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選ばれた侍従魔道士 2

 レイドについて、セレナは会場を出ると事務室へ向かった。彼らと考えることは同じなのだろう、部屋へ行くと中何人もすれ違い、皆同様に書類を抱えていた。

 相変わらず物が散乱している事務室に入り、ディレン隊入隊の旨を伝えると、丸く肥えた事務長は目を丸くしてセレナとレイドを交互に見た。


「おやおや……君はセレナ・フィリーさんだね。君のような真面目な子がよもや、『紅い狼』の部下になるとはねぇ……」

「紅い狼?」

「そこの、レイド殿のあだ名だよ」


 かっかっか、と楽しそうに笑い、事務長は仏頂面のレイドの肩を親しげに叩いた。


「美形で有能なディレン隊の隊長。だが指導はスパルタで容赦ない。彼が指導役を買って出た日には、見習騎士は欠席しまくるものだからねぇ……」

「お喋りは結構だ。書類を出してくれ」


 唸るように言い、事務長から書類をひったくってなにやら書き付けるレイドを、セレナは信じられないものを見る目で凝視していた。


 「スパルタ」「容赦ない」と、事務長は言った。確かに彼はクールな雰囲気で厳しそうだが、まさか見習たちが逃げだすほど恐ろしい男だったとは。


「……ほら、ここにおまえの署名をしろ」


 レイドにペンを渡され、促されるままセレナは自分の名前を書き、契約書の隅にサインをした。


 事務室を出、次の騎士と侍従が部屋に入ったのを見届けてセレナは恐る恐る、口を開いた。


「……あの、レイド様は、その……」

「……事務長の言ったことか」


 はあ、とため息混じりにレイドは言い、さっさと歩きだした。セレナも慌てて彼の後を追いかける。


「……確かに、よく厳しすぎると言われる。俺が見習の稽古を務めると、出欠確認でかなりが欠席している。もう少し優しくしてやれと、ミランダにも叱られている」

「そ、そうでしたか……」

「……だが、勘違いするな。俺は自分の隊の者に容赦なくするつもりはないし、少しは改善しようとは努めている」


 レイドは自分の後をちょこちょこ走るセレナを振り返って見、少しばつが悪そうに顔をしかめた。


「あの事務長は人をおちょくるのが好きなんだ。……だから、おまえを扱いて泣かせるつもりはないし、そんなことすればミランダやオリオンにどやされる」

「……オリオン、という方もディレン隊の方ですね」

「ああ。さっきの席にもいたんだが、緑の髪の大柄の騎士がオリオン。あいつとミランダは俺より年上で年期が入っている。何かあったらあいつらに言え。あいつらもおまえのことを気に入ったようだから、力になってくれるだろう」


 交流会は既にお開きになったらしい。会場のドアは開け放たれ、着飾った者たちが流れるように出てきていた。その中には独りぼっちの者もいれば、友だち同士で談笑する者もいる。セレナと同い年くらいの少女魔道士が緊張ガチガチで、大柄な騎士の男性に連れられて歩いている。彼女も、あの騎士に見出されたのだろうか。


「……今後の予定や隊員の紹介は明日行う。おまえに任せる仕事も、その時に言おう」


 レイドは真っ直ぐ前を見たまま言う。セレナは頷き、そして、はたと気が付いた。

 自分の右手とレイドの左手が固く握り合わされていることに。


 ぶん、とセレナが手を振るう。いきなりセレナが強硬手段に出たので、レイドは驚いたように目を丸くして、セレナを見下ろしてきた。


「……何だ?」

「あ、いえ……」


 セレナはさあっと赤面した。手を振るったのにレイドの手は離れず、がっちりと右手を包み込まれている。


「……あの、手」

「手?」


 レイドは訝しげに自分の手を見た後、ゆっくり顔を上げる。


「……問題があるか?」

「いや、問題というか……いつまでつなぐのかと思いまして」

「おまえを女子棟に送るまでだ。変な虫が付いたら困る」


 レイドはきっぱり言い、足を進める。セレナはそんな彼に引っぱられながら、慌てて足を動かした。レイドの方が歩幅が大きいので、足をせかせか動かさないと置いて行かれてしまう。


