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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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受け継がれた紅 6

「……すまない。いいか、魔道士団長殿」


 二人の会話が途切れたのを見計らい、レイドがすっかり短くなったロープの束片手に声を掛けてきた。


「全員の治療と拘束が完了した。ここから宿舎まで少々距離があるが――全員を実習地へ連行するのか?」


 それは勘弁したいが、とレイドの顔にもありありと浮かんでいた。

 ベルウッド一味は隠密にレティシアを拷問しようとしたため、ここにいる者以外にはこの騒ぎは聞き届いていないだろう。今も宿舎でゆっくり体を休めているであろう見習たちのためにも、事は内密に済ませたい。


 ロザリンドは当然のごとく、首を横に振る。


「いいえ、彼らを連れていけば騒ぎになること必至です。わたくしが皆に説明しますので、我々だけで城へ戻りましょう。ミシェル・ベルウッドおよび、彼女の父マードック・ベルウッドらを始めとするベルウッド伯爵家一味は全員司法にかけ、正統な罰を下し……」


 微かな、狂ったような声が上がり、ロザリンドは口を閉ざす。


 振り返ると、今まで黙して悲嘆に暮れていたミシェルがむくりと起きあがり、後ろ手に拘束されたまま膝立ちになって唇の端を歪め笑っていた。顔には煤や汗で固まった埃がこびり付いているが、そんなのも気にならないのか、ミシェルはくくく、とのどの奥から絞り出すような低い声を上げて冷笑する。


「……ふ、ふふ……いいえ、お断りよ、カウマー魔道士団長。――司法ですって? そこまでわたくしは大人しくない……宝玉が得られないなら、壊せばいいだけ……」


 その言葉と同時に、ミシェルの体を締め上げていた戒めがぷっつりと弾け飛ぶ。クラートが最初に縛った、頑丈な腕輪のような縄を切るには至らなかったが、今まで黙っている間、縄にナイフで切れ目を入れていたのか。


 レイドたちが弾かれたように武器を構えるが、既に武装解除していた彼らでは間に合わない。

 ミシェルは自分の右手の中に煌めく銀刃を掲げ、猛然と突進してきた。

 狙いは、無防備に立ち尽くすレティシア。


「その両目……抉り取ってやる!」


 犬歯を剥いて高々と哄笑するミシェル。

 とっさにレティシアの前にロザリンドが立ちはだかり、腰のサーベルを抜いてミシェルに立ち向かった。


「下がってなさい、レティシア!」


 裏返った声で叫び、ロザリンドの纏うローブがはためく。


 手首を縛られて得意の魔法を放てないミシェルと、長身で身軽なロザリンド。

 決着は一瞬のうちに付いた。


 ロザリンドの体が淡く光り、マリンブルーの霧が溢れる。その右手から放たれた火炎は蛇のようにうねりながらミシェルの右手に巻きつき、彼女が甲高い絶叫を上げたとたん、ロザリンドのサーベルが鋭く突き出された。


 打ち上げられたナイフが舞い、神殿の入り口近くに乾いた音を立てて落下する。ミシェルの手から届かない位置にナイフが飛び、ロザリンドは勝利の笑みを頬に浮かべ、ミシェルの手首を拘束する炎を鎮火させた。


 だが。


「……! だめだ、魔道士団長!」


 真っ先にレイドが異常に気付き、クラートもまた弓を番えてミシェルに矢尻を向けるが――遅すぎた。


 黒く焦げた右手を抱えていたミシェルの体が踊り、左手に握られたダガーがわずかな月明かりを受けて輝く。

 ミシェルの利き手は右ではなく、左。

 利き手の能力を奪ったと思いこんだロザリンドは突進してくるミシェルを見、目を見開いた。


 中年女性と若い少女の体がぶつかり合う。

 どっ、とモノがモノにぶつかる低い音。

 ミシェルに突進されて一瞬、ロザリンドの長身が宙に浮いた。

 ローブを破ってその背中からわずかに突き出るのは、血に濡れた銀の刃。


 ロザリンドの目が驚愕で見開かれ、そのままミシェルごと転がるように地面に倒れ込む。ミシェルは狂気の笑みを浮かべたままロザリンドの腹に馬乗りになり、彼女の胸に深々と突き刺さったダガーの柄に手を掛け、一気に引き抜いた。


 噴水のように溢れ出る鮮血。

 返り血を頬に浴びながらも、笑顔を絶やすことないミシェル。

 その血濡れの唇から漏れ出る、狂ったような笑い声。


(ロザリンド……?)


