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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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ルフト村の少女 3

 『小さな村の小さな家。女の子はいつもひもじい思いをしていました。きれいな手を泥に染めて畑仕事、刺し傷をこさえながら縫い物。意地の悪い両親に叩かれ蹴られ罵られ。そんな、辛い毎日でした。


 でもある日、立派な馬車に乗った人たちがやってきました。きらきらと輝く服を着た人が言います。あなたは、とある国のお姫様。お迎えに参りました、と。


 そうです。女の子はお姫様だったのです。本当のお父さんとお母さんは、王様とお妃様。やっと、この辛い日々から解放されるのです。


 女の子は馬車に乗ってお城へ向かい、きれいな服を着て、毎日楽しく過ごしました。そして素敵な王子様と結婚して、幸せに暮らしました。


 めでたし、めでたし』









 どの国にも存在する、少女向けのお伽噺。買い与えられた本をボロボロになるまで読んで、いつかこのお姫様のような恋をするんだ、と胸をときめかせる少女たち。


 だが残念ながら田舎娘レティシアはそのような童話を読んだことがなく、読んだとしても姫に憧れるような感性を持っていなかった。

 王様とお妃様の両親でなくても、優しくて気さくな養父母がいる。きれいな服はなくても、おいしい野菜と澄んだ水がある。王子様には出会えないが、純朴な村人たちがいる。それで十分だというのに。


 お姫様になりたいと望む少女は、平凡な生活を強いられる。


 今のままでよいと願う少女は、未知の世界へ放り込まれる。


 どう足掻いても、自分の生まれには逆らえない。希望へと足掻く力は、体の中に流れる「血」の前では無力同然だった。


 姫は姫だったからこそ、幸せになれた。

 ただ、それだけなのだ。












 馬車が揺れる。

 今まで何度か荷馬車には乗せてもらった経験のあるレティシアだが、村で使われる馬車は幌付きの荷物運び用のもので御者台以外に座席はなく、幌の中に箱詰めの果実や木材、時には鶏などを押し込んで馬に曳かせていた。


 だが貴人の間では、今レティシアが乗っているようなものを一般的に「馬車」と呼ぶそうだ。箱形の車内には対面式の座席が設けられ、大人ならば向かい合って四人乗ることができる。車窓もただの穴や安っぽいガラスではなく、一枚で目玉が飛ぶほどの値打ちがある本物のガラス。曇りないそれは、手を伸ばせばガラス面を突き抜けて外の空気へ触れられそうなくらい、念入りに磨きが掛かっている。


 レティシアはそんな窓におもてを向け、ぼうっと意識を飛ばしていた。彼女は進行方向に向かって座っているため、前から後ろへと流れるように風景が飛び去ってゆく。木々が色付いた葉を落としているため、馬車道は赤や黄色、橙色に染まっていた。


 自分の髪と同じ色の落ち葉を拾っては養母に手渡していた。そんな幼い日の記憶がふっと思い起こされる。


 養父母とはろくに別れの挨拶もできなかった。彼らは黙々と、レティシアの衣服やわずかな雑貨を荷袋に詰め、半ば押し出すように家から送り出した。養父は始終むっつり顔だったが、養母はぼろぼろ零れる涙を拭おうともせずにレティシアの出立準備をした。そして家を出るなりレティシアは細身の女性に腕を引かれて豪華な馬車に放り込まれて、今に至る。

 ティム以外の村人に出立を告げる暇も、なかった。


「――よろしいでしょうか、レティシア様」


 故郷への想いは遠慮のない冷徹な声によって微塵に砕かれた。

 ひどく不細工なふくれっ面で振り返ったレティシアを見、対座する女性は呆れたようにひとつ、鼻を鳴らした。


「そのように鼻に皺を寄せないでくださいませ。お可愛らしい顔が台無しです」


 どうせそんなこと思ってないくせに、とレティシアはふくれっ面を止めずに心の中で叫ぶ。

 「可愛い」は村にいた頃からよく言われていた。同世代の少女よりずっと整った顔のレティシアは、「村一番の別嬪だ」と褒められていた。村人の言葉には悪意やからかいの気持ちは一切なく、心から褒めてくれるあたたかい言葉にレティシアは快感すら覚えていた。


 だが、この女性が「お可愛らしい顔」と言うのは世辞に過ぎないと、レティシアは直感で悟った。そもそも女性の顔が、人を褒めるときの表情をしていないのだから。


「申し遅れましたが――わたくしの名はロザリンド・カウマー。現在、リデル王国セフィア城にて侍従魔道士団の魔道士団長を務めております」


 そう言って、ロザリンドと名乗った中年女性は胸に手を当てて一礼した。きつく結った髷が微かに揺れ、彼女のこれまでの苦労がにじみ出るような白髪混じりの頭頂部がちらりと見える。


「十数年前までは聖都にて女官を務めておりました」

「……あっそ」


 愛想のかけらもないレティシアの相槌。ロザリンドはレティシアの返事には少し眉根を寄せたのみで、抑揚のない声で淡々と語りだす。


「では……まずは、あなたの身分についてご説明いたしましょう。あなたがルフト村村長夫妻の養子であることはご自分でも認識しているようですが、あなたの本当のご両親のことを打ち明けねばならないでしょう」


 ロザリンドの三角眼鏡が日光を浴びてきらりと輝いた。鋭い光に目を刺され、レティシアは眩しさに目を細める。


「……レティシア様。あなたはクインエリアをご存じですか?」

「くい……クイ、何?」

「クインエリア。聖都と謳われる、女神信仰の中心地です」


 全く聞き覚えのない地名にきょとんとするレティシア。レティシアが知っている国名は「オルドラント」と「リデル」くらいだ。

 ロザリンドはレティシアの反応をある程度予測していたのか、気にした様子もなく続ける。


「クインエリアはここより遥か北東――リデル王国の東側に位置し、灰色の海に面した山岳地帯を領土に抱える聖都です。世界中の国家の中でもとりわけ歴史が深く、我らがリデル王国、そして西の帝国カーマルに次ぐ長命国家です。ルフト村ではそれほど盛んではないようですが、世界中で浸透している女神信仰の総本山でもあります。クインエリアを統べるのは、慈悲深き神の遣い、大司教様。女神信仰の頂点に立つお方です」


 ふーん、と適当に相槌を打つ。村育ちのレティシアにとって、当然女神信仰など肌に馴染みのないことであった。


「すごく偉い人なんだね、大司教様って」

「何を、他人事のように」


 ロザリンドはツンと顎を突き出し、平べったい胸をどこか誇らしげに張った。


「あなたは大司教様の大切な娘御――つまり、次期大司教となられるお方なのですよ」

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