試験の夜 4
レティシアと同じくスティールマージ昇格試験を受けるライトマージは他にもいたが、受験者によって受験する科目の順番が違っていた。
レティシアの手元にある受験票には鈍色の○と、「魔道士C」のサインが記されていた。これはスティールマージ昇格試験を受ける魔道士の中のCグループであることの証明であった。朝食後、受験者全員が大会場に集められて注意事項等の説明を受ける際に配られた要項に、レティシアのグループの試験日程が記されていたのだ。
騎士団長と魔道士団長から注意と激励の言葉を受けた後、受験者は試験監督役の騎士団の案内の元、それぞれの試験会場へ向かう。レティシアたちスティールマージCグループの担当になったのは見覚えのない顔の年上の騎士で、彼は他の試験監督と同じように一切口を開くことなく、「スティールマージC」の札を手に、レティシアたちを礼儀作法の試験会場へと案内していった。
何回、何十回と通った廊下が、今はやけに長く、辛い道のりに思われた。
レティシアは歩きながら、後ろ手に組んだ指先でもぞもぞとティーカップの持ち方を復習しつつ、同じグループの面々の様子を窺ってみた。
スティールマージCに属する魔道士たち十五名のうち、大半はレティシアと同世代に見えたが、ぽつぽつと相当年期が入った受験生が見受けられた。彼女らはなかなかスティールマージに上がれないことに苛立ちを感じているのだろう、明らかに自分たちより年若い他の受験生を射殺すような視線で見回しては、ひくひくと口元を引きつらせていた。彼女らの鬱憤晴らしの捌け口になっては堪らないと、レティシアは素早く視線を外した。
『いくら強力な魔法を操れても、定められた場所に炎を起こせなかったり、自分で起こした風を収められなかったり――そういう場合は問答無用で落とされるの』
いつぞやのセレナの言葉が今、重く心に沈み込んできた。
(大丈夫……私は大丈夫)
もう一度、確認するように年上の魔道士の横顔を見た後、レティシアはしゃんと背筋を伸ばして長く、暑苦しい受験会場への道を歩いていった。
最初の試験は礼儀作法。前任の作法の教師にはこっぴどく叱られ、魔道士団長に替わってからもあまり良い成績を叩き出せなかったレティシアは、ローブの下で足をガクガク震えさせ、手汗びっしょりで部屋に入った。だがレティシアを待ち構えていた初老の男性試験官は、にっこり笑顔で出迎えてくれた。
「レティシア・ルフトさん、田舎の出身なのだね……貴族の礼儀作法は大変だろうが、君にできる全てを出し切ってみせなさい」
穏やかな口調で試験官はダンスでのステップの仕方やお辞儀の実技、宮廷で使われる受け答え文句を問うてきた。
彼はレティシアがゆっくりした動作でステップを踏み、ローブの襞を摘んでお辞儀をし、震える声で模擬会話する様子をしっかりと見、最後には「よく頑張った。次の試験も気を抜かないように」と激励して見送ってくれた。
(良い点を取れたかは分からないけど、最初があの人でよかった……)
試験部屋を出、次の受験者が緊張の面持ちで入室する姿を見てレティシアはほうっと丸い息をついた。
手の平はまだ汗でべたついていたが、心は最初ほどさざめいてはいなかった。
最初から良い滑り出しができたレティシアはその後、次々に課題をこなしていった。ダンスでは騎士団の男性相手に踊って二連ターンする際に右脚を捻ったものの、大事には至らず踊り終えることができた。途中で止めると即減点されると聞いていたため、額に汗を浮かべつつ、ルールに則って笑顔のままダンスを終えると試験官は満足そうに頷いてくれた。
一般教養の筆記試験ではいくつか分からない設問があったが、分かる箇所はなんとか全て埋めることができた。
筆記系では、誤答の箇所も細かくチェックされるというのだ。例えば「バルバラ王国設立時に関して、初代女王の正式名称を答えよ」という問いがあったのだが、分からなかったからと言って「アルスタット地方」などと書いていては大減点を食らうのだ。当てずっぽうで知っている用語をとにかく書きまくる受験生は意外と多いらしく、数年前に誤答の減点方式が採られたのだという。ちなみにレティシアはきちんと、「バルバレーナ・レ」と正解を書けた。
魔道実技では前日にセレナと一緒に復習した課題ばかりが出たため、そつなく全てこなすことができたし、夕食後に受けた最後の試験、詩歌朗読でも提示された初見の詩歌を読むことができた。中世の詩であるため、数カ所現在とは違う発音の単語も出てきたが、おそらく間違えず発音できたと思う。
