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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
26/188

受け継がれた紅 5

「……お手柄です、セレナ・フィリー」


 そう言うのは、ロザリンド。

 彼女はサーベルを鞘に収め、少し歪んだ眼鏡を小指で鼻の上にかけ直す。


「セレナ、あなたはレイド・ディレンたちの援護に回りなさい。レティシアはわたくしが介抱します」


 セレナは無言で頭を下げ、マントを翻してレイドとクラートのもとへ駆けていった。

 レティシアはひとつ、大きく息をついて震える瞼を持ち上げる。


「カウマー様……あの、どうしてここへ……」

「わたくしはミシェルが夜中に出歩く姿を目撃しました。廃屋となった神殿へ向かい、そしてその後を追うようにレティシア、あなたが宿舎を抜け出したのです。疑って当然でしょう。レイド・ディレンらも快くわたくしに手を貸してくれたのです。わたくしたちが宿舎を出ようとすると、クラート・オードも飛び出してきて……夜中に出歩くミシェル・ベルウッドとあなたを見たということで、わたくしたちが止めても一向に聞き入れなく――結果、戦力の一人として連れてきました」


 言いながらロザリンドはレティシアの手を引き、レイドたちの応戦の邪魔にならないよう、奥の壁際へと後退した。


「……本当はもっと早く助けに来る予定でしたが、わたくしたちが駆けつけると見張りがおり――蹴散らすのに時間が掛かったのです」


 そこで口を切り、ロザリンドは立ち上がって鞘に収めたばかりのサーベルを手に取る。

 レイドたちの猛攻をかいくぐり、レティシアの背中を斬り払おうと薙がれた剣は鋼がかち合う音を立てて、あっさりロザリンドのサーベルに打ち払われた。ロザリンドのような細身で華奢な女性のどこにこれほどの力があるのだろうか、とレティシアは目を瞠る。


 レイドたちの攻撃は敵を殺めるのではなく、戦意を失わせるための剣戟。相手を死なせないよう、剣で脚の筋や腕を傷つけ、腹に拳を叩き込み、弓矢で腹や脚を狙う。

 セレナやロザリンドの魔法で一網打尽にしないのは、相手を殺さないため。剣や弓での攻撃では時間が食われるが、筋肉を断ち切られれば剣を持つことができないのだと、ようやくレティシアは気付いた。


 次々に取り巻きが倒され、神殿の隅で一人瓦礫の山に身を隠していたミシェルは、苛立たしげに足踏みした。


「ああっ! もう、この役立たず! なぜこんな者に手間取るの!」


 そう金切り声を上げ、ミシェルの両手が突き出され、体が淡いブルーの炎を纏う。

 彼女の手から魔法が放たれようとした、その直後。


 ぱちんと軽い音を立てて弾けるミシェルの魔力。以前、魔法の授業でベットマンがマックスに対して行った、魔力四散の術と全く同じ。


 音もなくミシェルの背後に忍び寄っていたセレナは腕を下ろし、低く腰を落としてミシェルの足首に蹴りを放った。背後からの攻撃に不意を突かれ、ミシェルは悲鳴を上げながら前のめりに転倒する。すかさずその背中に馬乗りになり、セレナはミシェルの腕を掴んで後ろ手に拘束した。


「……私の友人を傷つけるなんて、酷いことするのね」


 そう告げるセレナの顔は普段と変わらず優しい。だがミシェルを拘束する手の力は容赦なく、目元は笑っていない。

 ミシェルの狂ったような悲鳴が響く。


「な、何をするのですか! 賤しい貧民の分際で!」

「貧民で結構よ」


 なおも何か言い返そうとするミシェルだが、とっさに何かが口に突っ込まれて目を白黒させた。セレナが手持ちのハンカチを丸めてミシェルに噛ませたのだ。これでミシェルは喋れないし、舌を噛んで自害することもできない。


 セレナは口の中のハンカチを吐き出そうとするミシェルを俯せにして寝かせ、ちらとレティシアの方を見やった。先ほどまで放っていた殺気は掻き消え、誤魔化すように小さく舌を出してきた。


