襲撃 4
しんしんと雪が降る深夜過ぎ。
突如、子爵館の静寂を震わせるガラスの炸裂音に、レティシアは弾かれたようにベッドから飛び起きた。
いきなり眠りの世界から覚醒させられた心臓が痛いくらいに脈打っている。破壊音が轟いたのは一度限りで、その後は不気味なほどの静けさが館内に満ちていた。
バタン、とレティシアの部屋のドアが開く。急ぎベッドから降りると、寝癖で髪を逆立てたセレナの姿が、ランプの明かりを受けてぼんやりと浮かび上がっていた。
「セレナ、今の……」
「すぐ起きて! 行くわよ!」
寝起き全開で舌っ足らずなレティシアに対し、セレナはぴしゃりと鞭のように叫ぶとすぐさま踵を返していった。
レティシアも慌てて、椅子の背もたれに掛けていたコートを引っ掴んでセレナの後を追い、二人部屋の居間を飛び出す。
廊下に出ると、物音を聞きつけたお嬢たちが各々の部屋から顔を出しているところだった。皆、ネグリジェの上にコートを羽織って眠そうな眼差しでレティシアたちを睨んできた。
「ちょっと、今の音は何ですの……」
「放っておいて。行きましょう」
立ち止まりかけたレティシアを、セレナが引っぱる。そのまま、セレナに腕を掴まれてレティシアは素早く上階へ上がった。
(まさか、ティエラ様の身に……)
最悪の状態だけは避けなければならない。
額に浮かぶ冷や汗を拭い、未だ乱打を止めない心臓部に手を当て、レティシアはティエラの部屋がある六階に駆け上がった。
六階廊下は既に人だかりで、寝間着に上着を羽織っただけのレティシアたちとは違い、きっちり鎧を着込んだ騎士たちが集まっていた。
レティシアは長身な彼らに埋もれながらも王女の部屋を守るようにして立つ少年を見、ほっと肩の力を抜いた。そしてそれと同時に、理由の分からない緊張に襲われ、身を固くした。
「クラート様……」
「君たちも起きたんだな」
クラートは眠そうな顔一つせず、ちらと背後のドアを見やった後、いつも通りのきりりとした眼差しでレティシアを見返した。
「あの方は無事だ。従属騎士が中にいるし、夫君や子息も共にいらっしゃる。ガラスが割れたのは三階西棟……今、そちらへオリオンたちを向かわせている。大事には至らないよう、こちらで心がけるから君たちは……」
「クラート公子」
話途中で、恐る恐るといった様子で下級騎士がクラートの前に跪いた。
レティシアがセレナに引っぱられる形でクラートの前から退くと、騎士は深く頭を下げる。
「報告します。今し方、西棟三階第二応接間にて侵入者を捕縛いたしました」
「数は」
「三人。全員投降し、ブルーレイン公子の指揮で縄を付け、マックアルニー子爵にも報告へ向かわせたところです」
「応接……となると、やはり金目当てだったのか」
クラートは、張りつめていた緊張をほぐすように息をふうっと吐き出した。
「報告感謝する。すぐさま第二応接間含む西棟全域を封鎖し、事後処理は子爵にお任せしろ。我々は今後も要人の警護に当たるゆえ、子爵のご指示に従って各々の警備場所に戻れ」
「はっ」
騎士が駆けてゆき、六階に集っていた護衛たちもクラートの指示を受け、少しずつ自分の持ち場へと戻っていった。
「よかった、と言うのは間違いかもしれませんが……強盗だったのですね」
「ああ、この辺も物騒だから偶然が重なったんだろうね。こっちとしては肝を冷やす思いだったけれど」
セレナに応え、クラートは疲れたような笑顔を浮かべた。今までオルドラント公子として背筋を伸ばし続けていかなければならなかったクラートが久々に見せた、少年らしい顔にレティシアはこっそりと安堵した。
だが。
「では、レティシア。ご苦労だった。君は部屋に戻って休んでいてくれるか」
「あ、はい」
「セレナ」
クラートは静かに視線を動かし、セレナを見据えた。
「悪いが、セレナはもう少しここに残っていてくれ。レティシアはまっすぐ部屋に戻るんだ。明日も早いし、まだ強盗騒ぎの余韻は残っている。何があっても、部屋から出ないように頼む」
クラートの言葉は、ひんやりとしていて突き放すような響きがある。
有無を言わせない言い方に、つかの間の安堵に浸っていたレティシアはムッと唇を尖らせた。
だが、ここで駄々をこねても仕方ない。
レティシアはクラートに向き直り、礼儀作法の授業で習った貴族の子女が行う礼をした。
「分かりました……では失礼します、クラート公子」
クラートが目を丸くする。セレナも、不思議そうに見つめてくる。
レティシアは二人の視線から逃げるように、さっと背を向けて元来た道を足早に駆けだした。
釈然としない。納得できない。訳が分からない。
未だ廊下でウロウロするお嬢魔道士たちに目をくれることなく、レティシアはクラートに命じられた通り「まっすぐ」部屋に帰り、タックルする勢いでベッドに倒れ込んだ。
(わけわかんない! なんでセレナだけ? 私だって手伝いぐらいできるのに!)
ぶつけ所のない怒りを、固いマットレスにひたすら拳を入れることで鎮火させようとする、が、手が痛くなるだけで一向に心のもやもやは晴れない。
分からない。
なぜこれほど腹が立つのか。なぜクラートがセレナだけ残したのか。
なぜ。
数分もすれば、理不尽な怒りは少しずつ萎んでゆき、後には形容しがたい空しさと自身の行動に対する後悔のみが、ほろ苦く胸に残っていた。
頼りにされなかったと思いこんで、ついクラートに対して他人行儀な呼び方をしてしまった。クラートが形式張ったものを苦手としており、仲間から「公子」と呼ばれることを厭っていると知った上で。
(私、どうしてあんなことしたんだろう)
怒りが冷めると、体も冷えてくる。レティシアは着たままだった上着をぽいと放り、もぞもぞとベッドの上掛けの中に潜り込んだ。
外気に晒されて冷え切った体はなかなか温まらないが、そのおかげで先ほどよりだいぶ冷静になれたように思われる。
(私は、頼りにされたかった。セレナだけじゃなくて、私にも何か、特別なことをさせてほしかった)
セレナを恨んでいるわけではない。レティシアより年上で経験豊富、落ち着いた性格の彼女が先に選ばれるのは何ら不思議なことではない。
それでも、セレナだけ役目を与えられ、自分は用無しとばかりに返されたのが腹立たしかった。
レティシアは上掛けが捩れるのにも構わず、芋虫のようにごろごろとマットレス上を回転した。
冷静になればなるほど、自分の先ほどの行為がいかに幼稚だったか、セレナやクラートに対して無礼だったかが思い知らされた。そのことに気付くと、漸く温もり始めた布団の中が再び、ゾッとするような冷気に包まれたように思われた。
眠りに就くこともできず、ひたすら悶々としていると隣の小部屋のドアが開く気配がした。セレナが戻ってきたらしく、ごそごそ布団に入る音が微かに響いてきた。
一体セレナは何の用で残されたのだろう。そう思っているとなかなか深く寝入ることができず、レティシアは暗い世界の中、とろとろとまどろんでいた。
 




