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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
30/188

春色の風の中で 2

「無期限休学……泥酔して女子宿舎棟を全裸で徘徊した奴が食らったのが最後だったか」


 レティシアの休学届けに目を通し、レイドは呆れたようにつぶやいてそれを投げ返す。


「てっきり不良だけが受けるのかと思っていたが――おまえ、いい根性しているな」

「……褒め言葉として受け取っておくわ」


 今日も相変わらずレイドは口が悪かった。

 無期限休学の届けを出したレティシアは馬車を借り、「一身上の都合で」セフィア城を出ることになった。だが見習ごときが長距離用の馬を借りられるわけがないので、レイドのコネで丈夫な馬と馬車、そして口の堅い御者を雇ってもらったのだ。


 最初、レイドはこの頼みを受けてぶうぶう文句を垂れていたがレティシアがしつこく食い下がり、クラートも頼み込み、果てにはセレナが三つ指ついて土下座しそうな勢いだったため、しぶしぶ首を縦に振ってくれた。どうもこの眉目秀麗な騎士様は、セレナには滅法弱いようだ。


 レイドの意外な弱点を知り得てにやついたレティシアの額に、容赦ない一撃がお見舞いされる。


「人の顔を見てにやつくな。気分が悪い」


 レイドは鉄拳を収め、ぶすっとしてレティシアに背を向ける。


「じゃあ俺は行く。セレナもクラートも、その馬鹿たれの見送りが終わったら速攻戻ってこい」


 レイドはレティシアの出立を見送るつもりはないらしい。御者に代金を握らせ、一言二言言付けて彼はさっさと建物の角を曲がっていってしまった。


「……怒らせちゃったかな」


 赤髪の騎士が完全に見えなくなり、ぶん殴られた額を押さえてレティシアが舌を出すと、なぜかクラートが笑いだした。


「まさか。あれがレイドにとっての通常運転だよ。それに、少なからずレティシアのことは気に入ったみたいだし」

「そうよ。この荷物を下まで運んでくださったのはレイド様なんだし、嫌いな相手だとそもそも馬車を貸してくださったりしないわよ」


 そう言ってセレナが示すのは、本やら服やらが詰められたトランク。セレナのお古のトランクも借り、なんとか二個分に収まったが重量はかなりのもの。女二人でずるずる廊下を引きずって運んでいるところを迎えに来たレイドに見つかり、ひょいと持ち運ばれていったのだ。