「む、虫って何のことですか」

「おまえを勧誘しようとする、他の奴らのことだ」


 返答はないものと思っていたが、レイドは律儀に答えてくれた。


「おまえは気が小さいし、質の悪い騎士共に絡まれては俺が困る。だから今日はおまえを棟まで送っていく」


 そういうことか、とセレナは納得した。レイドと手を繋いでいると、他の騎士たちがセレナにちょっかいを掛けることもないだろう。きっと、レイドなりの思いやりの形なのだ。


 いつの間にか、セレナは足を並みに動かしていた。レイドがセレナの歩幅に合わせてくれたのだ。さりげない優しさに、ぽわっとセレナの胸が温かくなる。

 この人はやはり、優しい人なのだ。そうでなければセレナの面倒を見るはずもないし、こうして歩幅を合わせてくれることもないだろう。


 女子棟の入り口で、レイドは足を止めた。そしてそっと手を離し、一歩後退する。


「……それでは、セレナ」

「は、はい!」

「今日はゆっくり休め。明日からは他の騎士団員と同じように働いてもらう。初日から倒れないように、睡眠を取っておくように」

「あ、はい」


 レイドは相変わらずの無表情だが、これが彼のデフォルトなのだろう。セレナは自然と頬が緩み、ぺこっと頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました。今後もよろしくお願いします」

「ああ」

「では、お休みなさいませ、レイド様」


 それまで鉄仮面だったレイドの表情が、ぴくりと揺れる。驚いたような、不快そうな。何とも言えないレイドの表情に、逆にセレナの方が戸惑ってしまう。就寝の挨拶は、それほど意外なことだっただろうか。


「あ、あの……」

「……いや、何でもない。おやすみ、セレナ」


 レイドは律儀に返すが、ややぎこちなく聞こえてくるのは気のせいだろうか。

 そのままレイドはくるりと踵を返し、さっさと渡り廊下を戻っていってしまった。










 翌日には早速、ディレン隊に入って最初の仕事が始まる。騎士団の仕事も授業の単位に入るため、その時間に授業があっても堂々と欠席できる。セレナはいつもより念入りに仕度をし、早めに食堂に降りた。


「あ、おはよう。セレナ」


 トレーに好きな料理を乗せてテーブルの方へ向かうと、知人が大きく手を振っていた。今日も席を取っていてくれたようだ。


「昨日の夜会、どうだった? うちのサロンの近くにはいなかったみたいだけど」


 別の騎士団に入っている彼女がスープにパンを浸しながら聞いてきたため、セレナは少し迷った挙げ句、素直に答えた。


「ええ、何とか騎士様にお仕えできたわ。今日からディレン隊のお仕事が始まるのよ」

「ディレン……ええっ、ひょっとしてあの、『紅い狼』?」


 素っ頓狂な声を上げる知人。どうやらあのあだ名は事務長が勝手に言っているだけではないようだ。

 頷くセレナを見、彼女は丸い目を瞬かせてパンをトレーに戻した。


「うわー……彼ってすごいハンサムじゃない? 私たちの同級生でも、ディレン隊長狙いの子は結構いたのよ。一昨日の実技授業でも、今日こそレイド様に気に入られるんだー! って意気込んでいたし」

「どうも、その授業で気に入られたらしいのよ、私」

「へー! ミランダ様みたいな活発な美人が好みかと思ってたけど、意外とディレン隊長、見る目があるじゃない」


 彼女は嫌みのない笑顔を浮かべ、パンを一口で飲み込むと元気よくセレナの背中を叩いた。


「大丈夫よ! セレナは頑張り屋さんで真面目なんだから、うまくやってけるって! 応援してるわよ!」

「ええ、ありがとう。クリスティンもオーウェン・ハッドライン隊長と仲よくね」

「ええ! いつか部下から恋人になってみせるわ! おーっほほほほ!」


 同じ平民出のクリスティンは玉の輿を目指し、高らかに笑った。











 騎士用の訓練場はひんやりと涼しく、風を受けて木々の葉がさわさわと音を立てている。

 セレナは朝食を終えて仕度をすると、気合いを入れて訓練場に出たのだが……。


「……随分、欠席者が多いですね」


 訓練場を見渡してみても、既に準備の整った騎士見習は数名ほど。手元のカードには、今回の訓練では十数名の騎士見習が参加するようになっているが。

 セレナの隣で訓練場を見回していたミランダが振り向き、肩をすくめた。


「今日はまだ多い方よ。いつだったかしら……前の授業でレイドが爆発してね。その次の参加者は二人だったこともあったのよ。しかも二人とも、前回風邪で休んでいた子ばかり」

