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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第3部 紅狼の騎士団
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ディレン隊の日々 2

「一通りの依頼は終わったから、明日には城に帰る予定だ」


 記録簿らしきものに業務記録を書き込みながらディレン隊隊長レイド・ディレンが言ったため、黒髪の少女が真っ先に反応した。


「えー、もう帰るの? ノルテさんとしては、もうちょっとゆっくりしていたいのにぃ」

「おまえはさぼりたいだけだろ」


 言い返すのは、先ほどレティシアの相棒を務めた緑髪の厳つい青年、オリオン・ブルーレイン。

 彼は筋肉で盛り上がった腕を組み、やれやれと肩をすくめている。


「俺は大賛成だ。やること終わったなら、さっさと帰るべきだな」

「あんたは肉食べたいだけでしょ」

「おうよ、悪ぃか? ノルテよりかぁずっとましな動機だろ」


 オリオンと黒髪の少女、ノルテ・ユベルチャがぎゃんぎゃん言い合うのを、レイドは呆れた目で見ていた。そんな仲間をはらはらとレティシアと、金髪の少年――オルドラント公国公子クラート・オードが見守るというのも、もはや恒例の風景だった。


 ディレン隊が寝泊まりしている宿舎に戻ると、茶色の髪の女性が戸口に立っているところだった。


「おかえりなさい、みんな。食事は準備されてるわよ」


 夕方の風が、彼女のココア色の巻き毛を微かに揺らしている。女性はディレン隊を順に見た後、最後にレティシアを目に留めてそっと微笑んだ。


「よかった、無事そうね、レティシア」

「ただいま、セレナ」


 レティシアはぎゅっと女性、セレナ・フィリーに抱きついた。セレナの方が背が高いため、レティシアは猫のようにぐりぐりとセレナののど元に額を擦り付ける。


「ちゃんと不審者は捕まえたよ。セレナが教えてくれた電撃網、すごい役に立った」

「それは光栄だわ」


 そう言いながら皆で宿舎に入っていく。


 ディレン隊が借りている宿舎は集落の外れにあり、昔は宿として営業していたそうだが旅人も少なくなり、宿は廃業。ふらりと訪れた来訪者が寝泊まりできるよう、最低限の掃除や手入れは日々行われていたため、レティシアたちも快適に泊まることができていた。


 本日は滞在最終日であり、依頼された通りの仕事もきちんとこなしたため村人が郷土料理を振る舞ってくれた。農業で持っている村だけあり、食材の大半は野菜やキノコ、山菜でオリオンは若干不満げだった。それでも空腹の騎士たちは大皿をぺろりと平らげ、食後の茶で一服していた。


「村での仕事はもう終わったそうだな」


 隊長のレイドが尋ねると、レティシアのはす向かいに座っていた魔道士の女性が顔を上げる。


「ええ。私とセレナでできる魔具は作り終えたし、破損箇所の修理は兄さんが終わらせた」

「木材は十分足りた。昨日の雨で少し延長するかと思っていたが、村人の助力もあり日が沈むまでに済ませられた」


 女性の隣にいた男性も言う。この二人もディレン隊員で、リデルの貴族ダールストン男爵家の兄妹だった。兄の方が騎士団のディアス、妹が侍従魔道士のカティア。ダークブラウンの髪と濃いグリーンの目がお揃いで、二人とも落ち着いた雰囲気の年長者である。

 レイドは二人の部下の報告に頷き返し、麦を煎って湧かした茶を静かに飲む。


「城の方には、遠征所用期間として十五日で提出している。明日の朝ここを出れば、延長届けを出さずとも帰れるだろう」


 ご苦労だった、とねぎらいの言葉を掛けるレイド。


 燃えさかる炎のような紅蓮の髪と灰色の眼差し、真冬の冷気のようなレイドはスパルタ教官としても恐れられている。ディレン隊として騎士見習の授業に向かうと、弱気な下級生は泣きだしてしまうくらい、レイドは容赦ない。

 だがそんな彼は自分の部下にはどこまでも親身で穏やかだった。騎士団の仕事に不慣れなレティシアやクラートをサポートし、失敗に対して激することなく、静かに教え諭してくれる。


