ディレン隊の日々 1
肥沃な大地に秋の風が吹き抜ける。気まぐれな風が通っていった後には、舞い上げられた落ち葉がくるくると宙を踊り、音もなく地に落ちてゆく。
普段は砂利混じりの山道だが、落葉の季節を迎えた今、地面は赤や黄色、オレンジ色の落ち葉に埋め尽くされてさながら絨毯のように、荒れた道を覆い隠していた。
つい先日、雨が降ったばかりなので地に伏す落ち葉は水気を吸って重たく、踏みつけても湿った音を立てるのみだった。
これは、背後からの急襲にとても都合がいい。
少女は、小振りの熊手片手に濡れ落ち葉をかき分けていた。農村の娘らしく、髪をひっつめてバンダナの中に押し込み、粗末な木綿製のワンピースの裾を捲って地面にしゃがみ込んでいる。きっと、この地方で秋のみに採れる山菜を集めているのだろう。いくつか手頃な山菜を拾い上げては、傍らに置いた籠にぽいぽい放り込んでいた。
娘の背後はがら空きだ。ふんふんと鼻歌を歌いながら熊手を動かす彼女は、自分の後ろに迫る影に気付いてはいないだろう。
男の手に握られているのは、農夫が作業に使う荒編みの縄。両端を掴むその手は、興奮のためか微かに震えていた。
男は、一歩一歩慎重に足を踏み出す。濡れた落ち葉は、彼の足音を静寂の中に隠してくれる。少女の背中が、少しずつ間近に迫ってくる。
ふと、少女が顔を上げた。男が反射的に身を伏せると、少女は一度、立ち上がって大きく伸びをした後、またしゃがんで山菜採りに戻った。相当ご機嫌なのだろう、彼女の鼻歌は曲が変わり、明るいロンドのような小気味のいい歌を歌っている。
男は震える息を吐き出し、茂みから体を起こすと少女へと歩みを進めた。
その華奢な背中まで、あと四歩……あと三歩……あと――
その瞬間。
世界が、反転した。
目の前の風景が真っ白になり、体中が鋭い痛みに襲われる。体の力を失ってふらふらと視界が揺れ、仰向けに倒れ込んだ。先ほどまで自分の味方になってくれた濡れ落ち葉が背中に張り付き、じっとりと服を湿らせてくる。
ぼやける視界の中、ひょこっと自分の顔を覗き込む人物が。
先ほどまで自分の獲物だった少女が、呆れたような、小馬鹿にしたような顔で見下ろしてくる。
「……若い女を狙ってるっていうけど、まさかこんなにあっさり捕まるなんてね」
「そりゃ、おまえが魔道士だからだろ」
少女の声に続いて、野太い青年の声が。そしてくるんと男の体が反転し、俯せになった彼の両腕が拘束され、固い縄で手足を縛られた。
「あーあ。こいつ、泡吹いてやがる。レティシア、おまえちょーっと電気強すぎたんじゃね?」
「そんなことはないと思うけど……レイドだって、殺さない程度には手加減しろって言ってたし」
「殺さない程度って相当幅が広いぞ」
「そうね。ごめん」
未だ体中が痺れ、拘束されて悶絶する男の頭上で交わされる、暢気な会話。
ふと、三人の近くに別のロープが垂れてくる。何もないはずの空中から、それはゆらゆらと垂れていた。
少女の仲間らしき青年は余ったロープとその不審なロープを手早く括り、頭上に向かって手を挙げた。
「ま、こいつが馬鹿で助かったぜ。……ノルテ、括ったから上げてくれ!」
その言葉を受け、がんじがらめに縛られた男の体がふわりと、宙に浮く。男は悲鳴を上げようとしたが少女の放った電撃がまだ体に残っており、言葉は上手く発されない。男の体は少女たちの背丈を越え、紅葉した木々さえ越えた。
少女たちは悶えながら空中飛行する不審者を見送り、ほうっと息をついた。
「ノルテがいると本当に助かるよね。村まであの人を引きずっていかなくて済んだよ」
「……確かに、空を飛べるってのはそれだけで十分価値があるな。そこは認めてやる」
「あ、オリオン最近少し丸くなった?」
「俺は今日も通常運転だ」
少女が山菜を摘んだ籠を軽々と担ぎ、青年はさっさと山道を下っていく。
少女は顔を上げ、夕焼け空に浮かぶ不審な物体を見送り、青年について道を駆け下りていった。
