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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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襲撃 6

 一体、何分経ったのだろうか。


 壁掛け時計の文字盤すら見えない夜闇の中、セレナは浅い呼吸を繰り返しながらじっと、前を見つめていた。


 しんと静まりかえった、子爵館六階スイートルーム。大の男三人でもゆうに寝られそうなくらい巨大なベッド。

 ガチョウの羽根を詰めて作られたふかふかの枕を胸に抱きかかえ、セレナは集中力を途切れさせることなく、ベッドに腰掛けて時を待っていた。


 自分がすべき事は分かっている。クラートは全てを察していた。必ず、ティエラを狙ってこの屋敷が襲撃されるだろうと。


 セレナは今、体形が隠れる厚手のガウンを羽織り、頭からすっぽりフードを被っている。身長こそはティエラと大差なく、暗闇の中ではセレナの髪は暗い色合いに見える。きっと侵入者はセレナをティエラと見間違えてくれるだろう。


 襲撃が起き次第、セレナは防護壁を張ってギリギリまで粘る。間もなくディレン隊を中心とした騎士たちが応援に来るから、それまで耐えればいい。他の騎士たちは全員、レティシアとティエラのいる部屋に集結させるから、階下の警備も万全だ。

 セレナは体中から薄い黄色の光の粉を纏い、いつでも魔法が放てるよう身構えていた。


(もし、レイド様たちが間に合わなくても)


 セレナは暗闇の中、何もない虚空を見つめた。

 もし、自分がレイドたちが来るまで耐えられなくても。

 王女が助かればいい。襲撃犯の主犯者は必ず、こちらへ来るはずだ。奴らが標的を間違え、ティエラから遠ざかってくれればそれでよい。


(大丈夫。必ず、レイド様は来てくださる。背後にあるドアを蹴破って、必ず助けに来てくださる)


 いつも、そうだったのだから。


 セレナが困った時。辛くて泣いた時。

 いつでも側に駆けつけて、守ってくれた人だから。


 セレナはそっと、額に浮かぶ汗を拭い、改めて窓の方に意識を集中させた。

 いつ、不審者が現れるか。いつ、あの窓が粉々に砕け散るか――


「……母さん?」


 か細い、幼い声。

 背後から突如響いた少年の声にセレナの背中が震え、ぱちん、と情けない音を立てて魔力の膜が四散してしまった。


 聞き覚えのある――だが、この場に存在しないはずの、少年の声。


「レアン……様?」

「セレナ!」


 セレナは声のする方を見る。


 部屋の隅にある、ふかふかのソファ。その上に無造作に重ねられていた毛布の束がもぞもぞ動き、半ば転がり落ちるようにして銀髪の少年が出てきた。寝起きらしく、髪はぴんぴんと勝手な方向に跳ねており、目も半分閉じている。


 それでも、幼い彼でもこの場の異様な雰囲気に気付いたのだろう、丸い目に微かな恐怖の色を浮かべて、よたよたとセレナの方に歩み寄ってくる。


「セレナ……ねえ、父さんと母さんは?」

「それは……私の台詞です!」


 慌ててセレナはレアンに駆け寄り、初冬だというのに意外なほど薄着の王子をさっと抱きかかえた。


「なぜここにいらっしゃるのですか! お父様とお母様とご一緒なのでは……」

「知らないよ! 僕、ずっと寝てたんだよ!」


 レアンは両親が側にいないこと、屋敷が不穏な空気に包まれていることに耐えられなかったのか、セレナのガウンに顔を押しつけてべそをかき始めた。


「父さんはどこ? 母さんは? ねえ、セレナ! 何かあったの?」

「レアン様……」


 泣きじゃくるレアンを庇うように胸に抱き、平静を装いつつもセレナの体には冷たい汗が伝っていた。


 両親と一緒に隠れているはずのレアンが、レアンだけが、部屋に取り残されている。

 しかも、彼が出てきたのは部屋の死角にあるソファ。


(どうして……)