他のCグループの受験生と一緒に詩歌の受験部屋を出ると、すうっと心地よい夜の風が廊下に吹き込んできていた。いつの間にか辺りは薄闇が立ちこめており、城内には受験生以外の姿は見られなかった。
とたんに、どっと体が重くなる。緊張で張りつめていたため、疲れに対して鈍くなっていたのだろう。いきなり肩が凝りだして、オヤジ臭いと思いつつもレティシアはトントンと拳で肩を叩いた。
「あ、ねえ、せっかく受験が終わったんだしちょっと皆でお茶でもしない?」
自室に帰ろうとしたレティシアの背後に声が掛かる。見れば、同じスティールマージCグループの少女魔道士数名が廊下に残り、にこにこと微笑んでいた。
「お姉さんたちはもう上がっちゃったし……実は、実家から送ってもらったお菓子があるのよ。さっき会ったとき、今夜だけはテラスを使っていいって魔道士団長が言っていたし、消灯時間までお疲れ様パーティーでもしましょうよ」
「私も行っていいの?」
おっかなびっくり問う。彼女らとは今までも同じクラスだったが、面と向かって話すことは滅多になかったのだ。そのため、レティシアは彼女らの名前が誰一人として分からない。
だがレティシアが彼女らのことを知らないだけであって、その逆も成り立つとは限らなかった。少女たちは遠慮がちなレティシアに逆に驚いたらしく、きょとんと目を丸くさせてきた。
「当たり前でしょう。一緒に試験を受けた仲なんだし……レティシア、あなたはレイド様たちとも仲が良いみたいだし、そっちの話も聞いてみたいのよ」
金色の巻き毛の少女が堂々と言う。他の少女たちも目を輝かせて同意しており、ここまであっけらかんと言われると逆に疑いようもないし、断る必要もなかった。
開放テラスのガラス戸を開けると、誰もいないテラスが目の前に現れた。いつもは休憩しようとする者たちであふれかえっているテラスと同じ場所だとは思えないほど静かで、落ち着いていた。普段のテラスは年長者の溜まり場になっているため、レイドら同伴でなければレティシアたち若輩者はそうそう立ち入れないし、席も取りにくいのだ。
レティシアたち十五歳の少女魔道士たちはきゃっきゃと声を上げながら、一番遠い手すり寄りのテーブルを確保した。最初に声を掛けてきた少女が一旦部屋に戻り、間もなく両腕に菓子の入った紙袋を抱えてきた。
「うちは、実家が地方の町の焼き菓子屋でね。試作品をよく母さんが送ってくれるのよ。もしおいしかったなら、お店でも出すって言ってね」
「ロゼリアさんはお菓子屋さんの娘さんなのですね」
一人の魔道士がしみじみと言い、今し方かじったばかりのクッキーを興味深げに見つめた。優雅な巻き毛を持ち、言葉の端からも気品がにじみ出す彼女はきっと、どこぞの貴族の令嬢なのだろう。
「わたくしは普段、城下町の有名なパティシエのお店で購入しているのですが……全く味が違いますわね」
「クラリーネの口には合わなかったかしら?」
「いえ、とても素朴な味でおいしいですわ」
クラリーネは笑顔で首を横に振り、上品にクッキーを食べてレースのハンカチで口元を拭った。
「いつものお菓子は甘すぎますから……ロゼリアさん、今度ご実家のお店から取り寄せてもよろしいでしょうか?」
「も、もちろんいいけど……クラリーネってリデルの貴族だよね?」
「ええ、シェルゼン子爵の姪ですわ」
「わあ、子爵家のお嬢さんから注文されるなんて、よかったじゃない、ロゼリア!」
「ブルーム菓子店の味をリデル貴族中にも広めないとね!」
わいわいと世間話に花を咲かせる少女たち。まだ年若く、元気の有り余っている少女たちは試験の疲れを菓子と世間話で癒すことができた。
レティシアは黙って彼女らの会話を聞きながら、かりりと手に持っていたクッキーを囓る。確かに、ロゼリアが持ってきた菓子は懐かしい味がしておいしい。セフィア城で食べる焼き菓子よりもバターの量が控えめで、口の中でほろほろと崩れるような柔らかい触感だ。製菓用食材が豊富ではないルフト村で食べた菓子と食感や味がよく似ていたため、故郷を想わせる味にレティシアの食指が活発に動いた。
自身は話に加わることなく、少女たちの話を聞きながらさくさくとクッキーをほおばっていたレティシアだったが。
「……そういえばレティシアは、どうやってレイド様とお知り合いになったの?」
菓子の話から一転、藪から棒に自分に話題が振られ、レティシアはサブレをかじった姿勢のまま動きを止めた。
「……私?」
「そうそう。皆ずっと気になってたのよ」
気の利く一人が皆の空いたカップに紅茶を注ぎながら、きらきらした眼差しでレティシアを見つめてくる。
