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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第2部 緑翼の乙女
51/188

三つの名前 1

「わたしの本名はノールタニア・レ。バルバラ王国女王ティカ……ルルーティカ・レの実の妹よ」


 ノルテが語るには――


 バルバラ王国は長いこと独立中立国家を保っていた。バルバラ王国は今から数百年前、まだリデル、カーマル両国が成り立っていなかった頃に独立し、それ以来どこの国とも強い繋がりは持たず、戦争にも荷担しない方針を貫いてきた。

 一見頼れる友好国を持たないバルバラは脆く、侵略されやすいように思われがちだが、招かれざる客を拒むような山岳地帯に囲まれ、代々女が務める国王と自国が抱える竜騎士団によって国は長く守られてきた。


 だが最近、女王ティカはリデル王国やクインエリアから不穏な空気を感じ取った。灰色の海に面した聖都クインエリアでは大司教が若くして身罷り、将来を期待されていた大司教の長女も修学先のセフィア城で暗殺された。現在は大司教の妻が聖都の頂点として擁立されているが、元々大司教の洗礼を受けたわけではない彼女の統治に不満を覚える者も少なくないという。永きに渡って緩やかに継承されてきたクインエリアは、今、傾きつつあった。


 また、軍事大国リデルの王子エルソーンは現国王エドモンドの唯一の子息であるため現在、王太子として名を挙げている。しかし彼は父である現国王から魔道の素質を受け継がなかったことを酷く根に持っており、反魔術的な思想を抱えていた。彼が王位に就けばリデル王国中にいる魔道士たちの立場が危うくなることも容易に想像できるのだ。事実、エルソーン王子の即位を恐れて、それまでに暇をもらおうとする宮廷魔道士も少なくはないそうだ。


 クインエリアとリデル、二国の動揺を受けてこのまま中立を保つのがよいのか、女王は悩むようになった。そこで、各国へ自国の騎士を派遣して国の内情を探らせることにしたのだ。









「もちろん、完全な隠密行動っていうわけじゃないわ。その証拠に、わたしの都合やうちの国の事情について、セフィア城の騎士団長には全部包み隠さず知らせているわ。もちろん、わたしが王女だってこともね。ディレン隊に入ったのだって、気まぐれじゃないわ。言ってしまえば……利用できそうな人が多かった、ってところね」


 最後の方はやや言いにくそうに付け足すノルテを見、レティシアはピンと来た。


「諸国の要人が多かったからね。オルドラントの公子であるクラート様や、私がいたから」

「……あー、さてはレティシア、おまえもどっかの姫さんだったのか」


 それまであぐらを掻いてノルテの話を静聴していたオリオンが顔を上げて、納得したように頷いた。この中で、レティシアの出自を知らないのはオリオンだけ、ということだ。


「なんで俺たちの猿芝居をレティシアに見せるのかなぁ、とは思ってたけど。やっと合点がいった。おまえ、実はどこかの有力国家の隠し子か何かなんだろ。だーいじょうぶ、俺はこれでも口は堅いんでね。よかったら教えてくれよ」

「いいよ。私は実は、クインエリア大司教の娘なの」

「だろうな、クイン……」


 さてもありなん、とばかりに笑ったオリオンだが直後、不自然なところで言葉を切り、ゆっくりとレティシアの方を振り返り見てきた。


「……すまん、俺も耳が遠くなったようだ……。で、おまえの本名は?」

「確かレティシア・バル・エリアっていうそうよ。去年セフィア城で暗殺されたフェリシア・ジェナ・エリアの妹ね」


 驚き戦くオリオンに説明するレティシアの声は、自分でも意外なほど落ち着いていた。

 ともすれば国家間の論争の火種になりかねない事実をこうして打ち明けることに、なんら不安も躊躇いもなかった。


(多分、相手がオリオンだからだろうな)


 オリオンは平然と爆弾投下したレティシアを穴が空くほど見、そして同じように真顔で成り行きを見守る仲間たちに視線を移す。


「……おい、これだけ落ち着いてるってことはおまえら、全員知ってたんだな? この中で知らなかったのは、俺だけなんだな?」

「ええ、私たちは去年の冬に……」


 すっかり眠気も覚めたセレナがおずおずといった様子で肯定し、ノルテもまた、しれっとして腰に手を当てた。


「んまあ、わたしはこれでも一国の王族だからね。さすがに情報は届いていたわ。もちろんこれは国家間の機密になるから、わたしの方から打ち明けるつもりはさらさらなかったけど。レティの方から打ち明けてくれて正直助かったし、説明の手間も省けたわ」

「ってことはおまえ、レティシアが教えてくれなかったらあの小芝居を俺に、どうやって説明するつもりだったんだ?」

「それはその時に考えてたわ。ともかく」


 一人あわてふためくオリオンを一言で制し、ぱん、と手を打ってノルテは部屋にいる五人を見渡した。


「リデル諸国の中で最も有力なオルドラント公国の公子と、政変を抱えるクインエリア大司教の妹姫と親しい者が多く、なおかつ近頃不穏な動きを見せるブルーレイン男爵の弟が属するディレン隊に目を付けたってわけよ。他にも騎士団はたくさんあったけど、一番収穫が多そうだったからここにしたわけ。もちろん、この経緯も全部騎士団長には報告済み。ゴーサインもらえたから、わたしはこうしてディレン隊に入れたってことよ」


