アルスタットへ 7
レティシアは知らなかったのだが、貴族が馬車旅するときはよほどの緊急事態でない限り、馬車内で寝泊まりすることはせず通りがかった屋敷などに泊めさせてもらうのだそうだ。
大抵はその地方を治めている領主の屋敷や別荘で、特に親密な相手とはもてなしもてなされの関係が当たり前なのだとか。
そういうわけで今回の旅は全て、道中の屋敷に泊まっていった。レティシアたちは馬の手入れや荷物整理、その他諸々の雑用を任されたものの、出された料理は十分すぎるほど豪華だった。
これでもお嬢たちや貴族の騎士たちよりは数ランク下なのだそうだが、食べるのがもったいないくらいきらびやかで高価な食事にありつけることができた。
ちなみに、王女を連れた帰りの道程では今よりももっと立派な館に泊めてもらえるらしい。それでもお嬢たちは食事やベッドの素材、使用人の態度などに逐一文句を付けていた。
最初こそはクレーマーよろしくあれこれ注文を付けるお嬢たちに憤りを感じていたレティシアだったが、数日もすれば怒る気力もなくなっていた。結局、彼女らにとって文句や苦情を言うことは、レティシアたちにとって呼吸をするのと同じくらい、自然な動作なのだそうだ。
そしてオルテンを出て十数日後。
護送隊の一行はリデルの国境を越え、アルスタット地方に足を踏み入れた。
「あちこちに廃墟みたいなのがあるね」
休憩時間、周囲を散策していたレティシアは思ったことを口にしてみた。
馬車旅の休憩時間は馬の世話やお嬢たちの面倒見など、レティシアたちに任された仕事は多いがそれでも自由な時間は多少なりとも与えてくれた。さすがにクラートと話すことはできなかったが、それ以外のディレン隊で集まって体をほぐしたり雑談したりと、なかなか体を休める機会のない旅の中では貴重な時間であった。
レティシアの言葉を聞いて、側で体ほぐし運動をしていたオリオンが振り返った。
「みたい、じゃなくって本当の廃墟だ。アルスタット地方はかつてはいくつもの砦や城塞を抱えた軍事都市だった。リデルとカーマル、二つの大国に挟まれながらも長く独立を保っていられるのは、傭兵としての優れた戦闘能力や住人の確固とした意志、そして無敗の城塞都市であったという誇りがあってこそなんだ」
続けてオリオンはアルスタットの歴史を教えてくれた。
アルスタットはかつてカーマル帝国東端の地方都市であった。だが帝国の貴族主義風潮に嫌気が差し、今から百年以上前に住人が蜂起して反乱を起こしたのだという。
アルスタット地方自体の価値は低く、資源が豊富なわけでもない。だがリデルとカーマルを繋ぐ中継地であるアルスタット地方が領土から離れるのは手痛かった上、住人の反乱で領土を縮小するのが屈辱だったのだろう。カーマル帝国はすぐさま兵を派遣し、アルスタットの傭兵と真っ向から衝突した。
優秀な騎馬兵や最新の武具を揃えた帝国に、アルスタット地方は手も足も出ない――と予想されていたが、カーマル帝国の侵攻は困難を極めた。
アルスタット地方にはカーマル帝国中心部のような整備された馬車道がなく、礫だらけの道の行軍は非常に困難で、遠征時間の増幅を余儀なくされた。さらに随所に設置された砦からの奇襲を受け、制圧しようと乗り込んでももぬけの殻。挙げ句、帝国兵が入り込んだ砦に火を放たれて、袋のネズミ状態に。
カーマル帝国軍は疲弊し、その隙を衝いてアルスタットの屈強な傭兵たちが次々に襲撃してきて、戦績高い騎士たちも相当の苦戦を強いられた。最後には負けを悟って敗走する帝国軍を国境付近で待ち構え、投降するまで完膚無きまで叩きのめしたという。
結果、カーマル皇帝は今後の一切の援助や応援要請などを断ち切る代わりに、アルスタットの完全独立を認めることを公表したのだった。
「といっても、アルスタットが独立を認められたのはカーマルの貴族共が騒いだってのが大きなきっかけなんだがな」
オリオンは睫毛を伏せ、緑色の目に影を落とした。
「カーマルからの独立を願い、武力行使するような野蛮人と同じ国にいたくないって訴えが多数上がったそうだ。当時の皇帝も同じ考えだったんだろう。あそこの考え方は、リデルで生まれ育った俺たちには想像できないくらいかけ離れているそうだ」
