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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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ルフト村の少女 4

 しばしの、空白。

 がたがたと馬車が音を立て、それに合わせてロザリンドの髷とレティシアのオレンジ色の髪が揺れ――


 あぃ? とレティシアの口から間抜けな声が上がった。


「もう少し、上品な声が出ないのですか」

「……んなこと言われたって」


 おっかなびっくりなレティシアと、まるで「明日の天気は晴れですよ」と言ったかのように平然とするロザリンド。


「その、言ってることがよく分かんないんだけど……」

「……確かに、少し言葉が足らなかったようですね」


 ロザリンドはしばし瞑目し、胸の前で組んだ腕を微かに揺する。


「もう少し説明しましょう。あなたの亡き父君はクインエリアの大司教。母君はリデルの伯爵家の元令嬢で、リデル王国侍従魔道士団出身の優秀な魔道士でした」

「……私の母さんが魔道士?」

「それもおいおい説明します。大司教様と奥方は侍従魔道士団員の頃からの仲で、皆の祝福の中結婚されたお二人の間には、愛らしい姫がお生まれになりました」

「それが私?」

「……違います。少し、黙って話を聞きなさい」


 呆れ口調で諭され、レティシアはムッとしつつ口を閉ざす。

 ロザリンドの話が気になるのは事実であり、それをいちいち遮っていては妨害にしかならないので大人しく、居住まいを正してロザリンドに正対する。


「娘御がお生まれになったのは今から十八年前――母君によく似た、愛くるしい顔立ちの女児でした。クインエリアでは世継ぎ争いを避けるためにも、大司教は多くの子を持たないことが定められています。当然、魔力の差は個人差があるため、長子が魔道に優れなかった場合は次子が跡を継ぐことも考えられますが……フェリシアというお名前を授かった姫は赤子の頃から膨大な魔力をお持ちで、次期大司教の立場も確立されました。ただし……姫君はお体が弱く、ものを喋られるようになるまでにも数回、お風邪を召していらっしゃいました」


 レティシアは質問しようと口を開いたが、慌てて閉口する。ロザリンドに睨まれるのは勘弁したいし、何より「黙れ」と二度も言われるのはさすがに嫌だった。


「フェリシア様が三つになられた年に、大司教ご夫婦にもう一人、お子様がお生まれになりました。世間では、フェリシア様亡き後にも大司教候補が残るようにしたのだと囁かれておりますが……わたくしはそう思いませんでしたし、事実、大司教様もそのようなおつもりではありません」

「え、違うの?」


 思わず口を衝いて出てきた言葉。一言一言しっかり噛みしめながら聞いていたため、予想外の展開を聞かされてつい言葉が出てしまった。

 当然ながら、ロザリンドは呆れたような睨みを投げつけてくる。


「もうお分かりでしょうが、その次子というのがあなたなのですよ、妹姫レティシア様。あなたは、自分の生まれた理由をそのように動機付けて嬉しいのですか?」

「……別に、そういうわけじゃ」


 ないんだけど、との言葉はだんだんすぼまり、ロザリンドの耳には届かなかった。


「……それじゃあ、えーっと――私は跡継ぎとか、そういうのとは違う理由で生まれたってこと?」

「その通り。病気がちで引っ込み思案な面のあるフェリシア様を支える元気な子――そのような子がほしいと、大司教様はおっしゃっていました。クインエリアの慣習ゆえ、周りでは猛反対する者もおりましたが、結果、あなたはお生まれになりました。クインエリア大司教の次女、レティシア・バル・エリアという御名を与えられて」


 何か言いたそうなレティシアを見、ロザリンドは自分の隣に重ねていた書物の中から一つ、抜き出してレティシアに差し出した。くすんだ赤色の表紙が付いた、重みのある本だ。


「これはあなたの出自記録――文字は読めますか?」

「うん、大体は」


 レティシアは本を受け取り、題名や著者名のない表紙をめくった。一ページ目にでかでかとした表題が書かれている。最低限の文字の読み書きは養母から教わっていたため、声に出してすらすらと読み上げた。


「クインエリア第四十五代大司教、ティルヴァン・ディエ・エリアとその妻マリーシャ・ハティの第二子、レティシア・バル・エリア誕生。大聖暦千七百五十四年春の月十三日――これ、私の誕生日だ!」

