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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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侍従魔道士見習レティシア 3

 セフィア城は城壁にぐるりと囲まれる形でいくつかの棟が建ち並び、それらの棟が渡り廊下で繋がれていた。ほとんどの棟は南北に長い棒形で、上空から見ると畑の畝のように行儀よく並んでいるのだという。


 棟のうち、東側二つは宿舎寮になっている。一番東が女性、二番目が男性の棟で、騎士魔道士問わず性別で棟を分けられている。

 平民出の見習は持ち金も少ないため最下階の一般部屋で寝泊まりする。身分や階級が高い者だとより上階の部屋が与えられ、一級になるとレティシアの実家が丸々入りそうな部屋が一人に与えられるのだという。金のない者のために複数人で共有できる部屋もあり、友人もしくは兄弟でルームシェアリングすることもあるのだという。


 そう説明されたレティシアは当然、自分は最下層の部屋を与えられるものとばかり思っていた。

 だがレティシアが案内されたのは女子棟の最上階。居間と続き部屋でバスルームと寝室がくっついており、居間には既に一通りの家具が揃っていた。

 猫足のテーブルや無駄に分厚いクローゼット、扱い方の分からない魔道機器が据えられた、超一級の一人部屋。


「――ここで寝泊まりしろっての?」

「残念ながら、これより上質な部屋がありませんので」


 ロザリンドは答え、「そっちじゃない」と言いたげに部屋の入り口で呆然と固まるレティシアを置いてさっさと帰ってしまった。引き留めようと振り返ったが、無情にドアは外から閉められる。


 レティシアは肩を落としてもう一度、豪華すぎて広すぎる部屋を見回し、深いため息をついた。

 既に、セフィア城で魔道士修行するという戦いは始まっているのだろう。


 落胆していても仕方がないので、唯一腰を据えられそうな椅子に向かう。

 明日からのことはまた、じっくり考えておこう。


 どかっと尻で押しつぶされ、鈴蘭模様が彫り込まれた華奢な椅子が苦しげに悲鳴を上げた。











 レティシアの授業は早速、二日目から始まる。

 一日の予定はロザリンドからもらっていたが、こちらが困ることがないよう、既に行動予定はしっかり詰まっていた。加えてロザリンドの気遣いか、授業の受け方や言葉遣い、身の振る舞い方などについても細かく注意書きが為されている。


 侍従魔道士見習の一日。

 朝起きたら各自仕度をし、食堂で朝食。騎士見習の場合は朝食の前に朝の特訓があるらしいが、魔道士見習の方には特にない。その代わりにマナー講座や文学の授業、算術やダンスなどが騎士見習よりも多い。

 騎士が武なら、魔道士は文。魔道士見習出身の者が文官を目指すこともあるそうなので、基礎教養はしっかり身につけなければならない。


 幸い、レティシアには最低限の読み書き算数能力はある。養父母は若い頃商人として各地を回っていたそうなのだ。そのおかげで一通りの文字は読めるし、積極的ではないが行商人から買った簡単な文学作品を読むこともあった。


 現在一番の悩みの種は、侍従魔道士見習として一番伸ばすべき能力、魔法。

 ロザリンドは「やればできる」と言うのだが、果たして魔力が皆無に等しい自分が魔法を使える日が来るのだろうか。


 だが、悩んでいても始まらない。

 レティシアは洗面台で洗顔を済ませ、昨日渡されたばかりのローブを手に取り、あちこちの角度からしげしげと眺めてみた。


 昨夜一晩、ハンガーにぶら下げて部屋に飾っていたのだが、これ一着だけでルフト村の住人何人分の食事が買えるだろうか、とつい俗な計算をしてしまう。

 実際袖を通してみるとやはり、絹製のローブは肌触りがよく、木綿と違ってひんやりしているのでレティシアは軽く身震いした。少しレティシアには大きいサイズのようで、大きめに開いた袖口が長すぎ、両腕を横に伸ばすと親指の付け根まで袖が覆ってしまった。