 あっという間に取り巻きの男たちは一人残らず床に斬り捨てられ、ある者はうめき声を上げ、またある者は気を失って俯せに倒れていた。レイドが意識がある者は剣の柄で殴って気絶させ、クラートは武器に手を付けられないよう、あちこちに投げ捨てられた投擲具や短剣を回収していた。指示を受けずともてきぱき動く辺り、さすがである。


 ロザリンドはサーベルを腰の鞘に収め、骨張った手でレティシアの手を取り、強く引いて体を起こさせる。


「さあ、レティシア。あなたにとって一番重要な場面になりました。――あなたも知っておくべきことでしょう。こちらへ」


 そう言うとロザリンドは、セレナに押し倒されてじたばたもがくミシェルに歩み寄る。ロザリンドはセレナに何ごとか言って彼女を退けさせ、ミシェルの口に詰め込まれていたハンカチを引き抜いた。


「ベルウッド伯爵家令嬢、ミシェル・ベルウッド。しばし、わたくしの話に付き合ってもらいましょう」

「……お断り、よ」


 ミシェルはペッと粘っこい唾を吐き出し、寒さのためガチガチ歯を鳴らしながらも持ち前の高慢さを失うことなく言い返した。


「なぜ、わたくしが……おまえ、ごときに……」

「そうですか。では仕方ありませんね。あなたたちベルウッド伯爵家が血眼になって探し求める、『永遠の宝玉』――それについてお話ししようと思ったのですが」


 心底残念そうにつぶやかれたロザリンドの言葉に、ミシェルの目が見開かれる。押し倒されたため埃にまみれドロドロになった顔を驚愕に染め、ミシェルは歯を食いしばって忌々しげにロザリンドを見上げた。

『永遠の宝玉』について知りたいと、ぎらぎら輝く双眸が語っていた。


 ロザリンドは立ち上がり、ぼうっと立ち尽くすレティシアの肩を引き寄せ、労るようにその背中を撫でた。


「さあ、あなたがティルヴァン様の娘御であることを証明いたしましょう……レティシア、これを」


 そう言ってロザリンドがローブのポケットから出したのは、長い鎖の付いたコンパクトミラー。ぱちん、と留め金を外すとレティシアの拳大の鏡が姿を現した。


「これはただの鏡ではありません。解呪の鏡と呼ばれ……魔法によって歪められた真実を見抜き、鏡面に映る者の真の姿を映し出す鏡です。王城や聖都にあるのは全てこの解呪の鏡であり、こちらの物も小振りですが、あなたが使うには十分でしょう」


 レティシアは促されるまま、鏡を手に取った。


 今、ロザリンドは「魔法によって歪められた真実を見抜く」と言い、レティシアにこの鏡を渡した。


(つまり、私には、魔法が掛けられている……?)


 レティシアはこくりと唾を飲み込み、意を決して磨かれた鏡面を覗き込んだ。

 手の平に収まる大きさの鏡に映るのは、もう何百回と見てきた自分の顔。少しくたびれたオレンジ色の髪は勝手な方向に跳ね、そばかす一つない頬には泥や埃がこびり付いている。


「……え?」


 そして、いつものレティシアとは違う点がひとつだけ。


「……目が、赤い……?」


 鏡に映る自分の顔。月明かりを受けて輝く鏡面には、血のように真っ赤な目を持ってこちらを覗いてくる自分の顔が映っていた。普段は樹木色の瞳が、そこだけ深紅で塗りつぶされたかのように毒々しいほど光っている。


