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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
29/188

春色の風の中で 1

 ロザリンド・カウマーの葬儀は、事情を知る者の間でひっそり行われた。

 彼女の死因については「遠征中夜盗の襲撃を受け、見習たちを庇ったため」と申告している。事実を公表するわけにはいかなかった。


 ロザリンドの両親は他界しており、未婚のため配偶者や子どももいない。彼女の伯父であるカウマー男爵とも長らく疎遠であり、ロザリンドの遺体の引き取りを拒否したという。

 そこでレティシアが真っ先に名乗り出て、「後見人」の葬儀の喪主となった。喪主となるのは当然初めてのことなので、レイドを始めとする年長者の手を借りながら、なんとか無事に葬儀を済ませ、棺をクインエリアに送った。ロザリンドはクインエリアの女官だったため、神官専用の墓地に埋葬されるのだという。


 レティシアらの奔走はまだ終わらない。

 あの日、レティシアたちは断りを入れて一足先にセフィア城に帰還した。そしてミシェル一味を司法に送り、クインエリアにも大司教並びにその娘を殺害した者の名を明かした。これは全て、若者四人の中で最も身分の高いクラートが父オルドラント大公の口添えを受けて行ってくれた。

 彼らの調べによると、ミシェルの取り巻きはベルウッド家が抱えている傭兵団だったという。金でかき集めた烏合の衆ゆえ、いまひとつ連携が取れていなかったのだ。


 かくように城の者を騒がせぬよう、白雪がセフィア城を包み込む頃にはディレン隊を中心として事件の事後処理を終えた、のだが。


 そこでひとつ問題になったのが、レティシアの身分についてだ。


「あなたがクインエリア大司教の娘だと公表すれば、ベルウッド家の罪を完全に暴くことができるわ。それに、今回の事件の詳細も全て、国が納得する報告を出すことができる」


 レティシアの後見人であり事務仕事を全て任せていたロザリンドに代わって、セレナが神妙な面持ちでレティシアに向き直っていた。

 彼女はレティシアの血筋を明かされても、今まで通り接してくれると誓ってくれたのだ。実習の日の夜、何が起きたかは公にされていない。レティシアの相談役となる女性はセレナしかいなかった。

 セレナはクインエリアやアバディーン城から送られた資料に目を通して言う。


「あなたの母君は存命でいらっしゃるけれど、大司教の血が断たれたと、水面下では大問題なの。レティシア・バル・エリアの名は聖都の名簿に登録されていないからね。そんな中あなたが故ティルヴァン・ディエ・エリアの実の娘だと申告したならば、跡継ぎ争いやクインエリア過激派を抑えることができる。現在不安定な状況の聖都やリデルの立場からすれば、利点ばかりなの」


 ただし、とセレナは眉をひそめ、一言一言アクセントを強めて続ける。


「あなたがクインエリア大司教の娘だと分かれば、世間は大人しくしないでしょう。次期大司教になるのはレティシアでしょうし、今まで通り平穏――とは言えないかしら? とにかく一般市民としてここ、セフィア城で学ぶことも難しいでしょうね。大司教保守派からは過度に警備されるだろうし……逆に、ベルウッド家のような反大司教派から命を狙われることだってあるわ」

「……随分私にとってのメリットが少ないのねぇ」


 山と積まれた資料を押しやり、レティシアは勘弁、とばかりにテーブルにずるずると突っ伏して呻く。

 ただでさえ難しいことは嫌い、気ままに暮らすことが性に合っているのに、大司教という値打ちものの椅子に縛り付けられるなんてまっぴら御免だ。先ほどまで意地で読んでいた聖都の資料も、文字を追うだけで精一杯で全く内容が脳みそに刻まれない。


(ロザリンドの言う通り、私の頭の処理能力って相当低いんだろうな)


 自分の不出来は自分がよく分かっている。だからこそ、こんな自分に大司教の椅子が譲り受けられるというのは、断固拒否したかった。


「クインエリアの制度もよく分からないんだけど、大司教って世襲制なの?」

「いえ、そういうわけではないわ」


 セレナは今し方レティシアが忌々しげに押しやった資料の山に手を突っ込み、クインエリアの公印が押された分厚い紙束を引っこ抜いて何枚かページを繰る。


「あなたの父方の曾祖父に当たる方は、当時の大司教の一番弟子だったそうよ。子どもに恵まれなかった大司教の推薦を受けて、彼の家系に大司教の地位が移り変わったのだって。ティルヴァン様の祖父の家系は代々、真っ赤な目を持って生まれたそうで――この頃から『永遠の紅玉』という名が知れ渡ったようね」