 ローブはそのままだと幽霊のような装束になるので、革製の腰紐で緩く結ぶ。ぴっちり締めるのではなく少し上部にゆとりを持って結ぶ方が格好が付くのだという。


 そして、ローブ以上に高級感溢れるマント。ロザリンドの金のマントはそれこそ、田舎者には触ることすら忍ばれるような輝きを持っていたが、この淡い黄色のマントは落ち着いた色合いで、滑らかで触り心地がいい。

 マントは端の部分を首の回りにぐるぐると巻き付け、顎の下で見えないようにピンで布地を留め、肩に掛かるようにゆったりと背中に垂らすデザインになっている。


 きちんとマントを留め、鏡の前で一回転し、鏡面に映る自分の姿を確認する。衣服こそはリデル侍従魔道士に相応しい出で立ちだろうが、顔立ちは隠しようもない田舎者のそれ。クインエリアで最高権力を誇る両親の遺伝子よりも、ルフト村で育ててくれた養父母の田舎根性の方が勝ってしまったのだろう。化粧を施さない顔はどこか自信なさげで、垢抜けない農村少女の風貌を露わにしていた。


「……ま、いいか」


 レティシアはもう一度、鏡に映る「侍従魔道士見習レティシア」を見つめる。


(頑張ろう、レティシア)


 鏡の中のもう一人の自分は不安を隠せない、強ばった顔でレティシアを見つめ返していた。












 初っぱな一時間目は文学の授業。

 用意されていた真新しい教科書を抱え、先ほど食堂で掻き込むように食べた豪華な朝食に少々胃もたれを起こしつつ、レティシアは予定表に書かれていた教室へ向かう。食事はカウンターに並ぶ好きな料理を各自好きな量取る形式だったが、残念ながらほとんどの料理はレティシアの舌には味が濃すぎ、少量の割に腹が膨れてしまった。野菜を煮込んだスープだけは美味だったのでまた今度も食べよう、と脳みそに刻みながらレティシアは階段を駆け下りる。


 急いだためか、これほど入り組みあい、階段が多く、あちこち無駄に渡り廊下で繋がれている城内を地図のみ頼りに初めて歩き回ったにしては、早めに教室にたどり着けた。


「あら、初めて見る顔ね」


 とりあえず正方形の教室の一番隅の席――レティシアは知るはずもないが、教壇に立つ教師からとても見えやすい場所――に荷物を乗せると、背後から高い声が掛かってきた。


 椅子を引く手を止めてそちらを見ると、レティシアより数秒遅れて教室に入ってきた少女がこちらへと歩み寄っていた。

 糊の利いた薄黄色のマントを翻し、ブーツのかかとを鳴らせながら歩く姿は凛としていて、威圧感すら感じられる。赤みのかかった金髪は顔の両サイドで見事に巻かれ、彼女が歩く度に時計の振り子のようにゆらゆらと左右に揺れていた。


 出で立ちこそレティシアと全く同じで、歳もおそらく同じくらいなのだろうが、吊り気味の紫の目は獲物を見つけた猫のように鋭く輝いている。しっかり朱の引かれた唇はふっくらとしており、一足早い大人の女性の香りを放っていた。垢抜けた少女とは、彼女のような人物を言うのかもしれない。