「あなたはルフト村の村長夫妻のもとで育ちましたが、ご自分の名と誕生日だけは教わっていたはずです」


 ロザリンドに指摘され、レティシアは顔を上げて頷く。


「うん。名字はなかったから、ルフト村から取ってルフト。誕生日はこれに書いてるように、春の月十三日。でも父さんと母さんは……」

「村長夫妻は、あなたのことは全て知っておりました。もちろん、あなたがクインエリア大司教様の娘御という高貴な身であることも」


 だから、あのとき養父は「本来居るべき所に戻るだけだ」と言ったのだ。

 厳めしい養父と泣き崩れる養母のことを思い、本を持つレティシアの手に力がこもる。


「先ほども申しました通り、あなたはお体の弱い姉君の補佐としてお生まれになりましたが、周りへの面子としては、他の者が噂するように『フェリシア様の代役として』生んだのだと公表しました。事実がどうであれ、周りの者もこれで一応のところは納得しました。しかし――フェリシア様は間もなく医師の手によって病が完治し、もう二度と重病にかかることはないだろうと診断されるまで、健康を取り戻されたのです」


 では、自分の出る幕はないのではないか。

 手渡された本の角に指を添え、爪先で擦るようにページをめくっていたレティシアは眉根を寄せる。


「そしてフェリシア様は十二歳になられる年の春、セフィア城にあるリデル王国侍従魔道士団に入団されました。こちらでは西のカーマル帝国と違い、平民から王族まで幅広い身分の生徒を受け入れる方針を立てております。ちなみに魔道の素質がない者は大抵、魔道士団と併設されている騎士団に入団いたします。騎士の才能もない者は文官を目指しますが、そういった者は魔道士団や騎士団とは別の場所で訓練するので、ここでは割愛させていただきます」


 はい、と挙手してレティシアは内容のおさらいをするべく口を開く。


「えーっと、つまり病弱だった私の姉さんは無事、体調を回復させてリデルのナントカ団に入ったんだね」

「侍従魔道士団です」

「そうそれ」

「おっしゃる通り。フェリシア様は大変優秀な方で、年若くして次々に昇格試験を突破し、十八歳にして侍従魔道士団の首席にまで上りつめられました、が」


 ロザリンドの眼鏡が一瞬、結露したかのように曇った。


「先日、フェリシア様はお亡くなりになりました。――いえ、しいされたと申した方が正しいでしょうか」

「……しーされたって?」

「殺されたのです」


 かたん、と馬車の車輪が小石を踏んでわずかに揺れる。


 姉は死んだ。

 否、死んだのではなく、殺された。


 馬車内に静寂が満ちる中、レティシアはひとつ瞬きした。

 指先で弄んでいた本を脇に置き、息を吸って――


「……それは、まあ……大変だったね」

「随分他人事ですね」


 さっくりと、それこそ他人事のようにロザリンドに言い返されたが、レティシアは首を横に振って座席に脚を乗せ、両腕で膝を抱え込むようにして丸くなった。そして膝の間に顎を埋め、不機嫌をにじみ出しながらぼそぼそ言う。


「だって、他人事じゃん。そのフェリシア様っていうのが私の実の姉さんみたいだけど――私、その人と会った記憶ないし。そんな人が殺された、って言われても別に悲しいとか思えない。殺されてしまってかわいそう、としか」

「……確かに、あなたがご両親のもとを離れたのは十五年前。おくるみに包まれていたあなたが姉君のことを覚えていなくても致し方ないでしょう。しかし」


 ロザリンドの眼鏡が光った。

 窓から差し込む日差しに反射したというより、眼鏡そのものが発光したように思われてレティシアは目を瞠る。


「フェリシア様は何者かの手によって――おそらく、クインエリアを快く思わぬ者に襲われて亡くなられたと見ています。現場には細身のナイフが転がっていました。魔道の痕跡もないため、犯人の特定は非常に困難でした。現在も水面下で捜索中です」

「……ふーん? それと、私が呼び出されたことの関係は?」


 単純に疑問点を問うた後、一拍遅れて意味を理解したレティシアの瞳孔が広がる。


「え? ちょっと、ひょっとして……」

「そう。クインエリアを継ぐべきだったフェリシア様亡き後、大司教候補となりうるのはあなたのみ。お父上も数年前、ご病気でお亡くなりになったため、クインエリア大司教家の血を継ぐのはあなただけになったのです」


