作戦会議 3
「……此度、アバディーン王城でティエラ王女のお披露目会が開催されることになった。その名の通り、エンドリック王子の娘として貴族社会に立つことになり――いずれ王座を継ぐだろう王女の名を、ここで正式に全国中に知らせる役割を持っている式典だ。むろん、リデル王国中の貴族を招待する予定になっている」
「実はその件でも今日、実家で話があったの」
ミランダの発言に、クラートも軽く頷いて彼女の言葉を促した。
ミランダはクラートに軽く頭を下げ、すらりとした脚を組んで仲間たちを見渡した。
「もちろん、隠された王女の公表会だとは知らされてないけどね。『国を挙げての祭典が行われるので、エステス家当主も参加のこと』っていう旨の手紙が届いたそうよ」
「ミランダだけではない。リデル王国で爵位を持つ貴族や上層階級の商人、騎士なども多数呼ばれるだろう」
そしてクラートは、隣のレイドから紙の束を受け取った。きちんと折りたたまれたそれを広げると、何かの部屋の見取り図のようなものが姿を現した。
「これは、アバディーン城の大ホールの見取り図。ホールは二階構造になっていて、ダンスホールは一階で、二階は王族などごく一部の限られた人のみが立つことになっている。ティエラ王女が夜会で上がるのはもちろん二階。それも数日間行われる会の中のわずかで、ここの迫り出したベランダ席から一階の客に向かって挨拶することになっている」
クラートが細い指で辿ったのを見れば、一階ホールはほぼ円に近い形をしており、二階は半月型で一階の五分の一ほどの面積。半月の弧の部分が一階の形に添うようになっていて、一部ぽこりと前に飛び出した部分がある。王族が顔出しする時にはここに立ち、階下の貴族たちに姿を見せるようだ。
「二階に上がれる貴族はほんの一握り。おそらく……ノルテ、君の姉上はその中に入っていると思うんだけれど」
クラートに話を振られ、オリオンとレイドに挟まれるようにしてちょこんと座っていたノルテは小首を傾げた。
「うーん……姉さんからは何とも連絡がないから知らないけど、一国の女王となればそりゃあ、貴賓席に招かれるわね。それで、多分わたしは一階止まりだろうね」
「おそらくそうなるだろう。ちなみに僕は今回もまた父上の代理として行く予定だから、二階への参上を許されている」
言い、クラートは腕を組んで仲間たちを順に見た。
「つまり……二階へ上がれるのは僕。一階はノルテとミランダで、その他は残念ながら、招待されることはないだろう」
「オリオンも行けないの?」
思わずレティシアの口から言葉が出てしまった。
レイドたちが目を瞠る中、オリオンはそんなレティシアに緩く微笑みかけ、軽く手を振ってきた。
「確かに俺はブルーレイン男爵家の落ち零れだが、現男爵の兄貴はオルドラント侵攻の罪で謹慎中だ。そんな兄貴に招待状が送られるわけないし、そうなりゃ俺が行く義務も発生しない。むしろ、犯罪者の弟ってことでとばっちり受けることなく、こうやってお付きの騎士としてやってけるだけ、俺は嬉しいよ」
オリオンの口調はいつも通り明るく、レティシアを責め立てる様子は微塵もない。
そんなオリオンの気遣いが、レティシアを静かに戒めてきた。
オリオンが実家の失態を軽視しているはずがない。たとえ兄男爵と不仲だったとはいえ、男爵家の信頼と名誉は地に落ちたようなものだ。オリオンが今、こうして監視の目もなく気楽にやっていけるのは、オリオン自身の誠実さゆえでもあり、クラートに従ってティエラ王女護送の重任を見事こなしてみせたためであろう。
だから、オリオンの負い目を抉るような発言をしてはならなかった。
無言で項垂れるレティシアの背中をそっとさするのは、セレナの手か。
クラートはそんなレティシアをしばし目を細めて見つめた後、話を続ける。
