受け継がれた紅 4
余裕すら窺える笑みは、外の寒さのためか微かにかじかんでいる。
レティシアは一歩一歩歩み寄ってくるミシェルに向き直り、微かに眉をひそめた。
不思議と、レティシアの心は落ち着いていた。
「……何の真似? クインエリア大司教の亡き娘の名を騙るとは、随分気の触れたことをするのね」
「あら、とぼけようとしても無駄よ?」
歯を見せて笑うミシェルの背後の影が揺らめく。風を受けてゆらゆらと燃えるたいまつの数からして、相手は一人ではない。
レティシアは手に噴き出る汗をローブで拭った。
「わたくしは全て悟ってしまったの。――レティシア、あなたが大司教の娘であること――フェリシアの実妹であることをね!」
「へえ、すごーい。どうして分かったの? 一応秘密なんだけど」
「わたくしたちを侮らないで。ベルウッド家は代々、魔力には敏感なのよ」
ミシェルの声を受け、神殿に滑り込んできた大柄な影。
月の逆光を浴びているためレティシアの位置から彼らの顔は窺えないが、十以上の人物が神殿に入り込んできたことは察せられた。
「魔道の授業のときから気付いていた――あなたの魔法は、金色の光が舞っていたわ。あの光はフェリシアのそれと全く同じ。あの女を慕うふりをして付きまとっていたわたくしが言うのですから、間違いはないでしょう? 血の繋がった姉妹でなければ、あれほど色の似通った光は放てませんもの」
影が、動く。
レティシアが反応するより早く、黒い衣装に身を包んだ男の一人がだっと駆けだし、レティシアの腕を掴んでその場に引きずり倒した。自分より二回りも大きな男に羽交い締めにされ、腕を後ろに捻られて縄を掛けられる。
泥まみれの床に顔を打ち付けられ、綿埃に咳き込みながらレティシアは顔を上げた。
腕を拘束された魔道士は無力同然。レティシアは後ろ手に拘束され、ミシェルの取り巻きに引きずられるようにして立たされた。
「何すんの!」
「お黙り! わたくしはおまえの胸くそ悪い暴言を聞きに来たのではありません!」
ミシェルの怒声が飛び、取り巻きたちが一斉にミシェルとレティシアを囲む。体格からして全員大人の男性だろうが、全員ミシェルの言いなりになって動いている。中には抜き身の剣を握り、これ見よがしにちらつかせている者も。
ミシェルは埃まみれのレティシアの顔を心底嫌そうに一瞥し、ふと何やら考え込むように腕を組んで面を伏せる。
「……フェリシアと妹の接触がなかったというのは誤算だったわ。でも、この小娘がクインエリア大司教の血筋であることは確実……」
ミシェルの顔が上がり、腰に下げていたレイピアが徐に引き抜かれる。てっきり装飾品か何かだろうと思っていたレティシアはのど元に鋭利な剣先を向けられ、あっと息をのんだ。
ミシェルは煌々と照るたいまつの明かりに横顔を照らされ、脅すようにレイピアを振ってみせる。
「あなたがフェリシア・ジェナ・エリアの妹であることは真実。――そして、大司教からフェリシア、フェリシアから妹へと受け継がれた宝玉を持っていることも……」
ひうん、とレイピアが唸り、レティシアののど元で再び制止する。
「お答えなさい! 『永遠の宝玉』はどこ? クインエリア大司教の力の源である宝玉は、どこなの!」
「さっきから言ってるでしょう!」
ミシェルに負けじと、レティシアも声を張り上げる。
二人の少女の声を受け、わんわんと神殿の中に絶叫がこだました。
「私はそんなもの知らない! 姉からもそんなもの受け継いでいない!」
「嘘おっしゃい!」
レイピアが煌めく。
ミシェルの手元に引き寄せられたレイピアの先は、ルビーを溶かしたかのような真っ赤な鮮血に染められていた。一瞬遅れて、胸元にちりりと焼けるような痛みが走る。
「強情な姉妹め! おまえの姉も、どれほど痛めつけようと口を割らなかった! あの貧弱なフェリシアでさえ、のどをかっ切られようと、悠然とわたくしをせせら笑っていた――その、見下したような顔が……!」
「何それ!」