 冷静なロザリンドの声によって、数分前彼女が言い放った言葉が蘇る。

「次期大司教」だと、ロザリンドは確かに言ったのだ。つまり、不慮の事故で死んだ姉の代わりに妹が大司教になるべく、修行せねばならないのだ。


 今までロザリンドが説明してきたことの欠片が回転し、凹凸を組み合わせながら填っていく。


 レティシアは座席に上げていた脚を下ろし、スカートのひだを両手の拳で握りしめた。


「……ならないといけないんだね。リデル魔道士団で修行して、クインエリアってとこの大司教になって」

「そうですね。あなたがそうなっていただければ、わたくしたちも大いに助かります」

「でも! さっきも言ったけど、私は魔法なんて何も知らないんだよ!」


 声を荒らげてレティシアは言う。

 ロザリンドは何か勘違いしているかもしれない。勘違いに気づけば、あのあたたかな村に戻れるかもしれない。

 そんな微かな可能性に、望みをかけて。


「魔法なんて……麓の町のお医者さんがちょっと見せてくれたくらいだもん。炎とか、雷とか、風とか、そういうのを起こせるってのは知ってるけど、私は今までそんなのできたことがないんだよ!」


 魔法なんて遠い存在だ。

 生まれたときから素質のない者は一生使うことはできない。魔法の才能は先天的なものだから、できない者はどう足掻いてもできない。だからレティシアも、魔法を使おうという気にすらならなかったというのに。


 だが、レティシアの胸を襲うのは、不安と、苛立ちと――そして、小さな小さな興奮の波。

 いきなり突きつけられた事実に戸惑う反面、もし魔法が使えたら――薪がなくても炎が出せ、乾いた季節でも雨を降らせられたらと、空想する心があった。


 甘い夢想を振り払い、レティシアはぐっとロザリンドに詰め寄る。


「ロザリンドだって思ってるんじゃないの? 私が魔道士なはずないって……」

「逆です。あなたが魔道士でないはずがないのです」


 縋るような、確かめるようなレティシアの問いを一蹴し、ロザリンドはレティシアが脇にどけていた例の本を手に取り、細い指でページをめくりながら言う。


「なぜなら、あなたが誕生なさったときには魔道士としての兆しが見られたのです。ただし十五年間無魔力の中で育ったため、魔道に関する能力が失われた可能性が考えられます」

「……そーいうもんなの?」

「わたくしにも断定はしかねますね」


 どこか言いにくそうに答え、ロザリンドはふいっと顔を背けた。そして誤魔化すように、手に持っていた本を再びレティシアに差し出す。


「ここに、あなたが生まれたときの魔力診断の結果が出ております。クインエリア大司教の娘御となれば、生まれたときにだいたいの潜在魔力値を測定されるのです」


 レティシアは差し出された本を受け取り、そこに「魔力:高反応」とあるのを見てすぐにロザリンドに突き返した。

 両親の名にしろ自分の出生時の記録にしろ、なんとなく見るのが憚られた。憚られる、というよりは一種の拒絶反応だろう。


 心底嫌そうに本を突き返されたロザリンドは素直に本を受け取り、もとあった書物の山の頂上に載せた。これ以上見せるつもりはない、という意思表示だろうか。本の上に自分の上着を掛け、ロザリンドは胸の前で細い腕を組んで緩く目を伏せた。


「リデル王国侍従魔道士団は優秀な教育機関。ブランクの長いあなたでもきっと、能力を開花させられることでしょう。――一通り説明は致しました。今後の予定や魔道士団入団についてはまた、後程ご説明いたします」

「……分かった」


 長い説明が終わり、レティシアは強ばらせていた脚を伸ばし、ロザリンドの脛を蹴らないよう横向きに投げ出しながら車窓から見える景色に目を遣った。


 いつの間にか、色付き始めた木々並ぶ山道は砂礫含む山肌の馬車道に移り変わっていた。育った村が一秒経つごとに遠く、遠くへと過ぎ去っていくのを肌で感じ、レティシアは長い睫毛を伏せて瞑目する。


 これから始まるだろう、灰色の世界を思い浮かべながら。

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