受け継がれた紅 2
本格的な冬がセフィア城に到来した頃、再び実習が行われることになった。
しかしこれは前回とは違い、城外へ出て剣や魔法の訓練をするだけのもの。
セフィア城から少し離れたところには、見習用の実習地がある。木々が切り払われ、砂利を敷いたグラウンドがあるそこは、思いっきり剣を振るったり魔法をぶっ放したりするのに最適なのだという。
ここならば、万が一魔法の標的を外してしまっても城壁を抉ってしまう心配はないので毎年見習の実習に使われており、今年は制度変更のため夏と冬の実習で使われることになった。
「幸か不幸か……メンバーは前回の遠征と同じね。つまり私もレティシアと一緒」
セレナも同じ書類を受け取っているため、レティシアの部屋で二人お茶しながら実習の要項に目を通していた。
レティシアは、セレナが持ってきたレモンの皮をナイフで削って紅茶のカップに入れた。こうすると風味が広がって甘酸っぱい味わいになるのだ。輪切りレモンをカップの縁に差すよりも、こちらの方が気に入っていた。
(でも、前回と同じってことは、ひょっとして……)
「じゃあ、あのイヤミ巻き毛も一緒なの?」
「残念ながら。でも、当然私やレイド様、クラート様も一緒よ。あとは――あらら、カウマー様も参加されるようね。指導役として」
「え……えええ! どうしてあのバ……カウマー様まで」
「そりゃあ、カウマー様は魔道士団長なんだもの。全部の実習班に付き添うらしいから、別に私たちの隊に限ったことじゃないのよ。だからそんな怖い目で睨まないで」
事実、レティシアは八つ当たりのようにセレナを睨め付けていた。
ぶるっと頭を振り、レティシアは不機嫌面で紅茶を啜る。
「……全部のグループに行くんなら仕方ないか――ちえっ」
「でも、魔道士団長の前で魔法を披露するいい機会じゃない。ミシェル・ベルウッドたちの鼻をへし折りたいんでしょ?」
「うん。あの高い鼻を粉々にしてやりたいわ」
「なら、これからやることは決まったわね」
実習要項をテーブルに打ち付け、セレナは笑みを浮かべた。
「実習まで魔法の訓練に重きを置くわ。大丈夫、レティシアはきちんと基本を掴めるようになっているから、後は実践あるのみよ」
セフィア城から徒歩で数分足らずの位置に設けられた実習地。
四方を囲むのは、葉がすっかり落ちた広葉樹。葉が落ちているため雪も積もらず、白銀のカーペット上のオブジェのように寒々と佇んでいる。木々の間から凝縮された鋭い寒風が吹き付け、見習たちはコートの前を掻き合わせて身を震わせた。
見習はグラウンドの中央に身を寄せ合うようにして整列している。彼らの背後で騎士団長である中年の男性と、魔道士団長のロザリンドが枯れ木の一部となって佇んでいた。彼らはここ数日にかけて、実習の監督として見習を観察しているようだ。
「ここが今回の実習地だ。少々寒いが――まあ、これくらいで音を上げるんじゃないぞ」
見習たちに声を張り上げるのは、赤髪が目に眩しいレイド隊長。
彼は言うだけあり、見習たちよりずっと軽装な出で立ちをしている。魔道士見習の中には既に歯の根が合わなくなっている者がいる中、レイドは寒風に前髪を靡かせながらもしれっとして喝を飛ばしている。
「おまえたちが訓練するのは、このグラウンド内だ。そっちから見て右側の木立に宿舎がある。荷物を置けたらすぐに練習開始だ。いいか、じゃあ駆け足! それぞれの団で一番帰ってくるのが遅い奴は練習量二倍だ!」
それを聞き、見習たちの表情が凍り付く。こんな寒い中練習量二倍なんて、たまったものではない。我先にと騎士見習が駆け、それを追うように一拍遅れて魔道士見習たちがバタバタと走りだす。
木立の奥の宿舎へ向かう見習たち。
彼らを見つめるレイドの目が、わずかに緩んだ。
「楽しそうですね、レイド様」
背後から声が掛かり、レイドは酷く不機嫌そうな表情で振り返った。
「……どこがだ。毎度毎度ガキのお守をさせられるなんて、勘弁したいのだが」
「本当にそうでしょうか?」
おっとりと言い返すのは、ふわふわの毛皮のフード付きコートを着た女性。フードの間から零れ落ちるミルクココア色の髪を風に揺らせながら、彼女は小首を傾げる。
「本当にお嫌なら断固拒否なさるでしょう? ちなみに私はこの実習、とても楽しみにしておりましたよ」
「……レティシアか」
レイドの視線が宿舎へと注がれる。一番乗りの騎士見習がまろぶように駆け戻ってくるのを視界の隅に入れながら、薄い唇がふっと笑みを象る。
「なるほど、確かにあいつの成長は見物だな。おまえが手塩に掛けて育てたんだろう」
「恐縮です」
ダッシュを終えた騎士見習が次々に戻ってくる。クラートが肩で息をしながら戻って来、数秒後には夕焼け色の髪の少女が列に入る。他の魔道士見習の少女たちはまだ宿舎でごちゃごちゃしているだろうに、彼女は随分丈夫な足腰を持っているようだ。騎士見習が肩で息をつく中、彼女は一人平然とした表情で周囲を見回している。
