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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第2部 緑翼の乙女
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新しい魔道士団長 4

 和やかな夕食が続く食堂。


 ふと。若者たちの笑い声や食器の音が満ちていた食堂が水を打ったように静かになり、レティシアもまた、つられて食事をする手を止めた。見れば、大きく開け放たれた食堂のドアをくぐって部屋に入ってくる人物の姿が。ここからは豆粒ほどの大きさにしか見えないが、食堂中の意識がかの人物に向けられていることは一目瞭然だ。


「新しい魔道士団長……アデリーヌ・クワイト様よ」


 セレナがこそっと言い、レティシアは静かに長い息を吐き出した。そしてテーブルの間を巡回している「新しい魔道士団長」をよく見ようと、わずかに尻を浮かせて首を伸ばした。


 アデリーヌ・クワイトは三十行くか行かないか位に見える、かなり若い女性魔道士のようだ。これ見よがしに翻すマントはまだ新しい金色。すらりと身の丈が高く、頭頂部で結い上げられた艶のあるプラチナブロンドの髪が食堂の明かりを受けて燦然と輝いている。そして出るべき所はしっかり出て、引っ込むべき所は絶妙な角度でくびれている、一種の美術品のような均整の取れた体つきをしていた。


 世間に疎いレティシアでも相当な美人だと分かるのだが、眦が吊り上げられた目は若者たちを睨め付けるように見回しているし、赤い唇は嘲笑を漏らすためにあるかのように薄く開いている。事実、男性騎士たちは色香に溢れた若い魔道士団長を見て目の色を変えて、彼女の気を引こうと軽く咳払いをしたり熱っぽく彼女を見上げたりしている一方、女性陣の視線はことごとく冷めている。


「来たわ、魔道士団長よ魔道士団長」

「今日もまた、色魔みたいなローブを着ているのね。少し胸が大きいからって、驕ってんじゃないの?」

「見て! リクソン隊長が骨抜きになってるわ! 鼻の下を伸ばして……!」

「きぃーっ! わたくしの隊長に色目使わないでよ! あの色狂い!」


 レティシアの背後のテーブルでは侍従魔道士たちによる恨み辛みのオンパレードが繰り広げられている。ともすれば彼女らの放つ負の魔力に吸い込まれそうになる。


 レティシアはそっと椅子を引いて彼女らの纏う黒いオーラから距離を取り、おずおずとクラートに声を掛けた。


「……あの人がクワイト魔道士団長なのですね……」

「うん。騎士団でもいろいろ騒がれているよ」


 そう小声で返すクラートは口調こそ素っ気ないが、ほんのり頬が赤い。そして自分たちのテーブルのすぐそばを通り過ぎていった魔道士団長を見て、素早く視線を反らせた。


(……なによ)


 相手が自国の公子であることも忘れ、レティシアはぶうっと頬を膨らませるとクラートから体を離した。同じ女性魔道士として、自分以外の女性に現を抜かすクラートというのはあまり気持ちのよい風景ではなかった。


(……どうして?)


 ふと、レティシアは目を瞬かせる。なぜ、これほど腹立たしいのか。魔道士団長に心を奪われる男性は他にもあまたいるというのに、なぜなのか。

 自分でも答えが分からず、レティシアは誤魔化すように一気にサラダを掻き込んで噎せ、クラートに背中を叩かれることになった。








 夕食後、多くの若者たちは消灯時間まで自由に過ごすことになっている。

 明日の課題を日中に済ませておいた効率の良い者たちは解放テラスに出てお喋りに興じ、まだ体を動かしたい脳筋騎士たちは自主トレーニングするべく夜のグラウンドへ駆けだしていく。

 また、消灯時間になると男女別棟に入らなくてはならないため、食堂を出た先の廊下では鐘が鳴るまで団らんする騎士団たちの姿も多かった。朝から晩まで勉強や訓練、騎士団の仕事に忙しい若者たちにとって、夕食後の語らいは大変貴重な時間であった。


 だが、それはレティシアが以前城にいた頃、去年の冬までの話だ。

 食堂を出ると廊下は意外なほど静まりかえっており、食後の若者たちは皆、まっすぐ宿舎棟へ向かっていた。


「……前はここでよく立ち話していたような気がするけど」

「ああ、今年の春まではそうだったよ」


 返すはクラート。彼が見る先には、今までは女性たちの憩いの場となっていたソファが寂しく据えられていた。


 誰も座る気配のないそこにどっかりと腰を下ろし、行儀悪く脚を組んでオリオンが盛大に鼻を鳴らした。レティシアの五倍近くの量の食事を平らげたオリオンだが、腹が膨れた様子はない。


