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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第2部 緑翼の乙女
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緑翼の乙女 3

 翌日からまた、レティシアにとっては変わらない毎日が続くと思われた。

 なにせ、新人竜騎士ノルテがセフィア城に飛来したといっても、レティシアには直接関係がないのだ。ノルテが属するのは騎士団。しかもレティシアはディレン隊の一員ではないため、普通に過ごしていればノルテと接する機会はさほどないと思っていたのだが。


「……おい、少しいいか、レティシア」


 魔道実践の講義を終えて教室を出たレティシアは、扉をくぐった先でオリオンに掴まった。彼はつい今さっきまで城内を駆け回っていたのだろう、息こそ上がっていないが元々癖の強い緑色の髪はぼさぼさに跳ね、風に煽られた白銀色のマントが生乾きの洗濯物のように彼の巨体にまとわりついていた。


 彼は次の教室へと急ぐ魔道士たちの群れからレティシアを引き離し、申し訳なさそうに大きな体をすくめた。


「急いでいるところ悪いが……ノルテを見なかったか?」

「ノルテ?」


 思いがけない質問に、レティシアはきょとんとしてオウム返しに言った。


「昨日の夜から見てないし、だいたいどうして私が?」

「……あいつ、今日の業務に出てないんだよ」


 オリオンはぐしゃっと自分の髪を掴み、苛立たしげに頬を引きつらせた。


「ディレン隊の職務予定表は昨日のうちに渡しているんだ。それなのに今朝の一コマ目から無断欠勤だし、あのでかいドラゴンの厩舎を見てももぬけの殻だし……ひょっとしたらおまえなら何か聞いていると思ったんだが」

「ノルテが無断欠勤?」


 オリオンの説明に、レティシアは目を丸くするしかできなかった。


 確かに、あまり仕事熱心には見えなかったノルテだが先日セレナに言われたように、初見で相手の全てを決めないようにした。バルバラ女王ティカの推薦書もあることだし、いざ仕事となれば本気で職務に励むはずだと思っていたのだが。


「ああ、しかも初日からな! くっそ、だから俺はあんなクソガキのお守りは嫌だったのに……!」

「ドラゴンもいないってことは、外を飛んでいるのかしらね」

「かもな。あいつ、予定表を渡した時にも『やだ、めんどくさーい』とかほざいてたしな」


 オリオンはぐちぐちとノルテを呪った後、深いため息をついてレティシアの肩を軽く叩いた。彼としては軽いスキンシップのつもりだったのだろうが、ディナー皿くらいある手の平に叩かれ、レティシアの体は軽く前につんのめった。


「邪魔して悪かったな、レティシア。もしノルテがどっかで油売ってるのを見かけたら、俺たちに教えてくれないか。ここだけの話、レイドは何も言わないが相当お冠みたいだからな」


 こそっと告げられ、レティシアは知らぬうちに背筋を伸ばしてこくこくと頷いた。

 怒ったレイドがどれほど恐ろしいかは、昨年の遠征実習で嫌というほど思い知らされた。直接レティシアが叱られたわけではなかったが、近くにいるだけで体力を削られ、体にも精神的にも悪いのだ。


「じゃ、よろしく頼んだぜ。……あー、それにしてもなんで俺が……」


 オリオンは相当お疲れらしく、レティシアに背を向けてゆらゆらと体を揺らしながら人混みをかき分けて去っていった。元々人より柄が大きくて厳ついオリオンが顔をしかめているためか、道行く者たちは彼が近くに来るとさっと避けて道を譲っていた。


 レティシアは周囲の者より頭一つ分背の高いオリオンの後頭部を見送ってからそっと、ため息をついた。

 大理石の柱に寄り掛かっていると、夏の熱で火照った体温が背中に当たる石にすっと吸い取られ、頭の中まですっきりするような感覚さえ覚えた。


(ノルテ・ユベルチャ……かぁ)


 肩を落として目を閉じると、教室移動をする周囲の魔道士たちのざわめきも落ち着き、静かな場所に一人立っているように感じられる。

 ふと、脳裏をかすめるのは昨日の夕食時、にこやかに手を振ってきたノルテの顔。真っ暗な世界の中でノルテの笑顔がやけにはっきりと浮かび上がり、その細い腕がしっかりと掴む少年の腕に意識が移る。


 とたん、それまですっきりと落ち着いていた脳みそがざわつき始め、また余計な熱を孕んできた。ノルテに腕を掴まれて苦笑するクラートの顔がなぜか、脳裏から離れてくれなかった。


(……どうして?)


