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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第2部 緑翼の乙女
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鋼鉄目指して 2

 朝食を終えるとすぐ、一時間目が始まる。

 久しぶりに教科書やノートを抱え、詩歌の教室へ入ったレティシアはまず、クラスメートの大半が入れ替わっていることに気付いた。


 同級生の中には親友がいないレティシアだが、挨拶を交わすくらいの仲の魔道士見習はいた。だが席について周囲を見回してみると、昨年の冬まで一緒に講義を受けていた魔道士の大半がいなくなっており、見覚えのある者たちは以前よりも厳しい眼差しで互いに何か語り合っている。


 そして半数以上は見覚えのない幼さ残る顔立ちの魔道士たちで、しかも彼らが背に靡かせる薄黄色のマントは新調したばかりでつやつやしている。数名は誇るように薄黄色のマントを椅子の背に垂らしており、友人同士で互いのマントの裾を引っ張り合ってはくすくすと可愛らしく笑っていた。


 そうか、とレティシアは一拍遅れて状況を悟った。

 クラートがライトナイトからスティールナイトに昇格したように、昨年の冬の終わりにあった昇格試験で多くの同い年の魔道士が合格し、スティールマージのクラスに上がったのだ。そして同様に、シニアマージであった年下の魔道士たちがライトマージに昇格して、この教室に入ってきたのだ。

 そうすれば、若い魔道士が自慢気な表情である反面、古参の魔道士がどことなく苛立った様子であるのも納得がいく。彼らは冬の昇格試験に落ちたのだろう。


 レティシアは教科書を机の隅に置き、背に羽織る薄黄色のマントをそっとたぐり寄せて手に取った。

 特例によってセフィア城への編入を許されたレティシアのマントはまだ新しい。ルフト村に帰郷している間も養母がまめに手入れしてくれたため、一見すれば新人ライトマージのマントと比べても遜色がないように思えた。


(……あ、こんな所に解れが……)


 それでも、よく見るとマントの縫い目がいくつか解れ、養母が縫い直してくれた跡がある。洗濯を重ねた生地は少しよれており、熱した鏝でも落とせなかった強情な皺が浮き出ている。

 今はまだ艶やかさを残すこのマントも、使っていくうちにいつか朽ちてゆく。同じように、昇格できない魔道士もまた、同期生に追い抜かれて萎れてゆく。いつまでもスティールマージに上がれずライトクラスで足踏みしていれば、レティシアが受けた「特例」も無意味になってしまう。


 ふと、昨年秋の実習で同じグループになった年上のライトマージの顔が脳裏を過ぎった。レティシアはもちろん、セレナよりも年上に見えた彼女らのマントは、年代を感じさせる褪せた黄色だった。

 とてもではないが好意を感じられない彼女らの冷めた視線を思い出し、レティシアは顔をしかめた。彼女らのようにはなりたくなかった。魔道の腕前としても、人としても。


 騒がしい魔道士たちを制しながら詩歌の教師が教室に入ってくる。号令の声を受けてレティシアはぴっと背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見つめて講義に臨んだ。

 同じ教室にいる誰にも、負けないように。









 詩歌はルフト村でもたまに復習していたため、なんとか支えることなく暗唱や書き写しができた。スティールマージ昇格試験では詩歌も試験問題に入るということなので、気は抜けない。


 教科書の所々に目印代わりにノートの切れ端を挟み、レティシアは教室を出た。付箋を挟んだところは夜の自習時間にセレナに教えてもらう予定だ。

 何とも思うことなくレティシアは既に歩き慣れた廊下を進み、礼儀作法の教室へ向かった。礼儀作法の授業は男性と女性でクラスが違う。当然と言えば当然であるが、男性騎士や魔道士は男性の教師から教わり、レティシアたち女性は四十代と思われるきつい性格の女性教師から教わっていた。


 昨年の作法の授業を思い出し、きりりとレティシアの胃が痛んだ。件の女性教師とは、礼儀作法の「れ」の字も知らない状態から始まったレティシアをとことんいびり倒してくれた、まことに素敵な女性であった。また彼女に教えを請わなければならないのだろうか、と半ば諦めながら教師の登場を待っていたレティシアだったが。


