リデル南部の丘陵地帯にて
広大な領土を抱えるリデル王国は、国境の両端では気候に大きな差がある。大河が脇に流れる首都アバディーンが湿度が高く、セフィア城付近がからりと乾燥しているのに対してこの田園地方は湿度がほどよくて高気温になることが少なく、住居を構えるのには適した地域であった。
遠くの方で夏野菜がたわわに実る畑が広がり、粗末な藁葺き家がぽつぽつと並ぶ草原にて、遠征中の一群隊が野営に向けて準備をしていた。ある者は全員分のテントを張り、ある者は夕食に向けて食材の下ごしらえをし、ある者は木製のタルを持って川辺まで行き、飲み水の確保をしている。
そんな野営地の中央、兵士たちの動きが最もよく見える開けた場所に腰を据えるのは、金髪の青年。
周囲の兵士たちのそれよりも数段質がよく、夕日を浴びて燦然と輝く金属製のプレートメイルを纏っており、腰掛けているのも繻子張りの上品な造りの椅子だった。
彼は忙しく働き回る部下たちを穏やかな眼差しで見つめ、美術品のように端整な顔立ちに微笑みを浮かべていた。彼の傘下で野営準備に勤しむ兵士たちもまた、堅苦しい雰囲気を見せず、和気あいあいと話しながら作業していた。
「殿下、ご休憩中失礼します」
足元に中年の騎士が跪いたため、彼はくつろいでいた体勢を直し、どこか緊張した面持ちの騎士を静かな眼差しで見つめた。
「どうした。その様子……城の方から連絡か?」
「はっ……先ほど早馬が、アバディーンより書状を持って参りました」
そう言い、騎士は青年の前に丸く巻かれた書状を差し出した。青年は軽く目を細め、騎士に慰労の言葉を掛けてから書状の紐を解いた。
書状の隅にあるのは、見慣れた者のサインと王家の璽。
書状を読む青年の目つきが次第に険しくなり、薄い唇が何かを呟く。
「……なんということだ」
青年はもう数度、確認するように書状を読み直した後、先ほどから物言わず控える騎士を見てすっと立ち上がった。
「ロックウェル、すぐに全軍に撤退令を出す。翌日の昼までにアバディーンへ戻るのだ」
トムス・ロックウェルは青年の命令に驚いたように顔を上げたが、さすが熟練の騎士。「何故か」と余計なことを問うこともなく、一礼すると野営の準備に忙しい騎士たちに撤退令を出した。
若い騎士たちは急な指示変更に驚きを隠せない様子だったが、「殿下」と呼ばれた青年が鋭い眼差しで王都の方を見つめているのを見て、慌ただしく撤退の準備を始めた。
野営地を片付ける部下を一瞥し、青年は血管が青く浮き上がるほど強く手の中の書状を握りしめる。
彼のプレートメイルの胸部には、両翼を広げた鷲のエンブレム――リデル王族の紋章が静かに輝いていた。