 ロザリンドに促されてミシェルも体を起こして鏡を見、ヒッと引きつったような声を上げた。


「あ、あ、あなた! その目の色……!」

「これが、レティシアがティルヴァン様の――もとい、クインエリアの祝福を受けた者の跡継ぎである証拠です」


 ロザリンドは声を失ったレティシアから鏡を取り上げ、どうだとばかりにミシェルに顎を向けた。


「ミシェル、あなたがレティシアの正体に気付けたのは、フェリシア様とレティシアの魔力が全く同じ色をしていたためですね。魔道士の魔法の色の違いは区別が難しい。しかし、ベルウッド伯爵家自慢の魔力を持つあなたには魔力の色がすぐに分かった――そうでしょう?」


 ロザリンドの淡々とした説明に、ミシェルは何も言わない。

 沈黙が肯定を表しているがロザリンドは構わず、レティシアの肩を引き寄せて彼女の額に掛かる前髪を掻き上げた。


「しかし、現在のクインエリアを継ぐべき方にはもっと決定的な証拠があるのです。それが、先ほどの目。フェリシア様と、ひいては前大司教のティルヴァン様と全く同じ色の目。ティルヴァン様の家系にのみ現れるこの血のように赤い目が、『永遠の宝玉』なのです」

「な、んですって……?」


 目玉が飛び出んばかりにミシェルの目が見開かれる。わななくその指がレティシアを示し、震えながら言葉を吐き出す。


「し、しかし! その小娘は、ずっと目が茶色でした! 解呪の鏡によってフェリシアと同じ色に……」

「それはレティシアの魔力と同じ理由です。レティシアは生まれながらに備えていた魔力を封印されていたのですよ、父君の手によって」


 えっ、とレティシアもまた驚き、首を捻ってロザリンドを見上げる。


「どういうこと? 私、落ち零れだったんじゃ……」

「……父君はあなたを手放される際、あなたに強力な封魔の魔法を施したのです。クインエリア大司教の娘だと知られぬよう、その身に宿った魔力を留めさせ、生まれつき赤かった目の色も押さえ込んで母君と同じ茶色にし――魔法を感知する力も全て、封印したのです。父君の魔法を解く方法は、己が魔道士としての自覚を持つこと。ルフト村で、自分が非魔術師だと信じていた時のあなたでは、何年経とうと自力で封印を破ることができなかったのです」


 そこでロザリンドは一旦口を切り、セレナ・フィリー、と背後に呼びかけた。

 いきなり自分に話が振られ、気まずげに立ってたセレナはびくっとして背筋を伸ばす。


「はい!」

「あなたはレティシアに掛けられた、強力な封魔の術を解く手助けをしてくれました。こればかりは本人に任せるしかないと思っていたのですが――正直、助かりました。感謝します」


 セレナは思いがけない人物からの感謝の言葉を受け、面食らいつつも手短に謙遜の言葉を述べて一歩、下がった。


「大司教様は、いざとなったらレティシアが一生魔法と無縁でも過ごせられるように――ご自分とは一生離ればなれになる可能性も考えて、魔力を封印したのです。瞳の色は今後、変色魔術によっていくらでも色を変えることは可能ですが、生まれ持った魔力は封印するしかなかったのです。つまり、レティシアが生まれた時点で既に『永遠の宝玉』は受け継がれており……魔道士として目覚めたレティシアは宝玉を継ぐ者となったのです。逆に言えば、『永遠の宝玉』の価値なんて、その程度のもの」


 そしてロザリンドはすっかり打ちひしがれたミシェルを見やり、とどめの一撃を放った。


「ミシェル・ベルウッド。『永遠の宝玉』は、あなた方ごときに奪えるものではないのですよ」


 一拍置き、そしてへなへなとミシェルの両脚から力が抜けていく。


「……そんな……わたくしの一族が……血眼になって、求めたのは……そんなものだったの……そんな、もののために……」


 死んだ魚のような虚ろな目で、それこそ死んだ魚のようにぽっかり口を開いて意味を成さない言葉をつぶやくミシェル。

 ロザリンドは一仕事を終えて背後に控えるクラートたちを見、くいっと顎でミシェルらを指し示した。


「レイド・ディレン。あなたたちはベルウッド伯爵家一味の身柄を確保し、怪我人には治癒を施しなさい」


 若い彼らは文句一つ言わずにロザリンドに一礼した。騎士二人は腰に下げた荷物袋から丈夫なロープを取り出し、セレナは負傷者の元へ駆けて癒しの魔法を掛けていく。

 クラートが真っ先にミシェルに駆け寄り、まず彼女の両手首にロープを巻く。ミシェル一味の中で魔道士は彼女のみ。魔道士の力は腕に収束されるため、魔道士を縛る際は一旦手首に腕輪のように縄を掛けておくのが鉄則なのだ。