憤怒に顔を歪めたミシェルの言葉にぎょっとしてレティシアは立ち上がりかけ――後ろ手に縛られている上、取り巻きの男性に引きずり倒されたため、骨盤を打ち付けるように床に尻餅を付いた。尾てい骨がじんじん痛む。
それでも勢いを削ぐことなく、レティシアは夕焼け色の髪を振り乱して叫んだ。
「それじゃあ、あなたが姉を殺したのね! そんなよく分からないもののために!」
「口をお慎み! 知った口を利くんじゃありません!」
鞭のようにミシェルの怒号が鳴り響き、今し方切り裂いたばかりのレティシアの胸元の傷口へ、容赦なくレイピアを突き刺した。
切り裂かれた皮膚と、露わになっていた真っ赤な肉に火箸のようなレイピアが突き刺され、レティシアののどから高い悲鳴が上がる。肉を抉られたような、焼き鏝を押しつけられたようなかつてない痛み。
ミシェルは神殿に響くレティシアの絶叫にうっとりと耳を傾け、やがてレイピアを傷口から引き抜いた。一拍遅れて、レティシアの胸元から溢れるように血が流れ出す。心臓は外されているようだが、脈動に合わせてじくじく痛む傷口がレティシアの脳を麻痺させる。
「さあ! これ以上傷を増やされたくなかったら素直に答えることね! 最強の魔力を秘めるクインエリアの秘宝、『永遠の宝玉』――死にたくなければ、それを、わたくしに差し出しなさい! 我がベルウッド家が大司教の座に就くために!」
「む、無理よ……!」
動悸の波のように襲いかかる痛みに顔をしかめ、冷や汗に手をぬめらせながらも果敢にレティシアは言い返す。脚が震えて、自力では立てそうもないが負けるわけにはいかない。
実の姉を殺された怒りではなく、人の命を何とも思わないミシェルの冷酷な行いゆえ、レティシアの目は強く燃えていた。
「私、本当に知らない……!」
「……口を割りませんのね」
ふん、と鼻息荒くミシェルは細い腕を胸の前で組み、指先で転がすようにレイピアを弄んだ。
「おまえたち。その小娘を屋敷に連れ帰ります。――なに、見習魔道士一人消えたくらいで騒ぎにはなりません。実習から逃げだそうとして森で迷ったのだと……いくらでも言い訳は思いつきますもの。お父様に報告なさい、そしてセフィア城を捜査するように……」
抜き身の三日月刀を持った男が、何かに反応したように顔を上げる。
わずかに遅れ、ミシェルも驚いたように目を見開いて背後を振り返る。
――ひゅっ、と風を切る軽い音。
銀色の光がミシェルの目の前を飛び去り、レティシアのローブをはためかせる。二人の背後で、男性の野太い悲鳴が上がった。
乾いた音を立てて転がる剣。得物を取り落とした男は低く呻き、自分の右腕を抱え込むようにうずくまった。
その腕に刺さるのは、白い矢羽根が付いた細身の矢。今し方放たれたばかりのそれはわずかに振動し、羽根をはためかせている。
その場にいた者が全員、弾かれたように矢の放たれた方を振り返り見た。
神殿の入り口、月光を逆光に浴びながら佇むのは、大小様々な四つの影。
その中の一番背の低い者が、構えていた弓の弦を引き絞りもう一撃矢を放つ。威嚇のため放たれた矢がミシェルのローブをかすめて床に突き刺さり、それと同時に残り三つの影が動きだす。
「……くっ、見張りを倒されたのね……おまえたち、曲者です! 応戦しなさい! わたくしを守るのです!」
いち早く我に返ったミシェルの甲高い声が神殿に響き、はっとして男たちも各々の武器を手に取る、が。
風を薙ぐ音と同時に、レティシアを背後から縛り上げていた男が苦悶の声を上げる。彼の右の太ももに突き刺さるのは、先ほどと同じ矢。脚の神経を傷つけられたのか、男はよろめきながら後退し、右脚を抱え込むようにして尻餅をついた。
別の侵入者の影がうねり、右手に構えた長剣が鋭く輝く。その剣の軌跡を見ることすら許されず、男たちの足に、腹に、肩に次々に剣の舞いが襲いかかった。あちこちから悲鳴が上がり、微かな血の臭いがレティシアの鼻に届く。
「レティシア、無事か!」
剣を振るって血を払い、振り返って問うのは紅い髪を持つ青年。白銀のマントが翻り、座り込んだままのレティシアの体から力が抜けた。
(レイド隊長……!)