 一瞬の出来事に、レティシアは目を見開いて口元を押さえた。

 漂う、血の臭い。むせ返るような、ロザリンドの血の香り。

 胃の中で消化途中のものが跳ね回り、もんどり打つ。


 引きつったようなセレナの悲鳴と、レイドの舌打ちの音。クラートの矢が床に転がる物音を背景に、ゆらりとミシェルは踊るように立ち上がった。


「……次は、あんたの番よ……その紅い目、抉り取って……ベルウッド伯爵家の家宝にしてやるわ……」


 血にまみれたダガーが煌めく。

 ロザリンドの返り血を受け、ミシェルの愛らしい顔が赤黒い斑点模様に染まっていた。


 クラートの弓弦が唸り、それと同時にミシェルは驚くほどの身体能力で後方に跳んだ。暗闇を裂いて放たれた銀の矢が、ミシェルの足があった床を穿つ。


 矢を躱され、クラートは舌打ちして次の矢を腰の矢筒から抜き――


「……邪魔しないで!」


 半ば叫ぶようなレティシアの制止が飛ぶ。


 少女の声は神殿内にこだまし、今まさに弓に矢を番えようとしたクラートも、体中に薄黄色の光を纏っていたセレナも、前足を踏み出して剣を構えていたレイドも、動きを止めた。


 彼らにはレティシアの背中しか見えないが、埃にまみれ、泥だらけのはずのレティシアの髪は燃える夕焼けのごとく赤々と輝き、風を受けた帆のように膨れ上がっているのが分かった。


「……セレナ、ロザリンドをお願い。でも、ミシェルには手を出さないで」


 背後を振り返ることなくレティシアは親友に頼み、まっすぐミシェルを見据えた。

 その体を包むように金色の光が溢れ、埃に霞んだ薄黄色のマントが揺れる。


「……ミシェル、あんたには一撃お見舞いしたいと思ってた」

「あらぁ……奇遇ね、それはわたくしもよ」


 度を超した怒りのためか、既に人としての感覚を失っているためか、ロザリンドの血に濡れたダガーをこれ見よがしに閃かせ、ミシェルは嗤う。


「小生意気な田舎者――イモを掘るしか脳がないくせに、わたくしよりも高貴な血を持つ……わたくしは勝てていた……美貌でも、才能でも、財力でも。――それなのに、なぜ、なぜ勝てない……なぜ、おまえは絶望しない!」


 ミシェルの嘲笑は途中から、怒気を孕んだ絶叫に移り変わっていた。

『永遠の宝玉』を手に入れ損ねた怒りのみならず、今までため込んでいたレティシアへの嫉妬全てが、彼女をここまで狂わせる種となっていた。


 レティシアは軽く目を閉ざし、右手を前へ突き出す。

 さほど念じなくても、レティシアの意志に応えるように両手にボール大の炎の玉が現れた。


「……なぜなのか、分からないからあんたは勝てないんだよ、ミシェル」

「お黙り! 生まれ損ないの分際で!」


 鼓膜を突き破るような絶叫と共にミシェルのダガーが唸り、レイピアのようにまっすぐ突き出される。

 ミシェルが手に持つダガーは剣のような長さはないにしろ、果物ナイフなどよりもずっと刃渡りがある。ロザリンドの胸を貫通させただけあり、殺傷能力に特化されているのだ。


 それを見て、ただでさえ吊り気味のレイドの目がきつく細まる。


「……そういうことか。妙だとは思っていたが……」

「どうしたんだ?」


 レイドのつぶやきを耳にし、クラートは振り返る。年上の友人は長い前髪をぐしゃっとかきむしり、視線を落とした。


「ミシェル・ベルウッドのことだ。貴族の魔道士にしては動きが機敏で、反射神経がいい。だが剣士にしては華奢すぎる――遠征時から思ってはいたんだが、あの女、暗殺技術を仕込まれていたか……」

「暗殺……」

「ベルウッド家は変わり者が多い。ただの魔道士一族じゃないんだ」


 苦々しげに言い、レイドはミシェルの猛攻をすんでの所で躱すレティシアに視線を注ぐ。


「暗殺術は細腕の女子どもでも体得できる。本来剣術に不向きそうな者に覚えさせるものなんだが――なるほど、うまく隠していたな。いや、むしろ怒りが暗殺能力を爆発させたと言うべきか。だが……」


 騎士たちが見守る中、魔道士見習たちの決闘は終わりを迎えようとしていた。

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