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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第2部 緑翼の乙女
52/188

三つの名前 2

 クラートは寄り掛かっていたテーブルから身を起こし、懐から折りたたまれた書状を取り出した。先ほどセレナが点けた魔道ランプの微かな明かりに照らされて書面に浮かび上がるのは、レティシアも何度か見たことのある、弓と鷹を描いたオード大公家の紋章。


「実際にブルーレイン男爵はオルドラントに攻め入ってきた。ブルーレイン男爵領はオルドラント国境沿いにあるから、目的は土地だったんだろうね。だがセフィア城にノルテが派遣されたのと同じように、オルドラントにもバルバラの竜騎士団がいた。あちらの方では既に父上がバルバラ王国に好意的であり、魔道士にも寛容であることが証明されていたから、竜騎士団も助力してくれたんだ。ブルーレイン男爵の行動は単発的で、リデル国王陛下の承認を受けたわけでもなし、特に同盟軍も持っていなかった。無論、オルドラントに竜騎士が滞在してるってことも未確認のまま。父上はブルーレイン軍を退けることに成功し、王女であるノルテを呼ぶことになった」

「ってわけで。ここしばらく私が城をお留守にしていたのは、オルドラントの方にちょっくら出かけていたからなのよ」


 そしてノルテはぐるんと首を回してレイドの方を振り返り見、可愛らしく小首を傾げてみせた。


「わたし、隊長に未報告で出かけたんだけど……怒ってる?」

「……今更だな。それに、何か事情があるだろうとは大方予想はしていた」


 レティシアの予想に反して、レイドはそう言って鼻を鳴らした。

 それでも蔑ろにされたことはやはり根に持っているのか、いつも通りの不機嫌な表情でノルテを一瞥する。


「安心しろ。おまえがきちんと職務を果たすとは最初から期待していないし、がっかりもしていない」

「あらやだわぁ、いい男に見捨てられるなんてノルテさんショックよぉ。今夜は涙で枕を濡らしてしまうかもー」

「うるさい。……とにかく、ブルーレイン男爵が私兵を動かしてオルドラントに攻め入った。結果、竜騎士の援助を得て撤退させることに成功した……でよいのだな、クラート」

「うん。ブルーレイン男爵軍も、まさか上空から援軍がやってくるとは思わなかっただろうね。しかも、予想よりずっと早くに。空からの応戦で一網打尽だったらしくて、すぐに動乱は収まった。後日全国紙にはちょっと載るだろうけれど、大事にはならないだろうね」


 そこでクラートは先ほどから黙りのオリオンを見、申し訳なさそうに肩をすくめた。


「もちろんその時ずっと城にいたオリオンが男爵と無縁ってのは分かったし、そもそもオリオンが男爵と反発し合ってることも知ってたから、オリオンを疑おうとは思わなかった。実際、捕縛されたブルーレイン男爵も弟の協力は一切得ていないと答えたそうだから。男爵からすれば、自分とそりの合わない弟の力を借りたなんて御免だと思って証言したんだろうけど、オリオンにとってはいい方向に動いてくれた。でも祖国の危機として、レティシアにも知ってほしくて。この計画も魔道士団長が提案したんだよ」

「魔道士団長が……」


 憮然とした表情で部屋を出て行った魔道士団長の顔が思い出される。

 驚きの隠せないレティシアのつぶやきに、ノルテは頬に手を当ててゆっくりと首を振った。


「魔道士団長はわたしが正体を明かすと全面的に協力してくれたわ。彼女がクインエリアの女官だったってことは知ってるわよね? アデリーヌ・クワイトは昔、ロザリンド・カウマーの直属の部下だったそうなの。ということはつまり、最初からレティシアの正体を知ってたってことなんだけどね。現大司教マリーシャは、魔道士を疎むエルソーン王子を警戒しているのよ。でも、たとえエルソーン王子が即位してセフィア城の魔道士団に難癖付けに来ようとしても、ロザリンド・カウマーがいれば安全だと思われていたわ」


(ロザリンドが……でも、ロザリンドは私が……)


 レティシアの動揺を察したのか、ノルテはブルーの目を瞬かせて静かにレティシアを見つめてきた。


「ロザリンド・カウマーの死は事故よ。レティが気に病む必要はないし……物騒な話、大司教の娘と魔道士団長の命を天秤に掛けたらどちらが浮き、どちらが沈むかは誰だって分かるわ。人の命の重さを量りたくはないけれど、カウマー魔道士団長は最善の方法を取ったと思ってるわ。それに……大司教は、カウマー魔道士団長の死後対策もきちんと取られたのよ」