 カツカツと鳴り響くヒールの音。それを耳にしたクラスメートの少女たちの背筋が一気に伸び、膝の上で両手を重ねる姿勢に固定される。

 授業が始まるまで、暇つぶしに作法の本を読んでいたレティシアは顔を上げ、そして杏のような目を丸く見開いた。


 颯爽と教壇に上がったのは鹿爪らしい中年女性ではなかった。朝の日差しを浴びて燦然と輝くプラチナブロンドの髪。美術品を思わせる均整の取れた体躯。艶やかに微笑む口元。

 アデリーヌ・クワイト魔道士団長は教室内を一瞥し、緊張の面持ちの少女魔道士たちに向かって微笑みかけた。


「おはようございます、みなさん。今日は新入りもいることですし、まずは改めて、みなさんと礼儀作法についてお話ししておきましょう」


 魔道士団長の声は甘い蜜のようだが、とろりとした甘味の中に鋭い針が混じっている。知らずに飲んだ者ののどに刺さる棘のような鋭さが、彼女の声の中には潜んでいた。

 魔道士団長は胸元をしっかり強調させるデザインのローブをたぐり寄せ、レティシアたちに鋭い視線を注いだ。


「この教室の中には様々な生まれの方がおります。わたくしのような生まれを持つ方もいれば、農村で生まれ育った方、都市で育った方、はたまた某国の王族に繋がる方――十人いれば十種類の育ちがあることでしょう。しかし、生まれは本人の意志で変えられるものではありません。それと同様に、みなさんが魔道の素質を持って生まれたことも、あなた方が望んで為し得たことではないのです」


 レティシアは魔道士団長の淀みない説明を、意外な思いで聞いていた。

 以前の作法教師と毛色が全く違うのはもちろん、「高慢ちき」と言われる魔道士団長の言葉とは思えなかったのだ。


「みなさんの中には、魔道の素質を持っていたからこそ、ここセフィア城で学習できた方も多くいらっしゃることでしょう。わたくしは、それを恥じろとは言いません。しかし、平民の身分から侍従魔道士となり、今後アバディーンなどの王城へ仕官しようと志す方は、特に心して聞きなさいませ」


 教室内に緊張の糸が走る。初耳のレティシアはもちろん、今まで何度も同じ話を聞いてきているだろう他のクラスメートたちも皆、息をひそめて魔道士団長の話に傾聴していた。

 魔道士団長はそんな少女たちを順に見つめ、最後にレティシアを見つめた後、ゆっくりと大股で教室内を歩きだした。


「セフィア城にいる間は、己の魔道の腕だけでも勝ち上がることができます。なぜなら、本城は守られた場であるから。城内を一定の基準に守られた統治下に置き、外部からの介入を遮断することによって、余分な影響を受けずに済んでいるのです。これはわたくしを始めとする、教師の方々や、事務の方、そして騎士団長の恩恵と言ってよいでしょう」


 魔道士団長は話すのが速い。レティシアは眉間に皺を寄せながら、必死に魔道士団長の言葉を脳みそに焼き付けていた。なぜか、この言葉を忘れてはいけない、聞き流してはいけないと本能が訴えているのだ。


「では、守られた場にいるあなた方が、外の世界へ飛び立った時は? 外の世界――とりわけアバディーンやカーマルの王城は、容易くありません。魔道の実力だけで上位にのし上がれ、己の地位を保てるわけではないのです。王宮で生き残るためには、知性や教養も必要不可欠です。とりわけ女性に必要とされるのは、二つの『美』ですが……エリス・カーセイ?」


 エリス、と呼ばれた少女は怯むことなくすっと立ち上がり、朗々とした声を上げた。


「はい。わたくしたちに求められるのは、内面の美、そして外面の美の二つです」

「よくできました。座りなさい、エリス。……彼女の言う通り、わたくしたちは内外面両方の美を持たなければ、生き抜けません。外面の美は言わずもがな、容姿です。しかし容姿ばかり目立っていても、纏うドレスや化粧によって効果は全く違ってきます。凡な容姿でも、己の努力次第でいくらでも繕うことは可能です。そして内面。王宮の殿方は、鋭い観察眼をお持ちです。いくら外面を飾り立てても、性格や気質の歪みはいずれ見破られるもの。よってこの二種の美が必要なのですが、それを総括するのが、わたくしが教授する礼儀作法です」


 教室中の少女魔道士たちは魔道士団長から視線を外すことなく、その話に聞き入っていた。それはレティシアも例外ではなかった。


「作法のなっていない者、人への気遣いのできない者はいくら魔道の腕がよく、容姿に優れ、穏やかな心を持っていても価値はありません。作法は鍛えさえすれば、平民出の方でも貴族の令嬢に負けぬ気品を身につけることができますし、逆に己の身分に拘って作法や敬意の情を疎かにする者は、王宮で速攻切り捨てられます。王城は、礼儀を蔑ろにする者を見逃しはしません」


 よいですか、と壇上に戻った魔道士団長は目を細め、年若い侍従魔道士たちを見回した。


「あなたがたは、生き抜かなければならないのです。特に身分を持たない方々。あなた方は、とりわけ強い悪意に晒されるでしょう。貴族の中には、平民生まれというだけで嫌悪を抱く者も少なくありません。……わたくしの講義では、あなた方が己の武器となる礼儀と気品を身につけ、審美眼を養い、よき友や伴侶と出会えるための手助けを施してゆきましょう」

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