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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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アルスタットへ 6

 翌日、遠征が本格的に始まった。


 オルテンに来るまでに使っていた馬車はここで契約を切り、クラートら貴族は馬車に乗り、レティシアたち平民は騎乗してアルスタット地方へ向かう……と思いきや。


 今、レティシアたちは豪華な馬車の一室にちょこんと座っていた。

 窓際に押し込められるようにして座るレティシア。その隣には同じように窮屈そうなセレナが座り、さらにその横には堂々とミランダが腰掛けていた。


 そして、それ以外の乗客は全員貴族のお嬢様魔道士ばかり。彼女らも、「おまえら邪魔」と言いたげな視線をこちらに寄越してきていた。

 さて、なぜレティシアたちまでこの馬車に放り込まれたのかというと。








「ゲアリー・ベルツは魔道士贔屓なのよ」


 あれよあれよという間に馬車に押し込まれたレティシアとセレナにそっと耳打ちするは、ミランダ。


「ベルツ子爵家は高名な魔道士一族で、うちのエステス伯爵家とも交流があるのよ。貴族の中でも魔道士一族は繋がりが強くって。きっとベルツ子爵も、貴賤問わず魔道士には比較的好待遇をするつもりなのでしょうね」


 そう説明され、レティシアは一つ思い出したことがあった。


 ゲアリー・ベルツ。どこかで聞いた名前だと思っていたが、なかなか思い出せなかった。

 だが昨夜、レイドと別れて床に入る直前にふっと、降って湧いたかのように思い出したのだ。


(ミシェル・ベルウッド……)


 思い出しただけで口の中が酸っぱくなり、レティシアは面を伏せて唇を噛みしめた。


 ミシェル・ベルウッド。昨年の秋、レティシアの実姉フェリシアを暗殺し、レティシアの殺害ももくろんだ同い年の魔道士の少女。ベルウッド伯爵家の娘であり、一族絡みでクインエリア大司教の座を狙っていたという。

 そして、レティシアを庇った前魔道士団長ロザリンドを刺殺した、忌々しい殺人者。


(ミシェルは、ゲアリー・ベルツに師事しているって言ってた。つまり、ベルツ子爵はミシェルの魔道の師匠……)


 ミシェルがフェリシアやロザリンドを殺したのは魔道ではなく、一族から叩き込まれたという暗殺術だった。それでも、彼女の放った魔道の数々がゲアリー・ベルツによって教え込まれたのだと思うと、それだけで嫌悪感が押し寄せてくる。


 ミシェルを始めとするベルウッド派は全員司法に掛けられ、現在投獄されていると以前クラートが言っていた。だから今のゲアリーがミシェルと接点がないのは確かだし、彼が失脚せずに今回の護送隊の指揮官になっていることからも、彼が未だ強い権力を保持していることが分かる。そもそも、ミシェルに対してゲアリーがどのような思いを持っているのかも不明なのだが。


 レティシアはそっと窓の外に目をやった。

 貴族御用達のこの馬車は、ディレン隊が借りた馬車よりも豪華で派手な分、重量があって動きも機敏とは言えない。速度も格段に遅く、流れゆく景色も以前よりもずっとゆったりしていた。


 レティシアたちが乗るのは、護送隊の馬車の中では最も落ち着いたデザインのものだった。最も多くの騎士に守られた先頭の馬車はアバディーンに向かう際に王女が乗る専用馬車で、現在はエヴァンス王子のみが乗っている。

 二番目はゲアリーとクラートが乗っており、中では秘密会議や打ち合わせができるよう、機密書類等も乗せられているとか。

 三番目は合流した貴族の中でも特に身分の高い者が乗っているらしい。ちなみに下級男爵家傍系のオリオンは該当せず、伯爵令嬢のミランダは魔道士のためこちらに乗っており、三番目の馬車に乗るディレン隊はいなかった。


 そして現在、四番目の馬車では。


 いきなり異次元に飛ばされたレティシアとセレナを差し置き、お嬢たちが優雅なお茶会を開催していた。対面式の座席の間に華奢な作りのテーブルが置かれており、その可憐な脚が折れそうなほど、ぎっしりと菓子や茶器が乗せられている。

 さすが貴族の馬車なだけあり、少々小石を踏ん付けたぐらいでは車体はびくともしない。その証拠に、今カップになみなみと注がれている紅茶は静かな波紋を広げるのみで、零れる気配さえ見えなかった。


「それにしても、長い旅になりますわ」


 お嬢魔道士の一人が呟き、他の者もうんうんと一斉に同意する。


「まったくですわ。しかも、泥臭い平民と同じ馬車なんて……」

「仕方ありませんわ。ベルツ子爵のご指示ですもの」


 そう言って、一同ため息。

 レティシアは窓に頬をくっつけて現実逃避に心がけ、隣のセレナも持ってきた本を静かに読んでいる。

 お嬢たちはレティシアたちの反応がなかったことが不満だったのか、話題の矛先を変えた。


「ミランダ様もお気の毒に。このような者たちとの生活を強いられ、さぞ心苦しいでしょうに」

「わたくし?」


 すっと、ミランダが面を上げる。

 由緒ある伯爵令嬢であるミランダに、お嬢たちも敬意を払っているのだろう、取って付けたような笑顔を浮かべ、ご機嫌伺いするようにミランダの顔を見上げていた。


 レティシアたちとお嬢たちを隔てるように間に座っていたミランダは豊かな黒髪を片手で掻き上げ、胸の前で腕を組んだ。レティシアはそんな彼女を横目で窺っていたが、ミランダの振る舞いはいつも通り、凛としていた。


