隠された王女 1
冬が近付いていた。
レティシアがセフィア城で学ぶようになってから二度目の冬が間近まで迫り、レティシアは感慨深い気持ちで窓の外を眺めていた。ちょうど去年の今頃は、遠征が終わって皆に追いつこうと必死で勉強していた。つまり、セレナたちと出会って一年が経とうとしているのだった。
(早いもんだなあ……今年も作物はきちんと採れたんだろうか)
故郷とも定期的に手紙のやりとりをしている。ルフト村のような僻地は普通郵便ならば追加料金を取られるのだが、セフィア城では送料全国一律らしく、レティシアも少ない小遣いで十分郵送できて感謝していた。村の養父母に語る内容も多く、必然的に封筒が分厚くなるがそこも追加料金はない。まさにセフィア城の事務様々だ。
今日、レティシアはディレン隊の会合のため、レイドに自室にいた。今までいろいろな部屋で会議していたのだが、実はレイドの部屋で行うのはかなり久方ぶりらしく、レティシアにとっても初めてだった。
部屋の内装は主の性格そのもので、無駄な装飾や調度品は一切なく、そう広い部屋ではないのに妙に広々としていて生活感のない、殺風景な場だった。
レティシアたちが通された居間も必要最低限のものしかなく、壁に掛かっているセレナが贈ったらしき赤銅色のセーターが妙に浮いて見えた。
ソファにぎっちり座る形でディレン隊の面々が集まっているが、クラートだけは席を外している。レティシアは女性魔道士仲間と同じソファに座り、紅茶を啜りつつ窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。
「今、クラートは席を外しているが……もうじき戻ってくるだろう」
レイドが口火を切り、集まった仲間たちを順に見渡した。
「おまえたちにもいずれ用件は明かされるだろうが……別室で機密事項の話を受けているそうだ」
「ああ、封魔部屋ね」
ふいっと視線をレイドに戻してレティシアが何気なく口にすると。
「……だめよ、レティシア」
部屋にいた皆からは眉をひそめられ、隣のセレナに注意された。
「部屋の存在は皆知っているけれど、あまり軽々しく口にしないようにね」
「……あ、うん。ごめん……」
「……とにかく、大雑把に言うと……俺たちの隊に新しい仕事が舞い込んでくるんだろう」
レイドは少し間を空け、続けた。
「それも、今までにないくらい大がかりな任務がな」
無駄話をする雰囲気でもなく、皆が静かに茶を飲むこと十数分。クラートが遅れて入ってきた。
「お帰り、クラート。ひょっとして部屋に行くべきか?」
「いや、ここでも大丈夫」
クラートは言い、片腕に抱えていた資料をどさりとテーブルに置いた。丸められた書類には、法律の一文らしきものや世界地図の一部分など、多岐に渡った文面が記されているようだ。
「それは……今回の任務についてですか」
クラート用の紅茶を入れながらレティシアは慎重に問う。クラートはカップを受け取り、ふうふう息を吹きかけて一口飲んだ後、徐に口を開いた。
「それもあるし……今後、リデル王国を揺るがすだろうことが、先立って書かれている」
クラートがカップを置いた。部屋中の者の視線を一身に受け、クラートは唇を湿し、真面目な顔で言った。
「リデル王政を揺るがすことが起こった。『消えた第一王子エンドリック』の嫡子が見つかった」
一呼吸置き。
ディレン隊の面々は目を見開き、驚愕の息をついた。
「まさか……でもあれはもう二十年以上昔の話だろう?」
「エルソーン王子の王太子位はほぼ確立されているんじゃ……」
「いや、でも王子はまだ王太子候補止まりだろう」
「ひょっとして、ずっと王太子が空席だったのは、エンドリック王子の嫡子が生きていたからなの?」
皆が口々に言葉を発する中、一番政治に疎いレティシアも純粋に、クラートのもたらした情報に驚いていた。
エンドリックといえば、いつぞやのセレナやノルテとの雑談でも話題に上がった、リデルの王太子だ。数十年以上前にアバディーン城から失踪し、その後行方が分からなくなっていたはずだが……。
「つまりは、エルソーン王子より有力な王家の跡継ぎが出てきたってことか」
珍しくレイドも困惑した様子で、自分の尖った顎を撫でるように思案顔になっている。
「だが、何故今になって降って湧いたように現れたんだ? それに、その人物がエンドリック王子の嫡子だと何故断言できる? 今までエンドリックの隠し子疑惑さえ出てこなかったんだ。何か決定的な証拠でもあるのか」
的確なレイドの指摘に、クラートは渋い顔になる。
「それは……理由については、ここでは言えない。周知の通り、リデルやカーマルの継承権については王家関係者しか知らないことだから」
クラートは素っ気なく言ったが、逆にレティシアは彼の言葉に疑問を抱いた。
(……ここでは言えないってことは、クラート様は知っている……?)