床にへたり込むレティシア姿を認めたレイド・ディレンは赤髪を寒風に靡かせ、暗がりの中で微かに微笑んだように見えた。
一瞬、神殿の中が真昼のように煌々と照らされる。首だけ捻って振り返ると、両手から炎を吹き出して神殿内を照らす、女性の姿が。薄暗い神殿が一気に照らされたため、真正面から彼女に向き直っていた者たちは眩しさに両手を目にかざした。その隙に小柄な人物が再び矢を番え、がら空きの腹部に矢を放つ。
レティシアも眩しさに目を細めたが、矢を放った人物と魔道士の姿が認められ、ふにゃりと表情を崩した。
「セレナ……クラート様……」
だがほっとしたのもつかの間。
いきなり背後から抱えられるように引き上げられ、レティシアののど元に太い腕が巻きつく。完全に背後への注意を怠っていたレティシアはぎょっと目を見開き、毛むくじゃらの二の腕に手を掛けるが。
「止まれ、貴様ら! このガキが殺されてもいいのか!」
足腰立たないレティシアを背後から締め上げた男は唾を飛ばしながら怒鳴り、レティシアの顎と自分の腕の隙間に差し込むようにナイフを滑り込ませた。これ以上レティシアが暴れると、ナイフが首の血管に食い込んでしまう。
魔法の構えをしていたセレナの顔が苦渋に歪む。腰に下げた矢筒から次の矢を引き抜きかけたクラートも、端整な顔をしかめた。仮に彼らが男を撃てたとしても、その衝撃でレティシアが傷つけられたら意味がない。
足踏みする若者を見て男の顔が下卑た笑みを形作る、が。
「……汚い手でレティシア様に触るな!」
背後で轟く、低い女性の声。
男の腕の筋肉が一瞬弛緩する。レティシアののどを拘束していた腕がだらんと解け、ナイフがずり落ちて床に落下する。ほぼ反射でレティシアは転がるように前へと倒れ込んだ。
男の体が傾いで、どうっと倒れる。俯せに倒れた彼の背後に立つのは、細身の剣を構える女性。逆手に持っていた白銀のサーベルと、眼鏡の奥の目がわずかに輝いた。
サーベルを構える女――ロザリンドが男を倒すと同時、軽い足音と共にセレナが駆け寄り、大股を広げてへたり込むレティシアの体を抱き寄せた。
「レティシア……よかった、無事で……」
セレナは最小限に力を抑えた風の魔法でレティシアの腕の戒めを切り落とし、胸の傷も素早く治療してくれた。ずきずき疼くような胸元の痛みが消え去り、レティシアはほっとする。
「セレナ……どうして、来てくれたの……?」
「あら、そんなに不思議なこと?」
笑顔のセレナは急に表情を引き締めてレティシアを胸に抱きかかえ、右手を高く挙げた。
バリバリと静電気が弾けるような音を立てて、二人を包むようにボウル状の防護壁が現れる。レティシアの背中を狙った投擲ナイフが壁に弾かれ、鉄が溶けたような匂いを放ちながら粉々に崩れ去った。
いち早く事態に気付いたロザリンドが身を翻し、ナイフを投げた刺客を見定めてサーベルを突き出した。男は背後からロザリンドのサーベルの一撃を見舞われ、脚の腱を切り裂かれて神殿の床を転がるように倒れ込む。
「……困っている友だちがいたら助けに行くのは――当然じゃないの?」
セレナが言い、はっとしてレティシアは振り返る。
柔らかく微笑んだセレナの顔を見、剣を振るって襲撃者を倒すレイドを見、レイドの援護をするように矢を放つクラートを順に見る。心なしかレイドが気まずそうに顔を逸らし、クラートは唇を持ち上げて微笑んだように見えた。




