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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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アバディーン城のディレン隊 2

 馬車は計五つの鉄門をくぐり、プラチナの枠で形作られた薔薇のアーチの前で止まった。馬車が入れるのはここまでで、アーチと馬車道を挟むように、両側には趣の違う庭園が広がっていた。


 向かって左側は綺麗に刈り込まれた芝生や生け垣、飴色の木で作られたウッディなベンチやパーゴラが理路整然と立ち並んでいる、落ち着きと清楚を兼ね合わせたようなデザインになっている。


 逆に右側は、冬薔薇を始めとした花が咲き乱れ、リンゴによく似た木の実が成る樹木が等間隔に立ち並び、藤の蔦絡まる白金製のガボゼが堂々と立っていた。さすがに今は雪が降っているので庭園に人の影はないが、天気のいい日はこのベンチやガゼボに貴婦人たちが集まるのだろう。


 左右の庭園を順に見比べるレティシアの視線に気付いたのか、同じように馬車から降りたクラートがこそっと耳打ちしてきた。


「左右の庭園はそれぞれ、王の庭と王妃の庭と呼ばれているんだ。こっちの清楚な方が王の庭。あっちの花がいっぱいある方が王妃の庭って言って、当代の国王と王妃の趣味に合わせて庭師が趣向を変えていくらしいんだ」

「そ、そうですか」


 レティシアとしては、クラートが教えてくれた情報はともかく、いきなり耳元に寄せられたクラートの口元と吐息、微かに香る香水の匂いの方に反応してしまった。


(クラート様、少し声が低くなった……?)


 今気付いたことに、レティシアはどきどき鳴る胸をそっと押さえた。

 ここしばらく、クラートと一対一で話す機会がなかった。だから改めて彼の声を聞いてみると、セフィア城で会話していた頃より一段階、声が低く、掠れているように思われた。


(おまけに、ちょっと目線が高いような……)


 セフィア城に来たばかりの頃は、クラートとそれほど身長差がなかったと思う。レティシアの身長の成長が早かったのもあるし、クラートが晩成型だったのが大きかっただろう。

 だがレティシアが気付かないうちに、クラートは少しずつ大きくなっていた。今やレティシアが見上げなければならない位置に彼の目があったし、声も低く掠れている。左右の庭を示す手の平も、前よりずっと大きくたくましくなっているようだ。


「エドモンド王の妃はずっと前にお亡くなりになっているけれど、王妃の庭園は未だ亡き王妃殿下のご趣味を反映していて、そこからも妃殿下の人気がにじみ出るようだね。……聞いてる? レティシア」

「え、あ、はい」


 喋るたびにいちいち耳朶を甘い吐息が擽るものだから、正直彼の話す内容は半分も脳みそまで届いていなかった。

 だが「聞いてませんでした」とも言えず反射的にコクコク頷くと、クラートは疑う様子もなく笑顔で「そうか」と言い、一向に先だってエントランスホールへの道を歩いていった。


 背後からミランダに促され、レティシアも慌てて皆の後について赤い絨毯の敷かれたエントランスへと小走りに向かった。

 やはりと言うべきか、セフィア城とは外観が違えば内装も違う。あの鹿爪らしい無機質な灰色の壁面も、財政難を表すかのような古びた絨毯も、実用性第一の地味な魔具も見あたらない。


 エントランスに入った一行を出迎えるように目の前に「どーん」と佇むのは、幅広の階段。大型の馬車二台が並んで通れそうなくらい横幅があり、二階までは真っ直ぐ階段が伸び、そこから先は踊り場ごとに緩い螺旋を描きながら三階、四階まで続いているようだ。階段の手摺りには緻密な細工が施されており、磨かれた真珠のように艶やかに輝いている。

 床に敷かれている絨毯も、外にあるものと違って内装仕様らしく、ブーツのヒール部分まですっぽりと包まれてしまうくらい毛足が長い。さらに猫の毛のように柔らかく量が多いので、毛が長いからといって躓く心配もなさそうだ。


 天井からぶら下がっているのは、形だけ見ればいわゆる古典的なシャンデリアだが、このエントランスホールは一階から六階近くまで吹き抜け式になっているので、シャンデリアも六階の天井から下がっている。それを一階から仰ぎ見ていても相当なサイズであることが分かる。おそらくこのシャンデリアも、形だけを似せた魔具なのだろう。

 実用重視のセフィア城ではディナー皿を伏せたようなシンプルな型の照明しか見たことがなかったので、古さと新しさを融合させたシャンデリア型魔具は、かえってレティシアにとっては斬新な一品に思えた。


 クラートたちについて階段を上がっていても、目に入ってくる新しいものにレティシアはいちいち敏感に反応し、そのたびに足を止めそうになった。だがここはリデル王国の王城。自分たちは招待された立場であり、しかも周囲には使用人たちの目がびっしり配置されている。粗相でもすればクラートたちの名誉に泥を塗る結果になってしまう。


(す、すごく触ってみたい……)


 二階フロアの廊下に据えられた花瓶は、花を生けたままくるくると踊るように回転していた。花もぽんぽんと一定間隔で花瓶から跳ね上がっており、何ともいやはや、とにかく、触りたい。どういう造りなのか、奪い取ってセフィア城に持って帰りたい。手がうずうずする。


(いやいや、しないけど! ……したいけど)


 さすがに王城据え置きの品を窃盗するほど気は触れていない。

 触りたい欲望をぐっと堪え、レティシアは努めて前を向き、自分の前方を歩くオリオンのつむじを必要以上に睨み付け、ふかふか絨毯道を歩いていった。










 レティシアたちが通されたのは、王城別棟五階客間だった。

 アバディーン王城は四つの棟に分かれており、最初レティシアたちが通ったのが「鷲頭館」と呼ばれる主館。夜会が行われる会場や王の執務室もここにあり、王城の心臓部分に当たる。

