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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第2部 緑翼の乙女
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鋼鉄目指して 1

 朝起きたとき。

 自分の体を包んでいるのは木綿を織って作られたシーツではなく、高級な羽毛をふんだんに使った上掛けであるというのは非常に贅沢ではあるが、やはりまだ身に馴染まなかった。というのも、高級品を使っていると思うと変に気を遣ってしまい、心から落ち着けなくなるのだ。


 体にまとわりつく重い上掛けを片足ではね除け、ううんと背伸びする。鼻孔をくすぐるのはルフト村特有の土の匂いではなく、清潔さを表す石鹸の香り。


 セフィア城の朝は、ルフト村の朝より遅い。貴族の子女はまだ眠っている時間帯だろうが、朝日と共に起床する癖が付いているレティシアはぴょんとベッドから降りると、手早く仕度をした。セフィア城侍従魔道士団規定のローブを身につけ、自分の階級を表す薄黄色のマントをばさりと羽織る。

 洗面台で顔を洗って寝癖の付いた夕焼け色の髪を軽くまとめ、昨日途中止めになっていた今日の授業の仕度をすると、レティシアは食堂へ向かった。


 朝練がある騎士団は基本的に、侍従魔道団より早起きで朝から走り込みや体慣らし運動をしてから朝食になる。そのため、食堂にいる侍従魔道士団が皆、眠そうな目をしているのに対して騎士団は既に汗を掻いており、がやがやと朝練の内容について話しながら元気よくビュッフェ台に並んでいた。


「やあ、おはようレティシア」


 今朝も真っ先に声を掛けてくれたのはクラートだった。彼は食堂の入り口に近い席に座っており、既に自分の分の朝食も取っている。

 レティシアは慌てて会釈し、飲み物だけ注いでクラートの席に向かった。


「おはようございますクラートさ……」


 挨拶途中で声が止まる。レティシアの目はクラート――の背中に垂れるマントに釘付けになっていた。

 昨年の冬、雪で彩られたセフィア城城門前で別れたときはレティシアと同じ、薄い黄色だったマント。

 それが今は、真新しい灰色に変わっていた。


「……ああ、これね。実は僕、君がいない間……去年の冬の昇格試験を受けたんだよ」


 レティシアの視線を察し、クラートはフォークを置いて誇らしげに言い、椅子の背に垂らしていたマントを手でたぐり寄せた。


「試験一週間前は本当にレイドやオリオンに扱かれたけど、おかげでなかなかいい成績で合格できたんだ。見習の称号は返上できたし、ようやっと一つ目の目標――スティールナイトになれたんだ」

「すごい……」


 ごく自然に賞賛の言葉が唇から漏れた。クラートは照れたように微笑み、鏝がきちんと掛けられたマントをそっと撫でてしっかりした口調で言う。


「レティシアも知っているように、十六歳のスティール位になったら騎士仕えができる。――僕は、今度の夏の交流会でディレン隊に入ろうと思うんだ。今からレイドにお願いはしているし……まあ、最終的にはレイド次第になるけどね」

「もうそこまで考えてるんですか」


 レティシアは目を丸くして手元のグラスを両手でぎゅっと掴んだ。


 セフィア城はいわば、王都アバディーンの雛形だ。小さな集団ながら人間関係は複雑で、身分とはまた違った上下関係が確立されている。騎士団制度もその一つだ。

 セフィア城騎士団では、シルバーナイト以上になると自分を隊長とした騎士団の設立を許される。騎士団ができると仕事が与えられ、普段の城での勉学に加えて下級生の指導や遠征が課される。よりよい成績を収めた騎士団にはより高度な任務が与えられ、リデル王国内の村へ派遣されたりアバディーンに呼ばれたりもする。


 そして騎士の下には、隊長に仕える部下がいる。クラートが言ったように、十六歳以上のスティールナイト、スティールマージになれば隊長の勧誘を受けられるのだ。勧誘を断ることはもちろんできるし、自分の意中の騎士にアプローチすることも認められている。要は、自分の納得のいく騎士に仕えて共に仕事をするのが一番なのだ。