「……それは……」

「ま、私たちはあまり気にしなくていいのよ。むしろレイドが教官になったくらいで尻尾巻くようじゃ、いい騎士になんてなれないから」


 事も無げに言い、ミランダはあふっとあくびして側にあったベンチに腰を下ろした。


「じゃあ、見習の出席確認お願い。あの壁際でさぼっている奴らにも声を掛けてあげてね」

「は、はい!」


 新顔のセレナを見て、騎士見習たちは皆、意外そうに目を丸くした。ほとんどの少年は何も言わず出席簿に印を付けたのだが、ミランダが指摘した壁際の見習たちは小生意気そうに口を開いた。


「あんた、本気でディレン隊入ったの? 頭大丈夫?」


 遠慮の欠片もなくずばずば言われ、セレナは驚いて少年を見返した。

 訓練場の壁に背中を預け、かったるそうに半眼でセレナを見上げる少年は小馬鹿にしたように笑う。


「だってディレン隊だぜ? 男は全員死ぬ直前までしばき倒し、女は誰構わず食らい尽くす野蛮な狼……それがレイド隊長だろ」

「食らい尽くす……」


 事務長に言われた以上のことを暴露され、さあっとセレナの顔から血の気が引いた。彼の言うことが何を表すか分からないほど、セレナは幼くはない。

 セレナの顔色が青から赤に変わったのを見、少年は犬歯を見せて笑った。


「その顔だと、知らなかったんだな。かわいそうなこった。残念だがあんた程度の容姿の女なら、弄ばれてポイ、だろうな」

「弄ばれてポイ……」


 少年の言葉を反芻し、はっとしてセレナは首を振る。


「そ、そんなことありません! レイド様はとても誠実な方です!」

「ふうん、つい最近入団したばかりなのに分かるんだ?」

「……」


 悔しくて、言葉が返せないのが歯がゆくて、セレナは出席簿を胸に抱いたままぎゅっと唇を噛みしめた。


 からかわれている、ということは分かっている。「そんなことはしない」とレイド本人の口から聞いたのだから、少年が妄言を吐いているのだと分かっている。

 それでも。


 落ち込むセレナをニヤニヤしながら見ていた少年だが、セレナの背後からぬっと現れた人物を見、表情を凍らせた。


「……ディレン隊長……」

「朝から元気が有り余っているようだな、ポール・ジャックリン」


 マントを翻してレイドはセレナと少年の間に立ち、背中にセレナを庇った。セレナからはレイドの表情を窺うことはできないが、少年は笑顔を失い、微かに唇を震わせている。


「俺の侍従魔道士に何を言ったか知らないが……年長者をからかうとはよい趣味を持っているな?」

「……別に、そういうわけじゃ……」

「言い訳無用。さっさと列に並べ。それともまた落第点を食らいたいのか?」


 死刑宣告のような言葉を突き付けられ、少年はチッと舌打ちしていそいそと見習の集合場所へ駆けていった。通り過ぎ様、セレナの方を恨めしい眼差しで睨みながら。


「……あいつは騎士としての自覚がない。ジャックリン家の圧力がなければすぐ、脱退させたのだが……」


 ポールの背中を見つめていたレイドは振り返り、俯いたままのセレナを見てきた。


「……いろいろ言われたようだが……俺の名誉のために言わせてもらうと、少なくとも俺は女を食い潰した覚えはない。不快にさせてすまなかった」

「……い、いえ。お気になさらないでください」


 セレナは顔を上げ、しっかりと返した。


「それに、私はレイド様を信じております。レイド様は決してそんなお方ではないと、私は思います」

「……買いかぶりすぎだ。俺はおまえに褒めちぎられるような人間ではない」

「でも……」

「俺に付いていれば、いずれ分かるさ」


 レイドは冷めた目でセレナを一瞥し、マントを翻して立ち去った。残されたセレナは呆然と立ち筑紫、ぎゅっとローブの裾を掴む。


 遠くから響く、少年騎士たちの掛け声が今は遠く、意識の彼方から聞こえるようだった。

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