 レティシアは弾かれたように目を見開き、今し方自分の胸を襲った謎の感情に首を傾げた。

 なぜ、クラートにノルテがしがみつくシーンが頭から離れてくれないのか。

 なぜ、クラートがノルテに向かって笑う顔が憎らしく思えるのか。


(……夏の暑さで疲れたのかな)


 今日は勉強の量を減らして早めに床に入ろう。

 答えのない疑問に無理矢理終止符を打ち、レティシアは気を紛らわせるように大きく深呼吸した後、踵を返して生徒たちの波に突っ込んだ。次は魔道士団長の作法の講義だ。遅れるわけにはいかなかった。











 その日の夕食。いつも通りディレン隊とレティシア、クラートが卓を囲んでいる場所にふらりとノルテが現れた。


「ああ、お腹ぺこぺこ。今日もおいしそうねぇ」


 皆が唖然とする中、ノルテはけろりとしてレティシアとセレナの間の席に座り、食事の乗ったトレイを置いた。


「さて、ではバルバラの神々に感謝していただきまぁす……」

「……の前に、何か俺たちに言うことはないか?」


 静かな、だが明らかな殺気の籠もったレイドの声。そちらを見ることすら恐ろしく、レティシアは自分のプレートに視線を落としたまま、ぎこちなくフォークを動かした。自分の斜め前方から、渦巻く負のオーラを感じる。


「初日から職務を放棄するとはいい度胸だ。ティカ女王の推薦状があったとはいえ、甘くは見んぞ」

「む? ……あー、仕事ね。ごめんごめん、隊長」


 対するノルテはあっけらかんと言い、ぱくぱくと肉のソテーを食べながら小首を傾げた。


「ちょっと急に用が入ってねぇ、欠勤しちゃった。ごっめーん」

「……それが、騎士団員としての振る舞いか?」


 レイドは決して声を荒らげはしない。ともすれば、食堂中に沸き上がるその他の声にかき消されてしまう程度の声量だが、皆も異様な殺気に気付いたのだろう。近場の者は食事の手を止め、首を捻ってまでしてレティシアたちのテーブルを凝視していた。


「急用が入ることを責めるつもりはない。だが、仕事を欠勤するならばその旨を伝えるのが常識ではないのか。おまえは確か十五そこそこだろう。もう世の規則を知らない年ではあるまい。自分の立場と役目を改めて認識し、以後は気を付けろ」


 レイドの言葉を、レティシアは意外な気持ちで聞いていた。てっきりこの食堂が崩壊しそうなほどノルテを叱り上げるのだとばかり思っていたが、そうではなかった。


 さしものノルテも食事の手を止め、大きなブルーの目を一度、二度瞬かせると静かに両手を膝の上に重ねた。


「……うん、分かった。ノルテさん気を付けるね、隊長」

「……二度目はないと思っておけ」


 それだけ言い、レイドはすっと怒りの覇気を収めると何事もなかったかのように食事を再開した。周囲の者たちも、数拍遅れて各々の行動を再開する。


(レイドって、もっと怒りやすいんだと思ってたけど……)


 昨年秋の遠征で見習たちを叱り飛ばしていた姿を見ていたし、普段の訓練でも下級生を遠慮なく扱くと噂に聞いていたのだが、自分の部下に対しては頭ごなしに叱咤するわけではないのだろう。


 ちらと目線を上げるとちょうど、目の前に座っていたクラートと目があった。彼は自分の左隣に座るレイドを横目で見、疲れたような微笑みをレティシアに向けてきた。「意外でしょ?」とスカイブルーの目が聞いてくる。


 レティシアも小さく笑い返し、温野菜のサラダを勢いよく掻き込んだ。

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