山菜豊富な山を下ると、ぽっかりと開けた平地に小振りの集落が立っている。煉瓦と木材を基調として作られた家々は夕日を浴び、赤々と燃えるように佇んでいる。そろそろ夕飯時なのだろう、あちこちの家からは空腹を刺激するような芳しい香りが漏れ出ている。
村の入り口には、一足先に連行された不審者の男と、仲間たちが。それまでそわそわと辺りを歩き回っていた金髪の少年は村へ戻ってくる青年と少女を見、我先にと駆けだした。
「レティシア! 無事だったか!」
「俺の心配はないのかよ」
青年の突っ込みも馬耳東風、少年は少女の肩を掴み、ぽんぽんと確認するように忙しなく叩く。
「怪我はしていないか? あの男に何かされたり……」
「大丈夫ですよ。ちゃんと防護膜と電撃網を張ってましたから」
少女は少年を安心させるように、笑顔で物騒なことを言う。
「あまりにこっちが警戒していると、向こうも感付いちゃいますからね。でも可能な限り自己防衛はしておいたので」
「本当か? ……まったく、だから僕はレティシアを囮にするのは反対だって言ったんだ!」
少年はくるりと振り返り、今度は威勢のいい声で言い募った。それを聞き、同じように村の門で出迎えていた赤髪の青年が怪訝そうに肩をすくめる。
「今更何を。レティシアはこれまでも強盗を撃退してきたし、模擬訓練でもオリオンを吹っ飛ばしてただろう。おまえが気を揉むほど、そいつはか弱くないぞ」
「でも、今回は婦女子狙いの犯行相手だったんだ!」
「言っただろう。レティシアを囮に出すのが嫌ならば、おまえが女装でもしろと」
すげなく言い返す青年と、ぎくりと固まる少年。確かに、少年の顔はつやつやと瑞々しく、人形のように整った容姿をしているため女装しても不審がられないだろう。
「わたしはクラート様の女装、見たかったんだよ」
赤髪の青年に援護射撃を放つのは、傍らでのんびりとドラゴンの毛繕い――鱗繕い?――をしていた黒髪の少女。一仕事終えた後なので、その口調は間延びしている。
「でもぉ、レティが立候補するしぃ、クラート様は拒否るしぃ。ノルテさん残念だわぁ」
「……それはさすがに、僕の男としてのプライドが傷つくんだけど」
「だったら今更グジグジ言うな。それより事後処理がまだ終わっていない。こっちを手伝え」
さっくりとまとめられ、少年はぐうの音も言えずとぼとぼと青年について村に戻っていった。少女はそんな二人を見送った後、うーん、と大きく背伸びする。
「……お疲れ、オリオン。今日はゆっくり寝たいな」
「右に同じ。今日も腹一杯飯を食うぜ!」
リデル王国セフィア城ディレン隊隊員。
それが今の、レティシアの称号だった。
頭部を覆っていたバンダナを外すと、珍しい夕焼け色の髪が露わになって背中に流れ落ちる。少しだけ泥が付いていた顔を拭うと、化粧をせずとも瑞々しい白い肌と薄桃色の唇が空気中に晒される。くりくりとよく動く目は茶色で、田舎娘を演じていたことが疑われるような繊細な顔立ちが人目を引いた。
レティシア・ルフト。リデル王国セフィア城に所属する侍従魔道士だ。
今年の夏、試験を受けて見事スティールマージに昇格したレティシアは現在、ディレン隊という騎士団の一員として職務に励んでいる。セフィア城では騎士団制度があり、生徒たちは修学の傍ら、小規模の騎士団として遠征に出かけたり、城で下級生の指導をしたりすることになっている。
現在ディレン隊員のうち、八名がこのリデル王国内の田舎に派遣され、不審者撃退等治安維持の仕事をこなしていた。その一つに、先ほどレティシアが囮となった婦女暴行犯の捕縛があったのだ。一人でいる近隣の村娘に襲いかかるという非道な輩を捕らえるという内容だったが、レティシアが思っていた以上に楽に事は終わった。
なお、ディレン隊は合計十三人いるのだが、残りの五人は何かあったときのため、セフィア城で待機させている。かといって待機組が暇なわけではなく、彼らも下級生の授業に行って教師の補助をするので忙しいのだ。