「……じゃあ、クラート様はご存じなのですよね。リデル王太子になるという条件について……」
「それは……」
レティシアの指摘に、クラートはいよいよ言葉に詰まったらしく顔を伏せてしまった。だが疑問に思ったのはレティシアだけではないらしく、他の大方の面々もいぶかしげな眼差しをクラートに注いでいた。
そんなクラートを見かねたのか、珍しくそれまで沈黙を守っていたノルテが口を開いた。
「いいんじゃない、言ってしまえば」
「ノルテ……」
ノルテはごくりと茶菓子のマフィンを飲み込み、くりくりとブルーの目を動かした。
「要するに、継承方法だけ秘密にしとけばいいんでしょ? いずれ仕事として舞い込んでくるんなら、最初からみんなにも大筋を明かしてしまった方がやりやすいと、ノルテさんは思うけど」
ノルテの言葉を受けたクラートはしばし考えるように間を取った後、ふうっと長いため息をついた。
「それもそうだな。……うちの家系についてはレイドにも詳しく明かしたことはないんだけど、僕の母方の祖父は現国王エドモンド陛下の弟だったんだ。だから僕にもリデル王室の血が流れていて、遠いけれど王位継承権もあるんだ。勿論、エルソーン王子のような直系の王族がいらっしゃるから僕の順位はとても低い。でも、万が一もある。僕や父上は微少ながら、リデル王室の知識も持っているんだ」
「なるほどね」
ミランダがほっそりした脚を組み、目を細めてクラートを見据えた。
「その知識の中に、リデル王位継承に関わる機密事項がある……でもそれを口外することはできないってわけね」
「そういうことだ。つまり……その継承の条件に合致する女性が、見つかったということなんだ」
そこでクラートはテーブルに置きっぱなしになっていた資料をいくつか手に取り、先ほどレティシアが地図のようだと思った紙を広げた。
「場所はリデル西部、カーマル帝国との中間地点アルスタット地方の田舎町だ。僕はオルドラント公国の公子であり、件の女性の又従兄弟になる。彼女を無事にアバディーンまで護送する任務を与えられたんだ……エドモンド陛下にね」
大国リデルの国王から与えられた任務。一同ははっと息を呑み、レティシアも目を丸くしてクラートを見つめるしかできなかった。
(リデルの王様からの任務……やっぱりクラート様、凄い……!)
