逃れられない運命 2
急に子爵館に大勢の賓客が入ることになったため、さすがにお手伝いが足りていないそうだ。
レティシアとセレナは厨房に引っぱっていかれ、館内の警備を任されたレイドと廊下で立ち別れた。
一般市民組がいそいそと使用人の手伝いをする傍ら、クラートを始めとする貴族の仲間たちは一足先に食事を取るそうだ。彼らの夕食が終えてからようやく、使用人が食事にありつけるのだという。
なお、ティエラ一家とクラート、ゲアリー、エヴァンス王子は会食場ではなく客用私室で食事を取るらしい。ティエラの存在はマックアルニー子爵には伝えられているものの、使用人たちに公表する段階ではない。今回は「エヴァンス王子御一行にとある貴人が同行している」という設定で、ティエラたち三人が他人の目に触れられないように配慮しなければならないのだ。
びくびくしながら厨房へ行き、お揃いの古いエプロンを纏ったレティシアとセレナだが、厨房の使用人たちは皆気さくで人当たりがよかった。
「急に雑務を押しつけて申し訳ない」
五十代半ばとおぼしき中年男性料理長が、元々皺の多い顔にさらに襞を寄せて申し訳なさそうに言った。
「まさか、我々も王子一行が泊まられるとは思っていなかったのだ。この別棟は通過すると伺っていたからね。幸い、食料は多めに蓄えていたから食べる分には困らない。調理は我々の方でするから、君たちには皿洗いや給仕をお願いしたい」
「お任せください。水仕事なら慣れてます」
レティシアは胸を張って言い、隣のセレナもこっくりと頷いた。
「微力ながらお役に立てれば幸いです。どうかよろしくお願いいたします」
料理人たちは「礼儀正しいね」「素直な若い子でよかったわ」などと言いながら、早速レティシアたちに山と積まれた調理器具洗いを命じた。
「今日、子爵様はここにいらっしゃったんですね」
鉄製の鍋をたわしで擦りながら、レティシアは問うてみた。表面に特殊加工が施されていない年代物の鍋で、金たわしで擦ると錆が剥がれてしまう。
洗剤をふわふわになるまで泡立てて布製のたわしで洗っていると、隣でイモの皮むきをしていた青年料理人が視線はイモに注いだまま、答えてくれた。
「そうなんだ。実は、つい先日までここに旦那様とご子息が滞在なさってたんだ。ご子息は一昨日、本城に帰られたが旦那様はもう数日別棟に滞在なさって事務仕事をされるおつもりだったんだ。だからエヴァンス王子御一行をおもてなしするだけの食料はあったし、館内もここ数日はまめに掃除をしていたんだ」
「本来、いつでも貴人をお迎えできるように備えておくものではあるんだけれどね」
そう言うのは、先ほど廊下でレティシアたちに声を掛けた中年の女性料理人。ふうっと疲れたようなため息をつくが、さすが料理のプロ。みるみるうちに手元のゆで卵の殻が剥かれ、瞬く間につるんとした剥き卵の山がボウルに築かれていた。
「旦那様は節制を心がけてらっしゃるのよ。今回は、ただ運がよかっただけ。日取りが悪ければ、食料も使用人も空っぽな別棟をお見せする羽目になっていたのだから」
「旦那様も、もうちょっと贅沢してもいいよな」
「でもまあ、おかげさまで子爵領は潤ってるようなもんだけど」
「俺たちの給料はケチらないのが嬉しいよ」
「節制もほどほどに、ってことね」
「正直、旦那の節制は頭の毛だけで十分……」
「次の旦那様の誕生会には鬘をお送りするか? 俺たちから、匿名で」
「あー……旦那様の哀愁漂った苦笑が目に浮かぶようだよ」
厨房からは笑い声が絶えない。どうやらマックアルニー子爵は使用人からも慕われているようだ。
だが会話しつつも、料理人たちの手は決して疎かにはならなかった。
レティシアたちが皿洗いしつつ噂話に耳を傾けているうちに、テーブルにはぽんぽんと豪勢な馳走が並んでゆく。羊の肉を強火であぶった肉汁滴るステーキ。新鮮な野菜に甘酸っぱいドレッシングを掛けたサラダ。宝石の欠片のようなゼリーを散らした冷やし鴨肉の前菜盛りに、ひまわり色のとろりとしたパンプキンスープ。倉庫から持ってこられた年代物の食前酒を添え、デザートのババロアは今、冷却魔石装備の冷蔵室でじっくりと冷やされ、出番を待っていた。
