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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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襲撃 8

 レティシアは瞬時に、己の死を悟った。

 逃げ場のない狭いリネン室。

 自分の背後には、死守せねばならない幼い王子が。

 自分の目の前には、鋼鉄の刃を携える謎の男が。


(ここまで……なの?)


 あとわずか、男が前進すればレティシアの胸にロングソードが突き刺さる。そのような状況でも、不思議とレティシアの心は落ち着いていた。


 レティシアは膝立ちになり、両手を背後に回して気を集中させた。

 レティシアの体から金色の光が舞い、両手に集約された魔法の波動がレアンを優しく包み、大きな繭のように王子の体を毛布ごとくるんだ。


 目の前の襲撃者が息を呑んだような気がした。

 レティシアは男から視線を反らすことなく、ゆっくりと、確実にレアンを防護膜で包み、自分はその前で盾になるように立ちふさがった。


 レアンだけは死なせない。

 彼を死なせることも、彼にレティシアが死ぬ場面を見せることもあってはならない。


 ぐるぐると絹糸のような光の繭に包まれるにつれ、レアンの声が遠く、小さく霞んでゆく。やがてレアンの姿は光の繭に包まれて全く見えなくなり、泣き声も完全に遮断された。

 これで、外界で何が起ころうとレアンは守られる。たとえレティシアが斬られても、レアンにレティシアの血が掛かることも、断末魔を聞かせることもない。


(きっと、誰かが来てくれる……レアン様を、救い出してくれる……)


 レティシアは目の前の敵の殺気に屈することなく、じっと睨むように男を見上げた。


(それ以前に、私は絶対負けない)


 諦めない。

 レアンを守るために魔力は使い果たしてしまったが、逃げたりはしない。最後の最後まで、素手でも戦ってやる。


 ティエラとの約束は必ず守る。レティシアが殺されても、エヴァンスたちが来てくれる。

 レティシアの胸元で、白銀の刃が煌めいた。その刃先がゆっくりと持ち上がり、喉の血管をなぞるように切っ先が滑る。そして――


「……レティシア!」


 裏返った少年の声。

 レティシアがはっと目を見開くのと同時に、侵入者も体を震わせ、レティシアののど元に突き付けていた剣を引っ込め、素早く身を翻した。


 ふっつりとレティシアの集中の糸が切れ、大きな繭のような物体が、ぼろぼろと形を崩していった。だがレティシアの意識は、侵入者と入れ替わりにリネン室に飛び込んできた少年に完全に注がれていた。


 柔らかな金髪を風で乱し、肩で息をする少年騎士。見開かれた目がレティシアを捉え、その首がきちんと体にくっついており、血の一滴も流していないのを確認すると、右手で持っていた弓を取り落とした。


「レティシア……」

「クラート様……?」


 呆然とレティシアは呟く。

 そしてクラートは床に落ちた弓には目もくれず、膝から崩れ落ちるように倒れ込み、正座でへたり込んでいたレティシアの体をかっさらった。


(……へ?)


 ぱちぱちとまばたきする。

 目の前にあるのは、クラートの金髪と細いうなじ。全力疾走したのだろう、首筋に微かに汗が伝っているのが分かった。

 二人の足元でクラート愛用の弓が踏みつぶされている。背後では、光の繭から解放されたレアンがころんと床に転がっている。


 そのどれも、目には入らない。

 お互い、目の前にいる人物のことしか頭になかった。


(私、クラート様に抱きしめられている……?)


 脳がうまく物事を処理できない。

 おずおずとクラートの背に腕を回すと、その体が微かに震えていることが、皮膚を通して伝わってきた。


(クラート様……震えてる?)


「クラー……」

「よかった……間に合った……」


 ため息のような言葉は、レティシアのうなじに触れて肌を震わせた。ぞくっと寒気が走った時に似ているが、決して不快ではない。心の底から痺れが走るような、不思議な感触がレティシアの体を襲った。


(クラート様、私を助けに来てくれたんだ……)


「ありがとうございます、クラート様」

「……」

「あの、さっきの侵入者は……」

「……」

「あ、すみません。顔はよく見えなかったんですが、たぶんかなり体格のいい男かと思われます」

「……」


 返事はない。

 だが時折応えるように、レティシアの背中に回ったクラートの腕が震え、きつくきつくレティシアの体を抱きしめていた。


「クラート様……」

「……かせて」


 外で降り積もる雪の音にもかき消されそうな、蚊の鳴くような声。

 今まで聞いたことのないくらい弱々しい、クラートの声。


「な、何でしょうか?」

「……声、もっと聞かせて……。生きてるって……証明してくれ……」


 命令でも指示でもない、心からの嘆願。

 胸の奥にぽつっと小さな明かりが灯ったかのような、微かな安堵と、愛おしさと、幸福。


 それらが入り交じり、レティシアは赤面しつつもコクコク頷いた。


「はい……クラート様……私は、無事です……」


 慰めるように、震えを分かち合うかのようにクラートの背中を優しく撫でる。


 あなたのおかげで私は生きているんです。

 その想いを込めて。











「レティシア!」


 優しい時間は唐突に終わりを迎えた。

 二人が我に返って身を離した直後、血相を変えたセレナが飛び込んできた。


 予想以上に二人が至近距離にいたためか、ドアの枠に手を掛けて身を乗り出していたセレナは焦燥の表情からぽかんとした顔になり、床に倒れ込むレティシアとその上に覆い被さるクラートを放心状態で見つめていた。


 一秒、二秒。居たたまれない時間が過ぎてゆき――


「……あ、ああー! そ、そうそう! セレナ、レアン様は無事よ!」


 ほら! とレティシアは自分の背後に転がっていたレアンをもぎ取ると半ば押しつけるようにセレナの腕に抱かせた。いきなりずっしりと重い子どもをパスされたセレナは、反射的にレアンを受け取りつつも目を白黒させ、レアンもわけが分からないのか、きょとんとした顔で大人しくセレナの腕に収まっている。


 部屋が薄暗くて助かった。

 レティシアはさっさと立ちあがり、異様な熱を持つ両頬に手を当てた。その横では同じく立ち上がったクラートが、床に転がしていた弓を無言で拾っていた。


 三人――正確には四人だが――の間を、気まずい沈黙が流れる。


「……侵入者は、取り逃がしてしまった」


 そう言うクラートの声は、先ほどよりずっとしっかりしている。彼は服の埃を払い、弓を担いでさっとレティシアから顔を背けた。


「だが、皆が無事で何よりだ……一旦、報告に戻ろう」

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