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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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侍従魔道士見習レティシア 4

「……いいかね、レティシア・ルフト。要は気だ、気が一番なんだ」


 日光差し込む広々とした教室。この教室には机椅子が存在せずタイル張りの床のみが広がる、ほぼ正方形に近い箱形をしている。天井が高めで部屋の中に余計な置物がないため、巨大な箱の中に押し込められたような錯覚さえする。


 派手な魔法を使うことを前提とした、魔道実技教室。レティシアは教室の真ん中に立ち、中年の男性魔道士教師の説明を受けていた。彼のマントも文学の教師と同じ、くたびれた銀色だ。

 レティシアと教師のみが部屋の中央に立ち、他の生徒たちは壁際でレティシアをじっと見つめている。今日来たばかりの新人のお手並みを拝見するためだ。


「君は今まで魔法を使ったことがないと言うが……まあ、素養があれば難しいことではない。このクラスの生徒は皆、入学したときから炎の魔法は操れた。なあに、君は彼らよりずっと大人。炎を起こすなぞ動作もないだろう」


(最初からハードル上げないでよ……!)


 教師はあくまでも、初心者のレティシアを勇気付けようとして言っているのだろうが、当のレティシアにとっては脅し以外の何にも聞こえなかった。


 壁際に立って様子を窺う生徒たちは全員、今年入学したばかりの十二歳。ロザリンドの配慮で最年少クラスから魔法の授業を始めることになったレティシアだが、気楽に学ぶどころかプレッシャーばかりを与えられ、既に両手は汗でべたついている。


 緊張しっぱなしのレティシアを不憫に思ったのか、教師は真新しい服を纏うレティシアの肩に手を乗せ、よく響く声で、


「まあ、そう固くならないで。炎の魔法は全ての基礎。失敗なんてするはずがないんだよ」


 と、鋼鉄ハンマーでぶん殴られたに等しい追撃を与えてくれた。

 これでは失敗も許されないではないか、とレティシアの顔にさっと朱が散る。


「さあ、両手を前に突き出して……そうそう。魔道士の腕は魔法の源だから、腕を拘束されてしまうと魔法は使えない。だからそうやって、手の平を前に向けて……。まずは、目を閉じてやってみようか。魔法はイメージだ。頭の中に燃えさかる炎を思い浮かべる。そして空気中、大地中に含まれる魔法の気を両手に集中させ……」


(魔法の気?)


「ど、どうやって……?」


 レティシアは当然のことと思って聞き返したのだが。

 とたん、壁際の生徒の一人がくすっと冷笑を零した。彼に釣られ、他の十二歳児たちもくすくすと小馬鹿にしたような笑い声を漏らしだす。


「……あー、えー、そうだねぇ……」


 教師も、ここで突っ込まれるとは思わなかったのだろう。面食らったように人差し指をまっすぐ立てて、目に見えない糸をくるくると巻き取るように回す。


「ほら、時々感じるだろう。空気の流れや大地に含まれる魔法の力。我々魔道士はそういった魔法の欠片を掬い取り、自分の脳裏に描くものを呼び出すんだよ。分かるだろう?」


 全く分かりません、という正直な言葉はのどまで出かけて、ずるずると胃の方へと押し戻されていった。


 分からない。

 さっぱり分からない。

 魔法の力なんて、十五年間の人生で一度も感じたことがない。


 だが、ここで「分からない」と言えば生徒たちの嘲笑が増えるだけだ。いまだにくすくす笑いを止めない生徒たちもどうかと思うが、彼らを注意しない教師も教師だ。


 レティシアは一旦手を下ろしてローブの裾で手汗を拭い、強ばった笑みを浮かべた。


「分かりました。それじゃあ、やってみます」

「ああ、期待してるよ」


 またもやレティシアの自信を削ぐ一言を付け加え、教師はマントを翻して一歩、後退する。レティシアの目の前に、標的である紙くずの山が来るように。そして、他の子どもたちにレティシアの姿がよく見えるように。


 荒く短い息をつきながら、レティシアは教師にアドバイスされたように瞼を下ろす。緊張の糸を少しでもほぐそうと、肩を揺らせて息をしつつ、真っ暗な脳裏に「炎」を思い浮かべる。


 燃えさかる炎。ルフト村の実家にあった暖炉。

 山裾の村は冬の訪れが早く、平地の村よりずっと早く暖炉に薪を焼べ始める。ぱちぱちと熾き火のはぜる暖炉の前に毛足の長いマットを敷き、そこに腹這いになって炎を見つめるのがレティシアは好きだった。

 組んでいた薪が炭になり、崩れてくると、新しい木ぎれをぽいっと中に放る。激しい火炎ではないが、凍える冬に暖かみをくれる優しい炎だった。


 レティシアは、暖炉で燃えるオレンジ色の炎を思い浮かべながら教師の言葉を反芻する。


「魔法の気を両手に集中させる」


 ……どうやって?

