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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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襲撃 7

 四階もまた、遠くの方で競り合う音がしていた。

 敵と鉢合わせか、と身構えたレティシアだが、廊下を駆けてくる人物を目にしてほうっと肩の力を抜いた。


「エヴァンス殿下!」

「その声……レティシア嬢か?」


 黄金の貴公子は構えていた剣を下ろし、レティシアと、その腕に抱かれたレアンを見て肩を落とし、わずかに表情を緩めた。


「安心した……レアン殿下もご無事のようだな」

「はい。でも、セレナが……」


 レティシアが情けなく震えた声を出すと、状況を察したのか、エヴァンスは笑顔をすっと収めて考え込むような表情になった。状況が状況でなければレティシアもぐっと来てしまうような、艶めかしい苦悩の表情だ。


「ここまで頑張ってくれて感謝する……だが、三階は未だ交戦中だ。王女殿下のお部屋には騎士を張り込ませているが、廊下は既に大混乱中。そのような中にレアン王子をお連れしても、火に油を注ぐだけだ。あまりにも危険すぎる」

「は、はい」

「レティシア嬢、ここへ」


 そう言い、エヴァンスは四階廊下の隅にある小部屋のドアを開け、一度中を確認してからレティシアをそっと連れ込んだ。


 そこはリネン室だろうか。決して広いとは言えない横幅の狭い部屋で、天井まで届く棚には所狭しとシーツや枕、夏用の掛け布団などが積み重ねられていた。


「この部屋はもともと使用人用の部屋だったと子爵から伺っている。ここで、内側から鍵を掛けられる。全ての片が付くまで、レアン殿下と共にここに隠れていてほしい」


 エヴァンス王子は大きな手でレティシアの肩を押さえ、柔らかいブルーの目でじっと、レティシアを見つめた。


「危険が去ったら、私が迎えに来る。それまで……必ず殿下をお守りしてくれ。いいな」

「あ……は、はいっ!」


 今は王子の端正な顔に見惚れている暇はない。

 エヴァンスはレティシアの返事を聞いて安心したのか、厳しい顔を少しだけ緩め、くるりとレティシアに背を向けると静かにリネン室のドアを閉めた。


 エヴァンスがドアを閉めると、狭い小部屋は真っ暗な闇に閉ざされた。じわじわと足元から這い上がってくるような冷気に、身を蝕まれそうだ。

 レティシアはエヴァンスに言われた通り、内側から摘み式の鍵と錠前の二重ロックを掛け、シーツの棚の間にそっとレアンを下ろし、棚から適当な毛布を引き抜いて小さな子どもの体を包んでやった。


「ご立派です、レアン様。もう少しです。エヴァンス殿下やベルツ子爵たちが必ず、悪い人をやっつけてくれます」

「……母さん……」

「ええ、そうしたらお父様とお母様とも会えますよ。それまで私がレアン様をお守りします」


 レアンはこくこくと頷き、近くのシーツで鼻をかんだ。レティシアはそんなレアンのために厚めの毛布を引っぱり下ろし、寒くないように床に敷き、赤ん坊のおくるみのように包んだ。


 階下では未だ闘争が続いているのだろう、ひっきりなしに床が揺れ、時折絶叫や気合いの声が床を貫いてここまで届いてくる。

 レティシアはレアンにその音が聞こえないよう、毛布で耳元をそっと覆い、固く閉ざされたリネン室のドアを睨むように見た。


 きっと皆、大丈夫だ。クラートやノルテ、ゲアリーが六階で戦ってくれている。セレナもきっと逃げ切れる。エヴァンス王子が助けてくれる。それに、レイドたちもきっとすぐに到着する。


 予想外のことがゴロゴロ起こるが、必ず最後にはうまくいく。

 無事に、朝を迎えられる。












 レティシアたちがリネン室に隠れて十数分経っただろうか。

 最初は怯えていたレアンも暖かな毛布に包まれてウトウトしだし、レティシアも気を緩ませることなく、じっと時が過ぎるのを待っていると。


 ドアノブがゆっくりと、回った。


(エヴァンス殿下だ……!)


 ほっと息をつき、レティシアは膝立ちになってドアの外のエヴァンス王子に声を掛けようと大きく息を吸った、が。


 ドアノブがガチャガチャと乱暴に回され、鍵が掛かっていると分かるといきなり、巨大な鈍器で殴られたかのようにドアが激しく振動した。

 その音に、レアンもぱちっと目を覚まして毛布の中でぐずりだした。レティシアはそんなレアンを片手で抱きかかえつつも、不安と動揺で頭が上手く回らなかった。


(エヴァンス殿下……じゃない?)


