アバディーン城のディレン隊 1
穏やかな川の流れのごとく、時は緩やかに過ぎていった。
暦は冬の月の半ば。一年で一番寒い時期であるが、もう数十日すればカレンダーが一枚めくられ、「春の月」の新年を迎えることになる。
大聖暦では、雪が解けて木々の新芽が顔を出す春を一年の始まりとしている。この寒さを乗り越えれば、暖かな新年がやってくるのだ。
温帯気候に位置する王都アバディーンも、宿の窓の外は真っ白な世界が広がっていた。しんしん降り積もる雪に興奮する子どもたちの声が、ここまで響き渡っていた。
「さて……いよいよ明日、僕たちも王城に上がる」
毎日恒例となった、夜のディレン隊会議。宿で行われる最終会議はクラートたちの部屋で行われた。
クラートが今言ったように、明日の朝には宿を出るため荷物の大半はまとめられて部屋の隅に押しやられていた。
「お披露目会は十日近く行われる。ティエラ王女の王太子就任式が行われるのは最終日になると、連絡があった」
「つまり、その日まで王女が無事でいればいいんだな」
「そういうことだ。そして向こうに着いたら、僕たちは四手に別れることになる」
レイドの言葉に頷いてから、クラートは右手の指を四本立てた。
「まず、僕はオルドラント公国関連者として、二階への登場を許されるはずだ。おそらくそこで、ティエラ王女やエドモンド陛下、エルソーン王子とも会う機会があるだろう。レイドは二階には上がれないだろうが、廊下で待たせておく。そしてミランダはレティシアとセレナを連れて一階で挨拶回りをする。オリオンは会場付近の警備兵として巡回して、ノルテは……」
「姉さんから一報入ったわ」
クラートの言葉を引き継いでノルテが言った。
「姉さんはバルバラ女王だから常に二階にいるそうよ。で、私は王女として一度、姉さんについて国王陛下たちに挨拶する機会がもらえるってさ。その後はミランダたちと一緒。一階で自由にさせてもらうわ」
「……となっている。僕たちの大半は参加者兼会場警備役になるのだが、その他の大半の出席者は単純に式に出ているだけの一般人だ。何かあったとしても、無関係の客人を巻き込んではいけない」
クラートの言葉に、皆一斉に神妙な顔で頷いた。
「一階止まりのわたしたちにできることっちゃ限られてるけど、最悪の事態にならないようにフォローすればいいってことね」
「それと、私たちも賓客なのだから存分に夜会を楽しまないと」
ノルテに続いてミランダも言い、並んで座るレティシアとセレナを見つめてきた。
「あなたたちもよ。当然、城に上がるなんて初めての経験だろうけれど、これから先、登城する機会がゼロとは限らないわ。社会勉強として行くのももちろんだし、華やかな王城を思う存分満喫しないと損よ」
「そ、そうね……」
ミランダの指摘にコクコク頷きつつも、レティシアは貼り付けたような笑顔しか返せなかった。
伯爵令嬢として何度も王城に招かれたことがあるだろうミランダは気軽そうに言うが、レティシアは王城はおろか、王都に入るのでさえ今回が初めてだったのだ。
パーティー、といえばセフィア城の交流会程度しか経験のないレティシアが、いきなり大陸最大国家の王城開催の夜会に参加するのだ。いくら侍女役としても、とてもではないが「思う存分満喫」できそうにもなかった。
「……私は、両脚で立つことでさえ精一杯になりそうです」
「大丈夫だってば。このミランダ様にお任せなさい」
隣のセレナも自信なさげに言うが、それさえミランダは軽く受け流した。
それもあまりにも堂々と言い切るものだから、レティシアとセレナは顔を見合わせて深く、ため息をつくしかできなかった。
「……とにかく。夜会開催中はどうしても、単独行動が多くなるだろう。今のように、全員で顔を合わせて作戦会議をするのも難しくなる」
レイドが腕を組んで、ディレン隊を見回した。
「俺の方から多く言うことはない。ただ、何があろうと自分たちの職務を忘れてはならん。そして……たとえ場がアバディーン王城だとしても、ディレン隊としての責任を胸に刻んでおくように」
隊長の言葉に、レティシアはしっかりと頷いて両膝の上の拳を固めた。
(これから……行くんだ。アバディーン王城に……)
窓の外には、相変わらず冷え冷えとした冬景色が広がっていた。