 手際よく三人が各々の仕事をこなす中、レティシアは幽霊のようにふらりと一歩前に出て、荒れ果てた神殿に虚ろな目を向けた。


「……私、あなたに嫌われているのだと思っていました」


 ぽつり、言葉を零すレティシア。


(今までずっと、厳しかったのに……私を嫌っているんだとばかり思っていたのに……)


 ロザリンドは大人しく後ろ手に縛られるミシェルを見つめたまま、ふっと唇から白い息を吐き出した。


「……そうですね。わたくしはそう思われるように演技をしてきました。わたくしは……わたくしは、ティルヴァン様――あなたの父君を敬愛しておりました」


 ロザリンドはレティシアに視線を注ぐ。


「……ティルヴァン様とマリーシャからあなたを託されて――本当に、嬉しかったのです。ティルヴァン様はこんなわたくしに大切な娘御を預けてくださった。マリーシャもわたくしを信じ、お腹を痛めて生んだ子をわたくしに託した……。本当は、わたくしがあなたを養育するという方法もありました。でも、それはできなかった。――わたくしはあなたを支える権利はあっても、母代わりとして育てることはできないと。マリーシャの代わりにはなれないのだと、痛いほど実感したのです」


 ロザリンドの極細の指がレティシアの髪に触れる。

 優しく、ルフト村の養母のように手櫛で髪を解かれ、不思議とレティシアの心は落ち着いていた。


「ですから、見習時代に知り合ったルフト村の村長にあなたを託しました。魔力を封印されたレティシア様を、守ってほしいと。娘として慈しみ、都会から遠く離れた平和な大地で育ててほしい。万が一のことがない限りはずっと、養女として育てられるのだと言ったのですが――万が一が、起きてしまったのです。結果、権力で彼らを屈服させる形になり……村長夫妻には大変申し訳ないことをしたと思っております。もちろん、あなたにとっても」


 ロザリンドは床に打ち据えられたミシェルを冷めた目で一瞥し、固く目を閉ざして首を横に振る。


「フェリシア様の件は――本当に、わたくしの不注意さを恨みました。レティシア様が自由の身となったならば、全力でフェリシア様をお助けせねばならないのに、フェリシア様はあっけなくベルウッド伯爵家の手に掛かり……。だからこそ、レティシア様を連れ戻す命が下ったとき、わたくしは誓ったのです。何があろうとレティシア様はお守りする。そして、レティシア様がしっかりと自分の足で立ち、父君が掛けられた封印を破って一人の魔道士として歩めるよう――陰ながら支えるのだと、自分に誓ったのです」

「……だから、ロザリンドはあまり私に介入してこなかったのね」


 そう言い、同意の言葉を求めるようにレティシアは振り返る。


「お小言は多いし、イヤミばかりだし――でも、私のすることに文句は言わなかった。助言や不満は言っても、やめろ、とは言わなかったよね」

「そうですね。あなたはフェリシア様と違って拘束されるのがお嫌いですから。それに、友人選びの才能もそこそこ、長けていたようですし」


 ロザリンドは若い騎士たちを見やり、ふうっと笑顔でため息をついた。


「あなたには完敗です。やはり、あなたはわたくしが支配できるような方ではなかった。わたくしの助けがなくとも、あなたは己の運命に立ち向かい、向けられた悪意にも打ち勝つことができました。……そしてその結果、あなたは大切な存在を得られたのですね。わたくしはティルヴァン様の願いを叶えられたのだと――とても嬉しく思います」

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