「魔道士団長だよ。あいつ、消灯時間ギリギリまで城内をうろつくなんて、品がありませんわ! とか言って、夕食後の俺たちの行動も取り締まりだしたんだよ。――そんな顔するなって。俺たちだってそりゃ、最初は反抗したさ」


 つん、とレティシアの眉間に刻まれた縦皺を太い指で突いて、オリオンは肉厚な肩をすくめた。


「でもまあ……何というか、やり方が合理的なんだよ。俺たちみたいな男女混合の組み合わせが大抵だから、まずは自分の下にいる魔道士の女から攻めていくんだ。といっても、『夜遅くまで立ち歩くとは淑女にあるまじき行為です』とか『明日も早いでしょう? もう部屋に入りなさい』とか……セレナ、他に何て言われたって?」

「『お肌の健康のためにも、深夜前には床に入るべきです』とも言われました」


 セレナも、困ったように頬に手を当てて言う。


「おっしゃることが至極尤もなのよ。同じ女性として当然のことをさっくりおっしゃるから、私たちは上がらざるをえなくって……そう言われたら女性騎士の方も、早く上がるようになったの。外で訓練することの多い騎士団は余計に、お肌が心配だからとか……」

「結果、僕たち男ばかりが残るんだけど、まあ男ばかり集っていてもおもしろくはないからね。食べるもの食べたらさっさと解散するようになったんだよ」

「……なるほど」


 事情を聞かされ、レティシアもううむ、と唸るしかできなかった。

 先ほどの食事の場で魔道士団長を貶す言葉を耳にしていたため、てっきりあくどい方法で皆を規制しているのだとばかり思っていたのだが、それは間違いだったようだ。レティシアはさして肌には関心がないが、他の仲間たちがいなくなれば確かに渋々、自室に引き返すしかないだろう。


「……俺の騎士団は毎晩、ここで翌日の打ち合わせをしていたのでな。魔道士団長の規制は正直迷惑だ」


 思案するレティシアをよそに、けんもほろろに言い捨てたレイドは、顔の右半分を覆い隠す赤い前髪を軽く引っぱった。


「……飯の後に、セレナが作った菓子を摘みながら翌日の打ち合わせをするのが日課だったのだが……そういえばセレナ、今日は菓子はないのか」

「申し訳ありません。只今個人持ちのバターを切らせておりまして、作れなかったのです。また入荷されたら作りますね」

「おお、セレナの菓子はうまいよな! 特にミートパイ! あれ、また作ってくれよ」

「オリオン、他のものは目もくれずミートパイだけむさぼってたよね。しかも肉だけほじくり出して」

「肉ならさっき散々食っただろう。少しは乳製品も食え、脳筋」

「乳製品も似たようなもんじゃ……」


 わいわいと人気のない廊下にレティシアたちの声が響く。クワイト魔道士団長の規制の下、食事後には速やかに自室に戻るよう調教された若者たちがいない薄暗い廊下で、レティシアたちの存在が浮き、目立っているのは当然のことだった。


「……あら、そこで何をなさってるの?」


 鈴を振るかのように甘く、澄んだ声。

 振り返れば、廊下の暗がりの奥から優雅に歩いてくる長身の女性が。わずかなランプの明かりを受けて金のマントが輝き、銀色の髪と会わせて神秘的な雰囲気を醸し出している。先ほど明るい食堂で見たときとは真逆の雰囲気を漂わせており、危険な艶やかささえ伺える。


 アデリーヌ・クワイト魔道士団長は思わず固まってしまった若者五人を見、うっすらと唇に笑みを浮かべた。


「こんな暗がりで密会ですって……品性が疑われますよ……あら?」


 順に五人を見ていた魔道士団長はレティシアに目を留め、アーモンド型の目をすっと細めた。


「……見ない顔ね。いえ、その髪はさては、噂の……」


 最後の方は消え入るような声色で言い、魔道士団長はしばし、考え込むように黙した。

 レティシアはそんな魔道士団長をじっと正面から見据え、レイドたちはそんな二者を渋い表情で見守り――


「……まあいいわ。新入りなら、それなりの態度でいるように心がけなさい」


 魔道士団長は思案顔を払拭すると妖艶に笑い、香水の香りを漂わせながらマントを翻した。


「では、くれぐれも夜陰に紛れて間違いを起こさないようになさいね」


 甘さの中に微かな毒を含ませて言い、魔道士団長は小さく笑いながら元来た道を戻り、廊下の角を曲がって見えなくなった。

 金のマントが完全に隠れてようやく、体中の神経が一気に戻ってきたような疲れを感じ、レティシアはがっくりと肩を落とした。会話をしたわけでもなく、ただ向かい合っているだけなのに酷く体力が消耗された。