「加えて、今の状況を見て分かるように、アルスタットの土地は決して豊かとは言えない」
言うはレイド。彼はその場にしゃがみ込み、ぱさぱさに乾いた土を手の平に乗せていた。
つられてレティシアも膝を折って座り、土をひとすくい手に取った。
(水気が全然ない……おまけに小石が多すぎる。これじゃあ、耕そうにもミミズも来てくれないな)
「……作物、作れそうにないわね」
「ああ。金属が採れる鉱山があるわけでも、豊かな土壌があるわけでもない。だからアルスタットは、カーマルから独立した後は商業と傭兵家業でやっていっているようなものなんだ」
レティシアは親指と人差し指の腹で土を磨り潰し、ゆっくりと立ち上がって辺りを見回した。
少し先には護送隊の馬車が止まっており、お嬢魔道士や貴族の騎士たちは馬車に籠もって休憩しているようだ。ふかふかのシートを地面に敷いても、あまりにも土地がごつすぎるためゆっくり休めないのだとか。
真っ青な晴天が続く上空には、くるくると旋回する大きな影が。ここ数日の遠征は牛歩の進行速度のため、高速で飛べないアンドロメダは相当ストレスが溜まっているらしい。ノルテを乗せ、優雅に円を描いて飛ぶアンドロメダは文字通り、思いっきり羽を伸ばしていた。
土地は荒れているが、都会の喧噪から遥か遠く離れたアルスタット地方は、澄んだ空気に満ちていた。
レティシアは砂埃を含む空気を思いっきり吸い、いつまでもその場に立っていた。
翌日の昼前。一行は荒野の中に佇む町に到着した。
「長旅ご苦労だった。ここが目的地アルストル。アルスタット地方の中心部で、件の女性はこの町で育ったそうだ」
アルストルの町は傭兵都市と言うだけあり、辺境にもかかわらずがっしりした石造りの壁に囲まれていた。侵入者防止のためか壁の上端は外向きに反っており、鼠返しのようになっていた。
元々は要塞だったのだろう、セフィア城の城壁のように壁の随所に見張り用の小窓が付いていて、一行が通った際、何対もの目がじっとこちらを警戒しているのが見えた。
しかし、見上げるほど高い壁の内側は意外なほど質素で、いかにも地方の田舎町といった雰囲気だった。家屋の大半は木製で、ルフト村の隣村のように家屋と家畜小屋が一体になっているものも多く見られた。
牧歌的な雰囲気とは裏腹に、町中を歩く市民の他に、武装した傭兵たちも多く混じっていた。ほとんどの傭兵は大柄な男性で、町中にもかかわらず大振りの長剣を背負っていた。二の腕の筋肉や胸筋が丸見えの皮鎧を纏った彼らは、セフィア城で見慣れた騎士よりもずっと粗雑で、いかつくて、物騒だ。
(確かに、みんな怖そうな見た目だけど……)
レティシアはそっと馬車のカーテンを開き、通りの様子を窺った。とたん、石畳の大通りを歩いていた中年男性傭兵とばっちり目が合い、慌ててカーテンを閉ざす。
(間違いない。みんな、私たちを嫌悪している……)
恐ろしい、と思ったのは何も外見ゆえだけではない。傭兵に限らず、道行く市民の誰もが護送隊一向に敵意むき出しの視線を投げつけてくるのだ。大人から子どもまで、全員から。
なぜ彼らが殺気立った様子でこちらを見てくるのか。大体予想はできたものの、確信が持てたのは馬車から降りてゲアリーの号令で町の広場に整列した後だった。
「例の女性は既に仕度を終えている。準備ができ次第、すぐにアバディーンにお連れする」
ゲアリーが一同に言った直後、広場が騒がしくなった。見れば、一行を囲むようにして集まっていた市民たちの間を割ってやって来る、物騒な男たちが。
人数は両手で数え足りる程度だが、全員例外なく武装しており、両目はぎらぎらと怒りに燃え、今にも腰に下げた剣を抜いて斬りかからんばかりの殺意を放っていた。
「おい、あんたらが例のリデルのお偉いさん一行か」
先頭の男が放った、遠慮も礼儀もないぶっきらぼうな台詞。アルスタットの乾いた空気を震え上がらせるようなだみ声に、一行は色めき立った。
