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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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襲撃 1

 マックアルニー子爵館別棟への滞在は、一泊だけの予定だったが。


「なに、土砂崩れ?」


 朝一番、子爵館六階のスイートルームでの朝食中。

 ゲアリー・ベルツの報告にエヴァンス王子が上ずった声を上げた。


「ベルツ子爵、クラート公子。それはまことか」

「はっ……つい今し方、連絡が入ったところです」


 ゲアリーは渋い表情で応えた。


「昨夜、マックアルニー子爵領含む広範囲に雪が降りましたが、一部地域では雪の代わりに雨が降った模様です。そして、舗装されていない山道の土砂が崩れ――泥は一部馬車道まで流れ込み、山沿いの道が広く通行止めになっているとのことです」

「迂回はできないのか」

「それは……厳しいでしょう」


 エヴァンス王子の問いに答えたのは、クラート。ナイフとフォークを置いて、ゆっくりと首を横に振る。


「今朝、私の部下のノルテ・ユベルチャを偵察に向かわせたのですが……急な土砂災害により、あちこちの宿泊施設や宿場が飽和状態なのだそうです。無論、要人の行列ということで一般人を先払いさせることも可能ではありますが、まだ公にされていない王女の護衛を考慮すれば、安全策を採りたいのが私の本音です」

「貴殿の言うことも尤もだ」


 エヴァンス王子はふうっと色っぽいため息をつき、ほんの少しだけ毛先の跳ねた前髪を悩ましげに掻き上げた。


「では、到着期日を遅らせてでも、人混みを避けて行軍すべきだろうな。マックアルニー子爵には迷惑を掛けるが、王女殿下を無事にお連れするためには背に腹はかえられないな」


 指揮官三人の会話を、レティシアは彼らの背後で朝食の給仕をしながら聞いていた。そして、ポットに紅茶の茶葉を入れながらティエラの顔を窺い見る。


 昨夜、レティシアとこっそり打ち明け話をした後からティエラの表情はずっと明るくなったように思われる。今朝はレティシアたちが声を掛けずとも朝食の席に上がり、今もレティシアらの給仕を受けながら落ち着いた様子で食事を取っている。


 ちなみに、昨夜の一件からレアンはすっかりセレナに懐いたらしい。席の都合上母親とは少し離れたテーブルで食事を取らざるを得ないレアン王子だが、隣の席にセレナが座ってパンを千切ってもらっていると、にこにこと嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

 レアンが落ち着いていれば、父親のセイルもゆっくり食事をすることができる。セイルもまた、和やかにそれぞれ食事をする妻と息子を、目を細めて見守っていた。


「では、交通状況が安定するまで子爵館への滞在を延長いたしますが……王女殿下はこの件、承諾いただけるでしょうか」

「私からは異論はありません」


 ティエラは急に話題を振られたにもかかわらず、パンにバターを塗る手を止め、はっきりと言った。

 ゲアリーも、自分の問いにはきはきと答えたティエラに目を丸くした、が――


「子爵様へは皆さんが連絡してくれるんでしょうか」

「……確かに、我々の方で手配いたしますが」


 すっと、ゲアリーの細い目がさらにきつく寄せられる。彼は静かにナイフとフォークを置き、セフィア城にもいるスパルタ教師のように目を三角に吊り上げた。


「無礼を承知で申し上げますが、殿下。今の殿下のお言葉は王女としての品格が感じられません」

「そう……でしたか?」


 指摘され、ティエラは驚いたように目を丸くした。その背後で、レティシアはこっそり顔をしかめる。


 田舎育ちが長かったレティシアだが、セフィア城で徹底的に指導されたため正しい言葉遣いや敬語が使えるようにはなっている。だから、先ほどのティエラの言い方が俗っぽかったというのは実は異論は唱えられなかった。


(そりゃ、ベルツ子爵の言うことは正しいんだろうけど……)


 むっとするレティシアに気付いているのか気付いていないのか、ゲアリーはレティシアに視線を寄越すことなく、呆然と動きを止めるティエラを見据えた。


「殿下、僭越ながら殿下はリデル王国の王女であられるお方です。これから殿下はアバディーンへ参上なさりますが、城に入るだけで王女として認められるわけではございません。王族としての資格と血筋は勿論ですが、一国の主として民衆を率いるためには相応の作法と礼儀を学ばれなくては……」

