鋼鉄目指して 5
本格的な夏が来る。それはつまり、セフィア城の生徒たちにとって向こう半年の生活を決めると言ってもよい、昇格試験が近付いているということ。
夏と冬、年に二回行われる昇格試験で合格すれば一段階高い位に就け、より高度な講義を受け、はたまた騎士団として任務を任されることができる。
意識の高い者は既に試験の準備を始めており、図書館は以前よりも人口密度が高くなった。授業の後の空き時間にレティシアがふらりと図書館に顔を覗かせると、年上の騎士や魔道士たちが殺人的なオーラを放ちながら勉強に取り組んでいる様子を目の当たりにした。
レティシアはそれを見ただけでごくりと唾を飲み込んだし、何も考えずにお喋りしながら入っていった下級生の魔道士の少年たちは先輩たちから無言の睨みをきかされ、すぐさま泣きべそかきながら退出していった。
(でもこれは確かに、入っただけで睨み殺されそう……)
年齢的にも余裕のあるレティシアと違って、もう落第を許されないらしい先輩たち。彼らに混じって予習をする勇気はなく、教科書を抱えたまますごすごと退散することにした。
自室に戻ろうかとも思ったのだが、運良く中庭のテラスが空いていた。ここは棟と棟の間に据えられた休憩用のサンテラスで、屋根はない。春や秋は心地よいのだが夏は直射日光がきつく、冬は壁がないため身震いするほど寒い。そろそろ暑い季節に入り、今日は雲一つない晴天であるためか日陰のベンチに人口が集中しており、日向は比較的空いている。
レティシアは日向の古びたオークのベンチにどかりと腰を下ろし、隣に抱えていた教科書やバッグを重ねて置いた。
日陰で大切に育てられた貴族の子女にとっては大敵の紫外線だろうが、山奥の村で育ち、お天道様の元で畑仕事をしてきたレティシアにとって日光は長年の友だ。肌が焼けるという心配すら起きない。
ブーツのつま先で中庭の土を掻きながら、レティシアは大きくのどを反らして目を閉じた。
強い日光が瞼越しに透けて見え、頬や鼻先に太陽光が降り注ぐのが感じられる。
(こういう天気のいい日は、洗濯物を干して……)
さんさんと惜しみなく光と熱を地上に振りまく太陽。これほど晴れ渡っているならば、ルフト村では一斉に村中のシーツや衣類を洗濯し、家と家を繋ぐように洗濯ロープを張って洗濯物を干すのだ。
洗いたてのシーツが風に煽られ、子どもたちがきゃっきゃと声を上げる。まるで何かの祭のようだ、と村を訪れた顔なじみの行商人たちも笑顔になる。そんな、夏の日。
「……あら、あなたはレティシアね」
背後から名前を呼ばれ、ぷつん、と回想の意図が途切れる。
急いでレティシアは我に返り、振り返った。聞き慣れないが、全く聞き覚えがないわけではない、若い女性の声。
白いレース飾りの付いた日傘を差して歩み寄ってくる、長身の女性。日光を浴び、その背に掛かる白銀のマントが眩しいくらいに輝いていた。
ウェーブの掛かった黒髪を軽く掻き上げながら、女性はぷっくりと赤い唇を緩めた。
「お久しぶり。私のことは覚えているかしら?」
試すように聞かれ、レティシアは瞬きするとしばし黙して女性の姿をじっと見つめた。
今は初夏の青草茂る中庭に優雅に佇んでいる彼女だが、以前レティシアが彼女と会った時、季節は冬で周囲は枯れた木々が広がるグラウンドだった。
(確か、名前は……)
「……ミランダさん?」
「正解。よく覚えていたわね、夕日の髪のお嬢さん」
女性は満足そうに笑い、レティシアの隣に歩み寄ってベンチの手すりに尻を乗せて座った。
ミランダ・エステス。レイド率いるディレン隊の魔道士で、昨年冬の遠征でレティシアたち見習魔道士の指導をした若い女性だ。