 しかし、考えることも助けを求めることも、許されなかった。


 セレナの動揺を嘲笑うかのように、激しい音と共に砕け散った大窓のガラス。

 氷の結晶のような破片を飛ばしてガラスが四散し、セレナははっと顔を上げた。


 だが、既に集中力は切れてしまっている。

 防護壁も魔法の構えもないセレナの前に現れたのは、全身黒ずくめの集団。


 雪明かりに照らされて男たちの輪郭だけが妙にくっきり、浮かび上がる。ゆっくり、足元のガラスを踏みしめながらこちらへと向かってくる。各々が手に持つ幅広の剣が、ゆらゆらと歩みに合わせて揺れている。


 侵入者の先頭に立っていた男が、緩慢な動作で獲物を持ち上げ、セレナののど元にぴたっと刃先を合わせた。彼がもう一歩前に出れば自然とセレナの喉が剣で貫通される位置に、無情な銀の切っ先が向けられていた。


 レアンが甲高い絶叫を上げる。セレナは侵入者から顔を背け、レアンを庇うようにぎゅっと胸に抱いた。


「……リデル王国王女、ティエラだな」


 ガラガラにひび割れた、聞き心地最悪の声。

 セレナは答えることもできず、じっと男の放つ威圧感に耐えた。動揺と恐怖で呼吸を乱しつつも、頭の片隅は意外なほど正常に働いていた。


 敵は、セレナをティエラ王女だと勘違いしている。きっとセレナがレアンを抱いていて一層、ティエラだと間違った確信を抱いたのだろう。彼の声に、疑いや確認の響きはなかった。

 ここまでは計算通りだ。だが、誤算もある。


 今、セレナには身を守る術が一切ない。魔法の発動には時間と、集中力が必要だ。レアンを抱き、たった一人で多勢に立ち向かわねばならないこの状況で集中し直せるほど、セレナはたくましくはなかった。


 そして。

 セレナは唇を噛みしめ、腕に抱くレアンを見下ろした。


 レアンは何も知らない。今は何よりも、レアンを守らなければならないのだ。

 だが今の自分には、身を守ることも、レアンを救うこともできない。


(レイド様……!)


 絶望の最中、セレナが必死に心の中で叫んだ、直後。


 ――バン!


「セレナ! 私も応戦に……」


 威勢の良い声。ただし、セレナが渇望したのとは全く違う、年若い少女の声。


 セレナが振り返る。

 レアンも、驚いて泣きやみ背後を見る。

 侵入者も、緩慢な動作で部屋の入り口を見る。


 そして、勇ましくドアを蹴破って入ってきた少女も、片足を振り上げた姿勢のまま、凍り付いたように固まっていた。









(……えーっと?)


 堂々と部屋に飛び込んだレティシアは、スイートルームの有様を見て目が点になった。

 ティエラの話では、王女と入れ替わったセレナは護衛騎士に守られているとのことだった。


 六階が妙に静かなことは気に掛かっていたが、部屋に入ればきっとレイドたちが応戦してくれているだろうと踏んで、かくように勇ましく登場したつもりだったのだが。


 明かりの点いていない部屋にいるのは、セレナとレアン、そして黒ずくめの不審者たちのみ。


(……はっ! いけないいけない。とにかくセレナとレアン様を逃がさないと……!)


 幸いにも、両手に込めていた魔力は未だ健在で、レティシアの体を黄金色の光が包み込んでいた。

 レティシアは気合いの声と共に前方に突き出していた両手をクロスさせ、カーテンを払うような仕草で魔力を放出した。


 波状の衝撃波が放たれ、床にへたり込むセレナの頭上を越え、窓から侵入してきていた男たちにぶつかった。


 男たちは目に見えない衝撃に怯んだのか、殴打されたかのように背後に仰け反ったがすぐに体勢を立て直し、取り落とした得物を拾った。


「王女の護衛魔道士か……」

「惑わされるな! まずは王女だ! そこの小娘もさっさと仕留めろ!」


(やっぱり広範囲の衝撃波じゃ、倒せない……!)