 先日、レティシアは下級生が使う教材の準備を頼まれた。レイドが言った内容をしっかり覚え、資料室から指定通りの物品を持っていったつもりだったが聞き間違いしていた。

 本来必要な数より十以上少ないまま授業が始まってしまい、騎士見習たちは教材が人数分ないため困惑してしまった。そこで一旦授業を中断せざるを得なくなり、後でレイドが教師に叱咤されたのだ。


 その時、レティシアは痛恨のミスをしでかしたためレイドが叱られている間、部屋の前で縮こまって彼を待っていた。分厚いドア越しでも、レイドが教師に声高く説教されているのが聞こえてくる。「何年騎士団をしているのだ」「新人教育を怠るとは何事か」と。

 レイドに向けられたその言葉がびしびしと自分の身に突き刺さり、レティシアは廊下の隅で膝を抱え、泣くのを堪えるしかできなかった。だがその時も、レイドはレティシアを頭ごなしに叱ることはしなかった。


「誰にでも間違いはある。今回の場合、俺が言い間違えた可能性だってある。おまえが一人気負うことはない。今後は俺も気を付けるし、おまえもメモの準備をするなど、失敗が起こらないように細心の注意を払え」


 そう言って、レイドは項垂れるレティシアの背中を叩き、無言で部屋まで送ってくれた。


 あの時、レティシアは自分がミスをしたこと以上にレイドが教師に叱られているということが何よりショックだった。生徒たちから恐れられ、教師からも一目置かれているレイドに恥を掻かせてしまった。ディレン隊の名に泥を塗ってしまった。


 レティシアは、部下たちの報告を聞きながら茶を飲むレイドをじっと見つめた。

 今までにもレティシアは失敗をしたことがある。村にいたときも、自分の判断ミスで大切な作物を枯らしてしまったことや、出荷予定の野菜を傷つけてしまったことがある。セフィア城に来てからも、勉強が分からず大勢の前で恥を掻いたことも幾度もあった。


 だが、自分の失敗によって誰かの名誉を傷つける、集団の名を汚すということは今までになかった。

 村での生活中は、目に見えない「誇り」や「名声」が価値を持つことはない。だが騎士団として仕事するならば、自分は「ディレン隊」という集団の一員であり、その名を汚さないように務めなければならないのだ。


 レティシアがディレン隊に入って学んだことは多い。一人で勉強するだけでは決して身に付かない知識や常識も、痛いくらい体に刷り込まれた。そしてレイドを始めとするディレン隊の仲間たちは、怒鳴ったり見下したりすることなく、あくまで自然にそれらの知識を教えてくれる。


 ふと、それまで別の方向を見ていたレイドと目が合う。左側しか露わになっていない灰色の目が瞬き、そしてふいっと反らされた。


 別に彼は不機嫌なわけでも、レティシアを嫌っているわけでもない。ただ正面から目を合わせて気まずいだけなのだ。

 レティシアはそんな隊長のことが好きだったし、隊長の下で共に活動する仲間たちのことも心から敬愛していた。










 田舎の村の家庭に、普通は風呂はない。だがこの宿舎は元宿屋だっただけあり、狭いながらも男女それぞれの浴室が付いていた。

 貴族にとっては風呂付き宿は当然なのだろうが、農村で育ったレティシアは水がどれほど貴重なものが身に染みて分かっている。一度沸かした湯の温度を調節するのに、どれくらいの労力が必要なのかも。

 そういうわけで村人の手間を省かせるため、レティシアは狭い風呂桶にノルテと二人、浸かっていた。


「お湯は本当に有難いわね。特にこれから寒い時期になると」


 そう言うのはノルテ。レティシアは桶の縁に腕を乗せ、隣のノルテを見た。


「バルバラではやっぱりお湯は貴重品だった?」

「そりゃもちろん。水自体は雪解け水でどうにでもなるけど、温めるのが一苦労なのよ」


 険しい山脈に囲まれた極寒の国、バルバラで生まれ育ったノルテは実は、女王の妹である。王女でありながらも彼女は奔放な性格で、考え方も庶民に近いのだろう。ノルテは手の平に湯を掬って頬ずりしながら言う。