 セレナにとっても初耳の情報だったのだろう、手持ちの資料に興味深げに見入るセレナとは対照的に、レティシアはいらいらとテーブルにペンを打ち付ける。樫のテーブルに跳ね返って落下したペンを拾おうともせず、レティシアはくわっとセレナに噛みついた。


「それじゃあ、別に私じゃなくてもいいじゃない! 今のクインエリアにも優秀な魔道士はたくさんいるんでしょ。それに私の母さ……母親が生きてるんなら、その人に大司教の人選を任せればいいじゃん」


 セレナは資料から顔を上げて、憤るレティシアを労しげに見つめてくる。


「それは……私の方からは何とも言えないわ。実際に母君とお話ししなければならないでしょうね」

「えっ」


 物事をさっさと済ませたかったのに、どうも余計に面倒な事態になってしまったらしい。

 顎をテーブルに載せて歯をギリギリ鳴らすレティシアを見、セレナは小さく肩をすくめる。


「だって、そうでしょう? あなたをお生みになった母君はクインエリアにいらっしゃる。ルフト村の村娘としてあなたを育てさせるつもりだったようだけれど、フェリシア様は暗殺され、レティシアも襲われた――身分を明かすにしろ、明かさないにしろ、報告は必要よ」

「……手紙とかじゃ、ダメなの?」

「目上の方への対応としては、間接的に手紙だけで済ませるのはあまりにも失礼よ。きちんと相手の目を見て申し上げないと」


 なおも食い下がろうと言葉を考えるレティシアを一蹴し、セレナは手に持っていたクインエリアの資料をずいと押し出してきた。豪華な神殿のイラストが表紙に描かれたやたら分厚いそれをレティシアの鼻先に押しつけて、セレナはきっぱり言う。


「諦めなさい。もし母君に会うのが嫌なら、お供引き連れてアバディーン城に登城し、エドモンド国王陛下に直々に交渉しなくてはならないわ。大司教になるつもりがないのに陛下に喧嘩売りに行くなんて、嫌でしょ?」

「嫌だ! それは一番嫌だ!」

「なら、決定ね」


 どうどう、とレティシアをなだめてゆったりと微笑むセレナ。


「可及的速やかに、クインエリアに向かいなさい。あなたがどういう決断を下すかは、あなたと――あなたの母君次第。まずは会ってみないと始まらないわ」


 あくまでも穏やかに説得され、レティシアはぶうっと頬を膨らませた。


 クインエリアにいるのは、レティシアの生みの母。

 噂のみに聞く、聖都を治める賢者。


(私の、唯一の肉親……か)


 世界中で一番自分に近しい人物だということを実感できないどころか、面会することすら厭わしい。

 だが、自分の将来のためにはここで足踏みしていても何にもならない。


「……分かったよ」


 しぶしぶ了解して、レティシアはクインエリアの詳細が書かれた資料を引き寄せた。背表紙に小さな星のような花の印が捺されているそれを胸に抱え、レティシアはテーブルを挟んで反対側のセレナを見据えた。


「近いうちにここを出るよ。休学については何とかなるんだっけ」

「ええ。事務室に申し出て印鑑をもらえばいいし、面子的なのは私やレイド様、クラート様でどうにでもできるわ。任せてちょうだい」


 頼もしげに胸を叩くセレナだが、逆に言えばレティシアのために友人たちが厄介を被ることになるのだ。今日だって、セレナは眉間に皺を寄せるレイドに頼み込んでまでして本日のディレン隊の予定をキャンセルし、今後の相談に乗ってくれたのだ。


(それなのに私は、あれは嫌だこれは嫌だと言ってたんだよね……)


「……うん、ありがとう」


 我が儘を言い駄々をこねた自分が情けなく、すっかり萎れきって礼を述べると、セレナは目元を緩めて唇に笑みを浮かべた。


「いいのよ。それじゃあ、最低でもクインエリアの資料は見ておいてね。後のは……そうね、適当に読んで適当にサインすればいいから」

「うん。――あ、そうだ」


 席を立ったセレナを呼び止める。


「ここを出る日だけど……せめて、四日は待ちたいんだけど」


 日数を指定され、一瞬目を丸くしたセレナだがすぐに意図を理解し、神妙な顔で頷いた。


「それはもちろん考慮のうちよ。――カウマー魔道士団長の喪が明けるまで、ね」

「うん」


 レティシアは緩く微笑み、ロザリンドの葬儀があった日からずっと羽織っている黒のショールを広げてみせる。

 そんなレティシアをじっと見つめ、セレナはドアノブに手を掛けて囁くように言った。


「……あなたは本当に、カウマー様を慕っているのね」

「うん。――もっと早く素直になっていれば、ロザリンドも喜んだかな」


 意地悪な問いを投げかけられたセレナは曖昧に微笑み、何も答えず部屋を後にした。

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