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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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アルスタットへ 3

 レイドが事前に忠告した通り、宿にはやんごとなき人々が既に揃っていた。

 レティシアが今までに泊まったことのあるどの宿よりも、広くて天井の高いエントランスルーム。精緻なガラス細工が目を引くシャンデリアに、ブーツの底が完全に埋まるふかふかの絨毯。前衛的すぎて何が描かれているのか理解不能な絵画。花を生けるのがもったいないくらいお高そうな壺。


 そして、一様に胡散臭げな表情でこちらを眺める貴族たち。


「遅くなりました。皆様をお待たせして申し訳ありません。私はオルドラント公国公子クラート。只今、護衛と共に到着いたしました」


 皆の視線に臆すことなく、ディレン隊の一歩前でクラートが朗々と挨拶した。

 つい数分前にはレティシアを前に狼狽えていた少年の姿から一転、彼は若くて礼儀正しい一国の公子に変貌していた。


「今回、皆様と一緒に重大な任務に就けることを心より嬉しく思っております。若輩ながら全力を尽くしたいと存じますゆえ、どうぞよろしくお願いいたします」

「さすが、オルドラント大公の子息。丁重な挨拶に感謝する」


 低く、深みのある声。


 貴族たちの波から颯爽と現れたのは、立派な身なりの中年男性。比較的ラフで動きやすい格好のディレン隊と対照的に、貴族たちは遠征に不向きなのではないかと思えるような重くて長い衣装を纏っていた。

 その男性も、刺繍入りの分厚いマントや金糸が編み込まれた束帯と胴衣を身につけており、それだけで彼が相当身分の高い貴族であることが察せられた。


「申し遅れた。今回貴公と共に遠征の指揮を執らせてもらう、ゲアリー・ベルツだ」


 そう名乗り、ゲアリーとクラートは固い握手を交わした。

 四十代後半とおぼしきゲアリーは濃い茶色の髪を短く切りそろえており、立派な口ひげも蓄えている。意外なことに、ゲアリーはミランダやオリオン、ノルテに会釈したのみならず、レティシアたちにも視線を合わせ、軽く頷きかけてくれた。


(……でも、どこかで聞いた名前だけど)


 慌ててお辞儀を返しつつも、レティシアは彼の名を聞いたとたん、胸の中に生じた疑問に小首を傾げた。どこかで聞いたような名前だが、どこで聞いたのか思い出せない。

 ただ、ベルツという名を聞いて、妙な不快感や胸のざわつきを感じたのは確かだった。


「今回の旅では、貴公と私でそれぞれ指揮を執り……さらにもうお一人、総司令官となっていただく、エヴァンス殿下だ」


 さっと、先払いの声があったわけでもないのに割れる人垣。その場で直立不動の体勢を取る貴族たち。

 今し方聞いたばかりの名に、息を呑むしかできないレティシアたち。


 人垣の間を流れるようにして登場したのは、背の高い金髪の青年。白銀の鎧を纏い、青を基調とした軍服を纏っている。腰に下げられた剣はおそらく真剣だろう。柄にはルビーと思える大粒の宝玉が填められ、シャンデリアの明かりを受けて時折きらきらと上品に輝いていた。また、オリオンほどではないがなかなか剛健な体格をしており、服越しでも上腕や胸部の筋肉の厚さが見て取れるようだった。


 だが、何よりもレティシア含む女性陣の視線を釘付けにするのは、その美術品のように整った顔立ちだった。

 尖った顎と、薄い唇。絶妙な高さの鼻が作り出す陰影は見事の一言に尽きる。濃いブルーの目は怜悧だが、決して冷たくはない。柔らかな濃い金髪には若干癖があり、微かに跳ねた毛先でさえ、芸術品の意匠であるかのように思われる。


 金髪の美少年、となると真っ先に名が上がるのはクラートだが、クラートは人形のように繊細で華奢ありながら暖かい笑みを浮かべる、春の日差しのような少年だ。

 対するこの青年は、体から放つ威光も常に笑みを絶やさない口元も、田舎育ちの娘が目の当たりにするには強烈すぎるくらいの眩しさを放っていた。


「お初お目に掛かる。ベルツ子爵からも紹介を賜ったが、私はエヴァンス・フォン・リディア」


 朗々とした声。

 本人にそのような意識はないのだろうが、聞いただけでぶるりと体の芯が震えるような、甘くて深い声。


(す、すごい……これが王子様……!)


