表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
24/188

受け継がれた紅 3

 昼間は心地よい風が吹いていたのだが、日が暮れると一気に空気は冷え込んでくる。そして深夜を過ぎると一日のうち一番寒い時間に差し掛かる。雪こそ降らないが、乾燥した空気を孕む北風が吹き付け、見習たちが眠る宿舎の窓枠が小刻みに震える。


 だが、レティシアが夜半に目覚めたのは風が窓を打つ音のせいではない。

 夢の世界を泳いでいたレティシアは弾かれたように身を起こし、そして部屋の寒さにひとつ、身震いした。


(……誰?)


 上半身をベッドから起こしたままの姿勢でしばし、息を止めて耳を澄ませる。

 今、誰かに呼ばれたような気がしたのだ。夢の中まで侵食してくる声が。


 レティシアはのどを反らし、黒ずんだ天井を見上げる。明かりもなく、部屋の位置上月光が届かないため、部屋の中はねっとりと濃い闇に覆われている。もう声は聞こえず、沈黙ゆえの耳鳴りが響く。

 それでも。


 そっと、ベッドから脚を下ろす。指先で直に触れた床は震え上がるほど冷え切っているので、すぐにブーツを突っ掛けて荷物棚に放ったままの上着を被った。上着もすっかり冷えているが、胸の前の留め金を掛けるとなけなしの体温が広がり、寝間着代わりのローブ一枚でいるよりはましになってきた。


 髪紐で簡単に髪を束ねながら、レティシアは霜が張り付いた窓を見やる。カーテンが掛かっていない窓からは暗い夜色に染まった誰もいない練習場が窺えた。

 声は、宿舎の外から聞こえた気がしたのだが。


 音を立てないようドアを開け、薄暗い廊下に出る。時刻は深夜を回っているため全員自室で眠っているのかと思いきや、そうでもなかった。


 石造りの階段を下り一階ロビーに足を踏み入れると、ロビーと繋がった部屋のドアから煌々と明かりが漏れていた。

 足を止めて耳を澄ますと、微かな足音と男性の話し声が聞こえた。くぐもって聞こえるが、この低くて滑らかな声質はレイド隊長のものだ。きっと、ディレン隊の数名は夜間も眠らず仕事をしているのだろう。


 ふと、先ほどの声が脳内に蘇る。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、年若い女性の声だった。霧の彼方から発せられたかのような、微かな声。

 だが思い返してみても、ディレン隊にいる女性魔道士の誰の声にも似ていなかった。彼女らのようなきびきびした大人っぽい声ではなく、柔で儚い乙女のそれだった。


(……呼んでる?)


 足音が響かないよう、ロビーに敷かれた絨毯を踏みしめながら外へ続くドアへと歩み寄る。ローブの袖でかんぬきを包み、音を立てないよう鍵を外してドアを開けたとたん、身を切るような寒風が吹き付けてレティシアは慌てて上着の前を掻き合わせた。人一人分通れるくらいの隙間から宿舎から滑り出て、凍える中庭の土を踏みしめて歩きだす。


 耳元で冬の風が唸る。

 上着のわずかな隙間から侵入しようとする風から体温を守りながら、レティシアは面を上げた。


 ドアを開けたときから気付いていた。あの声は、やはり外から再び響いていた。

 誰かが呼んでいる。レティシアを呼んでいる。


 恐さや夜間に徘徊する規則違反意識、そして言うまでもない冬の冷気ゆえ身が震える。寒さはともかく、前者ふたつはコートをきつく掻き合わせるだけでは防ぎようがない。


 しかし、声に導かれるようにレティシアの足は動いていた。ゆっくり、霜の降りた枯れ草を踏みしめながら足を運ぶ。人気がなく殺風景な広場を横切り、反対側の木立へと侵入する。

