試験の夜 5
人気のない真夏の城内は真昼のように熱風に煽られることはなく、生暖かい風が開放廊下に吹き込み、中庭からは微かな虫の音が響いてきていた。ちょうど満月が廊下から見える位置にあり、一人廊下を走るレティシアの足元に濃い影を作りだしていた。
農村育ちなだけあり、足腰と体力には自身があった。間もなく、先ほど少女魔道士が魔道士団長を発見した位置まで降りてくることができた。
中庭に足を踏み入れ、木の葉が擦れる音を耳にしながら顔を上げると、テラスにはまだ明かりが灯っていて少女の笑い声が切れ切れに届いてきた。
レティシアは背後を振り返り、魔道士団長が消えていった棟を回っていく。ここは教室棟と男子寮棟の間の狭い小道で、普段レティシアたちは棟移動に渡り廊下を使っているため、じめじめしたここに足を踏み入れることはなかった。
無論のこと既に魔道士団長の姿はなかったが、狭い道を歩いていると教室棟の裏側に一つだけ、古びたドアが付いているのが分かった。どうやら普段は使用されない裏口らしく、木製のドアの表面には泥や埃がこびり付いているがノブのみ汚れがぬぐい取られていた。
レティシアは二三回、確認するように周囲を見回した後、鍵の掛けられていないドアを押し開けてするりと教室棟内に滑り込んだ。
入った先は教室棟の一階東端で、現在はあまり使われない古教室が並ぶ場所だった。昇格試験用の締め出し綱が廊下の反対側に見えるため、この辺りは試験でも使用されていないことが容易に推測できた。
レティシアは閉じたばかりのドアに体を預け、ふうっと深い息をついた。そして目を閉じ、静かに気を集中させる。
以前魔道実技書で見つけ、セレナから詳しい説明も受けた「魔力探索魔法」。自分の周囲に魔力の触手を伸ばし、付近にいる魔道士の気配を察知する魔術だ。あまり気は進まないが、魔道士団長の居場所を知るにはこれを使うしかなかった。
魔力探索魔法は比較的簡単で、体力の消耗も少ないが力の分配を間違えるとミイラ取りがミイラになりかねない。極微弱な魔力では探索能力が弱く、ぼんやりとした位置しか察知できないものの相手に察知される危険が低くなる。逆に大量の魔力を注ぎ込めばより正確な探索ができる反面、相手も自分に掛けられた探索魔法に気付いて逃げられたり、襲ってきたりする可能性が高くなるのだ。
セフィア城侍従魔道士団長の尾行をするなんてとんでもない話だが、今更後には退けなかった。
レティシアは緊張と暑さのため浮かんできた額の汗を手の甲で拭い、じっと神経を集中させて周囲に自分の魔力を薄く、広く伸ばしていった。
しばらくは穏やかだった魔力の波が急に揺れ、レティシアははっと顔を起こした。教室棟西側寄り二階の方から微かだが、魔力の気配を感じた。大体の位置が分かった以上、欲張るのは危険だ。レティシアはすぐさま魔力探索魔法を止め、足音を忍ばせて二階へと埃っぽい階段を上がっていった。
二階の西寄りには教室が三四室あったが、魔道士団長のいる部屋がどれなのかはすぐに分かった。
「……少しは自重なさいませ」
静かな廊下に微かに響く、魔道士団長の声。
レティシアは階段から三番目の部屋の前で足を止め、明かりの灯っていない教室のドアに耳を押し当てた。
「あなたは何か行動を起こす前に自愛という言葉を胸に刻み込むべきです」
「確かに、感謝はしているが無茶しすぎだ」
魔道士団長に同意するように重ねられた、少年の声。声変わりが終わったばかりで少し掠れ気味の、聞き慣れた優しい声。
(どうしてここに、クラート様が?)
