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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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襲撃 2

 レティシアは掛ける言葉が見つからず、セレナと並んでうっすらと白く染まる中庭を眺めた。まだ時間が早く、雪掻きもされていないので中庭の大半は処女雪で包まれている。


「……見て、この辺は足跡がたくさんあるわ」


 セレナに声を掛けられ、レティシアはそちらを見やった。中庭の建物寄り、広間に面した側には点々と、大小様々の足跡が残っていた。


「意外と外に出た人が多かったみたいね」

「確かに……おっ、これはかなりでっかいよ」


 とりわけ立派な靴跡に自分の足を重ねてみるが、雪に埋もれた足跡はレティシアのブーツより二回りほど大きかった。


「そうね、これはオリオン様並みの大足ね。あ、こっちにあるのは魔道士の方のブーツの跡じゃない?」

「おおっ、このヒールのめり込み具合は確かに。あ、あれは派手な足跡ね!」

「靴跡というよりは、大きなお皿でも填ったみたいな形ね」


 レティシアとセレナ、二人で白雪に染まる中庭を散策していると、既に耳に馴染んだ堂々とした羽音が上空から降ってきた。


「あら、お帰りみたいね」


 そうつぶやいたセレナがのどを反らせて冬の空を仰ぎ見ると――


「やっほー! おっはよう、二人とも! 今日も美人よぉ!」


 蓮っ葉な声と共に舞い降りてくる緑色のドラゴン。がっしりした両翼が巻き起こす強烈な風を受け、中庭に積もっていた雪が、ぱっと舞い上がる。反射的に両腕で顔を覆ったが、それでも雪の礫は顔に、腕に掛かってきた。


「おはよう、ノルテ。確か朝から偵察に行ってたんだっけ」

「そうそう。ノルテさんが予想した以上に道は混んでるし、未舗装の馬車道はドロドロだし。こりゃ、地盤が固まるまで馬は動かせないわね。どんだけがっちり装備しても、蹄がぬかるみに埋まってしまうわ」


 言いながらノルテは手際よくアンドロメダの装具を外し、愛竜を身軽にしてやっていた。

 鞍や鐙を外されたアンドロメダは長い首をうーん、と伸ばし、犬か猫かのように大きく頭を振るう。その拍子にまた、粉雪が舞い上がってレティシアたちは小さく咳き込んだ。


「ここみたいに周りを森に囲まれていて、日が昇っても気温が上昇しない地域はまだいい方だよ。ここら周囲はあらかた見てきたけど、気温が上がって雪が一気に解けたところは地面が泥だらけになってたよ。お貴族様ご自慢の庭も、ぜーんぶぐっちゃぐちゃさ。庭に金掛ける前に、領民に金ばら撒けってことだね、はっはー!」

「昨夜の雪は、明け方には止んでいたそうだからね」


 足元の雪を両手で掬うセレナに、ノルテは頷いてみせた。


「わたしは今朝、お天道様が昇る前に叩き起こされたんだけど、アンドロメダの準備ができた頃にはもう止んでたわ。でもノルテさん予報によれば今日一日気温は上がらず、冷え込んだ一日になるだろうなー」

「そんなことも分かるの?」

「北の雪国育ちをナメちゃいやぁん、よ」


 えへん、と胸を張るノルテ。


「なんせバルバラは、ここらで木が紅葉する頃にはすっかり雪に埋もれてるからね。他国との交流が皆無に等しかったずっと昔は、バルバラ国民は冬眠する熊よろしく積雪期を引きこもって過ごしたんだとか。毎日雪掻きするよりか、一箇所にずっと留まって春を待つ方が格段に効率がよかったんだろうね。ただ現代では冬籠もりまではしなくて、真冬だろうと子どもは外で遊ぶからね。このノルテさんだって例外じゃないのよ」

「だからそんなに薄着でも平気なんだ」


 言いつつも、レティシアは小さなくしゃみをした。


 レティシアとセレナは現在、厚手のコートとマフラー、手袋を装着している。また、普段からスカート派のレティシアだが今日は綿のズボンを穿いている。防寒対策はばっちりだ。

 一方、ノルテはこの寒空の下でも長袖のシャツ一枚で、スカートも膝上丈のミニ。さすがに彼女の小さな鼻や頬はほんのり赤く染まっているが、肌の血色はよくピンピンしている。極寒の地バルバラの王女様は、冷気耐性を備えているようだ。


 ノルテは朝食の前に偵察に駆り出されたという。ノルテ本人は「こんなの朝飯前だってー」と陽気に言っているが、日が昇る前から仕事に出ていた成長期の少女に飯抜きさせるほど、レティシアたちも鬼ではない。雪遊びをしたがるノルテを説得し、アンドロメダを厩舎に入れた後、三人で館に戻った。