 鼻で息を吸うと冷気が鼻孔を刺し、奥がツンと痛んだ。コートの袖を鼻に当て、背中を丸めながらレティシアは歩く。

 微かに耳元に響く、甘い呼び声を頼りに。


 かじかむ足を動かして木立を抜けると、実習地のように開かれた場所に出た。そこに建つのは、全ての葉を落とした広葉樹林に囲まれるようにしてそびえる、古びた建物。


 神殿だった。白いレンガで作られた、平屋風の聖堂。

 だが何年、何十年も使われていないのだろう。石段や壁はボロボロに崩れ、ドアを失ってぽっかり開いた入り口が物寂しい。壁に蔓延る枯れかけた蔦はきっと、レティシアが生まれるよりずっと前から絡まっているのだろう。


(そういえば昼間、この近辺には廃屋があるとレイド隊長が言っていたような……)


 昔は女神を奉る聖堂として使われていたそうだが、セフィア城が建設された頃から徐々に廃れてきて、今は埃を被った森の中の廃屋に落ちぶれてしまっていると。


 レティシアは外套の合わせを掻き寄せ、白い息を吐きながら神殿を見上げた。あちこちの漆喰が剥がれ落ち、大理石の柱は半分崩れている。少し力を入れて突進すれば粉々に砕けそうな、朽ち果てた神殿。


 再び、声がした。

 レティシアは一度背後を振り返り、誰も追ってきていないことを確認して神殿に足を踏み入れた。


 外は寒風吹き付けるため建物の中に入れば幾分ましになるかと思いきや、そんなことはない。

 一部屋構造の神殿は濃い闇に包まれ、幾年も人の出入りがなかった石畳は埃と泥にまみれており、レティシアのブーツが踏みしめた後にくっきりと足形を残していた。冷え切った石の神殿内は風は吹かないものの、石の床が冷気を吸い込んでおり、ブーツ越しでも染み入るような寒さが届いてくる。


 内部は盗賊にすっかり荒らされており、女神像だったと思われる石像は半ばでぽっきりと折れ、金になるような宝石やガラスの類は全て剥ぎ取られている。参列席は破壊され、ステンドグラスも外されている。そのため窓穴から月光が漏れ込み、荒れ果てた神殿をぼんやりと照らしていた。


 神も何もあったもんじゃない、と嘆息するレティシアの耳に、再び女性の声が響く。


『……シア……来てくれたのね……』


 はっきりと、神殿内にこだまする声。

 間違いなく、声の主はこの神殿にいるのだろう。


 レティシアは神殿の中央辺りで立ち止まり、のどを反らすように頭上を見上げた。そのままの姿勢でぐるりと一回転し、声の主を求める。


「そう、だけど……あなた、誰? どこにいるの?」


『わたくしは……』


 風が吹く。

 ドアも何もない神殿に北風が吹き付け、レティシアは水浴び後の犬のように大きく身震いした。じっとしていたら足元から凍えてしまいそうで、床の埃を巻き上げながらせわしなく脚を上下に動かす。


『わたくしは、あなたに最も近い者――でも、名乗ることは許されない……現世の人間ではないから……既にこの世では実体を持たぬ身だから……』


 甘く、優しく響く声。

 そっと胸に響くような女性の声なのに、レティシアはちっともこの声に聞き覚えがない。声の雰囲気からして、レティシアより少し年上の女性の声だとは察しが付くのだが。


 そこで。

 レティシアはふと思い至り、頭上を見上げるのを止め、暗い靄に包まれる神殿の奥を見据えた。


 レティシアに最も近い者。

 実体を持たない、異界の者。

 それは。


「……私の、姉……?」


 確認、よりは疑問に近いレティシアの声を受け、声はくすくす笑う。


『そうよ……会いたかったわ、レティシア……』


「……本当に、私の姉なの?」


『ええ……』


 嬉しそうに笑う声。

 上品で、愛らしさの感じられる若い女性の声。


 皆から好かれた高名な侍従魔道士、フェリシアの声。


 一度会ってみたいとは思っていた、話でしか聞くことのなかった姉、フェリシア。

 どのような人物だったのか、せめて妹という立場でなくても――彼女が殺められる前に会いたかったと、最近になって思えるようになった。


 だから、声だけでも姉に出会えたのならば嬉しい。いろいろ話したいし、フェリシアのことも聞いてみたい。ロザリンド曰く、血を分けた姉妹なのだから。


 それなのに。


(……気味が悪い……)