 レティシアはほうっと安堵のため息をつき、いつの間にか鼻の頭に浮かんでいた冷や汗を手の甲でぬぐい取った。


 レティシアはこれからセフィア城を出て、東に向かう。リデル王国の東の国境を抜けた先にある、聖都クインエリアへと。

 クインエリア行きを告げたのは、事務長や教師を含むほとんどの大人。そのついでにどこに行くかを明かしたのは、ここにいる二人と、そそくさと退散した青年の三人だけ。


「無理だけはしないでね」


 セレナがレティシアを抱きしめ、慰めるようにそのオレンジ色の髪を優しく撫でた。


「ゆっくりでいいから、心を休めてきてね。あと、できたら……」

「できたら?」

「おみやげに、おイモがほしいわ。スイートポテトでも作りたいの」

「……ちゃっかりしてるね。了解よ」


 レティシアは笑いながら応え、セレナの柔らかい体を一度強く抱きしめ返して解放し、金髪の公子に向き直った。


 右手を差し出し、クラートは目を細めて笑う。


「君と仲よくなれてよかった。頑張って行ってくるんだよ、レティシア」

「……はい!」


 三度目の握手だ。

 レティシアはクラートの手を握り返す。


 ロザリンドの死を冷静に見つめられ、彼女に感謝の言葉を告げる勇気をくれたこの温もり。

 強く握ると、負けじとクラートもいっそう力を込めて握ってきた。


「……痛いです、クラート様」

「ああ、ごめんね」


 クラートはぱっと手を離し、ひらひらと軽く手を振ってみせる。


「……元気でね、レティシア。僕、この握手が今生の別れだなんて思いたくないから」

「はい、私もです」


 レティシアは公子に微笑みかける。


 必ず、帰ってくる。

 この温もりのある場所はもう、ただの味気ない城ではなかった。


 数少ないが、頼れる仲間がいる。

 離れるのが惜しいと思われるくらい、心地よい場所。


 御者が馬に鞭をくれる。

 セフィア城のいかめしい城門前で手を振るセレナとクラート。雪をかき分けて作られた馬車道を走る馬車に揺られながら、レティシアも負けじと手を振り返す。


 凍てつく冬の風の中、馬車はレティシアを乗せて東へと旅立つ。












 上下に開かれた二枚貝のような椅子。縁に細かな真珠飾りがちりばめられ、内側はそれこそ貝殻のような淡いグラデーションをかけながら虹色に染まっていた。

 紅と金で彩られた部屋の中央で、レティシアは玉座に腰掛ける女性をじっと見上げていた。眩しいくらい輝く、金色の髪。邪魔にならないよう無造作にくくり上げてバレッタで留められたレティシアのそれと違い、女性の髪は緩くうねりながら背中に垂れ、ベールのように小柄な体を包み込んでいる。

 レティシアと同じ栗色の目はぼんやりとしていて、霞が掛かっているかのように頼りない。化粧をせずとも艶やかで瑞々しい顔立ちからは、本当の年齢を伺うことができない。


 マリーシャ・ハティ。

 レティシアとフェリシアの生みの母にして、故大司教ティルヴァンの妻。

 現在単身でクインエリアを統治する、美しき賢者。


 マリーシャは数歩先でじっと佇むレティシアを目を細めて見つめ、今にも折れそうなほど細い両腕を前へ差し出した。


「……レティシア。会えてよかった――さあ、もっとこっちへいらっしゃい。顔を、見せて」


 レティシアは黙ったまま、マリーシャを見る。

 レティシアの中指と親指だけで一周できそうなほど細い二の腕。日に焼けることを知らぬ肌は、足元の絨毯が透けて見えそうなほど青白い。小さな爪は一枚一枚丹念に磨かれ、桜貝のように輝いている。


 瓶のように太くて日焼けしたルフト村の養母のそれとも、健康的なセレナのそれとも、あちこち傷をこさえたレティシアのそれとも全く違う、陶磁品のような腕。汚れを知らぬ貴族の手。


「これがあなたの母ですか?」と問われても「いいえ違います」とはっきり言い返せる、自分とは次元の違う腕を持つ女性。


 レティシアは一歩前に歩み出て、嬉しそうに娘の髪を撫でるマリーシャの腕を虚ろな眼差しで見つめた。


「ああ……本当に、あの人にそっくり。その口元はわたくし似かしら? ちょっと尖った唇の形はフェリシアそっくり……」


 腰の後ろで組まれた腕に力がこもる。

 そんな褒め言葉を聞きに来たのではない。


 だが、無言で押し黙るレティシアの気持ちを知ってか知らずか、マリーシャはうっとり夢見顔で娘の体を優しく撫でつける。


「まっすぐできれいな髪はお父様似。目の色はわたくしと同じ。そしてあなたの眼差しは――ロザリンドに似たのね」


 可憐な唇から思ってもなかった人物の名が零れ、レティシアの目が見開かれる。

 マリーシャは驚く娘を見つめ、儚げに、どこか悲しげに微笑んだ。


「そう、その強い目――ちょっと頑固でまっすぐで、とても優しい目。わたくしの目とも、フェリシアの目とも違う、その輝きは……ローザそっくりよ」

「し、しかし!」


 この部屋に入って初めて、レティシアは唇を開いた。しばらく喋ることなく固く結ばれていたため唾液が固まっており、軽く唇を湿してレティシアは首を横に振る。


「その、カウマー様は……出会って半年も経っておらず……血の繋がりもなく、お褒めいただくのが忍ばれるのですが……」

「そう? でしたら――あなたの目はルフト村のご両親から受け継いだのかしら。いえ、それとも今まで出会った多くのお友だちに似たのかしら」


 マリーシャの口から発せられる、暢気すぎる言葉。

 ぽかっと品なく口を開くレティシアに「あら、きれいな歯並びね」と茶化し、マリーシャはくすくすと小さく笑う。

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