「リデルと違ってうちには魔道士が全然いない。当然魔道暖炉とかの魔具もないから、自力で火を起こして水を温めるしか方法がないのよ。幸い木材は余るくらいあるから、資源としては問題ないんだけど、なにせ時間と労力が半端じゃなくて。おまけに真冬はあっという間に湯が冷めるから、ほぼずっと温めてないといけないの」

「王城でもお風呂は貴重なの?」

「ええ。さすがに姉さんは女王としての威厳もあって、広いお風呂に一人で入るんだけど、わたしは他の竜騎士と同じく水風呂か、おっきなお風呂に一斉に入るのみだったわね」


 ふと、ノルテは顎に手を当てて思案顔になる。


「そういうこともあって、最近は姉さんも魔具の導入を検討しているそうなの」

「そうなの? でも、やっぱり問題も……?」

「うん。魔道暖炉も魔力を補充しないといけないでしょ。あれ、魔道士がいないうちの国ではすっごく面倒になるじゃん。それに、魔道を持ち込むなんて邪道だ! って騒ぐ保守派もいるみたいで」


 やんなっちゃう、とノルテは水を弾いて顎まで湯に浸かる。


「そりゃ、古き良きバルバラを維持するのも立派なことだけど、時代は変わっていくんだよ。わたしも、国の外に出てからたくさん勉強したし。新しいものもどんどん取り入れていくべきだと、ノルテさんは思うんだよね」


 ノルテは幼い顔立ちでしゃべり方も子どもっぽいが、ふと年上のレティシアでさえ適わない知性の欠片を煌めかせることがある。一国の王女にしては吹っ飛んだ性格だが、王族としての意識や自覚は強いのだろう。国のことを想うノルテは、無邪気な少女ではなく知的な王女の顔をしていた。


 そうしみじみ思いながらノルテを観察していると、「それよりも!」とノルテは勢いよく湯から跳び上がる。


「せっかくレティと一緒にお風呂に入ったんだし、レティのすべすべお肌を堪能させてよ!」


 つい今さっきまで積み上げられていた「バルバラ王女像」が、ガラガラと音を立てて崩れてゆく。

 後に残ったのは、全裸でどうでもいい発言をかます十五歳の少女。


「……いや、お断りする」

「なんでー! わたし、ずーっとレティのお肌の研究がしたかったのよ! なんで農作業するのにこんなに色が白いの?」

「そりゃあ、父さんか母さんに似たんじゃないの?」


 父は既に死亡しているためどのような容姿だったのか知らないが、実母とは一度だけ会ったことがある。今にもへし折れそうな細い美女。それが母を見たレティシアの一番の感想だった。

 彼女は病的なくらい肌の色が白かったので、ひょっとしたらレティシアの肌の色は母遺伝だったのかもしれない。


「別にお風呂に入ったから見えたわけでもないし……ちょ、ノルテ! この手は何!」

「ん? ノルテさんは大人の女性になるべく、研究と修養を重ねていきたいんだよね」

「それとこの手の関係は何? ……ぎゃっ! どこ触って……」

「あっはっは、まだまだ甘いね、レティ!」

「こうなったら……食らえ!」

「ぶっ! お湯を掛けるなんて卑怯よ!」

「悔しかったらやり返せばいいでしょ!」

「ふっ、ノルテさんを敵に回したことを後悔しないでよ!」


 二人は狭い風呂桶の両端に控え、手には湯を掬って一発触発となるが――


「……お楽しみ中悪いけど、用が済んだのなら早く出てくれる?」


 風呂のドアから顔を覗かせるのは、顔をしかめたカティア。裸にタオル一枚巻き付けただけの姿だが、腕を組んで仁王立ちされるとなかなか迫力がある。その後ろには、同じように呆れ顔のセレナもいる。


「冷める前に私たちもお湯をもらいたいから……よろしい?」

「……はい」

「……すんませんでした」

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