 鷲頭館を三角形の頂点として、他の二点となるのが「両翼館」と呼ばれる棟。東側を「白翼館」と言い、国王一家が暮らす居住区になっている。棟丸々一つを占領するが、現在暮らしている王族はそう多くない。遥か昔、王族の一夫多妻制が認められていた頃は複数の妃が暮らす女の園となっていたらしく、現在もその名残で広い面積を取っているとか。

 そして西側は「黒翼館」と呼ばれ、国内の有力貴族や爵位保持者、夜会に招かれた貴族たちが寝泊まりする客間が用意されている。よってレティシアたちが今回通されたのもこの「黒翼館」である。


 ちなみにもう一つの棟は、三角形の底辺の位置にある「後尾館」で、使用人や騎士の居住区となっているらしい。この棟だけ、遠目から見てもよく分かる特有の尖塔を持たず、他の三つの棟に埋もれるような形になっている。

 一見地味だが今までそれで苦労したことも困ったこともなく、むしろ使用人の寝泊まり場所を隠せるので逆に都合がいいのだとか。


 「黒翼館」と名は付いているが、ただ単に東側の「白翼館」と対象を為すための名であり、別に建物が黒塗りだとか日が差さないとか、そういった傾向はなかった。

 レティシアがたち寝泊まりする部屋は「エステス伯爵令嬢一行」と札が掛かっているだけあり、やたら面積があり調度品も無駄に多い。ここでも、貴族の「無駄」精神が生きているということだろうか。


「あらま、これってランスター地方名産のガラス細工じゃない。久々に見るわねぇ」


 「無駄」な調度品と「無駄」に広い部屋に萎縮するレティシアとセレナを差し置き、ミランダは壁際の棚に歩み寄り、ひょいとばかりに陳列されていたガラス細工を手に取った。


「ランスターのガラス工芸は目を瞠るものがあるわね。ガラスは金属よりも魔法への干渉が大きいから魔具にはしにくいけど、これはこれで芸術品として一見の価値があるわね」

「……さすがミランダは、堂々としてるね」

「まあ、伊達に何年も貴族の令嬢やってないからね」


 レティシアのつぶやきにもミランダは堂々と言い返し、ランスター産のガラス細工を元に戻してどっかりとサテン地のソファに腰を下ろした。


「そんなところに突っ立ってないで座ったら?」

「でも、私たちはミランダ様の侍女役なのでは……」

「それはよそでの話。今は周囲の目もないんだし、のんびりすればいいんじゃなくって?」


 ミランダに指摘され、二人は渋々ながらミランダの向かいのソファに腰を下ろした。


 ちなみにこの部屋には現在、ミランダが言ったようにディレン隊の三人しかいない。

 クラートとレイドは「オルドラント大公家公子一行」として別の部屋に通され、ノルテは「バルバラ王族」として、遅れてやって来る姉女王と一緒の部屋に入るらしい。

 またオリオンは男爵家とはいえ兄が謹慎中の身なので、「黒翼館」最下階の一般騎士詰め所に入れられたとか。普通の貴族の子息ならばあんまりな扱いに憤慨するだろうが、おおらかで形式張るのが苦手なオリオンはカラカラと笑い、「俺はそれで十分有難いや!」と意気揚々と詰め所に歩いていったのだ。


「今はこうやってくつろいでいて構わないけど、一歩廊下の外に出たら完璧な侍女として振る舞ってもらうわ。もちろん、興味があるからってそこら辺のものに触れてもダメよ」


(……ばれてました)


 そっと視線を反らすと、ミランダは敢えてレティシアの挙動をスルーしてふかふかのソファの上で細い脚を組んだ。


「これは宿でもさんざん言ってきたことだけど、復習ね。夜会が始まれば、あなたたちは私の侍女として行動してもらう……その際、私たちがセフィア城のディレン隊だということは一旦よそに置いておかなければならないの。もちろん、振る舞い的な意味でね」

「つまり、クラート様やノルテが話しかけてこられても、私たちが受け答えしてはならないのですね」

「そういうこと。むしろ私も、クラートたちとは初対面のように接するわ。周囲の他の貴族からすれば、私たちが仲間同士だなんて情報はどうでもいいことだから。ここでは仲間内でベタベタするのではなくて、あくまでも貴族同士として、薄っぺらい交流をしなくてはならないのよ」


 「薄っぺらい交流」の箇所をやや棘のある言い方をし、ミランダは続けた。


「だからあなたたちは基本黙っていてもらわないといけないの。逆に、会場係の使用人や騎士が私に話しかけようとした時には、まずあなたたちが対応してね。貴族相手だと話をするのは私だけど、相手が使用人や騎士の場合はまず、侍女が応対するのが基本なの。侍女が用件を受けてから、それを主人に伝える。ここだけはしっかり掴んでおいてね」

「……分かったわ。もしクラート様たちが私たちに声を掛けても、絶対受け答えしちゃいけないのね」

「いけないというか……まあ、そんなことはあり得ないでしょうけどね。それと、私たちディレン隊の中でも身分の高低があるわ。一番上がもちろん、王家の血筋も汲んでいるクラート公子。次がバルバラ王国王女のノルテで、伯爵令嬢一行の私たちが一番下になるわ。当然、私がクラート様やノルテに話しかけられたらこの序列に従って謙った態度で接するから、あなたたちもそのつもりでいてね」

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