「でも、どうして今になってエンドリック王子の娘がひょっこり出てきたんだ?」
「ひょっとして、エルソーン王子の王太子就任が迫ってきてるからとか?」
「そんな都合のいいことあるんか?」
様々な憶測が飛び交う中、クラートは黙っていた。
彼はきっと、「なぜその女性が現れたのか」を知っている。だがそれを迂闊に口にできないというのも苦痛なのだろう、秀麗な眉はきつく寄せられ、スカイブルーの目は何かに耐えるようにじっと一点を睨み付けている。
ぱん、と一つ手を打ち、レイドが口を開いた。
「とにかく! おまえは国王から直々に王女護送の命を受けた、でいいんだな。まさか一人で、ではあるまい」
「うん。それでここからは皆にも関係するんだけど……エドモンド陛下は当初、オルドラント大公である父に命じるつもりだったそうだけれど、父はここ最近体調が芳しくない。よって息子である僕に任務が回ってきたんだけれど、かといって護衛として大公家の兵を動かすわけにはいかないんだ」
クラートの言葉に真っ先に反応したのはオリオン。それまでソファに深く尻を静めていた彼は、太い眉を寄せてむくりと体を起こした。
「なんでだ? 自分ちの兵動かした方が手っ取り早いだろ。元々は親父さんが行く予定だったんだし、胡散臭いフォルトゥナやドメティの手を借りるよりかぁずっと安全だろ」
オリオンの提案に、レティシアも心の中で頷いた。
フォルトゥナ公国とドメティ公国はオルドラント公国を東西に挟む形にある国で、三国の君主はリデル三大諸侯と呼ばれている。現在、リデル王国の貴族には伯爵位以下の者しか存在しない。オルドラント、フォルトゥナ、ドメティの三諸侯は元々は侯爵、公爵に値する大貴族だったのだが、数代前に独立して三大公国を築いた。独立後も、三公国はリデル王国の元大貴族として、爵位を水面下で残している。よって三公国はリデル王国の支配下にあることになっているのだ。
だがオルドラントとフォルトゥナ、ドメティ公国との繋がりは決してよいものではない。過去にも幾度となく両国からの侵略があり、オルドラント公が代々のリデル国王からの信頼が厚いことも、三者関係の歪みの原因になっているそうだ。
クラートは渋い表情のまま首を横に振る。
「そうもいかなくて。フォルトゥナとかの助力を得ないのは同じだけれど、公国の兵を動かせば否が応でも事態が世間に出回ってしまう。今回皆に一件のことを話しているのは、本当に特例なんだ。陛下は王女発見を隠すつもりはないそうだけれど、出来る限り公表はギリギリまで延ばされるおつもりなんだ。このご意志の本心は不明だけれど、王女の王位継承が確立され、無事に王城まで送られて初めて、世間へ王太子就任の知らせを出されるおつもりだそうだ」
「……なるなる、こっちも状況が読めてきたぞ……」
ソファにあぐらを掻いて納得顔になるノルテ。レティシアもクラートの言わんとすることが察せられ、空になったティーポットを手に、クラートに問うた。
「それでは……クラート様がこのような重大なことを私たちに明かしたのは、私たちをその護送に……」
「うん……僕の供として付き添ってほしいんだ」
クラートははっきりと言い、ディレン隊の仲間たちの顔を順に見据えた。
「僕の国の兵を動かすことはできない。そのことは陛下にもご理解いただけた。それに陛下が今一番危惧なさっているのはエルソーン王子だ。だから僕が動く場合にも、信頼に値し、なおかつ王子に情報が漏れにくいメンバーで隊を組まなければならないんだ」
「それで挙がったのが俺たちの名だったのか」
レイドはチッと舌打ちし、大儀そうに長い前髪を掻き上げた。
「おまえのお守りをしていると、昔からろくなことが起こらなかったが……大国の王女の護送ときたか」
「……すまない」
「そう軽々しく謝るなと言ってるだろ。それに、別に嫌だとは言っていない」
レイドは軽く身を起こし、小さく右手を上げた。
「俺は了解する。陛下直々の命となると、言ってしまえば俺たちの実力を認めてくださっているということだ。俺とすれば、陛下の厚意や今回の任務を辞退する理由はないと思う。打算的に考えても、この任務を賜って見事こなしてみせれば、俺たちの名誉にも繋がる」
「ま、それが妥当ね」
ミランダが真っ先に同意し、膝の上で組んだすらりと長い脚を、リズムを取るように軽く揺らした。
「いつもの仕事に比べれば危険だし責任も強いでしょうが、やりがいはあるわね。大国の君主から任務を命ぜられるなんて、一国民として限りない光栄よ」
その他からも意義の声が出なかったため、クラートの供としての王女護送作戦参加、ということで会議は終了した。




