試験の夜 3
食堂が勉強部屋代わりになっているが、さすがに昼食時間になると皆勉強道具を収め、最後の昼餐をすべくビュッフェ台に並んだ。
ディレン隊の仲間たちはビュッフェ台に向かおうとするレティシアを座らせ、それぞれトレイを手に立ち上がった。彼らがレティシアの滋養を高めるために食事を持ってきてくれるのだという。
「いいか、運動にしろ勉強にしろ、大切なのは長時間の試験に耐えれるだけの体力と活力。生ける者全ての源。あらゆるものの起源であり始まり。この世で最も崇高で高貴なる存在。つまり、肉だ」
オリオンは戻ってくるなり独特の持論を展開させ、こぼれんばかりの鳥の照り焼きを載せた大皿をどんとテーブルに置いた。
レティシアは目を白黒させる。レティシアの目の前で、皿に収まりきらなかった肉塊が大岩のように転がり、どむっと重い音を立ててトレイに落下する。
「食欲はないかもしれねぇけど、とにかく食え。肉は全ての基本だ。食えば何とかなる。俺がそうだった」
「いけません、オリオン様。まずは軽めのスープなどから入るべきかと」
オリオンを遮るように、セレナがレティシアの前に刻んだ野菜入りのスープを滑り込ませた。反対側の手で遠慮なく、肉の大皿を押しのけながら。
「夏野菜を入れた冷製スープよ。これで水分も取れるし、栄養もたっぷりよ」
「……これなら食えるだろ」
言いながら、斜め前の席のレイドが差し出してきたのはチーズの固まり。発酵されたミルクの匂いが漂う扇形に切り分けた手の平大のチーズを、彼は真顔で食べている。刻んでパスタに掛けるとか、一口大に切るのではなく、そのまま。
「乳製品は甘くて栄養がある。試験前の食事に相応しいだろう」
「……それは、レイドの好みだろ」
レティシアが受け取ろうとしたチーズを横からかっさらったのは、クラート。彼は肩をすくめ、チーズの代わりに拳大のプチパンが載った皿を差し出した。
「試験前にチーズの固まりなんて狂気の沙汰だよ。だいたいレイド、ここに置いているチーズは削ってパスタに掛ける用であって、直接食べるものじゃないと思うけど」
「構わん。俺は入学時からこうしてきた。それに肉を勧めるオリオンよりはましだろう」
「何を! 肉は全ての基礎、体の資本だぞ! いいか、俺もおまえたちも要するに肉でできているんだ。あらゆるものを形作る肉を蔑ろにして、昇格試験に挑めるはずがないだろう、そうだろう、ミランダ!」
「いや、わけ分かんないんだけど」
真顔ですっぱり切り捨て、ミランダは今し方持ってきたばかりのババロアを置いてレティシアの隣に座った。銀のスプーンでババロアを掬い、頬杖を突いてミランダは赤い唇で優雅に笑う。
「よかったわね、レティシア。これだけあなたの応援団がいるのよ」
「……」
「大船に乗った気でいなさい。試験に受かる、落ちるを気にするんじゃなくて、試験が終わった後に、またこのメンバーで食事をすることを目標にして乗り切る。人生ってそんなものよ。目先ばかりに気を取られていたら、思わぬ落とし穴に落ちてしまう。もっと先の未来を見据えて、前向きである人こそが生き残るものなの」
「目標……」
「そう。困難に打ち勝とうとするのではなくて、その先にあるもの目がけて走る。自分の行く先に自分の望むものがあるからこそ、人は強くなれるのよ」
言い残し、ミランダは「紅茶も飲もうかしら」と一人ごちて席を立った。
レティシアはミランダの後ろ姿を見送り、そして未だに言い合いを続けるディレン隊の仲間たちに視線を移した。
オリオンはなおも執拗に肉の素晴らしさを蕩々と語り、レイドが渋面でチーズの固まりを頬張っている。彼らに挟まれているクラートは肩をすくめながらパンを千切り、セレナは素知らぬ顔で黙々とサラダを食している。
(大丈夫……私は大丈夫)
誰にともなく、レティシアは小さく笑みを浮かべた。
魔道士の昇格試験の科目は、一般教養、魔道実技、礼儀作法、詩歌の朗読、ダンスの五種類である。一方騎士の場合は、魔道実技の代わりに剣術馬術が入るらしい。また受験するランクによってそれぞれの科目の比重が違い、シニアマージやライトナイト程度ならば一般教養や作法、詩歌の配点が高くなるがシルバー、ゴールドとなると魔道実技、剣術馬術が全てと言ってもいいそうだ。レティシアが今回受験するスティールマージ昇格試験では、一般教養、礼儀作法の配点がやや高めの傾向にあるという。
ディレン隊の面々は試験官補佐の仕事があるため、昼食の後別れることになっていた。
「結局時間になってもノルテは来なかったわね……すぐ一時間後にはディレン隊はブロンズナイトの試験監督があるのに、大丈夫なのかしら……」