 レティシアの衝撃波が男たちをいきり立たせてしまったのか、各々さっと武器を構えてきた。

 だがセレナも我に返り、素早く立ち上がるとレアンを抱え直し、ドアに向かって駆けだした。


(セレナ……!)


 男の一人が、腰からナイフを抜いた。湾曲した片刃を持つ、特徴的な見た目のそれはセフィア城での授業でも見たことがあった。

 レティシアはとっさにセレナの前に立ちはだかり、身を低く構えて自分とセレナのみを包むように防護壁を張った。


 先ほどの衝撃波も同じように、広範囲になるほど効果は薄まり、逆に限られた範囲のみを対象とすれば強力な魔法が発動できるのだ。

 椀を横に立てたような透明の防護壁が完成した瞬間、弧を描くようにナイフが回転し、飛んできた。


 レティシアがぐっと歯を噛みしめると、鋭いナイフは防護壁に当たった瞬間、熱した油に水が跳ねたかのような耳障りな音を立ててぶつかり、頑丈な鉄の刃をぼろぼろに朽ちさせてカーペットに落下した。


「王女だ! 王女を殺せ!」


 先頭にいた男が吠えた。暗殺を邪魔されて激昂しているのか、廊下から漏れてくる明かりに照らされ、男の目が怒りで充血しているのが分かった。


(……来る!)


 銀刃が煌めき、レティシアたちに覆い被さるように構えてくる。再び防護壁を張ろうと身構えたレティシアだが――


 窓の外を、暗い影が過ぎった。

 破壊されて外の風が吹き付ける窓から覗く、巨大な翼を持った生物。その背に乗る二人の人影。


 夜の空気を裂くように、張りつめた弓弦の音を響かせて飛んでくる矢。雪明かりを受けて輝きながら放たれた、細身の槍。


 矢はセレナを狙った男の背中に突き刺さり、槍はレティシアの脳天にメイスを叩き込もうとしていた巨漢の脛を貫通し、標的を外したメイスは重い音を立ててレティシアの背後の壁にめり込んだ。


 わずかに残っていた窓ガラスすら吹っ飛ばす勢いで部屋になだれ込んできた、緑色の巨大な爬虫類。その背に跨るのは、長槍を構えて手綱を取る小柄な少女と、いまだ弦を振動させた弓を右手に持つ少年。


「ノルテ……クラート様!」

「早く行け!」


 レティシアの声に被せるようにクラートが叫び、腰の弓筒から素早く新しい矢を引き抜いて弓に番えた。


 レティシアの右の方で男が呻く。

 レティシアは崩れかけていた膝を奮い立たせ、セレナの腕を引いてまろぶように寝室から飛び出した。


「セレナ、無事?」


 小声で聞くと、セレナは顔の半分以上をフードで隠しながらもコクコクと頷いた。レティシアに左手を引かれながらも、レアンを抱える右腕にはしっかりと力が入っていた。レアンも応援が来たことに安堵したのか、鼻を啜らせながらも健気に泣くのを堪えている。


 レティシアはスイートルームのドアを開けて廊下に出ると、小刻みに震えるレアンの小さな手を握った。


「レアン様、ご安心を。お母様と約束したんです。必ず、ご両親の元にお連れしま……」

「レアン殿下!」


 廊下から響き渡ってくる、中年男性の声。廊下に出たところで振り返ると、奥の暗がりから走ってくる豪奢なマント姿の男が。


(ベルツ子爵……)


 額に汗を滴らせるゲアリーの顔になぜか、ミシェル・ベルウッドの顔が重なった。

 ロザリンドを刺殺した時の、狂ったような笑い声を上げるミシェルの顔が。


 反射的にレティシアは身構え、ゲアリーからセレナたちを庇うように立ちはだかった。

 ほぼ、本能が指令を飛ばした行動だった。


 ゲアリーはわずかな敵意をにじみ出させるレティシアを見て足を止め、何か言いたげに口を開いた。そして――


 くるりとマントを翻し、振り向き様にゲアリーは右手から凝縮された衝撃波を放った。

 ろくに狙いを定める暇もなかったというのに、ゲアリーの魔法は今し方階段を上がってきた侵入者の腹部に過たず命中し、侵入者は嘔吐時のような悲鳴を上げてよろけ、すぐにまた階段の方へと姿を消した。ゴロゴロ音がするので、五階まで転げ落ちたのだろう。