 ロザリンドの死後のセフィア城をどうするか。誰がロザリンドの後継者となり、レティシアを――ひいては城で暮らす魔道士たちを、魔道士団長として守ってやれるのか。

 そこで名が上がったのがアデリーヌ・クワイトだった。


「カウマー魔道士団長が死亡した後、実際にエルソーン王子はアバディーン城の方から魔道士を魔道士団長に推そうと思ったそうよ。もちろん、王子の息の掛かった魔道士をね。でもセフィア城を始めとする各国の教育機関は、政治とは分離することが大前提となってる。加えて大司教の立場からすれば、自分の娘がいる場所に反魔道士思考者の手先を送らせるわけにはいかないからね。アバディーンから派遣される前に大司教マリーシャが先手を打って、アデリーヌ・クワイトを新魔道士団長に据えたの。さすがに、女神信仰の本拠地としても魔道の聖域としても高名なクインエリアの決定を無碍にすることは難しいからね。エルソーン王子は渋々、クワイト魔道士団長を承認したそうよ。そしてクワイト魔道士団長は、セフィア城の魔道士団の改革を進めていったの――エルソーン王子から若く未熟な魔道士を守り、厳しいアバディーンでも勝ち抜ける魔道士を育てるためにね」


 幼さ残るノルテの声で淡々と説明され、レティシアはようやく魔道士団長の理念の根っこを掴んだ。


(魔道士団長は本当に、王宮で勝ち抜く魔道士を育てようとしたんだ……)


 ロザリンドの遺志を継いで。












 話が終わって、六人は揃って小部屋から廊下に出た。とたんに微かな夜風が身を包み、レティシアはぶるりと身震いした。気が付けば、自分の体はしっとりと汗で湿っていた。閉め切った夏の部屋で汗が出るのは当然のことだが、話に熱中するあまり暑さも感じなかったのだろうか。


 いつの間にか時が経ち、とうの昔に外出禁止の鐘が鳴っていたようだ。既に廊下にも中庭にも人の姿はなく、昇格試験用の締め出しロープが風に煽られて寂しく揺れていた。さすがにお茶会を開いていた少女たちも解散したらしく、中庭から見上げてもテラスには人気がなかった。


(あの時、魔道士団長が中庭を横切っていったのも計画の内だったってことね)


 ひょっとしたら、あのお茶会自体が魔道士団長の息が掛かっていたのかもしれない。特別にあのテラスの鍵を開け、レティシアと同じ昇格試験グループの少女に口添えしてテラスでお茶会するように誘い込んだ可能性もある。魔道士団長の張った罠にまんまと引っかかったことは心憎いが、おかげでレティシアは重大な事実を知ることができた。


「……実はね」


 ふいに、先頭を歩いていたノルテが立ち止まって振り返った。

 彼女は両手を背中の後ろで組み、おねだりをする子どものように小首を傾げて緩く微笑んだ。


「わたしはあなたたちが気に入った。だからこれからもディレン隊に置いてほしい。……まあ、隊長のお気に召すような働きができるかは分からないけど、アンドロメダと一緒に職務に励む所存でしてよ?」

「……何日も職務を無断で放棄した奴の言うことか」


 呆れ口調で言いつつも、レイドの目は微かに笑っていた。彼は背後に控えるセレナとオリオンを一瞥し、そしてゆっくりと頷く。


「そうしてもらおう。セフィア城で唯一の飛行騎士、有効に使うが……だが、今までのツケはこれから返してもらう。明日の昇格試験の監督、休みはないと思え」

「うえぇ……空きコマくれないの?」

「甘ったれるな。一体何コマ無駄にしたと思っているんだ。それくらい可愛いものだと思え」

「……はいはい、隊長の仰せのままに」


 ぺろ、と舌を出してノルテが茶目っ気一杯に言う。それを見て眉をひそめたレイドを見、オリオンやセレナが彼をなだめる。レティシアとクラートは少し離れたところから、ディレン隊の皆を見守っていた。


 ふと、隣を見るとばっちりクラートと視線がぶつかった。柔らかな夏の月光を浴びてクラートの金髪がぼんやりと光り、地上に降りたもう一つの月のように輝いていた。


「……明日も、試験だね」


 少し掠れたクラートの声。レティシアが無言で頷くと、ふと右手に暖かい感覚が宿った。


 レティシアの右手をすっぽりと包み込む、クラートの手。身長はクラートの方がやや高いくらいなのに、彼の手は驚くほど大きかった。昨年の冬、握手した時よりも大きさも、硬さも違う。


「……あの、クラート様」

「ん?」

「その、なぜ手を……?」

「だめだった?」


 心底残念そうに言われ、レティシアは慌てて首を横に振った。顔が熱いのはきっと、この夏の夜のせいだ。間違いない。


「いえ、そうじゃなくて……私、汗を掻いてますし」

「それは僕も同じだよ。汗の交換も男の友情っぽくてよくないかな?」

「私、女ですけど」


 二人は顔を見合わせて、どちらからともなく笑いだした。もちろん、繋がれた手を離すことはなく、固く握り合ったままで。


(これから、六人でこうやって笑い合う日が続いていくんだろうな)


 見れば、ノルテが何か余計なことを言ったのだろう。渡り廊下をきゃらきゃらと笑いながら走っていくノルテと、何か唸りながら彼女を追いかけるオリオンの姿が。そしてレイドとセレナが並んで、二人の追いかけっこを眺めていた。


 このような日が、ずっと。


 六人の若者たちの団らんのひとときは、見回り巡回していた教師の怒号が飛んでくるまで和やかに続いていった。

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