「……そういうわけで、ここにいる者のうち、招待されるのは三人だけになる。そして……エドモンド陛下はこの夜会でも、僕たちに一役買ってほしいとおっしゃった」
クラートの言葉に、部屋にそれまでとは違う緊張の糸が張りつめた。事情を知っているだろう、レイドやオリオンも背筋を伸ばし、神妙な表情でクラートの言葉を待っていた。
レティシアもセレナの手をぎゅっと握って顔を上げ、きりりと眉を寄せたクラートの顔に見入った。
「先ほども言ったようにエドモンド陛下は、僕たちがアルスタット地方からアバディーンまでティエラ王女を無事に護送したということで僕たち――ディレン隊を信頼してくださっている。そして……今回の夜会の最終日、陛下はティエラ王女を正式に王位継承者に据えるおつもりなんだ」
クラートの発言に、女性陣は大きく息をついた。エンドリック王子の実弟エルソーン王子が王位継承候補者になるかならないかで、水面下で話題になっているのが今日の状況だ。
そんな中、「候補者」という段階を越えて、いきなり政界に姿を現した女性が王女として認められ、さらには王位継承者として――王太子として任命されるのだ。
「それは、エルソーン王子への牽制……むしろ決定打を打つため?」
静かにミランダが問い、他の面々も緊張の面持ちでクラートに見入った。
彼女の発言は、ともすれば不敬罪として一発投獄になりかねない事態だ。だからこそ、ミランダは大きな責任を持って今の発言をしたのだろう。彼女の目には揺らぎや、躊躇いの色はなかった。
クラートはそんなミランダを澄んだ目で見つめ、ゆっくり肩を落とした。
「……僕の推測では、陛下はミランダの予想通り、エルソーン王子が王太子となる可能性を抹消するおつもりなのだろう。ティエラ王女の件についてはエルソーン王子の耳に入っている。だから王子がティエラ王女を抹殺しようとするのも、十分に考えられることだ。今のアバディーン王城は完全な警備態勢の上で王女一家を護衛している。だが王女の存在が明るみに出て、大勢の貴族諸侯が長期に渡って城に滞在するようになる夜会期間中は、王女の身の安全に対する危険性が強くなってしまう。だが逆に言えば、王女が王太子として立ってしまえばこちらのものだ。王太子暗殺はただ事では済まないし、下手すればエルソーン王子にとっても不利な事態を招きかねない」
熱を持ってクラートは言い、マグカップを持つ手にぎゅっと力を入れた。
「つまり僕たちに課された任務というのは、ティエラ王女が無事に立太子するまでお守りすることだ。エルソーン王子だけじゃない。リデル王国にいる全ての人民が彼女の王太子就任を歓迎しているとは、さすがに言い切れないんだ」
「つまり……夜会が始まってから最終日、ティエラ様が王太子になるまで警護すればいいのですよね」
挙手したセレナが言い、ミルクココア色の髪を揺らして考え込むように眉を寄せた。
「しかし、私たちは具体的に何をすればいいのですか? 先ほどクラート様ご自身がおっしゃったように、私たち無身分の者はホールに入ることすら許されません。それに、いくら陛下のご信頼を受けているとはいえ、アバディーン王城内となれば専属の騎士や魔道士も多数いることでしょう。アルスタットからの道中のように、ティエラ様のお近くに控えることも不可能なのではないでしょうか」
「セレナの言う通り、招待客以外がホールに入ることは許されないし、僕でさえやすやすと王女の近くに行くことはできないだろう」
クラートはあっさり肯定し、もう一度、テーブル上の見取り図を示した。
「二つ目の疑問から答えるならば……正確に言うと、僕たちの役目は王女の警護ではない。むしろ、王女にとっての危険人物となる者を……」
「王女に近づけさせず、卑怯な手に出ないよう見張るってことね」