そして、白く埋め尽くされた街並みの遥か彼方――ここ、西外区から見て東の方角に、雪を被った王城の輪郭がぼんやりと映って見えた。
もうすぐ、あそこに行くのだ。アバディーン王城へと。
翌日の昼前に、レティシアたちが泊まっていた宿の表に立派な天蓋付き馬車が到着した。周囲の一般市民の注目を浴びるそれは、アバディーン王城から召喚された迎え用の馬車らしい。
やはり、ディレン隊一行の中にオルドラントの公子やらバルバラの王女やら伯爵家令嬢やらが入っていることが大きいのだろう。御者やドアマンは貴族の仲間にはもちろん、意外なことにレティシアたちにも丁寧な物腰で接してくれた。
「いやー……あそこまで至れり尽くせりだと、逆に引いてしまうね」
動き出した馬車の中で、レティシアはぼやいた。
ティエラ王女護送隊の時のように平民出は粗末な扱いをされると思いこんでおり、自分で荷物を運ぼうと持ち上げた瞬間、脇からひょいと御者が荷物を奪って荷台に載せてくれた。挙げ句、車内に上がる際にも恭しく傅かれてタラップを下ろされるものだから、何かの演出なのかと疑ってしまったのだ。もしくは、レティシアがタラップに乗った瞬間に底板が抜けて、笑い者にされるとか。
だがそんな心配は見事杞憂に終わり、お姫様扱いのままレティシアたちは馬車に乗せられ、馬車は雪の道を王城へ向けて走りだしたのだ。
「だいたい、あれくらいの段差でタラップ下ろされても困るんだけど。だって、下ろされるのを待つよりも飛び乗った方が早いじゃん」
「……合理的に考えればそうだけれど、私の侍女役だってことを忘れないでね」
そう言うミランダは当然ながら、お嬢様扱いは慣れっこなのだろう。先ほども、大変自然な仕草で御者のエスコートを受けていた。
「基本的に貴族ってのは、無駄や手間を好むの。時間の無駄とか手数が掛かるとか、そんなこと二の次。いろんな無駄をすることで自分の振る舞いや態度に箔が付けば、もうそれだけで十分なのよ」
「その『無駄』には時間だけじゃなくって、お金も入るのね」
「……痛いところを突いてくるけど、そういうことよ」
レティシアのずばずばした指摘にミランダは苦く笑い、テーブルの隅でシュンシュン音を立てながら蒸気を出す魔具を見やった。
「……この魔具、初めて見たわ」
「さっきから湯気を出してるね。これ、魔道暖炉?」
「多分違うわ。だって触っても温かくないもの」
ミランダに促されて触れてみるが、確かに熱は籠もっていない。魔道暖炉であれば、どのような質のものであれ触れれば熱を感じる。
だがこれはぺたぺた触ってみても、むしろひんやりとしており発される蒸気も冷気を纏っている。
「……何の意味があるの?」
「加湿器じゃないかしら。ほら、そろそろ乾燥する時期だし」
レティシアの向かいで本を読んでいたセレナが言う。
彼女は本に栞を挟み、魔具の頭頂部から吹き出す霧に手を翳した。
「この前街の魔具屋さんに行ったじゃない。その時私、お店にあったカタログを読んでみたのだけれど、この冬最新型ということで魔道加湿器ってのが載せられていたのよ。確か、フォルトゥナ公国の魔道理事会員考案だとか」
「フォルトゥナの、ねぇ……」
セレナの説明を聞き、ミランダの妖艶な顔に深い皺が刻まれた。
「私はあの大公がいけ好かないから嫌いなんだけど……まあ、魔具制作の才能は認めてあげてもいいわね。さすがに私も、加湿機能のある魔具ってのは思いつかなかったから」
「魔道理事会にも派閥があるってこと?」
あからさまに嫌悪感を出すミランダ。「認めてあげてもいい」発言。
よほどの確執があるのだろうかと思ってレティシアが聞くと。
「まあね。大元は一つの固まりだったんだけど、ほぼ同時期に複数の会員が同じ魔具を提案すれば、そりゃあ喧嘩にもなるわね。というのも、うちもかつてフォルトゥナと発案がダブったことがあってね。公国との衝突を避けたいってことでお父様が折れたのだけれど、それからうちとフォルトゥナは不干渉。同じ魔道理事会ってことで何かあれば連携するけど、まあうちの領民が人質にされたとか、そうでもなければあんな所と手を組みたくないけどね」
「魔道士にもいろいろあるのねぇ」
それまで黙って魔道論議に耳を傾けていたノルテがやんわりと意見を述べ、魔道加湿器の噴霧口に指を突っ込んで遊びながらぼやいた。
