2話.眠りの神子と目覚めた王子
「レイ、入るよ」
ルカは返事を待たずに部屋へと入った。
部屋には高価な調度品が置かれており、その全てが純白だった。しかし、部屋には明かりが一切つけられておらず、薄暗かった。
部屋の奥へと向かうルカ。
立ち止まったルカの目の前には、真っ白なレースがふんだんに使われた天蓋のついたベッド。そのベッドには一人の少女が眠っていた。
「やあ、レイ。今日も変わらず可憐だ」
”レイ”。フルネームをレイチェル・サピュルス・カサブランカ。
510年前、竜人の力を受け継いだ、元公爵家の令嬢。
レイチェルは”祝福の神子”と呼ばれる存在で、祝福の神子とはその国に安寧をもたらす者、と言われているが、詳しいことは知られていない。ただ、祝福の神子は必ず二人現れ、5人から8人の”花の騎士”と呼ばれる神子を守るための騎士が選ばれると言われている。
「レイ。ギルが起きたよ。ヴィンスは、まだ目を覚まさない」
ルカは、レイチェルの眠るベットの端に足を組んで腰掛ける。
レイとルカは、リーリウム王国の歴史書にもある通り”いとこ”という間柄だ。ルカの母とレイチェルの父が兄妹。二人は幼い頃から仲が良く、その仲の良さは学園でもほとんどの学年の者が知っているほどだった。
二人の仲の良さには、理由があった。それは、二人が”転生者”である為だった。
◇◇◇
ルカ。フルネームを、ルカ・キュアノス・ハイドランジア。
ハイドランジア辺境伯家に生まれたルカは、彼女の父であるセドリック・キュアノス・ハイドランジアが病によって急死し、弟妹も十歳以上離れていることから、十五歳という若さでその領地と爵位を継いだ。リーリウム王国は〔第一子が女で、弟と十歳以上離れている場合のみ、女も領地・爵位を継げる〕という法があるため、女の身であるルカも父から継ぐことが出来た。
ルカは三歳の時、酷い高熱で十日間眠り続けた事がある。
その時、ルカは思い出した。
自分の前世のこと。
再び生を受けたこの世界が、〔祝福の神子と花の騎士〕という乙女ゲームの世界であることを。
前世では〔紫藤 瑠香〕という名だったルカ。ルカには、〔有間 絵梨〕と〔百合根 澪〕という友人がいた。瑠香は澪と特に仲が良かった。
3人は共通して〔祝福の神子と花の騎士〕をプレイしたことがあり、特に絵梨がこのゲームが好きだった。
ある日、3人は通り魔に遭ってしまう。最初に襲われたのは瑠香だったが、澪が瑠香をかばい、澪は即死。通り魔は再び瑠香に襲いかかり、澪の死に動揺していた隙をつかれて刺され、死亡。二人とも即死だった為、絵梨がその後どうなったのかはわかっていない。
”瑠香”が”ルカ”となった2年後。ルカは母方のいとこ、レイチェル・サピュルス・カサブランカに会う。
ルカとレイチェルの二人は会った瞬間、目を見開いて固まり、そして理解した。
「この子は澪だ」「この人は瑠香なのだ」と。
二人は会うたびに、自分たちがなった人物について話し合った。
まず、ルカ・キュアノス・ハイドランジア。
ゲームでのルカは、父が死んで家督を継ぎ、学生にして辺境伯となった娘。友情ルートでのハッピーエンドが1つとバッドエンドが3つ。そして、全てのキャラクターをクリアすると百合エンドが解禁される。ルカはバッドエンドになりやすいキャラの為、バッドエンドにならないよう注意する必要があった。
次に、レイチェル・サピュルス・カサブランカ。
ゲームでのレイチェルは、所謂”悪役令嬢”。カサブランカ公爵家の令嬢で、主人公と同じく祝福の神子。甘やかされて育ち、わがまま放題。思い通りにならないとすぐに癇癪を起すため、婚約者であるギルバートには煙たがられ、「学園を卒業したら婚約を破棄する」と言われていた。ちなみに、この世界ではレイチェルとギルバートは婚約者ではない。そういう話もあったのだが、いつのまにか話はうやむやになり、破談になっていたのだった。ルカがその話をレイチェルに聞いたところ、「破談の理由は秘密です」と言われたそうだ。
レイチェルは、ほとんどのルートでギルバートに婚約破棄を言い渡され、祝福の神子の力を封じられて国外に追放される。ギルバートルートでは、主人公に心が傾いているギルバートに怒り、エレナに嫉妬して魔族となり、最後は身も心も全て魔族と成り果て、浄化の力で灰になって消える。
ルカに関しては、主人公に関わらなければバッドエンドにならない為、極力関わらないようにする、という結論になり、レイチェルに関しては、そもそもゲームでのレイチェルと性格が正反対だった為、大丈夫なのでは?という結論となった。
◇◇◇
前世から、ルカとレイチェルはとても仲が良く、他人が指摘するくらいには距離も近かった。互いに親友として大事に思っており、今世ではそこに身内としての情も混ざっている。
「澪、レイ…、レイチェル。私の大事な、大切な親友。君は、いつ、目覚めるのだろうね…」
ルカはレイチェルの手を取り、掌に口づけをする。
「早く、目覚めておくれ…」
レイチェルの手をそっと下ろし、レイチェルの金糸の長い髪を撫でるルカ。
レイチェルが眠り510年。ルカは毎日、朝と夜の2度、レイチェルの元を訪れるが、この日もレイチェルが目覚めることはなかった。