 魔法の気って何?

 空気の流れに含まれる魔法の力?

 それは何?


 つうっと額を汗が流れる。イメージはできた。レティシアが起こしたいのは、優しいオレンジ色の炎。目の前の紙くずを燃やせるだけの、小さな炎でいい。

 そこまでの図面は描けているのに、教師が助言した「魔法の気を掬い取る」の言葉を思い出すと体中の血が凍え、指先が震えてくる。


 分からない、無知ゆえの震え。

 頭の中が真っ白になっては慌てて炎のイメージを描き直し、そしてまた、せっかく積み立て直したおぼろな姿が跡形もなく崩れ去っていく。そんな感じだ。


 早く、早くなんとかしないと。

 そればかりに気を取られ、首筋や胸元にも冷や汗を伝わせながらレティシアは念じ続け――


「……どうしたんだい? レティシア、早く念じなさい」


 暗闇の奥から教師の声が届き、はっと開眼した。額に流れる汗を拭って前を見ると、困惑顔の教師と、ぼうっとこちらを見つめる生徒たちと、そして――火の粉すら灯っていない、紙切れの山が。


 教師たちはレティシアがまだ炎のイメージを描けていないと思っているのだろう。彼らが放つ「早くしろ」の無言の圧力が重く感じられ、レティシアは汗滴る髪を振るって抗議する。


「いいえ! ちゃんとイメージしてるし、頑張って力入れてます!」


 だが、この弁解が命取りになった。


 静まり返る教室。

 数秒、窓の外の小鳥のさえずりのみが部屋を満たし――


「……なんで?」


 例の、一番最初に笑いだした少年のあっけにとられたような声。

 彼は壁際にあぐらを掻いて暇そうに座っていたのだが、レティシアの情けない一言を聞いて面を起こした。その唇が意地悪な弧を描く。


「できないのか? 炎を出すだけだぞ。ガキでもできるんだぜ?」


 その一言を皮切りに、ざわつきだす教室。呆然と立ちすくむレティシアを指さし、声を潜めることなく生徒たちは騒ぐ。


「どういうこと? だって十五歳でしょ? 私のお姉ちゃん、十五歳だけど花火出して見せてくれるのよ!」

「おかしくないか? そんくらい、俺なら鼻ほじりながらでもできるよ」

「もう、ケインは下品ね――でも、あの人、本当にできないの?」


 こそこそひそひそ。

 漣のように押し寄せる非難の、侮蔑の、驚愕の声。


 ――できないの?

 どうして? 炎だよ?

 十五歳なのに?

 どうして?

 どうして?


 レティシアはただただ言葉の波にのまれ、先ほどとは違う汗で手を湿らせながら、呆然と立ち尽くすしかできなかった。


 できない。

 炎さえ、できない。

 子どもにでもできることが、できない。


「できない」の文字ばかりが頭の中をぐるぐる回送するレティシア。

 教師はそんな彼女を見かねたのか、あー、とかうー、とか言いながらレティシアに歩み寄る。


「ええっと……レティシア。さっきのはちょっとやる気が足りなかったんじゃないのかな? ほら、もっと燃える炎を思い浮かべて……」

「も、燃える炎って……?」

「え? そりゃあ――うん、身近な魔道士が使う炎の魔法。それを思い浮かべればいいよ」


 身近な魔道士?

 それは誰?


(そんな人、いない)


