おやじ)さんが聖女が買ったモノを売って食料に換えている」

 実りの聖女である渡り人は、どんな高価な物でも三日もすれば飽きると噂されている。その飽きた物を宰相が売って食料に。

 なら、何故匿名で? 国の、国王の名で行えばよいのに?


「大変だ! マルカケド殿下と聖女が処刑される!」

 クライブの情報に俺は慌てて馬に跨がった。禁足など守っていられない。クライブも追いかけてくる。

 王都の広場に着いた時、マルカケドと渡り人は首を晒されていた。民が物を言わなくなった首に向かって石を投げている。怒りと憎しみを込めて。だが、それは間違っている。

 彼らは八年前のパトレシアの処刑の時から間違えている。

 俺は声を張り上げた。


 二人の遺体を丁寧に棺に納めると俺は城に向かった。

 城は閑散としていた。

 刃向かう兵がいたが、目に見えて分かるほど装備が悪かった。

 玉座に向かうと、国王が気怠そうに座っていた。

「残ったのはお前か。お前が新しい王だ」

 被っていた王冠を俺に投げ捨てると部屋を出ていってしまった。 

 俺は新しい国王になった。

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