 ノブがむちゃくちゃに回され、何度も何度もドアに体当たりされる。相手は相当の巨漢なのだろうか、一度ぶつかる毎にリネン室が大きく揺れ、ミシミシとドアが軋む。レティシアが棚から引き抜いたせいで不安定になっていた毛布が、ばらばらとレティシアたちの横に落ちてきた。


 そして。


 ガキッ、と鍵が壊れる音が響き、外側から蹴り開けられるようにドアが開かれた。温もりつつあったリネン室の空気を外気が冷やし、呆然とするしかできないレティシアとレアンを嘲笑うかのように、大柄な男がそこに立っていた。


 頭から爪先まで真っ黒なコートで隠した、大柄な男。

 その手に持っているのは――一振りでレティシアの首を軽々と飛ばせるだろう、大振りのロングソードだった。












 一方、六階スイートルームでは――


「これで最後だな」


 レイドが最後の敵を斬り捨て、戦場と化した客室を見回した。


 つい数時間前まではリデルの要人を迎える最高の客間だったそこは、騎士たちに成敗された侵入者たちが累々と積み重なる悲惨な修羅場となっていた。

 豪華な調度品や年代物の花瓶などは全て粉砕され、毛足の長いカーペットも半分近く切り落とされている。寝室の窓は大破され、続く攻防戦の中で、砕けたガラスも粉のように踏みしだかれていた。


 侵入者たちは全員まだ息がある。血飛沫が壁紙にべっとりとこびり付き、未だ赤黒い血を噴き出させている者もいるが死には至らないだろう。


「まさか、作戦が漏れていたとはなぁ」


 カーペットの比較的綺麗な部分にあぐらを掻いて休憩していたオリオンが呟く。彼は自分の横で微かにうめき声を上げた男の脳天にチョップをかまし、筋肉の盛り上がる胸部で腕を組んだ。


「兵の位置がばらけてしまっていた、か……こりゃあ失態どころじゃ済まないよな」

「ばらけてしまったっていうか、意図的に狂わされたように思うんだけど」


 血みどろの戦場での紅一点となっているノルテがぼやいた。

 彼女は騎士だけあって見慣れているのか、目の前の血なまぐさい光景に眉一つ動かさず、愛竜アンドロメダの白い腹部に寄り掛かってあくびをした。


「スイートルームのある六階の警備がザルなんて、普通あり得ないっしょ。こりゃあ、入れ替え作戦が漏れてたっていうより手が加わったんじゃなくって?」

「まったく……だから私は反対したのだ」


 ぶちぶち呟きながら入ってきたのは、立派な毛織物のマントを羽織った男性魔道士。彼はぷんと漂う血臭にかすかに不快そうに目を細めつつ、手に持っていた細い紐の束をぽいっと放った。

 彼の手から落とされた紐は徐々に幅と長さを増し、それ一本一本が意志を持つ蛇のように床を張って侵入者の体に絡みついた。


 ゲアリー・ベルツの魔法で襲撃者たちが全員縄につきディレン隊の面々がほうっと息をつくと、ゲアリーは若い騎士たちをギロリと見回した。


「やり方も美しくない。……クラート公子、王女の安全は確保した」

「感謝します、ベルツ子爵」


 自分で放った矢を回収して回っていたクラートが振り返り、にっこりと微笑んだ。


「子爵のご助力あってこそ、無事にこの場を切り抜けられました。ご協力に感謝しています」


 ゲアリーはフンと鼻を鳴らし、荒れ果てたスイートルームを一瞥した。


「そもそも、レアン王子がきちんと下へ降りていれば、これほど話はこじれなかったのだ」

「別にレアン王子が悪いわけじゃないっしょ」


 ノルテが抗議し、オリオンも思い出したようにぽんと手を打った。


「そうそう、それにレティシアとセレナは無事なのか? 俺たちが到着した時にはもう、あいつらは下へ向かっていたらしいけど」

「彼女らとは先ほど、部屋の前ですれ違ったが……」


 言葉途中でゲアリーは口を閉ざし、部屋の前の廊下に佇む人影を目にして軽く咳払いした。


「王女付きの騎士か……首尾はどうだ」

「クラート公子、ベルツ子爵。助太刀感謝いたします」


 プレートメイルを纏った中年の騎士――先ほど階段でレティシアに道を譲った男だ――は敬礼して報告する。


「姫様もセイル殿もご無事です。ミランダ・エステス嬢の指示で、三階にいた魔道士を姫様のお部屋に集めさせ、防護壁でお守りいたしました。また、西棟四階廊下にて姫様の身代わりをなさっていた女性魔道士も保護しました」

「セレナのことね。よかった」


 ノルテが泣きそうにくしゃっと顔を歪めて笑い、レイドが何も言わず、ノルテの頭にぽんと手の平を乗せた。

 だが、部屋の中で一人、クラートだけが難しい顔のまま、立ち上がった。


「では、もう一人の魔道士とレアン王子殿下は?」

「それは……」


 騎士が口ごもる。


 オリオンが何か叫び、レイドが制止の声を飛ばすのも耳に入らず、クラートは抜いたばかりの矢を矢筒に放り込み、愛用の弓を握ると部屋を飛び出した。

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