昼食で使った食器を大きさに分けて積み上げながらセレナが呟く。それを耳にしたレイドが面を上げ、脇の椅子に置いていた荷物の中から今日の試験予定らしき冊子を取りだした。
「……こうもあろうと思って、あいつは試験監督から外している。あいつを除くとディレン隊は騎士六人、魔道士四人になるが……まあ、何とかなるだろう」
そう言うレイドの声は平静そのもので、いつも通りの真顔で試験実施要項に目を通している。真顔であることが逆に、怪しかった。
(レイド、怒ってないみたい……)
レティシアは片づけを手伝いながら、そんなレイドを意外な思いで見つめていた。
昼食前にノルテの話題が出た時も、レイドは妙に落ち着いていた。職務を放棄した部下を詰ることなく、「アンドロメダと遊んでいるのだろう」とあっさりと言い、さっさと次の話題に移ってしまった。
ディレン隊が規則の緩い騎士団だとは到底思えない。加えて、レイドがノルテのことを蔑ろにしているわけでもないだろう。
だからこそ、隊長であるレイドがノルテの欠勤に気を悪くした様子もないのが引っかかった。
(……私の考えることじゃないか)
レティシアはふうっと息をつき、トレイや大皿を大きい順に下から重ね、返却口へ持っていこうと両腕に抱えた。
「……いいよ、後は僕がやるから」
横からひょいと伸びてきた細い腕が、レティシアの荷物をかっさらってきた。
穏やかな声に驚いて振り返ると、汚れた皿を一杯に抱えるクラートの笑顔があった。
彼は普段着でも、高級感溢れる絹の上着を羽織っている。そんな上質な衣服の裾ギリギリに、ケチャップやソース、肉汁の滴る使用済みの皿が迫ってきていた。
レティシアはぎょっとして、クラートの手から食器を取り返そうと腕を伸ばした。
「クラート様! 服が汚れますから、私が持って……」
「いいんだ。君はこれから試験だろう。これくらいなら僕にでもできるから」
素早く言い返し、クラートは高く積み重なった食器を危なげもなく抱え、返却台に向かって持って行ってしまった。
先ほど少し持ち上げてみたのだが、オリオンが持ってきた大皿や食器の数々は見た目以上に重量がある。おまけに食事後の汚れや食べ滓なども残っているため、下手に抱えれば服の胸元に汚れシミが付いてしまう。そもそも、農作業で鍛えているとはいえ細い部類に入るレティシアの腕であの皿全てを持ち上げられるとは思えない。
(ど、どうしよう、あの服にシミが付いちゃったら……!)
あわあわとするしかできないレティシアの元に、間もなくクラートが戻ってきた。レティシアが危惧していたような汚れは見あたらず、重い食器を運んで疲労した様子もない。
クラートはレティシアがまだそこにいたことが意外だったらしく、くるくると腕を回しながら戻ってきて、スカイブルーの目をきょとんと見開いた。
「あれ、まだ残っていたのかい? 早めに控え室に入った方がいいよ」
「は、はい。すみません……」
「あ、ごめん、ちょっと待って」
早く行け、と急かした手前、言いにくいのか尻すぼみになりながらクラートが制止の声を掛けてきた。
彼は踵を返しかけたレティシアの手首を掴み、じっと射抜くような眼差しでレティシアを見つめてくる。
「……君ならできる。高得点を狙おうとしなくてもいい。レティシア・ルフトのありのままの姿を発揮できればいいんだよ」
騒がしい食堂内だが、クラートの声は騒音に紛れることなく真っ直ぐ、レティシアの耳に、胸に届いた。
『誰が何と言おうと、自分のやり方を貫けばいいの。気楽に、心を落ち着けてね。自分が正しいと思う選択をするのが一番の薬だと、私は思うの』
月光が差し込む遠征先の水場でセレナが発した言葉が、レティシアの脳裏に蘇る。
周囲に馴染めず、ミシェル・ベルウッドのような貴族の令嬢から嫌がらせを受けて沈んでいた時も、セレナがレティシアの背を押してくれた。
「……本当に、それでいいの?」
思わず口を衝いて出てしまった、礼儀の欠片もない言葉。田舎の芋掘り娘が一国の公子に対して使ってよい言葉遣いではない。
だがクラートは気にした様子もなく、むしろ悪戯が成功し、勝利に満ちあふれた子どものような笑みを浮かべていた。
「もちろん。試験官はアバディーンから送られてきた、公平な審査員ばかり。身の丈に合わないことをするより、今の自分の力を見極めた上で臨むといいんだ。……試験、頑張ってね」
遠くからレイドがクラートを呼ぶ声が聞こえる。クラートはそちらを見やった後、レティシアに軽く微笑みかけるとくるりと背を向けて歩み去っていった。
マントを翻し、入り口で待っていたレイドたちの元へ向かっていくクラート。
レティシアはぐっと両の拳を固め、レイドたちに背を向けた。
次に彼らに会う時には必ず、「うまくいったよ」と満面の笑みで報告できることを目指して。