すらりと背が高く、出るところはしっかり出て、引っ込むべき所は完璧に引っ込んだ見事な体躯を持っており、しどけなく手すりに座る姿からも強烈な色香が溢れ出している。クラートが、ミランダは伯爵家の娘だと言っていたが、改めてミランダを間近で見ると素直に頷けてしまった。色気と気品、両方を兼ね揃え、しかも魔道の腕も立つ伯爵令嬢。
(「才色兼備」って、ミランダのためにあるようなものね)
同僚であるセレナも実はとんでもない体をしていることからも、ひょっとしてレイドはそういう女性が好みなのではないか、とレティシアは思ってしまう。
「勉強熱心なようね。さては、図書館に行こうと思ったけれど入れなかった、とか?」
「……まさにその通りです」
「やっぱり? でも試験間近になるとみんなの焦りや勉強心は今日の比じゃなくなるから。
まあ、先輩たちの気迫にやられないようにしなさいね」
ころころと笑い、ミランダは徐に視線を上げ、中庭の反対側をほっそりした指で示した。
「あれ、見てご覧。うちの隊長がいるのよ」
「レイドが?」
興味を引かれてレティシアは本を脇に置き、体を捻ってミランダが示す方を見た。
中庭の奥の方、棟を繋ぐ渡り廊下の向こう側には騎士用のグラウンドがあり、今日も暑い中、騎士見習たちが訓練に勤しんでいるのが窺える。木陰にちらと見える赤い髪の持ち主がレイドだろう。
「あそこで何を? 監督ですか?」
「ん、今日は監督業務じゃないわ。まあ、騎士団長としての仕事の一つではあるけどね」
ミランダは砂埃舞い上がるグラウンドを見やり、そしてレティシアの膝に乗る魔道書に視線を移した。
「新しい団員を探しているのよ。ああやって授業風景を見学して、めぼしい人員がいないかチェックするの。セレナだって、レイドに見出されたから今ディレン隊にいるのよ」
そう言われ、レティシアは改めてセフィア城の騎士団制度を思い返した。
騎士が結成した騎士団のメンバーは基本的に隊長が選定し、勧誘する。誘われた侍従はその申し出を受けるのはもちろん、断ってもよい。侍従は自分が心を尽くせる騎士に仕えることを基本とし、隊長は自分の下で働くに値する侍従を探しているのだ。
「じゃあ、レイドは新しい騎士をディレン隊に入れるつもりなんですね」
「……まあね。特にあの中にはクラート公子がいるから」
レティシアは反射的に顔を上げてミランダの顔を見上げた。ミランダはレティシアの視線を受けてその茶色の目を見つめ、ふっと微笑んだ。
「……レイドも甘いのよね。クラート公子はまだお子様なのにあれだけ手を掛けて。ああやって自分の所に引き入れようとして……結局あの子も過保護なのかしらね」
(……あれ?)
独り言のようなミランダの言葉を聞き、レティシアはこっそりと首を傾げた。
遠くにいるレイドを見つめるミランダの眼差しは優しい。化粧をせずとも映える、くっきりした顔立ちのミランダだが頬は緩んでおり、しかもあのレイドを「あの子」と呼ぶ。
(てっきり、レイドはセレナのことが気になっているのかと思ったけど……)
ディレン隊の人間関係が頭の中で混ざってきたレティシアは顔をしかめ、ミランダに倣うようにグラウンドの方を見つめた。
クラートは以前、ディレン隊に入りたいと言っていた。レイドが見ているのは知っているだろうから、きっと今クラートはレイドに認められようと、必死で訓練しているのだろう。
「……クラート様ならきっと、ディレン隊に入れますよね」
ほぼ本能的に唇から言葉が漏れた。ミランダの耳はしっかりとレティシアの独り言を拾い上げたようだ。
「……さあ、どうでしょうね。ここで私たちが何を言おうと決めるのはレイドだし、なるようになる、ってところかしらね」
ミランダはやや素っ気なく言い、手すりから尻を浮かせて日傘を持ち直した。
「ああ、ごめんなさい。勉強の邪魔をしちゃったようね」
「あ、いえ……」
「……いつか、あなたと一緒に働けるといいわね」
レティシアの言葉にかぶせるように言い、ミランダはどこか挑戦的に微笑んだ。