 今朝の出来事などを話しながら会食場に入ったレティシアたちだったが、ドアを開けたとたん溢れ出てきた熱気に一瞬、意識が遠のきそうになった。


 館の廊下は朝冷えしていた。だが会食場はこれでもかというほどガンガン暖炉が焚かれ、急激な温度差に卒倒しそうになる。だが、一瞬くらりと来たのは何も強烈な暖炉の熱気だけが理由ではない。


「そこの! 早く扉を閉めなさい!」


 キン、と戸外の空気のように凍てつく、容赦ない叱咤の言葉。

 暖炉の前にスクラムを組んでいたお嬢様魔道士の目という目がレティシアたち侵入者を捉え、射殺さんばかりの眼光を放っていた。


 言われた通り、ぱたんと後ろ手に扉を閉めると外からの冷気が再び遮断され、室内は熱気と、濃い二酸化炭素を含んだ空気に満たされた。


(絶対これ、体に悪いよね)


 田舎育ちのレティシアでも、換気が大切だということぐらい知っていた。むしろ寒いこの季節は室内に籠もりがちで、空気が澱んでしまうからまめに空気の入れ換えをしないといけない、と養母は口を酸っぱくして言っていたのでレティシアもその方針に従っていたのだ。


 広々とした会食場に唯一据えられた暖炉は、既にお嬢軍団に囲まれて先っぽの煙突のみしかこの位置からは見えなかった。

 レティシアは着ていたコートやマフラーを外してテーブルに畳んで置き、そしてお嬢たちとは離れた場所で一人佇む女性を見つけて破顔した。


「ミランダ、おはよう」

「おはよう。朝から元気ね」


 窓辺で一人、優雅に紅茶を飲んでいたミランダは軽く片手を上げた。今日のミランダはニットのタートルネックセーターとマーメイドスタイルのロングスカートという落ち着いた出で立ちだが、それでも溢れる彼女の色気を留めることはできていなかった。細い指先で紅茶カップを傾ける仕草一つも、同性であるレティシアさえ見惚れてしまいそうな艶やかさだ。


「私は寒いの苦手だから、レティシアたちみたいに中庭散策はできないけどね」

「ひょっとしてそこから見てた?」

「丸見えよ。セレナと二人して、何かおもしろい物でも見つけたの?」

「たくさんの足跡があったので、つい二人で見てました」


 背後からやって来たセレナが言う。彼女は三人分のココアを盆に載せており、その横にいるノルテはブランチ用のサンドイッチの皿を持っていた。


「足跡だけでもいろいろな情報が分かるので、なかなかおもしろいですよ」

「ああ、そういえばあの子たちも寒い寒い言いながら外に出てたわね」


 言い、ミランダは暖炉を囲むお嬢様たちを顎で示した。彼女らはそれまでこちらをジト目で見てひそひそ噂話をしていたのだが、伯爵令嬢のミランダに見つめられ、きまり悪そうにさっと顔を背けた。


「寒いなら出なければいいのにね。それに、あんなに暖炉焚いちゃって。おかげで空気が澱んじゃうから、私はこうして一人窓辺で優雅にお茶していたのよ」


 お茶仲間が増えて嬉しいけどね、と微笑み、ミランダは真珠貝のような爪先で紅茶のカップを弾いた。


 レティシアは近くから円形テーブルを引っぱってきて、四人が卓を囲めるようイスを配置した。セレナとノルテがテーブルの上にそれぞれの荷物を置き、ノルテは遅い朝食に、その他の者は食後のティータイムに入った。


「……そいや、昨日辺りから例の人のご機嫌がよろしいようだけど、レティたちのおかげなの?」


 ふいにノルテに話を振られ、レティシアは一瞬、言葉に詰まった。


(昨夜のこと、言ってもいいのかな……)


 昨夜の夕食の前に、ティエラ王女は胸に秘めていたものをレティシアに打ち明けた。

 王女としての責務の重さや運命の残酷さ、何もできない自分への叫びを、一気に暴露した。


 誰にも、愛する夫や息子にも言えなかった、心の闇。

 かつてのレティシアと同じ、ぶつけようのない絶叫を、ティエラはさらけ出してくれた。だからこそ、彼女は今朝もしっかりとした態度で朝食に臨めたのだ。


(ティエラ様が元気になられたのは嬉しいけど、さすがに経緯を言うのはまずいかも)