 眩しい。とにかく眩しい。直視すると眼球が焼けてしまうかもしれない。そして生半可な覚悟ではその場に頽れてしまいそうなくらい、甘い声。

 意識せずともかあっと頬が熱くなり、レティシアは誤魔化すように視線を横にずらした。どうやら同じ症状になっているらしく、セレナも微かに頬を染め、そわそわと視線を動かしている。そして王子の周囲に控える貴族の女性魔道士たちもまた、ほうっと感嘆のため息をついてうっとりと目をとろけさせていた。


 エヴァンス王子は興奮する女性陣のはしゃぎっぷりを知ってか知らずか、ふっと色気に満ちたため息をつき、クラートに向かって大きな手の平を差し出した。


「今回護送する王女は私の従姉に当たる。血縁者を王宮に迎えられることを大変光栄に思っている。よろしく頼もう、セフィア城ディレン隊の方々」


 嫌み一つない言い方からは、とても丁寧で人がよく、偉そうな雰囲気が感じられない。

 だが。


(王女の従弟……あれ? それってつまり……)


「今回はエドモンド国王陛下のお言葉を受け、エヴァンス殿下を護送隊の指揮官にお据え申し上げることになった。クラート殿も、今後は殿下のご指示に従っていただきたい」

「承諾いたしました。若輩者ですがよろしくお願いいたします」


 クラートは凛とした声で返し、エヴァンス王子の手を固く握り返した。二人の年齢はさほど離れていないだろうが、クラートの手はエヴァンス王子の手にすっぽりと包まれてしまっていた。配色こそそっくりな二人だが、並んで立つとその背や体格の差が一目瞭然だった。


「私の配下もどうぞよろしくお願いします……ノルテ、ミランダ、オリオン。前へ」


 クラートに呼ばれ、三人のみが一歩前に出てエヴァンス王子とゲアリーに自己紹介した。

 てっきり自分も名乗る必要があると身構えていたレティシアは、目を丸くして一歩前に出る。


「えと、クラー……」

「レティ」


 くいっと上着の裾を掴まれる。見れば、隣に立つセレナが真っ直ぐ前を向いたまま、口元だけを動かしていた。


「貴族しか名乗る必要がないのよ」

「……そうなの?」

「社交界のルールよ。私たちの名前は……言わなくても、きっと誰も困らないでしょうから」


(何それ、そんな差があっていいものなの?)


 セレナの説明にレティシアは内心憤ったが、彼女の言ったことは正しかった。

 バルバラ王女ノルテ、エステス伯爵家令嬢ミランダ、ブルーレイン男爵家オリオンが名乗ると他の貴族たちは軽く会釈をしたのだが、レティシアたちには視線さえ寄越してこない。自己紹介が終わっても、誰もレティシアたちの名を聞くつもりがないらしく、ゲアリーがさっさと次の話題に切り込んだ。


「では遠征メンバーが揃ったところで。今晩はこちらの宿で一泊することになる。翌朝、オルテンを出てアルスタット地方へ向かう。移動手段は馬車と馬になるため、遅くとも十日以内にはアルスタット領域に入れるだろう」


 その後、つらつらと語られるゲアリーの説明を聞きながらもレティシアの心は晴れなかった。


 セフィア城にいた頃は、ディレン隊の仲間たちの間に序列はないに等しかった。レティシアはクラートのみに敬語を付けていたし、セレナも敬語が癖なのだろうがノルテには普通の言葉で話していた。それが、当たり前になっていた。


 だが一歩城の外に出れば、明確な身分の差が壁となって現れた。レティシアの大司教の娘としての身分は隠匿されているため、今のレティシアは田舎の小娘に過ぎない。本来ならば、一国の跡取り公子であるクラートの隣に立てるような身分でもないのだ。

 以前クワイト魔道士団長が言っていた、「セフィア城は守られた場である」という言葉が、重い石のように身にのし掛かってくる。


(身分……かぁ)


 レティシアは、クラートに視線を送った。

 その横顔は普段と変わらず繊細で、きめ細やかな肌やすっと鼻梁の通った顔立ちは精巧な人形か何かを彷彿とさせる。


 だが、今のクラートはレティシアが今まで見たことのないような表情をしていた。

 真っ直ぐ前を見つめ、感情を廃したような冷めた横顔。日だまりのような暖かさを押し殺し、無情な人形の仮面を被ったような面立ち。いつも放っている陽気な光を消した、凍てつく冬の空のようなブルーの目。


 今のクラートは気さくな少年騎士から、一国の将来を背負う若き公子へと見事な変化を遂げていた。その変貌に、レティシアは息を呑むしかできなかった。


 これが、クラートの公子としての顔なのだ。


(オルドラントの公子様としては、当然のことなんだろうな。それでも……)


 それでも。


 春の日差しのような普段のクラートと、初冬の寒風のような現在のクラート。


 今の姿が偽りであり、真の彼は優しくて暖かい少年の方であってほしい。

 そう願ってしまうのは間違いなのだろうか。











 遠征に出る前から、早速レティシアは格差社会を目の当たりにした。


「えも言えぬほどの疎外感ね」


 夕食時。セレナがぽつっと漏らしたつぶやきに、レティシアは両の拳をぎゅっと握った。


 遠征の指揮官であるエヴァンス王子、ゲアリー、クラートは別室で食事を取っており、その他の護衛たちは全員一つの食堂で食事を取ることになっている。そしてディレン隊の中でも貴族に属する者たちは半強制的に連行されていき、レイドを始めとする三人のみで卓を囲まざるを得なかった。