「な、なんというか……聞きしにも勝って強烈な人ね……」

「まったくだ。しかもなんだろうな、レティシアを見てあいつ、なんか考えていたぞ」


 魔道士団長の去っていった方を睨み付けながら、ふと思い出したようにオリオンが口にした。


「噂の、とか言ってたし……レティシア、あの魔道士団長と面識会ったのか? てかおまえ、そんなに有名だったんか?」

「いいえ……多分、編入してきた落ちこぼれ魔道士とか、そっち方面のいろんな噂があるってことでしょうね」


 レティシアはさして考えることなく返した。

 去年の秋にセフィア城に編入し、明らかに皆から浮き、酷い成績を更新し続けたレティシアのことは、伝説になってもおかしくないだろう。そんなレティシアを諦めず指導してくれたのが、ここにいるセレナなのだが。


「あと……貴族の方からしたら、私なんてイモ臭い農民に違いないんだろうし。嫌がらせのつもりなのかもね」


 嫌がらせなら、昨年のうちに飽きるほど受けてきた。


 レティシアをいじめるのは貴族の令嬢に限っており、お嬢様の考える嫌がらせなんてたかがしれている。深窓の令嬢として育ち、いじめや無視に耐えられない姫君ならともかく、大自然の中でのびのび育ったレティシアには大したダメージにはならない。

 そんないじめも、レティシアがセレナたちと付き合うようになってからは格段に減り、レティシアの方も妙な耐性のような、免疫のようなものが付いてきていた。


「……けど、用心するに越したことはねぇぞ」


 魔道士団長が消えていった方を睨むように見つめていたオリオンが呟く。レティシアが彼を見上げると、オリオンはレティシアと目を合わせて厳しい表情を引っ込めてふっと微笑んだ。


「まあ、俺たちが付いているんだし大船に乗った気でいろよ。何か困ったことがあれば遠慮なく、このオリオン・ブルーレインに聞いてくれ! なんなら毎朝のトレーニングに付き合わせてやってもいいぜ!」

「トレーニングって?」

「よっくぞ聞いてくれた! まず朝四時に起床! すぐさまグラウンドに降りて外周二十週、スクワット二百回、腕立て腹筋背筋三百回の後、訓練用の鉄の大剣十五本を担いでグラウンド十周……」

「あ、ごめん。やっぱ聞かなかったことにして」









 消灯の鐘が鳴り、レティシアたちは女子と男子で棟に別れ、それぞれの部屋に戻った。

 部屋に据えられた魔道ランプの明かりをともし、寝る仕度をしようとクローゼットを漁っていたレティシアはふと、動きを止めて華奢な作りのテーブルに歩み寄った。しばらく開けていなかった正面の引き出しを開け、小さな長細い箱を取り出す。

 両手に乗るくらいの大きさのビロード生地で包まれた箱を慎重に開くと、中にあるものが魔道ランプの明かりを受けてきらりと輝いた。


 フレームの中央がひしゃげ、片方のレンズが砕けた黒縁眼鏡。昨年の冬、命を失ったロザリンド・カウマーの遺品。

 ロザリンドの遺体は火葬され、遺灰はクインエリアに送られたが眼鏡は焼くことができなかった。彼女には家族がおらず、彼女の親戚であるカウマー男爵も受け取り拒否した。そのためロザリンドの後見を受けていたレティシアが彼女の遺品を受け継ぐことになったのだが、ほとんどの品はセフィア城やクインエリアに寄贈した。

 唯一、この割れた眼鏡とケースだけは手元に置き、レティシアがセフィア城を離れている間にテーブルの中にしまって「留守番」させていたのだ。


 箱から取り出した眼鏡を両手で持って、しばらくあちこちの角度から眺めた後、レティシアはそっと台座の上に戻した。蝶番が外れた眼鏡が崩れないように置き直し、ぱたんと箱を閉ざした。


「……頑張るから見ててね、ロザリンド」


 レティシアは小さく呟き、ぽすりとベッドに倒れ込んだ。


 そんなレティシアの背中を、窓に吊されたタマネギだけがひっそりと見守っていた。

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