 黙って逡巡するレティシアを見かねたのか、クルミクッキーを摘んでいたミランダがさりげなく口を挟んでくれた。


「まあ、いきなりたいそうな使命を押しつけられたのだし、葛藤することもあるわね。あの方もすこし気分が落ち着いたのじゃないかしらねぇ、レティシア」

「あ、うん、そんな感じだと思う」


 すぐさまミランダの差し出してくれた船に飛び付くと、セレナもさりげなく援護射撃してくれる。


「あの方も心細かったことでしょう。たまには、ふさぎ込んだり愚痴を言ったりしたくなるものですよ」

「そうね。あの方だってわたしたちと同じ、女なんだものね」


 ノルテもレティシアの動揺に気付いた様子もなく、うんうんと感慨深げに首を縦に振る。


「こうやって、お茶とかお菓子を囲んで、うわぁーっ! って暴れ回りたくなるわよねぇ」

「それはノルテだけじゃない?」

「でも私だって、やたら高級なお菓子を食べたくなったり、お高い家具に八つ当たりしたくなったりすること、あるもの」

「ミランダも?」

「誰だって少なからず、そういう時があるでしょうよ。伯爵令嬢だろうと平民だろうとね」

「言いたいことを言えば、すっきりしますよね」

「そうそう! こーゆー静かな朝に、お茶とブランチを食しながらゆったり……」


 どばん!


「あぁーっ! さっむさっむ! おいお嬢さんたち、ちょっくらどけてくれよー!」


 外側から威勢よく叩き開けられ、ビンビン振動する華奢なドア。

 穏やかな朝の空気をぶちこわす、ひび割れた大声。


 お嬢たちの苦情もなんのその、どかどかと会食場を横切って暖炉の前に座り込む緑色の熊――もとい、ブルーレイン男爵家の青年。


「おおう、あったけえなコノヤロウ! おいレイド、おまえもこっち来いよ! 俺の隣、空けといてやる!」

「遠慮する」


 さらりと返すは、オリオンの後から部屋に入ってきたレイド。彼は落ち着いた動作でコートを脱ぎ、冷めた眼差しをオリオンに送る。

 遠慮するとは言っているが、レイドの頬も寒気のためかほんのり赤く染まっており、手袋を脱いだ手にふうっと息を吐きかけている。


 エヴァンスのようなキラキラ王子様オーラとまでは行かないが、さりげないながらも色気のあるレイドの仕草に、さしものお嬢魔道士たちもごくっと唾を飲んだようだ。


「……ち、ちょっとガブリエル様! 顔が赤くなってらっしゃりますわ!」

「い、いえ! これは……そう! 暖炉の火に当たったせいですわ!」

「いけませんわ。わたくし、迂闊にもときめいてしまいました……」

「シェリスタ様まで! ……本当に、平民であることが悔やまれますわね」


 所詮彼女らも年若い乙女。奴隷奴隷と嘲ろうと、顔の良い男には弱いのだろう。


(ふん、色目使ったって、どうせレイドはセレナのことが好きなんだろうからねぇ)


 レティシアはそんな彼女らに出来る限り冷たい視線を送ってから、こちらに歩み寄ってくるレイドに軽く手を振った。


「お疲れ、隊長。そっちも朝からお勤め?」

「ああ。俺とオリオンとで、子爵館周囲の雪掻きをしてきた」

「へ、たったあれだけの雪で?」

「俺たちも思った。だが、貴族がうっかり足を滑らせてはいけないから、そうなる前に徹底的に掃いておけと言われた」

「誰に」

「クラートに」


 レイドの口から出てきた意外な人物の名に、レティシアは目を丸くした。てっきり、ゲアリーあたりが押しつけてきたのかと思っていたのに。


「クラート様が?」

「勘違いするな。あいつもいろいろ大変な立場にいるんだ。何かが起きてからでは遅い。万が一にでも、今世話になっているマックアルニー子爵に迷惑をかけることがあってはならないしな。ベルツ子爵やエヴァンス王子が何か言う前に、クラートの方から先手を打っておいたのだろう」


 レイドは言い、セレナが淹れた茶を受け取って両手でカップを包むようにして手を温めた。そして時折カップを回しながら、言う。


「……クラートは朝からずっと捕まっているようだ。エヴァンス王子やベルツ子爵は中庭に出ることもあるようだが、あいつは子爵館に着いてから一度も、部屋の外に出ていない。あいつのことだから文句は言わないだろうが、相当溜まっているだろうな」


(一度も部屋から出てないなんて……)


 思い返せば、レイドやミランダとは子爵館に着いてからも言葉を交わしているが、クラートと直接会話をしたのは、もうかなり前のことになる。食事はレティシアやセレナが運んでいるが、クラートはエヴァンス王子らと一緒に今後の計画を練ったりティエラ王女と話したりしている。

 「おはようございます」や「お休みなさい」の一言挨拶でさえ、交わしたのは一体何日前になるのだろうか。

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