 やけにのんびりとしたセレナの口調に、思わずレティシアは食いつく。


「なんかすっごい不平等。セレナたちは嫌だって思わないの?」

「貴族というのは基本的に、アレが普通なんだ。クラートやオリオンが異常だと思え」


 さらりと返すはレイド。彼は貴族たちからの非難的な眼差しも軽く受け流し、いつも通り冷めた様子で食事を続けている。彼の隣に座るセレナも同じで、レティシアの問いにもひょいっと肩をすくめたのみで、大人しくスープを啜っていた。


 レティシアはそっと体を捻り、背後の大テーブルを見やった。貴族組たちが夜会よろしく豪勢な食事を取っているテーブルには、ノルテたちの姿もある。楽しそうな顔をしてはいるが、若干頬が引きつって見えるのはレティシアの気のせいだろうか。


 その時。

 貴族の女性魔道士が顔を上げた際にばっちりと正面からレティシアと視線がぶつかったため、レティシアは慌てて体の向きを元に戻す、が。


「嫌ですわ。あの小娘、こちらを睨んできましたわ」

「仕方ないだろう。平民には我々の姿も物珍しいはずだ。放っておけ」

「でも……わたくしたち、あの者共と遠征に出なければならないのですよね。同じ部屋で食事をすることさえ、許し難い行為ですのに」

「ご覧になって、あの貧相な服。あのような布はわたくしの家では雑巾にさえ使いませんわ」

「よほどお金に困ってるのでしょうね」

「かわいそうに……さては報酬目当てにクラート公子に付いてきたとか?」

「さすが平民、卑しさが見て取れるようだ」


 レティシアはぐっとフォークを握り、視線を落として自分の服の袖を見つめた。


 この服は、少ないながらレティシアが自分の給料で買ったものだ。

 ディレン隊に入ってからは、国から給料が支給されていた。といっても修行中の騎士団に与えられる給与はほんの小遣い程度。それでも、レティシアが自分の力で働き、手に入れた金なのだ。


「……レティシア」


 低い声。

 見れば、向かいの席のレイドが席を立ち、自分の食事のプレートを前に押し出したところだった。


「席を替われ。おまえもセレナが隣にいる方がいいだろう」

「え?」


 レティシアが戸惑っているうちにレイドはテーブル上のものをさっさと入れ替え、半ば強制的にレティシアを立たせて自分の座っていた椅子に座らせ、自身はレティシアのいた場所にどかっと腰を下ろした。


「……あら、真っ赤な髪の騎士が来たわよ」

「確かに派手な色ですわね。でも、見目はよくっても所詮平民でしょう?」

「マリアンヌ様、それは違いますわ。わたくし、名簿を見たのですがあの男は……蛮族身分なのだそうですわ」


(……何?)


 女性の言葉に驚きを露わにしたのは、何も貴族たちだけではない。

 レティシアも目を見開いたものの、隣のセレナがテーブルの下で素早く小突いてきたため、声を上げずに済んだ。レティシアはこそこそと座り直し、手と口は食事のために動かしつつも、意識を後方に向けた。


「蛮族? まさか、クラート公子の子分に蛮族が入るか?」

「あー、あれか、ナントカの牙。ったく、なんで野蛮な原住民を隊に入れるかな。帰ったら父上に報告してやる」

「全くですわ」


 当の本人たちの思いを察することなく、好き勝手に噂する貴族たち。ノルテらの姿はここからは見えないが、彼女たちは一体どのような顔でこの会話を聞いているのだろうか。


(というか、子分じゃなくて騎士だし。レイドだって……)


 レティシアは機械的に手と口を動かして食事しつつ、前髪の間からこっそりとレイドの顔を窺った。

 レティシアと席を替わり、噂話の標的をレティシアからずらしてくれたレイドはいつも通り、冷めた様子で茶を飲んでいる。「蛮族」と呼ばれても動じることなく。


(レイドが蛮族とか、そういうのはどうでもいい)


 レイドの顔を見ていると、憤っていた気持ちがすうっと冷えていった。

 レイドの顔は、凛としている。冷たそうで、それでも非難から部下であるレティシアを守ってくれた。

 陰口の対象をレティシアから自分に変え、盾になってくれた。


(この温かくて優しい人がどういう生まれだろうと、何だっていいじゃない)


 自分はディレン隊の一員だ。そして隊長のように、何を言われても毅然としていればいい。

 それでこそ、彼の部下なのだ。

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