「オルドラント公国出身の、謎めいた美形騎士。『紅い狼』とも呼ばれるレイド様が、あれほどレティシアに対しては気を許されているんだもの。厳しいけれど的確なご指導で、彼を崇拝する騎士見習は結構多いのよ」
「レティシアはセレナ様とも仲が良いわよね。セレナ様は私たちにも、いつも優しく教えてくださるから大好きなのよ。エステス伯爵家ご令嬢のミランダ様からも直々のご指導を受けたって聞くし、あなたって本当に運が良いわね」
「わたくしは、実はオリオン様のファンですの。いつも朗らかに堂々とされていて、相手の身分を問わず平等に接する方ですもの。今度、差し入れでもしたいのですが……レティシア、彼の好きなものをご存じですの?」
「オリオンは肉が好きだけど……」
消え入るようなレティシアの返答を、オリオンファンクラブの令嬢魔道士は目を輝かせて聞いていた。しとやかで儚い印象を与える少女だが、光の速さでメモ帳とペンを取り出すと、レティシアの言葉を逐一手元のメモに書き記している。相当お熱なのだろう。
他の少女魔道士たちも、ディレン隊の面々を嬉々として褒め称え、彼らと親しくしているレティシアは運が良い、羨ましいと訴えた。
(運が良い……のかなぁ)
レティシアからすれば、特別幸運だったとも恵まれていたとも思ってはいなかった。
周りから浮き、孤立していたレティシアと偶然同じ遠征チームになったのが縁で、ディレン隊の面々と付き合うようになったのだ。セレナのような良き親友やレイドたちのような頼れる先輩に出会えてよかったとは思うが、それを「幸運だったから」の一言では片付けられないような気がしていた。
(それに……)
ふと、脳裏をかすめたのは春の日差しのように静かに微笑む、金髪の貴公子の顔。
(クラート様は、平民出の私にも気さくに声を掛けてくださった。これからもよろしくと、握手してくださった……)
遠征実習説明会の日。魔道士仲間に馴染めずぼうっと立ちつくしていたレティシアに、臆することなく声を掛けてくれたクラート。同じオルドラントの公子と国民ということもあり、すぐに打ち解け、互いに励まし合える仲になっていた。
これらの出会いも全て、偶然だったというのだろうか。
もし、運命の糸がわずかに掛け違えられていたならば、クラートたちのそばにいたのは自分ではなかったのだろうか。
あの時、遠征実習のメンバーが違っていれば、レティシアは今も独りぼっちの落ち零れとして、根無し草な日々を送っていたのかもしれない。
そもそも、ミシェル・ベルウッドとの決着の付き方も違っただろう。ともすれば、あの真冬の廃神殿でレイドたちの増援もなく、凍える寒さの中始末されていたかもしれない。
「……あら、あれって魔道士団長じゃない?」
ふいに、ディレン隊の噂話に花を咲かせていた少女の一人が調子外れな声を上げたため、レティシア含む皆が一斉に彼女の示す方向を見やった。
とろりとした闇に覆われたセフィア城の中庭。魔道灯が設置されていないため月光のみがぼんやりと木々の輪郭を映し出すそこを足早に横切る、背の高いローブ姿の女性。
頭までフードを被っているが、流れる水のように澱みのない滑らかな動きと時折フードからこぼれて月の明かりを反射する銀色の髪からして、アデリーヌ・クワイト魔道士団長に間違いないだろう。
「あらま、魔道士団長がこんな時間に出歩くなんて」
「自分で規則規則言ってるくせにねぇ」
「さては、騎士の誰かと逢い引きとか?」
「やだー、それはセフィア城を揺るがすスキャンダルじゃないの」
「でもほら、カレンナも言ってたじゃない。魔道士団長は騎士団に愛人を構えているとか……」
「ええっ、ちょっとその話、詳しく聞かせてよ」
同席する少女たちは至ってのんびりと、高みの見物とばかりに魔道士団長の後ろ姿を見送っているがレティシアの胸中は妙にざわついていた。
(魔道士団長は、何か知っている……?)
考えるより早く、レティシアは席を立っていた。きゃきゃと魔道士団長の醜聞に話題を移していた少女たちは呆けたように顔を上げ、無表情のまま立ちつくすレティシアを奇異なものを見る目で見上げてきた。
「どうしたの、レティシア?」
「さては、魔道士団長が気になったとか?」
「……あ……うん、まあそんなところかな」
もごもごと滑舌悪く返すが、少女たちは一切疑いを持たなかったらしく、皆目元を緩めて各々新しい菓子を摘んだ。
「ひょっとして尾行? じゃあ、魔道士団長のゴシップネタが分かったら教えてちょうだいよ」
「明日のお茶会のネタにするから」
「……う、うん。分かった。今日はありがとうね」
急ぎ荷物をまとめてレティシアは皆に茶会に招いてくれた礼を言い、素早くテラスを後にした。