ゲアリーらが露骨に顔をしかめる一方、エヴァンス王子は男の暴言に怯んだ様子も憤った様子もなく、普段通りの爽やかな笑顔で会釈を返した。
「おっしゃる通りです、アルスタットの傭兵殿」
「悪いがお嬢ちゃんはおまえらには渡せねぇ。とっとと町から出て行ってくれ」
吐き捨てるような一言に、レティシアは事の次第を悟った。
アルストルの住人は、王女を引き渡すつもりがないのだ。「お嬢ちゃん」は間違いなく、王女を指している。彼らは長年共に生活してきた王女をアバディーンに連れ去られたくない。
だから王女を護送しに来た一行を睨み付け、傭兵たちは計画を阻止するべく一行の前に立ちふさがったのだ。
(こりゃ、相当荒れそうだね)
一行の最後尾にいたレティシアはどこか他人事のように思ったが、ゲアリーらはそうは行かなかった。
顔をさっと紅潮させ、ゲアリーは一歩前に出て自分より一回り大きな傭兵を睨み返した。
「その言葉の意味が分からないのだが。王女殿下をアバディーンへお連れする旨は、既に通達したはずだろう」
「あの紙っきれ一枚で、ハイハイそうですかって言わせるつもりか? ふっざけんな。俺たちが承諾するとは一言も言ってねぇだろ」
先頭の傭兵とは別の男性が巨体を震わせて唸ると、野次馬からも「そうだ!」という声が上がった。
「王女か何か知らねぇが、ここはお嬢ちゃんの故郷だ」
「どうせ、権力に物言わせて嬢ちゃんを奪うつもりなんだろ!」
「王宮とかいう、うざってぇ所に閉じこめて一生を棒に振らせるなんて、俺たちが許すわけねぇだろ!」
口々に言い募りながら迫ってくる傭兵たち。やんやと囃し立てるその他一般市民たち。
「……まあ、そうなるだろうとは思ってたけどね」
隣のセレナが至極落ち着いたように言う。彼女の隣で腕を組んで状況を見ていたレイドも、達観したような表情だ。
「リデル貴族を中心とした護送隊と、仲間のために戦う屈強な傭兵……どちらが勝つか、見物だな」
「いや、見物って」
「俺、傭兵隊の方に賭けるぜ。今日の夕食の肉一個」
「オリオンまで……」
思わず突っ込むが、暢気なディレン隊を差し置いて貴族たちもヒートアップしていた。
「黙って聞いておれば、好き勝手なことを言いおって!」
「薄汚い傭兵の分際で無礼な! おまえたちの戯言を聞くのもうんざりですわ!」
「そこに直りなさい! わたくしの魔道で成敗いたしますわ!」
それに対して、負けじと剣をちらつかせ、力こぶを盛り上げる傭兵たち。
「おう、できるもんならやってみろや!」
「貴族だか魔道士だか知らねぇが、こちとて無敗の傭兵ギルドだ。成敗されんのはてめぇらの方だ!」
「だいたいあの剣が出てきたからなんだろ。だったら剣だけ持ってけばいいじゃねぇか!」
(あの剣……?)
弾かれたようにレティシアが顔を上げると、列の先頭にいたクラートの口元がわずかに引きつったのが見えた。それはエヴァンス王子も同じで、端正な顔を微かにしかめた。
(じゃあ、「あの剣」ってのが王位継承に関係しているってこと……?)
国家の機密事項に触れてしまい難しい顔をするレティシアを差し置き、貴族と傭兵の口論は佳境に向かっていた。
「王女殿下はいずれリデルを背負われるお方だ。承諾いただけないならば、こちらも強攻策に出させてもらう」
「ベルツ子爵」
エヴァンス王子が小声で窘めるが、散々愚弄されたゲアリーも我慢ならなかったのだろう。
宝石飾りが大量に付いた銀の杖を取り出し、傭兵たちに向ける。それに倣い、貴族たちも一斉に攻撃態勢に移る。
(……え? 本当にぶつかっちゃうわけ?)
まさか本気で衝突すると思っておらず、内心焦るディレン隊。憤る貴族たち。彼らを制するエヴァンス王子。そして剣を抜いて今にも斬りかかろうとする傭兵の男。彼らを取り巻いて、「いいぞー!」「貴族を倒せ!」と場を煽り立てる市民。
すでに何が何だか状態の広場。すわ衝突かと、レティシアが身を固くした直後――
「おやめください」
静かな、女性の声。
怒声に罵声、悲鳴が入り交じっていた広場に響き渡る、凛とした言葉。
真っ先に反応したのは、剣を構えた傭兵たち。厳つい顔をはっとさせ、剣を収めると勢いよく背後を振り返った。