 教師が提供した助け船は、泥と土を塗り固めて作られた小舟だった。差し出された舟に飛び乗れば、あっという間に底が抜けて冷たい水に沈んでしまう。

 足元が冷水に浸されているかように、じわじわと寒気が上ってくる。


「……たこと……ません」

「え?」

「炎魔法なんて……見たこと、ありません……」


 教師だけに聞こえるよう、レティシアは震える唇に鞭打って極小の声量で告げたのだが。


「……え、ほんとに? 見たことないのか、炎の魔法!」


 自分のすぐ後ろで素っ頓狂な声が上がり、レティシアは瞬時に凍結解除されてその場で飛び上がった。

 レティシアの背後に立ち会話を盗み聞きしていたのは、もはや常連になった例の少年。

 教師が注意を飛ばすより早く、少年はいやらしい笑顔を浮かべ、くるりと振り返って壁際の仲間たちに向かって声を張り上げる。


「おおおい、聞いたか! この女、今まで炎の魔法さえ見たことないってよ! おまけに魔法も使えないんだ! すげえだろー!」


 とたん、わっと沸き返る教室。

「本当?」「どこの田舎者だよ!」と飛ぶ野次。驚きを通り越して嘲笑さえ浮かべる子どもたち。


 十五歳の年上の少女よりも、自分たちが勝っている。

 この年上の魔道士は木偶の坊だ。その優越心が、子どもたちに異常なほどの高揚感を引き起こしていた。


 ようやく教師も動けるようになったのか、急ぎ少年に歩み寄ってその襟首を掴み上げる。


「マックス! 君は口出ししなくていい!」

「ふん、俺はただ事実を言ったのみだ!」


 少年はマントごと首根っこを掴まれようとお構いなしで、口の端を歪めて邪悪な笑みを浮かべ、教師の手を振りほどいて立ちすくむレティシアの隣に立つ。


「いいか、田舎者! 先輩・・が、魔法ってもんを見せてやるよ!」


 そして、教師の制止には気も留めず両手を前へ突き出し、狂ったような笑い声を上げた。


 立ち上る、陽炎のような光。

 レティシアより小柄な少年の体を、淡いオレンジ色の光が包む。


 少年の両手が眩しく光り、手の平に真っ白に燃える球体が浮かび上がる。熱気が立ち上る拳大のそれは少年の手から放たれ、レティシアのローブの裾をわずかに焼き払い、教室の中央に鎮座する紙の固まりへと突進していった。


 ごうっと燃えさかる紙くず。レティシアの身の丈ほどある真っ赤な火炎が吹き上げ、舐めるように空気を燃やし、瞬時に紙が黒い縮れた灰に変わり果てた。


 突き出した拳を収めると、彼を包むオレンジ色の霧も燃えさかる炎も水を掛けられたように萎み、後には風に舞う灰のみが残された。


 一瞬の出来事。

 レティシアが目を見開いている間に、それは終わっていた。


 強力な魔法を目にして、はしゃいだ声を上げる生徒たち。去り際にレティシアの黄色のマントを打ち払って仲間たちのもとへ戻っていく少年。


 今のが、魔法。


 教師は完全に魂が抜けたレティシアに駆け寄り、少年に叱責を飛ばした。


「マックス! 私の指示なく魔法を使ってはならないと言っているだろう!」


 そして、指先一つ動かないレティシアの肩を労しげに撫でる。


「レティシア・ルフト。どうやら君は訓練が必要なようだな。――ああ、気にしなくていい。カウマー魔道士団長の目は確かだ。時間は掛かるだろうが、必ず君も炎の魔法を打てるようになる。心配しなくていいよ」


 そう囁き、彼は灰になった紙くずを始末するべくそちらへと向かっていった。同時に授業終了のチャイムが鳴り響き、子どもたちはわっと教室から駆けていく。教室のドアがレティシアに近い壁にあるので、必然的に子どもたちはレティシアの脇を通っていくことになる。


 賢い子どもや女の子は敢えてレティシアを見ないよう、視線を逸らしながら駆けていった。しかしマックス含む意地の悪い少年たちは一旦レティシアの横を通り過ぎ、わざわざ扉の一歩手前で振り返って囃し立ててきた。


「じゃあ、またな! 出来損ない!」

「なっ……!」


 レティシアの唇から漏れた声は、子どもたちの囃し声や歓声にかき消されていった。


 廊下の外では同じように、見習たちが次の授業に向けて教室移動をしているようだ。開け放たれたままのドアからにぎやかな声が響き、流れ、通り過ぎていく。

 自分以外の生徒が退出してようやくレティシアは魂を取り戻し、弾かれたように背後を振り返った。

 がらんとした教室の中央、灰の固まりの前にしゃがみ込んで何やら物思いにふける中年魔道教師。


 彼は、「頑張ればできる」と言った。

 ならば、レティシアは今以上努力しなければならない。

 マックスのような子どもたちに貶されたからといって落ち込んでいる場合ではない。


 レティシアは教師の背後に歩み寄る。

 情け容赦のない言葉を吐く子どもたちはもういない。きっと、今なら落ち着いて話ができる。


 ローブの胸元をかき集め、背を丸める教師に向かって右手を差し出す。


「あの……」


 レティシアの声は掠れており、外の話し声に紛れて教師の耳には届かなかった。その代わりに、教師の背中が低い声を上げる。


「――やはり、凄まじい。マックスの魔力……入学一年目でこれほどの魔法を操るとは……」


 大きすぎる、独り言。

 もう部屋には誰もいないと思っての言葉だろう。


 彼の背中に向かって手を伸ばしたまま、レティシアは息を止める。教師は背後にレティシアがいるのにも気付かず、薄い灰になった紙を一枚拾い上げてうっすらと唇に笑みを広げた。


「さすがだな――彼ならすぐにライトマージにもなれるかもしれないな」


 後頭部を鈍器で――否、セフィア城の廊下に据えられた石柱でぶん殴られたかのような衝撃。

 一瞬呼吸が止まり、心臓もひとつ、不規則に脈打つ。


 助けを求めるように伸ばしかけた手をとっさに引っ込め、レティシアはブーツを鳴らせて踵を返した。背後で教師の声が聞こえた気がするが、振り返らない。


 一目散に教室を飛び出し、廊下を歩く見習たちの波に頭から突っ込んだ。

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