「……たくましい奴だな、レティシアは」
「まったくですね」
セレナはどこか誇らしげに微笑んだ。
実習地での訓練内容は、基本的に普段の練習と大差ない。騎士見習はディレン隊を相手に模擬訓練をし、魔道士見習も先輩魔道士が見守る中、魔法を披露する。
騎士見習の方は「とりあえずディレン隊から一本取る」を目標にしているらしく、クラート含む十人の見習たちは果敢に先輩騎士へと斬りかかっていた。
掠れた声を上げて模造刀を振りかぶる少年。そんな渾身の一撃をわずかに体を反らすだけで躱し、おまけにきつい一太刀を腹部にお見舞いするディレン隊。
木製の剣に薙がれ、少年の体は軽々と吹っ飛んでいく。体前面を覆う綿入り軽鎧を纏っているが、立ち上がった少年は剣に縋りながら目に涙を浮かべていた。相当痛そうだ。
襲いかかる見習を快刀乱麻で切り捨てる騎士たち。
彼らとはグラウンドの反対側、騎士見習の砂埃すら届かぬ場所に魔道士見習たちは整列していた。
「あなた方の練習の指導をする、ディレン隊のミランダ・エステスよ」
四人の侍従魔道士を代表して名乗るのは、レイドと同年代とおぼしき強気な雰囲気の女性魔道士だった。すらりとした身の丈で、分厚いコート越しでも出るべき所がしっかり出ていることが見て取れる。思い返せば、前回の遠征であれこれ指示を出していたのも彼女だった。
ミランダは寒風に波打つ黒髪を靡かせ、緊張の面持ちの見習たちを見てふっと微笑んだ。
「大丈夫。騎士見習の方と違って、私たちは魔道実践の授業と同じように魔法を使ってもらうだけだから。ただ、いつもよりも派手な魔法も注文するわね。さあ、それじゃあ実習開始よ」
ミランダら四人の女性魔道士の指導のもと、レティシアたちはそれぞれ魔法を披露すべく互いの距離を取った。八人が八角形を描くように配置され、レティシアの右隣はどこか不機嫌そうな面持ちのミシェルだった。
レティシアの真正面方向に控えるロザリンドは何も言わず、古びた木のベンチに腰掛けて見習たちの動きを眺めている。時折脇に置いていた書類に何か書き込み、探るように、推し量るように見習たちに目を配っていた。
他の侍従魔道士たちが見習八角形の外に控える中、中央に進み出たミランダは木を荒く削って作られた長い棒片手に立ち、見習たちをぐるっと見渡す。
「ではまずは魔道の基礎の一つ、火炎魔法から見せてもらうわ。ここに正確に火柱を立てること。大きすぎても小さすぎてもダメ。きっちり枠内に入る火柱をよろしく頼むわ」
そう言い、ミランダは持っていた木の棒を地面に立て、人一人入れそうな円を描き――徐にレティシアを木の棒の先で示した。
「じゃあ――夕日の髪のあなたから。あなた、名前は?」
チッ、と右の方から舌打ちの音がする。一番乗りがしたかったらしいミシェルには構わず、レティシアはミランダをまっすぐ見返して答える。
「レティシア・ルフトです」
「そう。いい名前ね」
ミランダは小さく笑い、地面に描いた円から距離を取った。
「さあ、レティシア。あなたの実力を見せてちょうだい。シルバーマージである私を驚かせてほしいわ」
茶化すように言うミランダ。
だが彼女の目は笑ってはいない。新人の実力拝見を心待ちにし、力を試そうとする強い眼差しをしていた。
「はい、尽力します」
短く返し、レティシアはローブの裾を肘まで捲って両腕を前へ突き出す。
まず、しっかりと円の位置と大きさを目測する。脇に立つミランダの身長と比較すると、円はディナー用大皿くらいだろうか。レティシアの立ち位置からの距離はそこそこあり、この場所からだと円の直径は中指一本分ほど。的確に炎を立たせるのは少々困難だろう。
しばし、円までの距離を測るように目を細めて眺め、右手を挙げた。
レティシアを包むように金色の光が溢れる。ミシェルが瞠目し、セレナが満足そうに微笑み、ロザリンドが厳しい眼差しで見守る中、前方へ突き出されたレティシアの両手が赤く光る。
レティシアの両手から溢れた炎は弾丸のごとく飛び、ミランダが示した円の中央にぶつかって燃え上がった。紅緋の炎は渦状に巻き上がりながら熱風でミランダの巻き毛を揺らし、灰色の空へと立ち昇っていく。
侍従魔道士見習はおろか、レイドでさえ訓練の手を止め、模擬剣を構えたまま驚いて目を瞠る。全員の視線が炎へと注がれ、そして魔道士を中心にわあっと歓声が上がった。
「へえ……これは意外ね。噂に聞くよりずっとうまいじゃない」
わずかに焦げた髪を梳り、炎に照らされて頬を赤く染めながらミランダは満足そうに微笑む。
「さすが、セレナが鍛えただけあるわね」
言い、年若い茶髪の同僚を見つめる。
彼女はミランダの視線を受け、微笑んで小さく肩をすくめた。
レティシアが一発目から成功を喫し、次々に魔道士見習たちがミランダの指示のもとで魔法を披露していく。その中で。
「……やはり、間違いない……」
小さなつぶやき声は、少女たちのにぎやかな声にかき消されていった。
 