 所属する騎士団がよい働きをすれば、セフィア城を出た後の布石になる。学生時代に優良な成果を収めたということで各地から誘いが掛かるし、アバディーンの登用試験などでも有利に事が動く。貴族であれば自分の家名に箔が付くし、場合によっては爵位が上がることもあり得る。令嬢であれば、よりレベルの高い貴族に嫁ぐ花嫁道具にもなる。

 とういことで、よほどのことがない限り、セフィア城の者は騎士団の騎士隊長か団員になるのだ。


 クラートは前々から、レイドの隊に入りたいと言っていた。それだけにレティシアは、自分の将来の指針を固めるクラートの決意を聞いて目を丸くした。


「でも……レイドはクラート様の家に仕えてるんですよね。身分としては逆転してしまうんじゃないですか」

「別に珍しいことじゃないよ」


 言い、クラートはスプーンでコーンスープをかき混ぜた。


「確かにレイドはうちの大公家に仕えてるけど、事実僕よりレイドの方が剣術に長けてるんだし存在感もあるし。僕に限らず、オリオンだって実は貴族なんだよ」

「オリオンも?」


 昨日知り合ったばかりの気さくな大男の顔を思い出して、レティシアは聞き返す。


「そうとは言っていなかったけれど……」

「まあ、あまりオリオンは実家と仲がよくないらしいけど、リデルの貴族ブルーレイン男爵の弟なんだよ。お兄さんとはほぼ断絶状態で……。あと、去年君を指導したっていうミランダも、エステス伯爵家出身なんだ。ご両親は外国の魔道士養成機関に進学させたかったそうだけれど、ミランダがセフィア城に行きたがったんだって。事実、セレナ以外のディレン隊は全員貴族出身……隊長であるレイドより身分は上なんだ」


 レティシアはディレン隊について熱心に語るクラートを見、手元の野菜ジュースを見下ろしてぽつりと呟いた。


「……私、本当に全然将来のことなんて考えられていないんですね」


 クラートは、俯いて顔の窺えないレティシアを意外そうに見つめ、うーん、と腕を組んで唸った。


「……別に今すぐ所属する騎士団を決めろ、とは誰も言わないよ。ただ単に僕は昔からレイドの世話になっていたし、セフィア城に入学した時からレイドの部下になるってことを目標にしていたからあっさり決まっただけで、なにもスティールになった者が全員、すぐに入隊するわけじゃないから。中には何年も掛けて自分の意に添った騎士を探す人だっているんだよ」


 クラートの取りなしを受けつつも、レティシアは今ひとつ心が晴れなかった。


 そもそもレティシアは流れに逆らうことができず、セフィア城についての知識も皆無な状態で編入したのだ。侍従までは考えていなくとも、ある程度自分の目標や夢を持って城の門を叩く者と、レティシアのように準備も覚悟も不足している者を同等と言うことはできないのではないだろうか。


 黙り込んだレティシアを見かねてか、クラートはちらとレティシアに視線を送った後、席を立った。間もなく戻ってきた彼は、ジュースのコップを握りしめたままのレティシアの前に朝食の載ったプレートを置いた。


「朝から暗い顔したらダメだよ。まずは食べて元気を付けないと」


 レティシアはクラートがよそってくれたカロリー控えめなメニューを見、そしてクラートを見た。

 クラートは微笑み、席に戻ると自分のサラダにドレッシングを掛けた。

 

「ずっと先のことは不明瞭でもいいんだよ。まずは目の前の目標。君の場合……今度の夏の昇格試験を受けるんだろう?」

「え、ええ……」


 不意打ちを受け、レティシアはついよくも考えずに言葉を発してしまった。


「まだ勉強はしていないけれど……」

「うん、だからまずは手近な目標から達成していくんだ。君の場合、次はスティールマージだね。夢ばかり見て現実の問題をこなせないでいるよりは、よっぽどいいと思うよ」


 クラートは穏やかな眼差しでレティシアを見つめてくる。間近で見るクラートの顔は、繊細な作りの人形かなにかのように凛と整っている。人形と違うのは、頬がほんのりと赤みを帯びていて、スカイブルーの目が生き生きと輝いていること。

 我知らず頬が熱くなり、レティシアはふいっと顔を背けて手元の朝食プレートに視線を落とした。


「その……もったいないお言葉です」


 ほとんど呟くようなレティシアの言葉にクラートは一瞬目を丸くした後、また目元を緩めて頷いた。

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