 少女はレティシアを見、ローブ越しでも膨らみがよく分かる胸に手を当ててにっこりと愛想よく微笑んだ。


「はじめまして、ですね。わたくしはミシェル・ベルウッド。あなた、新入りね」

「あ、はい。レティシア・ルフトって言います」


 レティシアは少女にきちんと向き直り、握手を求めようと右手を持ち上げ――すぐ引っ込めた。

 差し出しかけたレティシアの手を見て、ミシェルが酷く怪訝な顔をしたからだ。きっとここでは握手を求めるべきではないのだろう。

 引っ込めた手を後ろ手に組み、レティシアはミシェルに微笑み返す。


「私、昨日来たばかりで分からないことばっかで……」

「あら、それもそうですわね。あなた、わたくしと同じ歳でしょう? この歳で編入すると相当大変でしょうね」


 なぜか唇の端を吊り上げて、小馬鹿にしたような笑みを浮かべるミシェル。彼女の背後に固まって傍観していた少女たちも、くすくすと小声で笑い声を上げた。

 なぜ彼女らが笑うのか分からず、レティシアは小首を傾げる。


「……そう、ですね。これから頑張ります」

「ええ、そうね。せいぜい頑張ってちょうだい」


 ミシェルは手短に言い、つんと顔を背けて足早に自分の席へと向かった。彼女の取り巻きらしき少女たちも、目を三角にして笑いながらレティシアの横を通り過ぎていく。


 教室中央の窓寄り――レティシアはもちろん知らないが、教師からは一番見えにくい場所――に座り、豊かなブロンドを靡かせるミシェルの背中を見てレティシアは微かに眉根を寄せる。


(なんだか、嫌な雰囲気の人だな……)


 ミシェル・ベルウッドはあちらから声を掛けてくれた。

 だが、彼女と自分は相容れない。

 そう田舎娘の直感が告げていた。












 教室に集まったのは、レティシアと同じ十五歳の侍従魔道士見習の少年少女。ロザリンドが言った通り、全体の比としては圧倒的に女子の方が多く、男子生徒は徒党を組むように全員、教室の前の方の席に固まって座っていた。騎士団が男子の聖域である分、侍従魔道士団は女子の権力が強いのだろう。

 ミシェル以降レティシアに声を掛ける生徒はいなかったが、あちこちから興味深げにレティシアの方を窺ってくる視線を感じていた。


 文学の教師は、中年の女性魔道士だった。マントの色は少しくたびれた銀色。年代物のせいか、くすんだ灰色にも見えた。

 彼女は新入りのレティシアをまず指名し、どれほど読み書きができるのか試すべく、教科書の一文を読み、そして教師の読み上げた文を黒板に書くよう示した。


 養父母から読み書きを教わっていたレティシアにとってはなんてことなく、すらすらと短い詩を読み上げ、そして簡単な挨拶文を前の黒板に書く。すると教師のみならず、他の生徒たちも意外そうに目を見開いた。


「驚きですね……レティシア・ルフト、あなたは辺境の村出身と聞きましたが」

「あ、はい。でも養父から字は教わってたんで」


 レティシアはチョークを返し、何気なく教師の言葉に返答したのだが。


 レティシアと教師の会話を聞きながら各自書き取りをしていた魔道士見習たちは一斉に顔を上げ、すぐにまた面を伏せた。意味ありげな忍び笑いや私語が飛び交うが、ロザリンドをさらに一回り厳格にしたような女性教師は短く切られた黒髪を振るい、現を抜かす生徒たちにきつい眼差しを送った。


「あなたたち、うっかりしていると彼女に追い越されますよ。黙って、詩の書き取りを進めなさい。――レティシア。あなたの読み書き能力は予想以上です。後程新しい本を渡しますから、いつ当てられてもいいよう全て読み、書き写せられるようにしておきなさい」

「はい、分かりました」


 レティシアはぺこっと頭を下げ、机の間を縫って自分の席に戻った。

 一番後ろの端の席に座って、ひとつ呼吸を置き――我知らず、頬が笑みを象る。


 褒められた。

 田舎者だからといって邪険にされることもなかった。


 ほうっと安堵の息をつき、レティシアは教師が他の生徒を指名している間、嬉々として手持ちの教科書をめくって口の中で文章を読み上げた。


 この調子ならなんとかなりそうだ、とレティシアは緊張をほどいていた。そんな彼女は、窓辺の席から――教科書に手も付けず、頬杖を突いていたミシェルが刺すような視線を送ってきていることに、気付いていなかった。

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