「では申し訳ないが、六階のスイートルームへ持っていってくれないか」
会食場へ給仕に行こうとしたレティシアたちを引き留めたのは、料理長。彼は完成した料理の中でもとりわけ豪勢なものを銀のカートに乗せていた。
「カートを部屋の前まで持っていってほしい。本来ならば我々が行くのだが、今回は私たちが会ってははならない方もいらっしゃるということで……一行に同行している君たちならば、エヴァンス殿下も安心なさることだろう」
つまり、料理長たちも配慮しているのだ。いくら部屋の前でカートを引き渡せばいいといっても、何かの拍子に部屋の中が見えてしまうことだって有り得る。その時にティエラ王女たちの姿が見られることがあってはならないのだ。
レティシアとセレナは二つ返事で承諾し、温かい料理の載ったカートを押して厨房を出た。
オリオンやノルテ、ミランダが食事する会食場は一階の隅にあるため、一階廊下では給仕に向かう使用人たちとすれ違うことがあった。だが階段横に設えられたスロープを上がると、一気に人々のざわめきが遠のき、静寂が身に迫ってくるようだった。
大量の料理が載ったカートは予想以上に重い。それらを零さないようにしなければならず、スロープではさらに腕に負担が掛かる。
そのため六階まで上がるのは予想以上に難儀で、指定されたスイートルームの前まで来たときには二人とも息が上がっており、冬だというのに素肌はじっとりと汗を掻いていた。
二階から五階までは閑散としていたが、王女一家のいる六階は警備態勢も完備していた。階段を上がった先にまず一人騎士がおり、部屋の前にはアルスタットでも見た三人の騎士が控えていた。
今気付いたが、騎士三人はアルストルで見たときのくすんだ鎧姿ではなく、王城の聖騎士のようなきらびやかな鎧を纏っていた。
(そうか、そういえばこの人たちは元々アバディーンの騎士だったんだっけ)
きっと、王女を守り抜いた勲功でエヴァンス王子あたりから王宮騎士の鎧を与えられたのだろう。
三人はカートを押してきたレティシアたちを見て一瞬、怪訝そうに顔をしかめたがすぐに表情を戻し、一礼してドアをノックした。
思い返せば、ノルテやオリオンとは何度か言葉を交わしたがクラートとは久しく会話していない。それどころか、近くに立つことすらここしばらくなかったような。
(クラート様が出てこられたら、ちょっとお話しできるかな)
そんな、淡い期待を抱いていたレティシアだったが。
「ああ、夕食だね。ありがとう」
(うおっ……!)
ゆったりした動作でドアを開けて不意打ちで顔を覗かせたのは、夕闇を打ち払うような眩しいオーラを放つエヴァンス王子。廊下に設置された燭台のわずかな明かりを受けて、王子の金髪が燦然と輝く。
間近で見るエヴァンス王子は非常に身長が高く、レティシアより背の高いセレナでさえ、頭を持ち上げないと王子の顔が見えない。レティシアの目線の先には、筋肉に包まれた王子の見事な胸元があった。
平民の小娘相手にも惜しむことなく王子様光線を放つエヴァンス王子は、硬直するレティシアとセレナを見、カートに乗せられた夕食を見てふっと微笑んだ。
「わざわざこの階まで持って上がってくれてありがとう。女性の細腕に無理を言わせて申し訳なかった」
「い、いえいえ! これくらい私たちのしごっぐふ!」
「殿下のお役に立てて何よりです」
舌を噛んで悶絶するレティシアの代わりに、ぎくしゃくしつつもセレナが礼儀正しく答えてくれた。
「何かご用があれば、お力になります」
「気遣い感謝する」
そして弾けるプリンスオーラ。ぎょっと身を固くする平民娘二人。
「では、申し訳ないが一仕事頼まれてくれるだろうか」