「てか、ミランダでも知らなかったような魔具を馬車に搭載しているとか、アバディーンってどんだけ金があるの、って話よね。ちょっとくらい分けてくれてもいいのに」
「アバディーンはセフィア城への教育的支援は惜しまない方だけど……まあ、そこはさすが王都、ってところじゃないかしら」
ほら、とミランダは重いベルベットのカーテンを引き上げ、馬車の窓を明らかにした。
セレナとレティシアで結露した窓ガラスを拭うと――ミランダ以外の三人は、見えてきた光景にあっと息を呑んだ。
静かに降り積もる純白の雪。その雪に彩られた尖塔と、城壁。目玉焼きのような王都の中央にそびえる王城は他の区域より数段海抜が高く、先端の尖った山のように盛り上がっていた。
レティシアが知る「城」とはセフィア城だけだったが、アバディーン王城はセフィア城と全く趣が違った。セフィア城は灰色の石を組み合わされており、全体的に角張っていて平坦な造りをしていた。
一方のアバディーン王城は。
城を囲むように渦状に城壁が張り巡らされているので、上空から見ればロールケーキのように見えるだろう。尖った建物のないセフィア城とは違っていくつもの尖塔を抱えており、天高くそびれるそれらは、馬車の窓からでは全て見納められないくらい堂々としていた。
レティシアたちが今、馬車で通っているのはロールケーキの生地のような城壁の間を通っている馬車道。生クリームの位置にある王城を守るようにぐるぐる巻かれている城壁だが、真南の方角のみ、生地をさっくり切ったような真っ直ぐの馬車道が引かれているのだ。その他の方角は迫り立った崖のような急斜面になっているのに対し、南側だけは傾斜が緩やかになっており、馬車でも登りやすくなっていた。
だからといって、誰でも気軽に王城には入れるわけではない。南側の馬車道を上がる際、城壁と交差する位置にはその都度城門が取り付けられ、衛士が馬車の紋章と御者の通行手形を検めることで扉が開き、次の関門まで進むことができるようになっていた。
これこそ「時間と金の無駄」になるのだろうが、王城のセキュリティのためには致し方ないことなのだろう。
「……でもこれ、うちの竜騎士団だったら全部上空からスルーできちゃうよね」
「ノルテ、それ言っちゃダメよ」
ノルテとミランダの小声でのやりとりは、レティシアが思わず上げた声でかき消されてしまった。
「うわぁ……すっごい大きな門! あ、開いた」
「見て、この先にまた門があるわ……一体いくつあるのかしら?」
「あっ、あそこにいっぱい兵士がいるよ」
「そっか……渦巻き型の城壁の間には、こうやって衛士の詰め所が点在しているのね」
「はっはぁ……さすが王都ね」
レティシアとセレナは窓辺に張り付き、流れゆく城門の風景にきゃっきゃと声を上げていた。
目に入るもの全てが真新しく、その場もこれからの使命も忘れ、思わず興奮してしまうのだ。
「あ、今の兵士さんあくびしてたよ」
「お勤めご苦労様ってことね。これから夜会が始まるし、眠れてないのかも……」
「そりゃいけないわ……お勤めご苦労様ー! でもちゃんと寝てよー!」
さすがに窓は開けられないので、ガラス越しにレティシアは叫んだ。おそらく件の兵士には声は届かなかっただろうが、馬車道を警備する他の兵士たちはカーテンを開けて何か叫ぶレティシアを見、意外そうな眼差しでこちらを見返してきた。
「……不思議な一行だと思われたでしょうね」
そう呟くミランダだが、口調は優しい。
「……思い出すわ。私も子どもの頃、初めて王城に上がった頃はあなたたちと同じような感覚だったわね」
「……私たち、子どもと同じレベルだった?」
はっとしてレティシアとセレナが振り返るが、ミランダは笑顔で手を振った。
「そういうわけじゃないわ。美しいもの、新しいもの、壮麗なものを見て興奮する気持ちって、とても大切だと思うわ。私は……あれから何度もここに来すぎたから、もう興奮なんてできなくなったもの。だから、城を見て素直に興奮できるあなたたちの感性と若さが……今はすごく、羨ましいわ」
そう言って、緩く微笑むミランダ。
その横顔は、貴族社会という世知辛い世界を生き抜いてきた、本物の令嬢の切なさを映しているようだった。