◆◆◆
ルカはレイチェルの部屋を出ると、今度はヴィンス——ヴィンセントの部屋へと向かった。
ヴィンセント・ベーリュッロス・リーリウム。
〔人狼〕の力を継承した、元リーリウム王国第2王子。兄弟の中では母の身分が低かった為、王位継承権は兄弟の中で一番低かった人物。
「ヴィンス、入るよ」
予想通り返事は無く、そのまま部屋に入り、ヴィンセントが眠るベッドへと向かう。
「ヴィンス…?」
ヴィンセントの眠るベッドには、誰もいなかった。
ルカは驚き周囲を見渡すが、誰の気配も感じない。
「だれッ……ッ!!」
ヴィンセントがいないことを伝えるためルカは「誰かいないか」と叫ぼうとしたが、背後から伸びてきた手に口を塞がれ、それは叶わなかった。
「……寝起きに、叫ばれるのは、頭に響く…」
耳元で囁かれた声は、久しぶりに聞く懐かしい声。
声の主がルカの口元から手を放すと、ルカは首を後ろへと向ける。すると、金の双眸と目が合った。
「ヴィンス」
背後にいた人物は、黒く長い髪に、金の瞳を持つ長身の青年。名を、ヴィンセント・ベーリュッロス・リーリウム。
「すまない…。寝起きで、誰の気配か、判断がつかなくてな。気配を絶っていた」
「なるほどねぇ」
「眠っている間のことは、俺の中の人狼が、教えてくれた。大体のことは、理解している、つもりだ」
「それは助かるね。なら、わからないことがあれば、いつでも聞いてくれ」
「ああ」
ヴィンセントは切れ長の目を細め、ルカの目を凝視する。
「変わらず、美しい目、だな」
「ありがとう。…人外となっても、視力は変わらないようだね?」
「…何度も言うが、眼鏡をかけるつもりはない」
「視界が悪くて困るのはヴィンスだろう」
「……困ってない」
この二人のやりとりは、二人が人であったときから何度も繰り返されているもので、ルカが「視力が悪いなら眼鏡をかけろ」と言うと、「眼鏡は好かない。かけたくない」とヴィンセントが返す。学生時代、二人を知るものは、「ああ、また始まった」と見ていた。
「…まあいい。ギルはまだ起きていると言っていた。ヴィンスが起きたことを報告するとしよう」
「わかった」
ヴィンセントはルカの言葉に頷くと、二人はその部屋を後にした。
◇◇◇
コンコンとリズムよく扉を叩くと、「誰だ」と短い言葉が返って来た。
その言とは「ルカだよ」と返すと、部屋の主——ギルバートは「入れ」と部屋に入る許可を出した。
「失礼するよ」
ガチャッと扉を開け、部屋へと入るルカ。
「どうかしたのか?」
ルカは入ってすぐの壁に寄りかかると、「ギルにお客だよ」と言った。
「客?」
「ほら、入りなよ」
ルカは廊下に向かって声をかける。
「!」
「…兄上」
「ヴィンセント!」
開け放たれた扉から入ってきたのは、ヴィンセントだった。
「二人も目覚めるとは思わなかったけど、結果としては上々だね。私としては、もう少し早く起きてほしかったのだがねぇ?」
にやにやと笑いながらそう言ったルカに、ギルバートとヴィンセントは「すまない」と返す。
「部屋に来るまでに、だいたいのことはヴィンセントに話してある。…こうして二人起きたんだ。レイがまだ起きないのが残念だが、数日中に町を統治している貴族を集めて、今後についての会議でも開こうか?」
ルカの言葉に、ギルバートとヴィンセントは「ああ」と頷く。
「じゃあ、集まるよう声をかけておこうか」
ルカはそう言うと、掌の上に魔力を集中させた。
「呼び声に応じよ。我が眷属たちよ」
ルカの声と同時に、掌の上に五匹の小さな蝶が作り出された。
五匹の蝶たちは真っ黒だが、羽はそれぞれ違う紋様だ。
〔〔〔〔〔お呼びでしょうか。ルカ様〕〕〕〕〕
蝶から聞こえてきたのは五人分の声。
「喜べ。我らが魔王、ギルバートと、その弟、ヴィンセントが目覚めた」
〔おお!〕
〔ようやくお目覚めになられたのですね!〕
三日月の紋様の蝶と、雪の結晶のような紋様の蝶が歓喜の声を上げる。
「以前から言っていた通り、二人を交え、数日中に話し合いをしたいと思っている。誰か都合の悪いものはいるか?」
ルカの問いかけに、都合が悪いと答える者はいなかった。
「では五日後、メンシスに集まってくれ。以上だ」
〔〔〔〔〔畏まりました〕〕〕〕〕
ルカの掌の上から蝶が消えると、ギルバートかルカに近づいた。
「今のは?」
「眷属には魔力を媒介にして伝達をすることができる。これのお陰で、毎回手紙を書かずにすんで楽になったよ」
ケラケラと笑うルカに、ギルバートは「そうなのか」と頷く。
「さて、話した通り話し合いは五日だ。それまでに話し合うことを整理しておこうか」
「...やはりお前が魔王の方が物事が早く進むのではないか?」
「嫌だね」
間髪入れずに嫌だと言うルカに、ギルバートは「はぁ」、と溜め息をつく。
「...ルカは、面倒が嫌いだ」
「なっ、おい、ルカ!?面倒だからって俺に押しつけるなよ!?」
「...さて、資料でも整理するかな」
「あ、おい!逃げるなルカ!!」
ギルバートは、足早に部屋を出るルカを追いかける。
ヴィンセントはその様子に「ふっ」と笑うと、二人を追いかけ部屋を出た。
更新遅くなりました。