「申し訳ありませんが、あなた方がおっしゃる言葉の意味が分からないのですが」

「……はい?」

「身分の高低問わず互いに切磋琢磨し、交友関係を広げるのがセフィア城の習わしです。生まれ育った環境が違う者が触れあう機会は、外ではそうそう得られません。見解や性格の違う者との語らいは互いに得るものが多く、大変有意義だとわたくしは存じております。それに……」


 一呼吸置き、ミランダはガーネットのような赤茶色の目を細めて狭い馬車内をぐるっと見回した。瑞々しい唇には微笑が浮かんでいるが、その視線は決して暖かなものではなかった。


「わたくしがレイド・ディレンの元に付いたのは、何者かに強いられたからではありません。わたくしはわたくしの意志で、彼の侍従魔道士になることを選んだのです。その点、誤解のないようにしていただけませんか?」


 口調こそは丁寧で控えめだが、言っている内容は容赦なく、彼女の視線も見るだけで人を射抜けそうなほど鋭い。

 そこで漸く、お嬢たちも自分の失言に気付いたのだろう。取り繕うようにミランダに紅茶を勧めた後、こほんと上品な咳をした。


「そういえば……リデルのセフィア城では、身分の貴賤問わず同じ教育機関で学習することが国単位で推奨されておりましたわね」


 その言葉に、完全な聞き役に徹していたレティシアはふと疑問を感じた。彼女らはリデルの貴族なのだろうが、今の言い方からは、彼女らはセフィア城の部外者かのように思われるのだが。

 レティシアの疑問の答えは間髪入れず、お嬢の方から返ってきた。


「カトラキア城での日々が恋しいですわ」

「ええ……お父様にお願いして、国境を越えてまでして留学した甲斐があったというものでしたわ」

「リデル王室のほとんどのお方もカトラキア出身ですものね。エルソーン王子やエヴァンス王子……」

「わたくしからすれば、同じ教育を受けられるならば対等なお友だちとお付き合いしたいですもの」

「そうですわ。ミランダ様も、エステス伯爵とご相談なさってカーマルへの留学を考えてみられては?」

「その時はわたくしたち、心からミランダ様のお越しを歓迎いたしますわ」


 口やかましい小鳥のように好き勝手に喋るお嬢たち。ミランダは数拍置いて、「考えておきます」と固い口調で言ったっきり会話に入るのを止め、テーブルに広げられた茶菓子を黙々と食べる側に入った。


 一方のレティシアは話の合点が行き、ふんふんと一人で頷いた。


(つまり、このお嬢魔道士たちは全員、カーマル帝国のカトラキア城ってとこで勉強しているんだ。きっと、貴族しか行けないような教育機関で……)


 納得する傍ら、小さな疑問点が浮かび上がってきてレティシアは眉を寄せた。

 先ほどお嬢たちが自分で言ったように、リデル王国では平民と貴族の共生が推奨されている。リデル王家の大半がカトラキア出身なのは確かなのだろうが、現国王エドモンドがセフィア城出身だというのは有名な話だ。若い頃のエドモンドが書いた論文や作品が城内に展示されているのを、レティシアも何度も見たことがあった。


 では、彼女らの先ほどの発言はリデルの方針に対して異を唱えているようなものではないのだろうか。エルソーン王子の王太子就任が噂されている現在でも、国内での最高権力者はエドモンド王だ。そのエドモンド王は、金のない平民の就学を援助し、貴族の子女もセフィア城で学ぶことを奨励している。


(エドモンド陛下のご方針に反対しているってこと?)


 嫌な考えが思い浮かび、レティシアは頬を叩かれたかのように顔を上げて隣のセレナたちを見た。


 セレナは依然として黙って読書している。だが、よく見れば彼女の眼球は動いておらず、ページを繰る手も疎かになっているのか、時々二枚一緒にめくったりページを遡りしたりしていた。

 その奥のミランダは相変わらず真顔でクッキーをむさぼっているが、聴神経の全てをお嬢たちの会話に傾けているのだろう、時々手を止めてちらとお嬢たちを窺っているようだった。


 お嬢たちは完全に次の話題に移り、レティシアたちの存在も忘れたようにきゃっきゃとはしゃいでいた。


(エドモンド国王の方針に反対する魔道士たち……なんで、王位継承の王女の護送に選ばれたの?)


 レティシアの胸にぽっかりと浮かんだ黒い不安は、何時間経っても消えることなく大きな凝りを生み出していた。

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