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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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アルスタットへ 4

 食事を終えて部屋に上がると、ようやっとノルテやミランダと一緒になれた。


「あー、くっそ! やっぱ腹立つ!」


 精神的にくたくたになったレティシアとセレナが部屋に入ると、ちょうどノルテが枕をばしばしと壁に投げつけている最中だった。


「くそったれ! 覚えてなさいよ! 戦場で会ったら生まれてきたこと後悔させるくらい、ボッコボコに伸してやる!」

「……ノルテ、荒れてるね」


 とりあえず、レティシアはやさぐれるノルテと距離を取ってスツールに腰掛けた。暴れるノルテとは対照的に、ミランダは落ち着いた様子で優雅にロッキングチェアに腰掛けている。


 ちなみにそんなミランダもノルテの八つ当たりに一枚噛んでおり、ノルテが投げた枕を魔法でもとの位置に戻し、エンドレスに枕投げできるように補佐していた。


「ごめんなさいね、あなたたちには不快な思いをさせてしまって……」


 ミランダが柳眉を寄せて申し訳なさそうに言うと、はたと動きを止めてノルテが振り返る。

 いつもは陽気な光を湛えた眼には、怒りと寂寥の混じったような、悲痛な色が浮かんでいた。


「本当は、そっちのテーブルに行きたかったんだよ。本当なんだよ。でも、あいつらなかなか離してくれないし、レティたちを庇おうとすると『だから蛮国の王女は……』とか言ってくるのよ」

「蛮国?」

「彼らからすれば、バルバラ王国は文化が低い国らしいの」


 言いにくそうにミランダが説明する。


「貴族出には魔道士絶対主義者が多いから……ほら、バルバラは魔道士が全く生まれないでしょう? バルバラに限らず、魔道士の少ない国は野蛮な国、魔道士が豊富に生まれる国――西のカーマル帝国のような所を至高と見なしているのよ」

「何それ!」


 思わずレティシアは声高く反応した。

 魔道士が偉くて非魔道士が蔑まれるだなんて、魔道士であるレティシアが聞いても不快極まりない話だ。

 

 思い返すと、ゲアリー・ベルツと会ったとき、彼はレティシアに視線を合わせ、挨拶するように頷いてきた。レティシアはゲアリーは貴族にしては懐が広いのだろうか、と安堵したのだが、違った。

 彼は、レティシアが魔道士だから会釈しただけ。もしレティシアがレイドと同じく平民の非魔道士だったら、会釈なんてしてくれなかったのだ。


 レティシアはノルテが投げつけた枕を一つ拾い、気合いの鼻息と共にそれをぶん投げた。


「魔道士が偉いっていうルールはどこにもないし、魔法が使えなくても、身分が高くなくてもいい人は星の数ほどいるのに!」


 八つ当たりの犠牲となった枕がぽてっと窓辺に落ちる。

 レティシアはそれを魔法で拾おうとし――思い直して立ちあがり、手で拾うともう一度、壁に向かって固い枕を叩きつけた。


「魔法がなくても、物は拾える。枕を投げることも、できるのに」


 貴族魔道士のミランダ。

 平民魔道士のレティシアやセレナ。

 貴族非魔道士のノルテやオリオン、クラート。

 平民非魔道士のレイド。


 なぜ、差が生まれるのだろうか。なぜ、ディレン隊の絆が否定されなければならないのだろうか。

 レティシアは燃える眼差しで、壁際に落ちた枕を睨むように見つめていた。










 夕闇がとっぷりとオルテンの町を覆い始めた頃。

 レティシアたちは馬の手入れをするようゲアリーに命じられて、厩に行っていた。


 馬の手入れや世話自体は授業でも行っていたし、遠征中に何度もしていたので手こずることはなかったのだが、長旅をさせられた馬たちの疲労や汚れは相当なものだった。

 汗で鬣が固まっており、蹄の間にはいつのものか分からない泥が小石のように固まって、そぎ落とすのにも一苦労した。


「馬たちもかわいそうだったわ……あんなに泥だらけになるまで働かされて、汗さえ拭いてもらえなかったんだもの」


 ランタンの明かりのみが足元を照らす闇の中。レティシアとセレナは手入れセットの入ったバケツを手に、宿までの道を歩いていた。

 相当数の馬が未手入れのまま放置されていたので、農作業で足腰が鍛えられているレティシアでさえ、関節や節々が悲鳴を上げていた。ブリキのバケツが普段以上に重く感じられる。