「その辺でいいだろう、ベルツ子爵」


 くどくどと語り始めたゲアリーをやんわりと制したのは、エヴァンス王子。

 彼もまた食事の手を止め、気遣わしげな視線をティエラに送った。


「せっかくの和やかな朝食時間を割いてまで話すことはないだろう」

「しかし、殿下……」

「ティエラ王女も今後学ばれるべきことも多いだろうが、せめてアバディーンへの道中は気楽に行こうではないか」


 そう穏やかな、かつ有無を言わせない王子様笑顔プリンススマイル。どうやら彼の悩殺スマイルは老若男女、対象を問わず発射されるらしい。

 ゲアリーはしばし、不機嫌そうに唇を尖らせていたがエヴァンス王子の無言の圧力を感じ、やがて肩を落として食事を再開させた。


 レティシアはすぐさまカートに乗せたバスケットを取り、ティエラの席に歩み寄った。


「ティエラ様、こちらのベーグルはいかがですか」


 ティエラはゆっくり振り返り、まっすぐレティシアの目を見つめてきた。


 黒い瞳はわずかに揺れている。だが、アルストルの町で見たような悲愴な輝きはない。

 ティエラがひとつ、瞬きすると眦に浮かんでいた潤みは押し込められ、強い意志を秘めた黒の目が露わになった。


「ええ、もらうわ。ありがとう」


 言い、ティエラは手ずからベーグルを受け取った。テーブルの反対側ではゲアリーが、「平民に感謝の言葉を易々と述べるものでは」云々と説教を垂れていた。


 だがティエラは気にした様子もなく、しゃんと背筋を張ってベーグルを二つに千切る。

 レティシアはカートを引いて元の位置に戻り、ティエラ王女の背中を見つめていた。










 一行の急な滞在延長を、マックアルニー子爵は快諾してくれたらしい。

 食料や人手で少々不安があったのだが、朝食の後頃に使用人が別棟に到着した。こうもあろうかと、昨日の日中のうちに子爵は本館に連絡を入れ、人員の追加と食糧の補給を命じていたのだそうだ。

 さらに防寒対策の衣類やブランケット、はたまた最新型の魔道暖炉も馬車に積んできており、その手際の良さにさしものゲアリーも舌を巻いていた。土砂崩れに巻き込まれる前に物資と人員が到着して、皆助かっていた。


 使用人が到着したので、レティシアたちは雑用から解放される――と思ったのだが。

 厨房の手伝い等は免除されたが、事情が事情なので要人への食事の運搬や給仕はなおも、レティシアとセレナが担当することになった。


 なお、クラートがこの件をお嬢魔道士たちに話すと「なぜ平民などに! 殿下への給仕ならわたくしたちが!」と鼻息荒く言い募った。彼女らをなだめたのは、意外にもゲアリーだった。


「レティシア・ルフトとセレナ・フィリーは確かに平民だが、職務に対する態度は真摯で、なおかつ両者とも、王女殿下や王子殿下の信頼も得ている。急に交代するよりは彼女らに任せた方が、殿下方も安心なさるだろう」と。


「意外だったわね。てっきりベルツ子爵も『その通り』とか言うんだとばかり思ってた」


 レティシアは、ブーツの先で雪を蹴散らしながら言った。


 今、レティシアたちは仕事の合間に子爵館の中庭に出ていた。昨夜、ノルテの読み通りマックアルニー子爵領の広範囲で積雪が確認された。この別棟周囲の森も例外ではなく、うっすらとではあるが中庭は雪化粧をしており、花壇に植えられた花は重そうに、花びらに乗った雪を持ち上げていた。

 セレナは指の先でぴんと花びらを弾き、はたはたと地面に落ちる白雪を眺め、言った。


「そんなに意外だったかしら?」

「だって、今朝の朝食の時、平民にありがとうって言うなーとか、言ってたじゃん」

「ん、それはそうだけど、ベルツ子爵の指摘は至極尤もだったわ」


 冷静なセレナの指摘に、レティシアはきょとんとセレナを見返した。そして、数拍遅れて胸の奥からぐつぐつと得体のしれない感情がわき上がってくるのを感じた。


 誰に対してなのか分からない、ぶつけ所のない怒り。


「でも、今と昔で言ってることが違うんじゃない」


 思わず声が尖るが、セレナは臆した様子もなくゆるゆると首を横に振る。


「違わなくないわ。だってベルツ子爵は朝食の席で、私たちを貶したわけじゃないでしょ。平民に容易に声を掛けてはならないってのは貴族界の常識だし、そもそも王女が自分の手でパンを受け取るってことが危険だからね。パンに異物を入れられるかもしれないし、最悪近付いた給仕に刺されることだってあり得る。普通、信頼できる誰かに取ってもらうものよ」

「それじゃ、ベルツ子爵は最初から、私たちが平民だから扱き下ろそうってつもりはないってこと?」


 なおもつっけどんにレティシアが問うと、セレナはしばらく考え込むように黙った後、ゆっくり頷いた。


「私はそう思ってるわ。お嬢様魔道士の方は私たちを平民と貶しているけど……もしベルツ子爵が平民を本当に侮っているのなら、そもそも私たちが調理を手伝い、部屋まで持ってきて、給仕をしている料理に自ら口を付けるはずがないでしょう?」

「あ、そっか」


 的確に指摘され、レティシアの不満風船がぱちん、と弾けた。


「そういえば……行きだけではあるけど、私たちを馬車に乗せるよう指示したのはベルツ子爵なんだっけ」

「レティも知っているように、ベルツ子爵は魔道士ならば、貴賤問わず採用される方だから」


 そう言うセレナだが、表情は決して明るいものではない。


(そうだよね……だって、貴族でも魔道士でもないレイドたちのような人はたくさんいるんだ。きっと、そういう人たちはもっと酷い扱いを受けるんだ)

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