ちいさな手に希望を託して
村が、燃えている。
いつもは穏やかな樹木色で統一されていた優しい家並みが、豊かな畑が、牛馬が暮らす厩が、燃えている。無情に全てを燃やし尽くす紅蓮の炎に包まれ、軋みを立てながら崩れ去っていく。
彼は、燃えさかる村の中央に立っていた。振り返ることはしない。村人は全員、山奥へと逃げた。もう、振り返る必要はない。
「……殿下」
背後から掛かってくる男性の声にも、彼は振り返ることはなかった。
「……娘はどうなった?」
「はっ……姫様はアレクスらに託し、隣町へと避難させました。他にも騎士を付けたので、何があろうと必ず姫様を安全な場所までお届けし、お守りします」
「そうか……感謝する。して、妻は……?」
「リーヤ様は……」
それまで流暢に喋っていた男は急に口ごもった。それだけで男の言わんとすることが分かった。
「……死んだか」
まるで、明日の天気は晴れだと言っているかのような、あっさりした口調。男は、深く頭を下げた。
「……申し訳ありません。リーヤ様は姫様を庇われて、敵の手に……」
「……あの子は、母の死を見たのか?」
「いえ、隠し通しております。父君と母君は後で遅れて来るから、先に行こうとアレクスがなだめました。殿下、我々の力不足によりリーヤ様を……」
「いいや、賢明な判断だった。大儀だ、アーベン」
遠くから馬のいななきがする。彼がつい先日も手入れしてやった農作業用の馬とは違う、低く太い軍馬の鳴き声。蹄の音からして、相当の数だろう。
「……もう行け、アーベン。奴らの目的は私一人だ。娘の存在は知られていない。あの子が生きてさえいれば、必ず勝機はある」
「しかし、殿下は……」
「アーベン。私の死を無駄にはしないでくれ。あの子を守るのだ」
有無を言わさぬ、凛とした命令。
アーベンと呼ばれた男性は一瞬間をおいた後、さっと敬礼した。
「かしこまりました……ご武運を、エンドリック殿下。我が剣はあなたと……姫様のために」
アーベンの足音が遠ざかっていく。
最も信頼する部下が姿を消したのを察し、彼はふうっと大きく息を吐いた。
こうなったことを後悔はしていない。いずれ、奴らが来るだろうとは思っていた。いつか、この平穏な村での生活が終わる日が来るだろうとは覚悟していた。
燃えさかる炎の中から軍馬が現れ、いつの間にか彼を取り囲んでいた。その先頭に立つ人物を目にし、彼は小さく笑った。
やはり、「奴」は来た。
彼はゆっくり、腰にはいていた剣を抜いた。しゃん、と鈴が鳴るかのような音を立てて引き抜かれたそれは油が滴るかのような光沢を放っており、白金の刀身に村を燃やす炎が赤々と映り込んでいた。
――もし、この人生に悔いがあるとするならば。
彼は侵入者と剣を交えながら、思う。
あの、ちいさな手を持つ愛しい娘に過酷な運命を残してしまったこと。
この国の誰よりも尊い血を継がせてしまったこと。
――我が娘よ。
どうか、幸せに。