「せっかくの名馬も、こまめなブラッシングをしないと弱ってしまうのに、罰当たりなことをしているわね」

「セレナ……けっこう怒ってるね」


 いつも穏やかで微笑みを絶やさないセレナの怒りをレティシアが指摘すると、セレナはガラン、とバケツを鳴らせて大きく息をついた。


「私、動物を大切にしない人は嫌いなの。家畜もペットも、奴隷じゃないわ。お仕事をしてもらったなら、それなりのお返しをしてあげるのが当然じゃない」


 思い返せば、セフィア城のセレナの部屋には動物のぬいぐるみが置かれていた。きっと彼女は動物好きで、だからこそ馬を大切に扱わない貴族たちに憤っているのだろう。


 レティシアとて、ルフト村の農作業に足腰の強い牛を使ったことがあり、麓の町への出稼ぎに同行する時には馬に荷車を引かせていた。それでも馬や牛の手入れや食事を欠かしたことはないし、動物を粗悪に扱うこともなかった。

 「牛馬も我々と同じ、大切な労働者。ぞんざいに扱ってはいけない」というのがルフト村の鉄則だった。


 その後。レティシアとセレナはそれぞれ道具を片付けるために別れた。セレナは宿に道具を返しに行き、レティシアは使用した雑巾を洗って干す役目になったのだ。


 オルテンの町は水道が完備しているらしく、宿の裏手にある水場の蛇口を捻れば水が出てきた。この水は近くを流れる川から引いたもので、一度簡単には浄化しているが、飲料水としての利用は推奨されていない。

 それでも、わざわざ井戸から水を汲んだり川まで行く必要がないので、洗い物をする分には十分であり、大変有難かった。

 レティシアは両手いっぱいの雑巾を水場に置き、凍えるように冷たい水にさらしながら一枚一枚洗った。石鹸らしき物は見あたらないので、仕方ない。


 干し草の滓や泥が付いた雑巾をできる限りきれいに洗い、固く絞って近くの物干し竿に掛ける。全て洗い終える頃にはレティシアの指先は真っ赤に染まり、細かな動作ができないほど凍えていた。

 立ち上がって伸びをすると腰骨がバキバキ音を立てて過労を訴え、小さく呻いた。


 ――ヒュン


(ん?)


 腰の筋を延ばしていたレティシアは、空を裂いて耳に届いてきた音に反応した。何度か聞いたことのある、独特の音。


(これは……弓弦の音……?)


 レティシアはすっと背筋を伸ばし、音のする方へと歩いていった。

 月さえ覗かない夕闇の中、ランタンの明かりがちらちらと見え隠れする、宿の裏手の方へと。


 ――ヒュ……シュン……


 オルドラント公国で盛んな弓術。セフィア城騎士団でも必須科目には入っていない、特殊な武器。

 それを扱う人物を、レティシアは一人しか知らない。


(クラート様……)


 レティシアは期待を込めて、ランタンの明かりを頼りに裏庭の広場へと顔を覗かせた。

 だが。


「……レティシアか」


 ヒュッ、という音と共に響いてきたのは、レティシアが予想したものとは全く違う、低い男性の声。

 鬱蒼とした木々の中に、円形に広がる宿の裏庭。ぽつぽつと吊されたランタンが頼りない光を放つ中、構えていた弓をゆっくり下ろしたその人は――


「レイド……?」

「クラートじゃなくて悪かったな」


 レティシアの心を読み取ったのか、レイドは小さく笑って腰の矢筒から新しい矢を抜いた。薄暗い明かりに照らされて彼の顔には濃い影が落ちており、鮮やかな炎色の髪も彩度を落として煤けた煉瓦色に映えていた。


 裏庭を見渡せば、レイドから数十メートル離れた先に小さな木製のへらが立てられていた。調理によく使われる木べらをよく見ると、矢が刺さった跡らしき小さな穴がいくつも空いている。


「……木べらを的にして、弓の練習をしていたの?」

「……ああ。厨房で古いへらをもらってきた。これくらいが大きさ的にちょうどいい」


 レイドはそう言って、レティシアが見ている前ですっと弓を持ち上げ、流れるような動作で矢を番えた。


 ――ヒュン


 レイドが放った矢はレティシアの前を風のように横切り、そして過たず、木べらの中央に突き刺さった。

 トン、と軽い音を立てて木べらに刺さった矢を見、レティシアは思わず大きく拍手した。


「すごい! レイド、弓ができたのね!」

「まあな」


 レイドは木べらに刺さった矢を抜き、矢筒に放り込んでからレティシアの横にあった木製のベンチにどっかりと腰を下ろした。


「……あ、ごめん。ひょっとして私、邪魔だった?」

「そういうわけではない。少し休憩するだけだ」


 レイドは言い、弦の張り具合を確かめるように軽く二三回、指先でしならせた後、首を捻ってレティシアを振り返り見た。


「……俺が弓を嗜むと知って、意外だったか?」

「……うん、まあ。てっきり、クラート様だけの特技かと思ってたから」

「それも致し方ないか」


 言い、レイドはぽんぽんと自分の隣を叩いた。座れ、ということだろう。

 レイドのことだから「そろそろ寝ろ」といつか言うだろうと身構えていたレティシアは、レイドの行動に一瞬驚いたがすぐに彼に従い、ベンチにちょこんと腰掛けた。

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