アバディーン城のディレン隊 3
一息ついたところで。
「ミランダお嬢様」
ドアがノックされ、素早くセレナが立ち上がった。
「この声……うちの騎士かしら」
ミランダのつぶやきの後、セレナが小さくドアを開けた。警備用のチェーン越しに、年若い騎士が廊下に控えているのが見えた。
「こちらをミランダお嬢様にお渡しください。オルドラント公子クラート様からのお手紙です」
「クラート様から……ありがとう」
セレナがドアを閉め、ミランダは受け取った手紙を一旦、レティシアたちとは離れた位置で読んだ。
(クラート様から手紙? 別れたのはついさっきなのに……)
こちらに横顔を向けて手紙を読むミランダを見つめるレティシアは、そわそわしながら彼女の一挙一動を見守った。
「……なるほど、これは大きな番狂わせね」
ミランダはふうっと息をつき、緊張の面持ちで待つレティシアたちの所まで戻ると、手紙をテーブルに広げた。二人はタイミングを揃えてミランダが広げた手紙を覗き込んだ。
「……エヴァンス王子が出席しない?」
「これは……嫌な予感しかしないわね」
レティシアの素っ頓狂な声に、セレナも苦い声を上げた。
「どうして殿下が出席されないのでしょうか? 体調が優れないとか……?」
「……どうやら違うみたいよ」
クラートの手紙を指でなぞり、ミランダも表情を厳しいものに変えた。
「ここ見て。『白翼館』にて謹慎のため、王女お披露目会全日程を欠席する、とあるわ」
「謹慎?」
つまり、エヴァンス王子は何かをしでかしてしまったため、その罰として「白翼館」での謹慎を命じられたというのだ。
(でも、エヴァンス王子はつい先日まで、ティエラ王女の護送隊に加わっていた……私たちにも紳士に接してくださったし、突然の襲撃にも冷静に対応されたわ)
マックアルニー子爵館での襲撃事件は想定外だったが、ティエラ王女一行はもちろん護送隊やマックアルニー子爵関係者にもただ一人の死者を出すことなく、制圧することができた。黒幕とおぼしき大柄な男は取り逃がしてしまったが、これら全てがエヴァンス王子の責任だとは思えない。現に同じ指揮官だったクラートは夜会に出席が許され、ここしばらく名前は聞いていないがゲアリー・ベルツ子爵も謹慎を受けているとは思えなかった。
「失態をしたとなれば、この前の護送隊絡みになるのだろうけど」
セレナも同じことを考えていたのだろう。腕を組み、難しい顔でテーブル上の手紙を食い入るように見つめている。
「でも、殿下は責務を全うされていたわ。そりゃあ、子爵館はかなりの被害を被ったけれど、要人を死守するという本来の目的は完遂できたわ。情報の漏洩があったとはいえ、殿下やクラート様、ベルツ子爵の判断や行動に間違いはなかったと思うのだけれど」
「そうだよね……私もそう思ってた」
セレナと一緒にうんうん頷き合っていたレティシアは、ミランダにも意見を求めようと顔を上げた。
「どう思う?」と問おうとした格好のまま、レティシアは動きを止めた。
レティシアたちから一歩離れたところから手紙を眺めるミランダ。その眼差しは、決して温かいとか優しいとか、そういった雰囲気ではなかった。
何かを考えるような、思い出すような遠い眼差し。それでありながら赤茶色の目の奥には小さな炎が灯っており、複雑な思いや葛藤に耐えるかのように、ゆらゆらと踊るように揺らめいていた。
ミランダの周囲に不穏な空気が立ちこめたのは、ほんの数秒のことだった。
レティシアの気配に気付いたのか、ミランダは急にふっと怪しげな殺意を払拭し、大きく髪を振るうとテーブルに置いていた手紙をそっと奪った。
「……この件を一番最初に嗅ぎつけたのはオリオン。そこからクラートに話が伝わって、既にノルテにも知らせは行っているそうよ」
言い、ミランダはテーブルの隅に据えられていたタバコ用の灰皿を引き寄せ、その上に折りたたんだ手紙を翳して右手の指先を閃かせた。
ミランダの指先から吹き出した紅蓮色の炎が一瞬で手紙を飲み込んで燃やし尽くし、灰へと変える。
黒い煤がはらはらと灰皿に降り注ぐのを冷めた目で見つめ、ミランダはゆっくり一言一言噛みしめるように言った。
「エヴァンス王子の欠席は病欠として公表されるようよ……オリオンが気付いてくれて助かったわ。なにせ、今回の殿下の謹慎を言い渡したのは他でもない、父君のエルソーン王子殿下なのだから」
「エルソーン王子……」
リデル王国中で名を知らぬ者はいない、エドモンド王の息子、エルソーン王子。
「王太子候補」という微妙な立ち位置に存在する、狡猾な男。
(待ってよ。エヴァンス王子が謹慎処分を言い渡されたってことは、きっとエルソーン王子の不興を買ったってこと……つまり、ティエラ王女がアバディーンに無事に到着したっていうのは、やっぱりエルソーン王子にとっては好ましくない事態だった……?)