「……行け。間抜け面をしている場合か」


 完璧、としか言い様のない見事な魔術にレティシアたちが放心していると、ゲアリーはゆっくり振り返り、絹の手袋の填った手を軽く払った。彼の声は不機嫌そのものだが、しっかりとした意志を持っており、揺るぎない強さを持っていた。


「殿下を必ず、王女の元へお連れしろ。殿下に怪我を負わせてみろ、貴様らの首を刎ねてやる」

「ベルツ子爵……」

「くどい、早く行け」


 廊下の反対側が騒がしくなる。スイートルームでの攻防戦に気付いたのだろう、五階まで追っ手が上がってきていた。


(ベルツ子爵は、私たちにレアン様を任せてくれた……)


 セレナを見ると、怯えた眼差しの奥に微かな炎が宿っているのが見えた。二人は頷き合い、さっとゲアリーに背を向けて廊下を駆けだした。

 五階の階段下には、先ほどゲアリーに吹っ飛ばされた侵入者が大の字になって伸びていた。レティシアがその男を蹴飛ばして道を開け、セレナがその後を追うように階段を下りていると――


「いたぞ、王女だ!」


 五階の廊下を猛然と駆けてくる黒服の集団。彼らはいかにも身を隠すような出で立ちのセレナを見て、獲物を見つけた獣のように雄叫びを上げた。


「王女を殺せ! 王子も仕留めろ!」

「レティシア、こっち!」


 とっさにセレナがレティシアの腕を引いて柱の影に連れ込み、レティシアの両腕にレアンを抱かせた。いきなりずしりと腕に子どもの体重が掛かり、レティシアはその場の状況も忘れて呆然とセレナを見返した。


「セレナ……?」

「奴らは私がティエラ様だと思いこんでいる。レティシアはこのまま、殿下と一緒に三階へ降りて。私はこのまま、奴らを引き付ける。渡り廊下を伝って西棟まで行けば、十分こっちにも逃げ場があるわ」

「! でも……」


 セレナの言わんとすることは分かる。

 セレナはまたしても、身代わりとなって敵を引き付けようとしているのだ。


(止めたいのに……)


 止められなかった。

 レティシアにはセレナを止め、他の案を打ち出すほどの機転や頭脳もなく、セレナの提案が今の状況では最善の策だということが、痛いほど身に染みて分かっていた。

 セレナは一度、慰めるようにレアンの手をぎゅっと握り、そしてフードを被り直すと柱から身を投げ出す勢いで飛び出した。


「王女発見! すぐさま仕留めろ!」


 白いガウンとフードを被ったセレナは、衣服の裾をひらひらとはためかせながらレティシアの前を通り過ぎ、反対側の廊下へと駆けていった。追っ手たちは西棟へ逃げたセレナを追うので必死なのだろう。柱の影で息を潜めるレティシアとレアンの存在に気付く者はいなかった。


 荒々しい足音がすぐ脇を通り過ぎ、遠ざかり、そして完全に消え去っていく。

 レティシアはそれまでずっと止めていた息を大きく吐き出し、そっと柱の影から廊下を窺った。

 五階廊下には誰もいない。隅っこに、先ほどと変わらず男が一人、伸びているだけ。


「レティシア……?」


 レアンが心細そうに名を呼んでくる。レティシアはずっしりと重いレアンを抱え直し、まっすぐ前を見た。


「……行きましょう、殿下。お母様たちの所まで、もう少しです」


 セレナの意志を無駄にはさせない。援護に来てくれたクラートやノルテの恩に報いたい。


 レティシアは一歩一歩、床のカーペットに足跡をめり込ませるように踏みしめながら四階へと下りていった。

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