ノルテが引き継ぎ、クラートはしっかり頷いた。
「そう。ティエラ王女の護衛はいくらでもいるが、エルソーン王子の監視役となると難しい。彼は腐っても王族だ。国王であるエドモンド陛下が実子を見張るなんて、世間体が悪い。そもそも、エルソーン王子の動向を見て見ぬふりをするのが暗黙の了解になっているからね。だから陛下は、信頼できる変わり種の部下に王子の監視を任せることになさったんだ。貴族と一般市民が混在する部隊なんてそうそういない。レティシアたちが無身分ということを大いに活かせるんだよ」
「……普通、自分の邪魔になり得る者を始末したいならば、一番警備が手薄になる護送中を狙うだろう。だが、王女はアバディーンまで到着した。エルソーン王子が王女を狙うことはなかった……もしくは、失敗した」
レイドの言葉にまたしても、部屋の中に緊張が走る。
誰もが思っていたが、決して口にはしなかったこと。
(マックアルニー子爵館での襲撃事件の、本当の犯人は……エルソーン王子かもしれない)
十分考えられることであり、むしろ誰もが確信を持ったことだろう。
だがあの事件で最後、ティエラの息子レアンとレティシアを狙った大男はただ一人、逃亡してしまった。陽動作戦に使われた盗賊団も、襲撃犯たちも大きな組織にうまく利用されただけ。彼らを拷問しても、皆が望むような答えが出ることは決してないだろう。
クラートもレイドの爆弾発言に一瞬面食らったようだが、すぐに姿勢を正してひとつ、咳払いした。
「……その通り、ティエラ王女は誰の手にも落ちることなく、無事に王城でご家族揃って休養なさっている。となれば、エルソーン王子含む反ティエラ王女派が動き出すとしたら今後だ。そこで比較的自由に動ける者たちに、エルソーン王子の動向を見張らせたいんだ」
「それじゃあ……私たちはどうすればいいんですか」
レティシアはおずおずと聞いてみた。クラートから今回の任務を聞かされた時から、ずっと疑問に思っていたことであり、セレナの質問の「一つ目」でもあった。
「レイドは僕の騎士として連れて行く。オリオンに関しては、招待はされないが王城の警備兵としての登用を許されている。彼はホールへは入れない分、ほぼ全ての廊下や棟に行くことができるんだ。それから、レティシアとセレナだけど……」
「うちの侍女でいいんじゃないの」
口を挟んだのはミランダ。彼女は最初に入れてあった分の紅茶を飲み干してしまっていたのか、ポットの湯をカップに注ぎながら言った。
「侍女なんて一人増えようと二人増えようと誰も気にしないわ。実を言うと、私も父の代理として招待されているの。伯爵令嬢が侍女引き連れての入場より、伯爵代理が使用人を連れてきたって方が面子もすっきりするわ。さらに突っ込んで言えば、エステス家は魔道士一族だから使用人もみんな魔道士なの。その分、レティシアもセレナも魔道士だから大丈夫なのよ。もし誰かに何か問われても、魔道士であることが分かれば大方スルーしてくれるから」
魔道士と非魔道士の確執は太古から行われてきたことであり、魔道士絶対主義者には批判的な意見しか持っていないレティシアだが、今回ばかりは自分が魔力を持って生まれたことを感謝したかった。
それは隣のセレナも同じらしく、レティシアを目が合うと軽く肩をすくめてきた。
「護衛騎士や侍従魔道士は比較的動きやすい。使用人の見目や容姿は注目されにくいから、影で動いていても身分がばれる心配も少ない」
言い、クラートは見取り図を元のように畳んで膝の上で両手を組んだ。
「これからお披露目会が始まるまで、皆には仕事の準備をしてもらおう。特に、王城に上がったことのない者も多いだろうから、リデル王国の心臓部に向かうことの心構えと態度を、しっかり養ってもらいたい」