レティシアははっと息を呑み、慌てて自分の口を両手で塞いで教室内の会話に耳を澄ます。
「君の所の騎士団には本当に感謝してもしきれないくらいだ。けれど……わざわざ王族が危険に身をさらす必要があったのか?」
レティシアは諭すような、なだめるような口調のクラートの言葉に、眉をひそめた。どうやら魔道士団長とクラートは同じ人物に対して話をしているようだが、二人が声を掛ける相手が全く見当が付かない。
「あなたの身に何かあれば、陛下がどれほどお嘆きになるか。あなたは陛下のたった一人の家族なのですよ……タニア様」
いつもよりずっと棘が少なく、穏やかな魔道士団長の声。しばしの後、盗み聞きしているこちらが不安になるような沈黙が訪れ……。
「……その名前で呼ばないで」
凛とした、けれどもまだ幼さが色濃く残っている少女の声。その声の主は――
(ノルテ……? でも今、タニア様って……)
「今のわたしはノルテ……確かに姉さんを心配させたことは反省してる。でも、侵入者からオルドラントを守ったことは後悔してないわ……そうでしょ? ブルーレイン男爵家、オリオン・ブルーレイン?」
次々に現れる登場人物にレティシアが戸惑ったのもつかの間、苦しそうにくぐもった低い声が響き、レティシアの背筋にぞくっと悪寒が走った。真夏の夜だというのに体は熱さを感じず、驚くほど体は冷たく冷えていた。
「……兄貴のしでかしたことは、謝罪してもしきれない」
ひび割れて掠れたオリオンの声。いつものような覇気がなく、ぜえぜえと荒い息が胸に痛い。
「だが、さっきから言っているように俺は無実だ。俺は兄貴から疎まれる身。兄貴がオルドラント侵攻を決めたのは兄貴の独断だ。俺には関係ない。ここで俺をどやしたって、オルドラントにもバルバラにも何の益も出ないぜ」
残念だったな、と吐き捨てるような言葉に、レティシアはじわじわと今何が起きているのかを悟った。
オリオンの兄であるブルーレイン男爵が独断でオルドラント公国に侵攻した。そこへノルテがバルバラの騎士団と共に助けに入り、オルドラントは難を逃れた。そして男爵の弟であるオリオンを――オルドラントの公子であるクラートや魔道士団長と共に拷問しているのだ。
思ってもなかった展開に、レティシアはぞっとして身をすくませた。ノルテの身の上や、なぜ魔道士団長がノルテたちと手を組んでいるのか、なぜクラートまでオリオンの拷問を認めているのか謎は残るが、恐怖と焦りで上手く頭が回らない。
疑問はいくつも残っており、このまま何も聞かなかったことにして立ち去った方がいい、と頭の片隅が訴えているのは分かっていた。あれほど優しいクラートや無邪気なノルテがオリオンを拷問しているだなんて知りたくもないし、理解もしたくなかった。
ぱしん、と何かを打つ音が静寂を破り、オリオンのうめき声がレティシアの胸を穿つ。あの陽気なオリオンが痛めつけられている。無抵抗に拷問されていると思うと、我慢ならなかった。
(……こんなの、やっぱりよくない!)
レティシアはギリリと歯を噛みしめると、短い気合いの声と共にドアを蹴り開けて右手に魔力を集中させ、煌々と輝く光の玉を作り出した。
レティシアの作りだした光球に照らされて、暗い部屋の中が明らかになった。こちらに背を向けてしゃがむオリオンと、彼を囲むようにして立つ三人の見慣れた者たち。中でも一番小柄な少女の手には、鈍い銀色に光る長い物体が――
「ノルテ!」
考えるより早く、レティシアは叫ぶと手の中の火炎玉をノルテに向かって放った。
顔を上げたノルテが驚愕の表情で見つめてくる。驚きで瞳孔が見開かれた幼い少女の顔が光に照らされ――
ぱちん、と軽い音と共にレティシアが放った火炎玉は弾け、小型の花火のように部屋の中央で鮮やかに四散した。
「……まったく、可燃物の多い狭い部屋で火炎魔法だなんて、初めて見ましたわ」
呆れたように言うは、魔道士団長。
彼女は右手の一振りによってレティシアの渾身の火炎魔法を拡散させ、ふっと疲れたような、感心したようなため息をついた。
「まあ、これでレティシアの考えは立証されたことでしょう……あなたの言う通りでしたね、クラート、オリオン」
見れば、オリオンがむっくりと起きあがってレティシアに向き直った。先ほどまで拷問を受けていたはずなのに、彼の堂々たる体躯には一切の傷が見られない。
「……悪かったな、レティシア。猿芝居を聞かせたりして」
「猿芝居?」
裏返った声でオウム返ししたレティシアは、まだちっとも状況が飲み込めていなかった。
魔法を放った姿勢のまま、硬直魔法を掛けられたかのようにその場に立ち尽くしていた。
「どういうこと? オリオンは……拷問されてたんじゃ……」
「……話はクラートたちから聞きなさいませ」
魔道士団長はレティシアの声を遮るように言い、ひらりとマントを翻してレティシアたちに背を向けた。
「レイド・ディレンたちを呼んでいます。後は彼らも交えてあなたたちで話をしなさいませ。彼らもレティシアの御身を知る者ですからね。後は任せました、タニア様」
「だからその名前で呼ぶなっての」
半ば拗ねたようなノルテの声。
ノルテは手に持っていた長い物体――定規でいらいらと魔道士団長を指し、魔道士団長は肩をすくめると静かに部屋を出て行った。
間もなく、魔道士団長に呼ばれたらしきレイドとセレナがおっかなびっくりといった様子で部屋に入ってきた。二人共急に呼び出しを受けたのだろう。部屋着の上に一枚羽織っただけの格好でレティシアたちの前に立った。
レイドはぐるりと部屋を見回し、わずかに寝癖の付いた前髪を軽く撫でつけて顔をしかめた。
「……部屋で休んでいたら魔道士団長から呼び出しを受けたのだが……何だ、この状況は」
「なんだか見慣れたメンバーだけど、こんな場所で集会でもしてたの?」
セレナは既に寝ていたのか、瞼が半分閉じたままだった。レイドの影に隠れて、こっそりあくびをかみ殺している。
ノルテが集まった五人を見回し、定規をぽんと自分の右肩に担ぐようにして持って可愛らしく小首を傾げた。
「うん。じゃあまず、わたしについてぶっちゃけちゃうわね」