 なぜだろう。

 嬉しい、と思うよりも不気味だ、と思ってしまうのは。


 会ったこともない姉なのだから声を知らないのは当然だ。だが仮に姉が声だけ蘇ったとなっても――ちっとも嬉しくない。

 それどころか、声を聞くだけで肌が粟立つような不快感さえ覚える。


 嬉しそうな顔も見せず、むしろ不審そうにむっつり黙り込んだレティシアを見かねてか、すうっと遠くから息を吸う音が響く。


『ねえ……レティシア、あの宝玉は……ちゃんと持っている?』


「宝玉?」


 急に声が神妙な響きを持ち、しかも初耳の単語を口にしたため、レティシアは眉間に寄った皺をほぐし、何もない虚空を仰ぎ見た。


「何の……話ですか?」


『わたくしたちの一族に伝わる宝玉……お願い、それを見せて……わたくしを、安心させて……。そうしないと、女神様の御許へ旅立てないから……』


「え、あの……ちょと待って」


 わけが分からない。

 レティシアは小さく唸り、今聞いたことを頭の中で並べながら首を捻る。


「えと……もう一度確認するけれど、あなたは――私の姉、フェリシアさんなのですね?」


『そうよ、レティシア……。さん付けなんて他人行儀な子ね……わたくしは、あなたのお姉さんなのに……』


「……。そして、えーっと……クインエリアの大司教家に伝わる、宝玉ってのが見たいのですね?」


『そうよ……渡したでしょう、わたくしがお父様から受け継いだ『永遠の宝玉』……膨大な魔力を讃えた魔石を……』


 永遠の宝玉。

 レティシアは口の中で反芻し、緩く首を振る。

 死んだ姉の声が聞こえてきた、とつい先刻までおどおどと彷徨っていた目は、今はしっかりと前を見据えていた。


「知らない……私は何も知らないわ」


『どうして? 嘘言わないで……』


「嘘言っているのはそっちでしょ」


 レティシアの落ち着きに満ちた声が、薄暗い神殿内に響き渡る。


「私は何も知らない。それに、あなたは――私の姉じゃない」


 神殿を満たしていた重い空気が一瞬、震える。

 その息苦しさにレティシアの眉間に皺が寄るが、すぐにまた、重苦しい空気が流れ始める。

 小さな嘆息の音が響いた。


『嫌だわ……どうして姉が分からないの? 意地悪な子ね……』


「分かるはずがない」


 きっぱりレティシアは言い返す。

 その声に迷いはない。


「私は生まれてすぐに両親の元から引き離された……だからもう十何年も姉に会ったことがない。姉の声なんて聞いた覚えがないし、名前を呼んだこともない。だから宝玉だとかも、受け取れるはずがない」


 空気が再び、揺らぐ。


「あなたは誰? フェリシアの名を騙ってまでして……何がしたいの?」


 誰かが息をのむ音。

 突然静寂が訪れ、レティシアは脈打つ胸に手を当ててじっと、息の詰まるような沈黙に耐えた。


 静寂を破って、くっ、とのどを震わせる笑い声が響く。


『……馬鹿な小娘ね。騙された振りをすれば……痛い思いをしなくて済んだのに』


 フェリシアの――否、聞き覚えのある声が神殿内にこだまする。

 人を小馬鹿にしたような、嘲るような甲高い声。


『さすが、田舎者……イモ娘は駆け引きすることすら知らないのかしら?』


「……その声は」


 レティシアは振り返る。

 先ほどの声ははっきりと、背後から響いた。


 月光がわずかに漏れ込む神殿の入り口。崩れたレンガを踏みしめながら歩み寄ってくる、小柄な人影。腰には装飾品とおぼしき剣を下げ、レティシアとお揃いのローブを纏った、年若い少女。鈍く光る金の巻き毛。


「ご機嫌よう。素敵な月夜ね、レティシア・ルフト」


 ミシェル・ベルウッドは腰に拳を当て、ゆったりと微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