 どんなもんだ、と薄い胸を張るノルテ。じっと彼女を見ていたクラートが、徐に口を開いた。


「実は、僕も数日前にレティシアと同じようなことをノルテにされたんだ。もちろん、オルドラント公子の腹の内を試すという目的でね」

「何?」


 クラートが発した言葉を聞き、真っ先に反応したのはレイドだった。

 彼は長い赤髪を揺らせて顔を上げ、吊り目をさらにきつく吊り上げてクラートを見据えた。


「おい、俺はそんな話聞いていないが」

「……ごめん。レティシアの身の証明もできた後には、必ず伝えようとは思ったんだけど……」

「申し訳ないけれど、その時点ではあなたはまだ無関係者だったのよ、隊長」


 ノルテは悪びれた様子もない口調で言い、なおも眉間の皺をほぐすことのないレイドを真っ直ぐに見た。


「あなたがクラート公子を気に掛けているのは分かるけど……うちにも事情があったからね。無関係者を巻き込みたくはなかったし、むしろ介入してほしくなかった。だから、クラート公子に頼んで黙っててもらったのよ。で、公子の考えも分かったことだし、オルドラント公子とクインエリア大司教の娘はとても重要なエッセンスになりうるから、悪いけどお二人を観察させてもらうことにしたの」


 ノルテの言葉はポンポン弾むボールのように放たれるが、その声には有無を言わせぬ強い意志が込められていた。

 レイドは不服そうな顔のまましばし俯き、ややあって再び顔を上げた。


「……そういえばおまえが来たとき、騎士団長がおまえの名前を尋ねていたな」


 皆、レイドを見た。彼は思うことがあるのか、不満の表情をようやっと解いて何か考えるように顎に手を当てた。


「おまえが来た時から妙な違和感はあったんだが、今確信できた。……バルバラ王国の王族は三つの名前を持っている。ノルテの場合、正式名称がノールタニア・レ。公式の場での呼び方がタニア王女。そしてもう一つ。騎士として、一国民としての名前がノルテ。間違ってないな?」

「そう。さすがね、隊長。わたしは基本的にノルテ・ユベルチャとして通ってる。つまり、ノルテと呼ばれるときは王女ではなくて、一人の竜騎士として扱われてるってこと。バルバラは代々王族が騎士団に入るのが常識なの。戦場でタニア様とか王女とか呼ばれてたら真っ先に狙われるし、騎士としての役目が十二分に果たせないでしょ? だから少なくとも二つの名前は必要なわけよ。もうずーっと昔……バルバラ王国が生まれた頃からの習わしなのよ」


 レイドとノルテの言葉を受け、セレナも納得したように頷く。


「だからレイド様は不審に思われたのですね。バルバラ女王からの書状にノルテ――ノールタニア王女の本名が載ってないはずがない。でもノールタニアは公にはしない名前だから、騎士団長は改めて聞いたのね。『あなたの名前は何か』って」


 説明されて、レティシアも目を丸くした。


 思い返せばノルテがセフィア城にやって来た日、騎士団長は確かにノルテに名前を尋ねていた。レティシアはさして考えることなく、ただ単にノルテの名前を問うているのだとばかり思っていたが、彼はノルテの、騎士としての名を聞いたのだった。バルバラ王家の事情にも精通している騎士団長の配慮だったのだろう。


(ノルテは、バルバラ王国の王女……)


 考えれば考えるほど、今まで深い靄が掛かっていたことが急にすっきりと晴れていった。心の整理箪笥に仕舞いきれず、「分類不能」のラベルを貼られていた小道具の収め所が、今やっと分かった。

 以前、階段の踊り場でノルテが話していたことが、脳裏に蘇ってくる。


「じゃあ、ノルテが今まで言っていた『姉さん』ってのは、全て女王陛下のこと……?」

「そゆこと。事実、わたしと姉さんの親は両方とも、勤務地で死んだ。バルバラ王国先代女王ライラエーナと、その夫であるルベルク大公としてね。レティとはいろいろ身の上話もしたけど、話す時には苦労したのよー。その時点ではまだ身バレしちゃだめだったし、かといって嘘八百を並び立てるのも抵抗があったからね」


 ノルテの言う通り、彼女は一切嘘は言っていない。

 両親が死んだならば、残された末娘の面倒を見るのは年の離れた姉の役目になるだろう。それが女王一家に移り変わっただけの話だ。頼れる姉であり、バルバラ王国を背負う君主である女王を、配下であるノルテが慕うのも当然のことだ。

 オルドラント公子とクインエリア大司教の娘のいる場所へ兵を派遣するならば当然、最も信頼できる者を送り出す。女王が実の妹を一番の部下として派遣させるというのも、道理に適っていた。


「それじゃあ、今日のことはクインエリア大司教の娘であるレティを調べるための一手だった、と思えばいいの?」


 セレナが両眉を寄せて静かに問う。


「部屋には微弱だけれど、魔力の気配が残っているし……そもそもクワイト魔道士団長があなたたちに協力したというのも、私には不可解なのだけど……」

「……えっと、魔力の気配は多分私が原因なんだけど……」


(……でも、どうして魔道士団長が?)


 自白した後、レティシアはふと考え込む。

 魔道士団長が絡んでいることも、レティシアにとっては意外な点だった。魔道士団長は確かに、ノルテのことを「タニア様」と王女の名で呼んでいたのだから。なぜ、魔道士団長がこのノルテの作戦に絡んでくるのだろうか。


 ノルテは片眉を上げ、肩をすくめた。


「そうね。ちょっとオリオンにも協力してもらって、レティの動向を窺ってみることにしたの。わたしに火炎球を撃とうとしたのはさすがに予想外だったけど……おおむね満足したわ。あなたがわたしを攻撃しようとしたのは、仲間を拷問する敵だと認識したから。面子とか地位とかに左右されないってことが分かって十分」

「じゃあ……オルドラント侵攻とかブルーレイン男爵とかってのも作り話なの?」

「いや、それは事実なんだ」


 レティシアの問いに答えたのは、クラートだった。

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