ティエラ王女がエルソーン王子にとっての目の上のたんこぶになるであろうことは、おそらく護送隊の誰もが思っていたことだろう。なにせ、ティエラ王女の王位継承権は確立されたも当然なのだ。
より優秀な血を受け継ぐティエラ王女が王太子になれば、当然エルソーン王子は失墜してしまう。
(ひょっとして、この前の襲撃事件自体も、エルソーン王子が仕組んでいた……?)
そして、それをエヴァンス王子が手引きした。
ちらと考えただけなのに、レティシアの背筋にぶるりと悪寒が走った。
もしその予想が当たっているならば、エヴァンス王子もまた、反ティエラ勢力側の人間だったことになる。エルソーン王子の息子ということで当初は警戒していたが、真摯な態度と人柄、職務遂行の様子から徐々に彼に対する警戒を怠っていたのは隠しようもない事実だ。
そして、そのことはおそらくレティシアのみに限らず多くの人物が予想したことであろう。
そっと周囲を窺うと、セレナも困惑の眼差しをミランダに注いでいた。
「ミランダ様、そうなればエヴァンス殿下はエルソーン王子に……」
「セレナ、皆まで言わないでちょうだい」
いつになく厳しい声で制され、セレナはぐっと言葉に詰まったように沈黙した。
ミランダはそんなセレナを憂いを帯びた眼差しで見、続いてレティシアに視線を移した。
「もちろんレティシアもよ。私たちがここでじたばたしても仕方のないこと。エヴァンス王子の欠席は覆ることはないし、私たちがこの事実を先立って知ったというのもほんの偶然に過ぎないわ。憶測でしかないことを軽々しく口にしてはならない。そうでなくとも、私たちは常人よりも深い真実――貴族社会の闇や裏の情報に通じてしまっている。言動だけでなく、思考にも気を配りなさい」
「……考えるだけでも罪に問われることがあるの?」
レティシアが小声で聞くと、ミランダは眉をひそめ、緩く首を振った。
「考えるだけなら、基本的に何やろうと自由よ。ただ、世の中には物騒であくどい魔法がいくつも存在する。それらの大半は『禁術』として、迂闊に使用することは許されないのだけれど、敵のいいように操られて、拷問で頭の中身を暴露させられる可能性だってゼロとは言い切れないわ。たとえ禁術を使わないとしても、既存の魔術をいくつも複雑に組み合わせ、重ね掛けすれば似たような効果を生み出すことは、理論上可能だから」
教科書の文言を口にしたかのようにあっけなく言うミランダだが、魔道理事会との関わりの強い彼女が言うだけあり、その効果は絶大だ。
レティシアはぶるっと身を震わせ、小さく頷いた。
「……分かったわ。そうならないように、気を付ける」
「……そうね、気を付けるっていうのが一番の防護策になるわね」
ミランダは徐に灰皿を持ち上げ、黒い炭になった手紙の燃えかすをじっと、目を細めて眺めた。
「精神崩壊系の呪いは、防護膜などでも防げる。でも一番の砦になるのは、受ける側の精神力なのよ。心身共に健康であり、敵に屈しない強い意志を持っていれば大抵の精神作用系魔術は跳ね返せる。逆に言えば、体が丈夫でない人や心の脆弱な人、迷いがある人は術者が予想した以上に魔術に掛かりやすくなるの。アバディーン王城だからってわけじゃないけれど……あなたたちも、敵の手に落ちないために、頭の中に入っている極秘事項を暴かれないために、心を強く持っていなさい。それと同時に、同じ志を持つ仲間が危機に陥らないように、守ってやりなさい。それが、ディレン隊としての一番の使命だと私は思うわ」




